双葉社web文芸マガジン[カラフル]

廃墟戦隊ラフレンジャー / 竹内真・著

イラスト:伊波二郎

第10回

【2004年4月・キャスティング】

 新歓コンパの席で、三郷のグリーンレンジャー引退が発表された。
「お聞きおよびかと思いますが、こないだの新人勧誘公演を最後に、我らがグリーンこと三郷守くんがラフプレイを退会しよることとなりました! 二年生の身で卒業とか引退とかいうのもおこがましいですが、これまでの活躍をねぎらっていただければ幸いでーす!」
 岡辺がこうしてラフレンジャーについてのサークルのみんなに報告するのも、すっかり板についてきた。ラフレンジャーのリーダーはスポークスマンでもあって、宴会の盛り上げ役でもあるのだ。岡辺の段取りで、その日の乾杯の音頭は三郷がとることになった。
 しかし岡辺が口にしないこともある。――アツミが家入と付き合い始めても、そのことには一切触れていないのだ。もちろん噂はすぐにサークルじゅうに広まったが、ラフレンジャーのリーダーたる岡辺が何も言わないとなると他の者も触れにくくなる。アツミも家入もサークル活動中に色恋の気配を一切見せなかったこともあり、二人のことは公然の秘密みたいに扱われるようになっていた。
「――では続いて、新人の自己紹介タイムに移っていいでしょうか?」
 岡辺の仕切りでもって、十五人ほどの新人が挨拶していく。中の一人、黒崎という浅黒い二枚目が、高校時代は野球部だったとか語った後で僕らの方に向き直った。
「実は自分、ラフレンジャーやりたくてラフプレイに入りました!」
 聞けば、中学生の頃から演劇に興味があったが、高校の演劇部は女子ばかりだったので野球部に入ったということだった。大学ではシェイクスピアを学びたくて文学部を選んだという話だったが――僕に言わせればシェイクスピアとラフレンジャーでは全く方向性が違っている。何か勘違いしてるんじゃないかと言いたくなったが、本人はいたって真剣なようだった。
「ラフレンジャーのステージや新勧ビデオを見て、是非やりたくなったんです。――なので是非、グリーンさんの穴は、自分に埋めさせてください!」
 飲み会の勢いで拍手が起こった。グリーンの三郷もにこにこ笑っていて、この場で二代目グリーンレンジャーの襲名かという声も上がったが、そこでアツミがやんわりと釘を刺した。
「一応、夏合宿の後、一年生だけで劇団を立ち上げてみるっていうのが恒例なの。だから、それまではラフレンジャーに入るってことじゃなくて、お手伝いってことでよろしくね」
「せや、選ぶ権利はこっちにあんねんぞー」岡辺も声を上げた。「一年の前期なんてのは丁稚奉公の修業期間や。裏方仕事もしっかりできん奴なら入れてやらんし、なにしろグリーンの後やからな。小道具のメカニックやら記録映像の編集やら、やるべきことは山ほどあるぞー。お前、そういうの得意か?」
「いえ、全然です。必要でしたら勉強します」
「映像編集のできるパソコンとか、持っとるか?」
「すいません、持ってないっす」
「それじゃあ話にならんなー」
「ちょっと待て!」そこで家入が声を上げた。「思いつきで勝手な条件つけんなよ。誰もラフレンジャー入ってくんなくなるぞ」
「後輩は厳しゅう育てんとな」
「黒崎くん、だったっけ? そんな条件いらないから安心していいよ。このレッドは時々リーダーぶって威張る癖があるんだ」
「勉強になります」
「脚本担当としては――」家入は言い返そうとする岡辺を制して続けた。「グリーンがいなくなった人材不足を、ぜひ新人で補いたいんだ。これまでは、そこの深見がブルーとブラックを兼任してたんだけど――」
「一人二役っすか」
「いや、深見は同時に二役やるほど器用じゃない。ブルーが出る時はブラックが出ないし、ブラックが出るならブルーが出ない。でも――」
「不器用で悪かったな」僕は苦笑した。「まあ、何を言いたいかは分かるけど」
 前にも僕と家入でそんな話をしたことがあった。家入は、グリーンがいなくなることで脚本が書きづらくなるのが嫌なのだ。「手駒は多い方がいい」とのことで、コントの設定や細かいギャグを考えるにも、大勢いた方が便利だと語っていた。
