双葉社web文芸マガジン[カラフル]

未来職安 / 柞刈湯葉・著

イラスト/座二郎

第10回

5章 未来雇用(中編)



「自動監査の報告:注意点複数あり【要返信】」
 というメールが届いたのは、ニュース放送が終わって少しした頃で、わたしは「ひっ」と声を出した。どうやら首相の発表からすぐに労働局のシステムが動いたらしい。「お役所仕事」なんて昔は遅さの代名詞だったのに、政権交代からはやたらと動きが早い。システムを動かすための権限関係が、わたしが県庁にいた頃よりもずっと簡略化されたみたいだ。
 でも、おそるおそる開いてみると、そこに書かれた「注意点」は、わたしの自主返納の話ではなかった。
 指摘されたのは大塚さんの「用途未記録金」だった。これは何かと言えば、大塚さんが職安のお金を現金化して使っている事についてだ。物理通貨は今でも合法なのだが、自動で帳簿に記入されないので未記録金としてカウントされてしまう。
「未記録金について、領収書をまとめて3ヶ月以内に以下のフォームから申告して下さい」
 との事だった。ずいぶん時間に余裕がある。現金なんて使ってるのはよほど特殊なケースだと思われたんだろう。メールの一番下には「らばーちゃん」という労働局のかわいくないキャラクターがいる。身体がゴムみたいに伸びるらしい。どうでもいい。
「とりあえず時間はできたな」
 と大塚さんは無表情でいう。それからヒーターの前で干物になっている所長を持ち上げて、膝の上に載せて腹をなでている。最近気づいたのだけど、大塚さんは考え事をするときに所長をなでる癖がある。
 数分くらい黙ってなで続けたあと、
「ひとつアイデアがある」
「はい」
「職場の内部でやりとりするのが違法になる以上、別の方法でお前に賃金を払うしかない」
「現金を使うって事ですか?」
 確かにそれなら記録は残らないけど、個人間で現金をやりとりするなんて、なんだか犯罪者みたいだ。
「いや、さすがにリスキーすぎるだろ」
 と大塚さんがごく穏当な返事をする。まるで社会常識がある人みたいだ。
 かといって、内閣がああも本腰を入れて自主返納を取り締まろうとしている以上、逃れる方法はあまり思いつかない。いまどき金銭のやり取りはすべて国の管理下にあるので、どういう経路を使って大塚さんがわたしにお金を回しても、内閣のコンピュータに見つかってしまう。
「だから家計を同一にして、その内部で金のやりとりをする。それならどう動かしても労働法の範疇外だ」
「家計を……誰と誰のですか」
「おれとお前に決まってるだろ。話聞いてたか」
「そんな事できるんですか?」
「書類1枚でできるぞ。免許もいらない。職安つくるより簡単だ」
 という。
 彼が何を言ってるのか理解するまでに、所長が2度ほど伸びをして「みゃー」という。そういえば世の中には、生まれつきの家族でない人たちが家族になるための制度があるのだった。
 今時だいたいのお役所仕事が電子でできるようになったけど、その書類だけは紙にこだわる人が多い。多くの人にとって、けっこう特別な意味を持つ書類である。
「あの、えーっと、大塚さんは、アレなんですよね」
「何だ」
「アセクシャルでベジタリアンでキリスト教徒なんですよね」
 とわたしは並べて言った。後ろの2つは関係ないんだけど、並べる事で何かしらの緩衝材になるような気がしたので言った。背中からすごい汗が出てきた。お腹を冷やさないように巻いていたウールがなんだか気持ち悪い。
「あれ、言ったっけか」
「いえ、ちょっと」
 上野くんから聞きました、と言っていいのか少し迷って黙った。
「まあそれなら話は早い。要するに結婚制度は、おれには本来の意味では必要ない制度なんだよ。だったらこういう形で使う方が有意義だろ」
 と大塚さんが言ったところまでは覚えてるのだが、「結婚制度」という言葉が出てきたあたりでちょっと視界がボヤッとして、そのあとしばらく記憶がない。大塚さんの膝で丸まっていたはずの所長が、びっくりして視界の隅のほうで動いた気がする。天井が見えたような気もする。一瞬だけ走馬灯が見えたような気もする。
 今日1日で色々な事がありすぎた。

