双葉社web文芸マガジン[カラフル]

碧と花電車の街 / 麻宮ゆり子・著

イラスト/河野真歩

第1章

(承前)

 富江さんも酒を飲み始め、食事の終わり頃には一升瓶は空になっていた。
 酒がなくなると、「帰る」と言って山高さんは山高帽を目深にかぶり、さっさとマントをなびかせ出て行ってしまった。そういえば、「長尻ながじりは嫌いだ」と前に言っていた。
 高下駄の音が遠くなってから富江さんが聞く。
「帰るって、あいつどこに帰るんだい?」
「知らない。山高に家なんかあるのかね? 女の部屋を転々としてるんじゃなあい?」
「あんた、振り付け見てもらってるんだろ? 知らないのかい?」
 紅玉さんは興味がないらしい。頬杖をつきながら首を振った。コップの底に残った酒をちびちび舐めている。私は身を乗り出した。
「ねえねえ、ストリップの演出ってどんな風なの?」
「あんたにはまだ早い」
 と紅玉さんに言い返されてしまった。今日は仕事が休みなので彼女は化粧をしていない。その方がいつもよりあどけない感じがしてきれいだと思う。
 私は食器を重ねて富江さんに渡し、ちゃぶ台をふいた。富江さんはお茶をいれると、さりげなく私の正面に座る。
「碧、学校はどうだい? 夏休みが終わってからいじめられたりしてないかい?」
「え、うん」
 私は男子三名から「ズロース女」という不名誉なあだ名を付けられたことを思い出した。体育の時間、富江さんからもらったズロースの上にブルマーをはいて、マットの上ででんぐり返しをしていたとき、どうやら足の後ろの付け根から白い生地がはみ出していたようだ。
 富江さんは私が井戸端でよれよれのパンツばかり洗っていたのを見て、お腹もお尻もしっかり包み込む肌触りのいいズロースパンツをくれたのだ。それなのに……ズロース女と呼ばれたなんて言えるわけがない。
 私は変な顔をしていたらしい。気付いた紅玉さんが口を挟む。
「あー、わかった。あんた学校に好きな子でもいるんじゃない?」
「いないよ、そんなの」
 口をとがらせて言い返すと、富江さんの方を向く。
「毎日楽しいよ、学校」
 富江さんの仏頂面がほころんだ。「そうかい? ……ならよかった」
 富江さんは戦争で夫と子供をなくしている。くり返すが、私は昭和二十年九月生まれなので戦後の混乱した時期の記憶を持っていない。アルバムも残ってない。気付いたときには大須商店街の狭い長屋で暮らしていた。お母さんと私の住んでいる長屋は富江さんの暮らす長屋の三軒隣で、彼女はこの一画の向かい合う長屋八軒を管理している。
 お母さんと私のプライバシーを配慮して、富江さんは奥の長屋をあてがってくれた。角部屋なので陽当たりも悪くない。どうしてそんなによくしてくれるのだろう? そう思っていると、「碧は私にとって、孫みたいなもんだからねえ」と言ってくれた。「碧、手」と言うときとなんら変わりのない言い方で。
 わいわい女同士で一時間ほど話したあと、紅玉さんが帰っていった。私は銭湯へ行き、また富江さんの家に戻るとそこで宿題をやる。
 夜の十一時近くになって富江さんの長屋を出た。三日月に雲がかかっている。三軒歩いた先の長屋のなかはまだ暗い。
 お母さんは帰っていないようだ。家の灯りが点いていると嬉しい。暗いときは淋しい。
 