 二人目の脚本担当として、僕にもその気持ちはよく分かる。ブルーレンジャーとブラック将軍の両方をやり続けたいなんて意識もない。グリーンが抜けた後は、新人を迎えて新たな展開を考えたいとも思っていた。
「ブルーかブラックが、どっちか新人に譲れってことなら、俺は構わないよ。――苗字が黒崎なら、ブラック役でちょうどいいんじゃないか?」
「マジっすか!」
 黒崎は嬉しげに腰を浮かせた。すかさず岡辺がツッコミを入れる。
「名前だけで役につかれてたまるかい。ブルーの安直なキャスティングもええかげんにしとけ」
「安直なキャスティングってのはね」家入が一年生たちに説明した。「俺も去年、名前が家入だからイエローって決められたんだ。駄洒落ノリで」
「でも、今となってはイエローでぴったりだったろ」僕は言い返した。「立場が人を作るってやつだな」
「そういや家入、去年の新歓の時は真面目キャラだったよな。副会長とかいって」
 離れた席から声をかけてきたのは等々力先輩だった。家入は心外そうに言い返す。
「俺は今だって真面目ですよ。真面目にイエローレンジャーやってるだけです」
「俺にビンタした時も大真面目やったもんなー」
 そのカレー事件の話になると自然と笑いが起きる。一年生たちも新人勧誘ビデオで一通りのことは知っているので一緒に笑ったりつっこんだりできるのだ。黒崎の他にもラフレンジャーに興味を持っている一年生が集まってきて、僕らはこれまでのステージの話で盛り上がった。
「そうやお前ら、俺がリーダーでうるさ型って思われてるかもしれんけど、ラフレンジャーでほんまに怖いのはイエローやねんからな。うかうかしてると張り倒されるから注意しとけよ」
「俺が張り倒したのなんてお前だけだろ。それでステージのピンチを救ったんだ。あれこそ正義の力のまっとうな使い方ってもんだ」
「まったく、口じゃ敵わんなあ」
「お前に言われたくないよ」
 そんなレッドとイエローの掛け合いもすっかり定番となっている。僕がラフレンジャーの脚本を書く時も、この二人を軸にして進めることが多かった。そこに時々ピンクが口を挟むという展開で話が転がるのだが、現実のアツミは必要なければ話に割り込んだりしない。ラフレンジャーの新メンバーについても、岡辺と家入から告げたことが決定事項みたいになった。
「まあ今度の日曜にはパチンコ屋のイベントでラフレンジャーの営業もあるし、うちに入りたい一年はまず手伝いに来てくれ。ギャラが出るのは事前に決めた人数だけやからボランティアになるけど」
「営業とかギャラとかって言い方、世知辛いからやめようって言ってんだけど……まあ雰囲気は掴めるし、時間あったら見物気分で来てみなよ。とりあえず面白いから」
 そんな誘いに応じ、日曜には数人の一年生たちが来てくれた。小道具や衣装の運搬も手伝ってくれたし、出先では素早い準備や撤収が大事になる。新戦力は大いにラフレンジャーの役に立ち、その後も一年生の手伝いは欠かせないものになっていった。
 最初は二代目グリーンレンジャー志望だった黒崎はというと、裏方としても真面目に働いたし、舞台に立つと華があるということで、やがてブラック将軍に抜擢された。夏合宿で一年生たちの劇団を作った後も、そちらと掛け持ちでラフレンジャーの新メンバーということになったのだ。
 そしてグリーンレンジャーの役は、ステージごとに別々の役者が入るゲスト枠ということで落ち着いた。誰か一人に固定するのでなく、試しに出演してみたい者とかステージの時間に都合がつく者とかがゲスト出演するのだ。脚本も役者に合わせて書いたし、ヘッドギアやサンバイザーで顔を隠せるから複数で入れ替わることもできる。何人ものサークルメンバーがグリーンレンジャーを演じることになり、愛称としてのグリーンはサークルをやめた後も何かと手伝ってくれた三郷のものとなった。
 そうやってグリーン以外の役もうまく代替わりしていけたら、ラフレンジャーという演劇ユニットも後輩たちに代々受け継がれることになったかもしれない。実際にはそうならなかったのは、少々もったいなかった気もする。