 目が覚めたのは自分の家だった。
 うっすらと見える天井についたエアコンや掛け時計が、見慣れた自分の家のものだった。時計を見ると針はぼんやりと光った。日付がひとつ変わって、深夜の1時45分だった。9時間くらい寝ていた事になる。
 職安からここまでどうやって運ばれたのか分からない。下のデイケアロボでも呼んでくれたんだろうか。誰が? 大塚さんが? ちょっと想像しづらい。
 気を取り戻したところで、冷静に自分の置かれた状況を整理する。頭の中にモニターを思い浮かべて箇条書きリストを作る。

・新しい首相が雇用改革に取り組んで、わたしの雇用形態の継続が難しくなった。
・大塚さんがその対策として、わたし達の関係を雇用ではなく家族にしてしまう事を提案した。
・それを聞いたわたしがショックで倒れた。

 とりあえず倒れるのは失礼だった気がする。不可抗力には違いないけど。
 税金対策とか国籍取得とかを目的とした、愛情と関係ない結婚は昔から普通にあるらしい。結婚というのが「役所が・ある2人に・なんらかの特別な関係を認める制度」である以上、そっちだけを欲しがる人が一定数いるのは当然だ。
「おれには本来の意味では必要ない制度」だと大塚さんは言っていたけど、考えてみるとわたしにとっても必要ない。というか、家族から逃れるために仕事をしているのだから、家族制度を仕事のために利用するというのはひどく合理的だ。
 なるほどわたしにピッタリな手段じゃないか。さすが大塚さんだ。マニアックな状況にも対策を考えてくれる。

 でも嫌だ。

 わたしは家族というものを持つのが嫌なのだ。だからこそ今まで頑張って受験勉強をして、就職活動をして県庁に滑り込んで、そこを退職しても職安に転がり込んで、なんとか逃げ続けてきたのだ。それはもうわたしのアイデンティティと言ってよかった。それを曲げることは、わたしの人生にとって許されない事なのだ。
 でも、どうやってそれを説明したらいいんだろう。
 大塚さんが考えたのだから彼なりに合理的な手段なのだろう。それをわたしが否定するなんて事があっていいんだろうか。
 子供は災害が好きだけど、大人はそうじゃない。少なくとも生産者をやっていると現状維持を望むようになる。
 どうして県庁の交通課で、滅多に起きない交通事故が、わたしの担当車に起きるんだ。
 どうして労働の不正を正すための改革で、わたしの仕事が奪われるんだ。
 どうして。
 頭の中で同じことばをぐるぐると回しながら、目尻の脇をぽろぽろと水が流れていく。「枕を濡らす」と言うほど詩的な汚れ方をしてくれればいいのに、ベタベタしてすごく気持ち悪い。
 12歳のときに家に来た新しい父親が、もし暴力的な親だったりしたら、わたしはもう少し「暴力を嫌う」とか「暴力を振るう男性を嫌う」とか具体的な嫌いを形成できていたに違いない。でもあの父親はそういうものじゃなくて、ただひたすらに弱い人だった。
 子供2人がある程度成長して、だんだん手がかからなくなった事で、手を動かす必要性を感じた母が、新たな仕事として拾ってきたような人だった。
 弱い人を嫌うのは悪いことだ、と母に言われた。
 だからわたしは父親を嫌うことができなかった。だからわたしは家族というものを、総体的にぼんやりと嫌うことにした。すごく歪んでる気がする。でもそう決めて育ってしまったのだから、今さら変えようがないのだ。