【2017年4月・ブルー&ピンク&レッド】

 待ち合わせ場所は吉祥寺のビアパブだった。それぞれ来れそうな時間がばらばらなので、先に来た奴からビールを飲んでいようという約束だった。
 僕と岡辺は仕事が終わり次第、アツミは実家に子供を預けてから来ることになっている。家入は〆切仕事を書き上げられたら来るという曖昧な返事だったので、まずは三人で集まることにした。僕と岡辺でアツミの相談に乗り、それから家入と合流ならばちょうどよかろうという計算である。
 本人は来るか来ないか分からないというのに、その店は家入が指定した。前に雑誌で取材記事を書いたとかで、待ち合わせにもそのまま落ち着くにも便利だというのだ。駅から近い商店街の路地にあったが、僕が着いた時にはまだ誰も来ていなかった。
 客の方から注文ごとにレジに行って会計する店だった。カウンターで軽そうなエールと野菜スティックを注文し、四人掛けの丸テーブルに落ち着いた。一人でビールをすすりながら持ってきた文庫本のページをめくり、時々キュウリやセロリを齧る。
 本の表紙には大きく、『JETMAN』と記されている。戦隊物と恋愛物を結びつけた名作と名高い、鳥人戦隊ジェットマンの小説版第一巻で、テレビシリーズの脚本家が自ら小説化したものらしい。たまたま職場近くの古本屋の百円本の棚で見つけ、みんなに見せたら面白がるかと思って買ったのである。ネットで調べてみたら、絶版本ということもあってオークションで高値がついていた。
 子供の頃にテレビ放送は見ていた覚えはあるし、学生時代もたびたび話題にのぼった作品だった。しかし小説を読み始めたら、細かいことはすっかり忘れているのに気づいた。ヒーローたちの名前や恋愛模様、ストーリーの大筋などは覚えていても、SF的に作りこまれた設定や世界観などはあまり気にしてなかったのだろう。読んでいると、懐かしさと同時にこういう話だったのかという意外さを味わえた。
 第一巻は主人公がジェットマンの仲間となる者たちを集めていくストーリーなので、今こうしてラフレンジャーの仲間を待っている自分に重ねることもできた。本当に、五人集まるというのは大変なことなのだ。――五人がすぐに集まれた学生時代というのは、今にして思えば恵まれた環境だった。
 今日の集まりでも五人は揃わない。家入も微妙だし、三郷は来ないのだ。ジェットマンの小説を一番喜んでくれそうなのは彼なのに、今日になって仕事から抜けられないと連絡がきた。その筋に詳しい三郷だったらジェットマンについてもいろいろと語ってもらえただろうと思うと残念だった。
 だいたい、脚本家試験で家入と再会して以来、他のみんなとは再会できたけれど、三郷とは電話やメールのやりとりだけだ。直接顔を合わせることはできずにいるわけで、なんとか会う機会を作りたいものだった。
 今回はアツミと家入の件で集まることになったわけだから、次は三郷の都合のいい日に合わせて――などと考えながらページをめくっていると、不意に横から手元を覗き込まれた。
 ふわりといい香りが漂った。アツミだと分かったのはその後だ。
「何読んでるの?」
 眼鏡をかけた横顔が、こちらを向いてにっこり笑う。僕は隣の椅子に置いた鞄をどかした。
「ジェットマンの小説版。こないだ古本屋で見つけたんだ」
「え、本になってるの?」
 アツミは目を輝かせた。隣に腰掛け、デニムコートを畳んで膝に置く。コートの下はこの前よりもカジュアルで、ロングシャツとジーンズだ。学生時代にはそういう姿を見たわけでもないのに、何故か懐かしく感じる。
「最近うち、親子で戦隊物のDVDをよく見てるの。子供が日曜の朝にテレビでキュウレンジャーを見るようになって、お誕生日に変身グッズを買ってあげたら大喜びでね。じゃあって思って近所のレンタル屋で他のシリーズも借りて、一緒にいろいろ見てるの。――でもジェットマンは避けてたんだ」
「どうして?」
「だって、恋愛描写がすっごく多いじゃない。私は見たいけど――三歳の男の子と見てもいいのかなって考えちゃうよ。親としては」
「そういうもんか……」
「だから、本が出てるなら、一人で読むのにちょうどいいかなって思って」
「そっか――これ、絶版本でネットじゃ高値がついてたけど、そういう人が買うのかもな」
 本を閉じ、アツミの前に置いた。アツミは早速ページをめくり始める。
「もともとジェットマンってマニア人気が高いんじゃなかった? フリマにジェットマンのフィギュアが出てて、すっごい高くて驚いたことあるよ。普通の中古品なら何十円とか何百円とかで売ってるのに、そのブラックコンドルには一万円近い値段がついてたの」
「そんなんで売れるわけ?」
「ちゃんと売れてたよ。近くのブースだったからちらちら見てたんだけど、大人の男の人が買ってた。一緒に見てたママ友が『あれは業者だね』だって」
 業者だったらさらに高い値段で転売するのだろうか。僕にはさっぱり分からない世界だった。
「ていうかアツミ、フリマとかよくやってんの?」
「子育てママには大事な生活手段だよ」
 アツミは笑顔で答えながら席を立った。自分のビールを買いに行くようだ。
「ああ、一杯奢ろうか?」
「ありがと。でも自分の稼ぎで飲めますから」
 わざと気取った口調で答え、一人でカウンターに向かう。その後ろ姿を眺めながら、初めてアツミと会った頃のことを思い出していた。
 演劇サークル・ラフプレイの新人勧誘公演は、サークル棟と呼ばれる建物の地下、集会室という大きな部屋で行われた。見に来ている新入生は二人連れとか数人連れが多かったが、アツミは一人でぽつんと座っていた。僕も一人で来たので、自然と彼女に目が行ったのだと思う。
 そのステージでは先輩たちがミュージカル風の短い芝居を演じていた。その終演後に出演者が出てきて観客の一年生相手にフリートークとなり、芝居の中の歌やダンスを再現してみせた。希望者は飛び入り参加で一緒にステップを踏んでみようという誘いもあって、岡辺や家入はダンスに交ざって盛り上がっていたが、僕とアツミは最後まで客席にいたのを覚えている。
 それでいて、二人ともラフプレイには入ることになった。やがて一緒にユニットを組んでラフレンジャーとなり、今はこうして二人でビアパブにいるのだから、考えてみれば不思議なものだ。たしか入学したのは二〇〇三年だから、あれからちょうど十四年ということになる。
「――どうしたの、にこにこして」
 アツミがエールグラスを手に戻って来た。僕は素直に、勧誘公演の時のことを思い出していたのだと話した。
「今日はアツミ、眼鏡だからさ。そういえばあの頃はかけてたなーと思ってたんだ」
「あの頃はセルフレームだったけどね」
 アツミは照れ笑いで眼鏡をいじった。今の眼鏡はシンプルなチタンフレームだ。艶消しで目立たないが、色はピンクゴールドだろうか。選んだビールもゴールデンエールだそうで、眼鏡とビールの色がよく似合っている。
 僕が飲みかけのグラスを掲げると、アツミは自分のグラスを軽く当ててきた。一口飲んで軽く息をつく。
「うん、おいしい」
 僕は野菜スティックの皿をアツミの前に出した。今度は遠慮されずにとってもらえた。
「ラフレンジャーを組む時も、眼鏡の話になったんだよな。アツミと家入が眼鏡かけてて――」
「岡辺くんが、コンタクトの俺も入ったるとか言ってね」
 そんな話をしながら、家入のプロポーズの件を思い出した。それさえなければいい雰囲気なのになと、あらためて家入が恨めしく思えてくる。
 おまけに、そこで声をかけられた。
「お二人さん、邪魔するでー」
 岡辺だった。いつの間に入店していたのか、片手に黒ビールの大きなパイントグラスを持っている。席に着くより前に、そのグラスで僕らと乾杯する格好になった。
「――岡辺くん、変わってないねー」
 アツミが言った。聞けば二人は今日が久々の再会になるらしい。ネットで連絡をとってはいたが、実際に顔を合わせてはいなかったというのだ。
「変わってないなんて言うてもろたら、ピンクは前より美人になったって返さなあかんなあ」
「素直に褒めないとこも相変わらず」
「せやけど、どうせやったらブルーも遅刻してこいや。先に俺とアツミが来たら、デートみたいになるなーと胸をときめかせてたっちゅうのに」
「何言ってんの。ラフレンジャーで一番最初に結婚したくせに」
「いやー、アツミをもろたれへんかったのは、今でもすまんと思とるよ」
「それはありがとう。奥さんはお変わりなく?」
「おかげさんで夫婦円満や。最近ちょっと揉めたけど、それも結婚生活のスパイスや」
「あら羨ましい」
「俺から見れば、独身に戻ったアツミの方が羨ましいわ」
 二人のテンポのいいやりとりを、僕は黙って聞いていた。演劇経験者同士の会話は時々芝居っけを帯びるものだが、今の二人がそうやって喋っているのは久々に会う照れのせいだろうか。
 僕はグラスをあおって空にした。二人はしばらくこの調子で楽しく言葉を交わすことだろう。その間に次の一杯を頼みに行くのがよさそうだ。
 二杯目は、アルコールの強めのアンバーエールを頼むことにした。