「すみません。大塚さんの提案はとてもありがたいのですが、わたしには出来ません」
 翌朝わたしは深々と頭を下げた。この人にこんなに頭を下げるのは初めてな気がする。
「何でだ?」
「書類上でも、家族というものを持ちたくないんです」
「そうか」
 といって頷くと、
「じゃ別の方法を考える。少し待て」
 と言って、ファイルに乗った所長をどけて中の書類を読み始めた。
「あの」
 わたしは顔をあげて聞いた。自分でも笑いそうになるくらい素っ頓狂な声が出た。
「もう少しなにか聞かないんですか?」
「家族を持ちたくないからこの方法は駄目だっていう事だろ。他に何かあるのか?」
「えっ、まあ、そうなんですが」
 というと大塚さんはまた書類に戻り、しばらくしてまたわたしを見て、
「なんで立ってんだ? 座れよ」
 と言う。それで自分が立っていた事を思い出して椅子に戻る。手癖で端末の画面をつけて、白い壁紙を数秒間ぼーっと見てから思う。
 なんだそりゃ。
 一晩中布団の中で「カドの立たない断り方」を考えていたわたしが馬鹿みたいじゃないか。
 どう見てもこの状況で合理的な解決策を「家族を持ちたくないから嫌です」「OK」ってちょっと素直すぎない? 理由とか聞かないの? 説得とかしないの? 「この職安にはどうしてもお前が必要なんだからこの場は我慢してくれ」とか言わないの?
 最後のはちょっと妄想が入り過ぎました。すみません。
 でも、この人はそういう人じゃないか。
 考えてみればこの人は、特に理由もなくベジタリアンをやったり、なぜか全く機械が使えなかったり、よく分からない偏狭なこだわりを山ほど持ってる人じゃないか。
 そういうのでいいじゃん。
 そういうのでいいんだ。世の中は。少なくともこの職安は。
 変なところだとずっと思ってたけど、今はじめてこの職安を好きになれた気がする。
 あと大塚さんの事を好きになりそうになってる。プロポーズを断ったその数分後に好きになるってどうなの。
 あ、所長のことは元々好きです。にゃー。
「まだ時間はあるし、とにかく仕事をするぞ」
 と大塚さんは言った。余計なことを考えてトランスしていたわたしはその声で我に返った。
「仕事をしないと、そもそも分けるべき金が手に入らないからな」
「はい!」
 とわたしは叫ぶ。まったく必要がないのに叫ぶ。所長がびくっと目を覚ます。大塚さんもきょとんとした目でわたしを見る。
「元気だな。どうした?」
(オンライン百科事典より)
 職業訓練大学は、2028年に導入された日本の大学制度である。職訓と略すことが多い。
 それまでの大学が学術に偏りすぎて社会で必要なスキルを習得できないという批判を受けて設立された。(……)しかし、こういった教育によって習得できる職業スキルが次々と自動化されることで、実際の就職率は従来型の大学よりも低下していった。
 近年になって荻原内閣により廃止が検討されている。[4]

 最後の行に「最近更新された」を表す黄色のハイライトがついている。ニュースを読み込んで自動で文章をつくるシステムらしい。[4]と書かれた部分をクリックすると、当該のニュース動画が見られる。
「職訓が生産者育成に機能していない事から、首相はこういった大学の廃止を進めており……」
 というニュースが流れた。どうやらこの若い首相は、わたし達の国にあるフシギな日本語を撤廃しようと思っているらしい。大変結構な事だと思うが、結構困る。
 フシギな日本語の制度がいっぱいあるのは、本音と建前が違うせいなんだけど、それが世の中の色々な制度をうまく回しているって事でもある。
 職訓が職業につながらなくなったのは、職訓で使う教育プログラムが、ほぼそのまま自動機械に転用できるようになったかららしい。誰でも職業に必要な技能が身につけられるという謳い文句だったらしいけど「誰でも」が過ぎたんだ。
 廃止が検討されるような存在価値の危うい大学に行きたくない高校生がいるというのも、まあわかる。
 そんなニュースを見ていると突然来客が来た。
 予報がなかったのでちょっとびっくりして画面を見ると、特徴的な丸いシルエットが画面に現れた。
「ちわーす。本当におはようございます」
 上野くんだった。大塚さんの後輩(なんの後輩なのかは知らない)で、たまに職安に遊びに来る消費者だ。
「なんだお前かよ」
 と大塚さんはあからさまに蔑むような声で言った。上野くんは呼んでもなかなか来ないが、呼ばなくても来る。来客というより自然現象に近い。
「いいじゃないですか。どうせ暇でしょう」
「今はわりと忙しいんだ」
「ほほう、大塚さんが忙しいとは一大事ですな。一体なにがあったのですか」
「国家を敵に回した」
 というと上野くんはブフフフと笑った。
「大塚さんが国家の敵とは傑作ですな。ここで罪のない消費者に職をなすりつけて、所得税を納めさせる国家の犬じゃないんですか」
「犬にも色々あるんだよ」
 と大塚さんが言う。犬種としてはイングリッシュ・グレイハウンドかサルーキあたりじゃないかな、とわたしが勝手に思っていると、
「あれれ、これ何ですか?」
 と上野くんがテーブルの上に数字がいっぱい書かれた紙切れを見つける。こないだ渋谷くんが置いていった計算メモだ。