 席に戻ると、岡辺が口調を改めた。
「さあて、ほんじゃあ本題に入るか」
「実は、その件ですが」
 アツミは軽く手を上げた。芝居がかった口調のまま、それでいて真面目な顔で頭を下げた。
「ご心配おかけしておいて申し訳ありません。――実は今日、ここに来る前に心を決めちゃいました」
「なんじゃそら」岡辺はすかさずつっこんだ。「相談に乗ろうと張り切ってた俺らは、用無しかい」
「そんなことないよ。電話で相談できてありがたかったし、今日も会えて嬉しいし」
「で」僕が尋ねた。「心は、どっちに決めたわけ?」
「ていうか、聞いてくれる? 昨日思いきって、機嫌のいいタイミングを見計らってうちの子に聞いてみたのよ。もしもママのことが好きな男の人がいて、もしも結婚しようって言われたどうしたらいいかなって。そしたらカンタくんにも新しいパパができるんだよって説明したんだけど――そしたら、何て言ったと思う?」
 アツミはなんだか楽しげに語ってくれたが、僕も岡辺もすぐには答えられなかった。
 なにしろ、その男の人とかパパとかいうのは家入なのだ。三歳になったばかりの男の子の心理というのもよく分からなかったし、その父親として家入を思い描くことなんてできない。
「家入の奴……前にその子にも会ったとか言うとったよな」岡辺が尋ねた。「あいつは子供ウケも良さそうやけど、仲ええんか?」
「会ったっていっても、図書館でばったり会っただけだもん。カンタとはほとんど喋ってないよ。それに、もしもの話って言っただけで、誰からのプロポーズとかは言ってないし」
「ほな、OKするわけないわ」岡辺はほっとしたように笑った。「三歳ゆうたらまだお母さんにべったりやろ。どこの誰かも分からん奴がパパになるって言われて嬉しいわけが――」
「まあそうなんだけど」アツミは両手で岡辺を制した。「そういう理由でダメって言ったんじゃないの。『ママとは僕が結婚するの』だって!」
「ほんで……家入のプロポーズは断ることに決めた、っちゅうことかい」
「だって、そんなの言われたらもう、たまんないじゃない。ぎゅーっと抱きしめて、ほっぺたにチューしてあげちゃった」
「ほな家入は、カンタくんに負けたわけかー」
「考えてみれば、っていうか、考えるまでもなくて、簡単なことだったんだよね」アツミは真面目な口調になった。「私がどうしたいとか、どう思うとか以前に、今のあの子には私が必要なんだもん。私は結婚したら三人になるかなあって思っても、カンタにしたら、私が誰かと結婚しちゃったら自分が一人になるようなものなんだよ。そう思ったら、結婚なんか考えてる場合じゃなかったって気づかされたよ。だから――家入くんには悪いけど、きっぱりお断りしようって決めたの」
「えらい!」岡辺は深くうなずいた。「俺も全く同意見や。家入やったら独りもんのまんまで何の問題もない。あんなんほっといたらええ。――なあ?」
 最後の問いかけは僕に向けられたものだった。僕も何か言わなくてはいけなくなった。
「変な話だけど――ほっとした。学生の時みたいに、アツミはOKしちゃうんじゃないかなって心配してたんだ」
「結局、あの頃は私も、一人になるのが怖かったんだと思うのね。最初に告白された時も」
「でも、あの時はみんないたじゃないか」
 僕もいたし、岡辺も三郷もいた。周りには他のサークルメンバーだっていた。だから余計に驚いたのだ。
「そうだけど、気持ち的に。私、子供の頃からどんくさくて、クラスでグループ分けとかあると、気づいたらぽつんと一人になってるタイプだったから。それが――ラフプレイの一年生でユニット分けした時、すぐに家入くんが仲間になってくれたでしょ。すっと手を差し伸べてくれる感じで、すっごい嬉しかったの。だから、その手を離したくないって気持ちが強かったんだと思う」
「あの時は俺かてすぐ手ぇ差し伸べたやんか。家入の手ぇくらい離したって、俺もおったし深見かて三郷かておったぞ」
「うん。だから――そういうのが見えてないくらい、大人じゃなかったんだよ、あの頃は」
 アツミはきっぱりと言った。それからふわりと微笑んだ。