「ほええー、世の中にはすごい少年がいるものですねえ」
 と説明を聞いた上野くんは言った。
「つーか、この最後のやつとか見ると、素因数分解もできるんですよね?」
「そうみたいだな」
「昔の漫画で読んだことありますよ。そういう暗号があって、素因数分解ができれば解かれるけど、計算機のパワーが足りないから世界の機密が守られている、てなことを」
「ああ、それは知ってる」
 と大塚さんは言った。例によって、機械を使えないくせに理論には妙に詳しい。
「だが昔の話だろう」
「まあ、今はもっと便利なキューなんとかを使ってるんですが、古い個人管理サーバーとかだと残ってるんじゃないでしょうかね。ぼくも子供のときに一番最初につくったサイトは、そういう素数式だったと思いますよ。あ、ぼくが暗号自体を作ったわけじゃないですよ、ちなみに」
「ふむ」
 と大塚さんは手で口を塞いで、何事か考えているようだった。
「大塚さん、なんか悪いこと考えてません?」
 とわたしが聞く。
「考えるだけなら何も悪くないぞ」
 実行したら悪いことを考えてるんだな、とわたしは思った。おおかた渋谷くんの計算能力を何かよからぬ事に使う事を考えているのだろう。
「渋谷くんは確かにすごいですけど、人間がコンピュータよりも計算が得意、なんてことはあるんですか」
 とわたしは聞く。機械嫌いの人にコンピュータの事を聞くのも妙な気がするんだけど。
「そりゃそうだろう。会話だって、行間を読む事だって、ある意味じゃ全部計算だが、そういうのはまだ人間のほうが得意なわけだ。となると、まだコンピュータに入ってない高速計算アルゴリズムを脳内で使ってるやつがいてもおかしくない」
 そんな事ができる子があんな普通の成績をとれるのが不思議な気がするが。
「ただ、実際に暗号解読に使うとなるとな、ちょっと人間の記憶力に収まらないくらい巨大な数を頭に入れる必要があるんだろうな。いくらあの少年が計算能力が高くても、別に記憶力がいいわけでもないだろうから、紙に書いた何百桁もの数字を覚えられるとも思えんし……」
 やっぱり悪いことを考えてるんだな。

 見たものを全て記憶してしまう超記憶症候群、というものがあるらしい。
 生まれた頃から見聞きしたものを全部映像のように覚えておけるとして、その記憶容量はどこから来るのか。人間の記憶は脳のシナプスのつながり具合や、つながった部分の分子から構成されている可能性が高いのだけれど、その量から大雑把に見積もった記憶の量が「生まれてからの全てを映像として覚える事」に比べて小さすぎるのではないか、といった研究成果が(一般向けの記事に)まとめられていた。
 だからこの能力自体をオカルト扱いする人も結構いるらしい。幼い頃のことを映像のように覚えていると自称する人に、実際に絵を描いてもらうとうまく描けない、といった事がある。
 でもわたしだって、たとえば父親の顔を絵に描けと言われても描けないけど、もし違う中年男性の写真を出されたら「違う顔だ」とわかるから、どこかで父の顔を覚えているはずなのだ。うまく形を引き出せないだけで。
 ただ、そんな能力ですら、今だったら身体にデバイスを埋めて本当に映像を撮っちゃった方が効率がいい。
 生まれる時代が間違ってたのかな、と渋谷くんにちょっと同情する。機械のない古代に生まれていたら、計算がすごいだけで偉大な数学者とかになれたんじゃないだろうか。
 そういう意味では、わたしのほうは生まれる時代は、まあまあ良かったと思う。わたし個人の運不運はさておき。
 ほんの1世紀前までは、女はいい男と結婚して子供を産み育てることが幸せ、みたいな価値観がまかり通っていたわけだし。少なくとも今は、そういう時代よりはだいぶ、わたしの偏屈なアイデンティティに応えてくれている。
 それに大塚さんがいてくれる。
 これはちょっと言い過ぎか。今のはなし。
(第11回へつづく)

バックナンバー

柞刈 湯葉Yuba Isukari

福島県出身。大学勤務の研究者。2016年『横浜駅SF』(カドカワBOOKS)で小説家デビュー。既刊に『重力アルケミック』(星海社FICTIONS)など。

個人サイト http://yubais.net/

Twitter @yubais

  • 双葉社
  • 小説推理
pagetop