「でもね、今はカンタがいる。私、絶対に一人じゃないんだよね。そりゃあ、子供っていつか親から離れてくのかもしれないけど、今は彼がいるんだ、それで充分だって、昨日あらためて気づいたの」
「でも――」
 アツミの気持ちはよく分かる。でも何故か、何か言い返したくなった。
「子育ては、一人でやってるわけだろ。それは大丈夫?」
「一人じゃないよ。今夜だって実家に預けてるわけだし――」
 アツミはグラスを口に運んだ。ビールの残りを空けて息をつく。
「それに前、保育園の先生に教わったんだ。子育てって、親が子供を育てるだけって思いこんじゃいがちだけど、実は子供が親を育ててくれてるんだって。『だってお子さんができる前、皆さんはママでもパパでもなかったでしょう? 今こうして親御さんをされてるのは、お子さんに育てられたからですよ』って言われて、確かにそうだなあって思っちゃった。だから子育ては一人じゃなくて、二人でやってんの」
 そう言って席を立ち、カウンターに次の一杯を買いに行く。残された僕と岡辺は顔を見合わせて笑った。
「アツミ、立派になったなあ。あらあ確かに、俺らの助言なんていらんわ」
「こないだ言ってたよ。ヒーロー物で変身してパワーアップってあるけど、あれは女の出産のことだって」
「ほんなら俺らが敵うわけないなあ」
 二人して笑った。笑い声が聞こえたのか、アツミがカウンターからこっちを振り向いている。
「岡辺は結婚してるだけまだいいよ。俺なんか学生の頃と何も変わってない」
「独身貴族で結構やないかい。脚本家に転職しようかー、なんて気楽に思えるのも所帯もってへんからやぞ。俺なんか――」
 岡辺はそこで話を切った。アツミが赤っぽいフルーツビールを持って戻ってきたからである。
「まあ、俺の話はおいとこう。まずはアツミと家入の話や」
「え、だから心は決めたってば」
「アツミは決めたかしれんけど、家入にはもう伝えたんか? まだやろ?」
「だから、それは今夜ここで会った時にってつもりで」
「家入は来れるか分からんそうやぞ。それにお前、せっかく〆切明けにここまで来た挙句に振られんのは気の毒やと思えへんか?」
「そんなこと言ったって……」
 アツミが僕を見た。何か言ってやってよという表情だ。
「そこで、提案がある」岡辺は続けた。「家入に連絡して、無理して出てこんでもええって言うたるんや。アツミも俺も家庭がある身やから早く帰れるに越したことないし、今夜は解散するって言うたら逆らえへんやろ」
「私の返事はどうするの?」
「別に今夜返事するって約束したわけでもないんやろ? また日を改めてってことでええやないか。――実は、こないだの秘密基地なんやけど、誰か案内するなら今のうちって雲行きなんや。せっかくやったら五人揃って行ってみいへんか?」
「大丈夫なのか?」僕が尋ねた。「ネットに情報が漏れててまずいって話だったのに」
「状況は刻々と変化しとんねん。実は穴林ショッピングスクウェアの身売りが決まりそうでな。今しかないって言うたらグリーンも無理して出てくるやろし、また変身して楽しく遊ぼうって集まりなら、イエローも振られた痛手から立ち直れるってもんやないか」
「なんか、強引な理屈だなあ……」
 僕は思わず呟いた。学生時代にも、よくこうやって岡辺の強引さに文句を言ったものだ。
 アツミも一緒に反対するかと思ったら、黙って微笑みながら僕と岡辺を見比べている。――なんだかんだ言っても、結局はリーダーであるレッドに押し切られてしまうことを思いだしていたのかもしれない。
(第11回につづく)

竹内 真Makoto Takeuchi

1971年生まれ。95年に三田文学新人賞、98年「神楽坂ファミリー」で小説現代新人賞、99年『粗忽拳銃』で第12回小説すばる新人賞を受賞。『カレーライフ』『自転車少年記』『じーさん武勇伝』『図書館の水脈』『ビールボーイズ』『文化祭オクロック』など著書多数。

竹内真の好評既刊

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