 布団の中でうとうとしていると、この間、担任の先生から言われた言葉がこだました。
 ――えらそうなことを言うんじゃない、テテナシゴのくせに。
 先生は確かにそう言っていた。
 体育のあと、男子三人から「ズロース女」とからかわれたのは実は一度ではない。あのあと何度か言われたのだ。さすがにもう無視できない、がまんの限界。そう思った途端、私はかーッとなって三人に言い返した。
「うるさい『進化途中の猿』、黙れ『肥満児』、腹話術師が来るまで勝手に口開けんな『木製あやつり人形』」
 頭に血がのぼっていたわりに三人の見た目をうまく表現できたと思う。しかし図星を突かれたせいだろう。男子たちはみるみる顔を赤くし、負けじと返してきた。
「おかちめんこ」「ばか」「細目(ほそめ)」「おかっぱ」「ズロース女」。
 一度言い返したのだから、私はもう無視して帰ればよかったのかもしれない。だけど、富江さんがくれたズロースをばかにされたことが、どうしても許せなかった。
 ずいと私が踏み出すと、男子の手が飛んできて私は肩を突かれた。予想外の攻撃に尻もちをつきそうになったが、なんとか踏ん張って、私は中央の男子の胸を突き飛ばした。
 そこで私はスパンと後ろから頭を叩かれたのだ。びっくりして振り返ると、丸めた教科書を持った担任の先生がいつの間にか後ろに立っていた。
 痩せた五十代くらいの女の先生は、子供同士のやり合いには釣り合わないほど厳しい、悪意のある表情をにじませると言った。
「さっきから聞いていれば、えらそうなことを言うんじゃない、テテナシゴのくせに」
 男子たちは言葉の意味がわからないようで、きょとんとしていた。私の方は、先生という立場の人から露骨に悪意を向けられたのは初めてのことだったから、ひどく戸惑ってしまった。私がおどおどしているうちに、「いい気味だ」と言って三人は逃げてしまい、先生も私に背を向けて行ってしまった。
 テテナシゴってなんだろう? 
 だが言われたときのみじめな気持ちが、今も取れない汚れのように残っている。なんだか口にしてはいけない言葉であるような予感がして、今日は富江さんにも紅玉さんにも言えなかった……。
 引き戸の開く音がした。私は反射的に布団から身を起こす。
 赤いワンピース姿のお母さんから、香水とたばこと酒の入り混じった匂いがする。
「おかえりなさい」
「遅くなっちゃった。ごめんね、起こした?」
 私は首を振り、富江さんから預かった丼を渡した。ひきずりの残りで作ってくれた親子丼が入っている。
「あら、今日はひきずりの日だったの?」
「うん」
「おいしかった?」
「作ってるそばからよだれが止まらないくらいだったよ」
「そう。よかったねえ」
 次はお母さんもいっしょに食べようね、と喉元まで出かかった。
 だけどひきずりの日はそもそも、男にふられた紅玉さんをなぐさめるため、富江さんと私が紅玉さんの仕事が休みの日に始めたものだ。そこへ猫のように気ままな暮らしをする山高さんが加わるようになった。
 いずれにしても、夜遅くまでサラリーマンの客を相手にする店で働くお母さんが、平日の晩に休めるわけがない。
 お母さんはちゃぶ台の前に座ると手を合わせた。
「富江さんありがとう、いただきます」
 私が富江さんを真似てお茶をいれると、お母さんはまたありがとうと言った。
「碧、先週の作文と数学のテスト、返ってきたんじゃない? どうだった?」
 うんと呟き、私は少し緊張しながらテスト用紙を出した。仕事に追われてばかりのお母さんは食べるのが早い。空いた丼を横に避けると、ピースの丸缶から一本抜いて吸い始めた。
 数学の点に目をあてると表情を変えず、ゆっくりと煙を吐く。私はお母さんの二重の目と、薄いしわの寄った乾いた肌と、赤い口紅の付いたたばこの吸い口を見た。
 作文も読んでいた。顔をあげると嬉しそうで、前のめりになっている。
「よかったじゃない、個性的だって。花マルもらってる」
「でも数学は悪かったよ」
「五十七点か。あと三点で六十点だったのに、……惜しかったわね」
 あれ? 今までだったらこんな点を取ったら機嫌が悪くなっていたのに……。最近急に怒らなくなった。
「ああ、もう眠い。あんたもう寝なさい」
 お母さんは腕を伸ばしてあくびをする。話したいことはいろいろあったが、疲れているのはひと目でわかる。私はふすまを閉めると布団にもぐり込んだ。食器を洗う音がする。人の気配を感じながら横になるのは幸せだ。安心したせいかすぐ眠ってしまった。
 それからどれくらいたっただろう。お手洗いに行きたくなった。
 たぶんお茶を飲んだせいだ。ぼんやりした頭のまま廊下側の障子を開け、裏口を出ると外付けの汲み取り便所に入った。狭苦しい上、足の下から臭くて冷たい風がしきりにすうすうあがってくる。……白いお化けの手が伸びてきて、今にも尻を撫でられるような気がして怖いのだ。できるだけ短い時間で用を済ませ、吊り手水ちょうずから出る水で手を洗う。備え付けの共用手ぬぐいはバリバリしてて汚ないから、用意してきた自分の手ぬぐいを使った。
 隣の布団は空いたままだった。ふすまの間から灯りが洩れている。まだ起きているのだろうか? 私はそっとふすまの隙間に目をあてた。
 こちらに背を向けたお母さんが、包装紙の裏をメモ代わりにしてなにか書きつけている。――あッ、と思った私は身をひるがえし、慌てて布団にもぐりこんだ。
 お母さんは私の小学校のときの算数のドリルを使って、数式を解いていた。
 夜はお酒を出す店で働いているお母さんは、半年前、夜の勤め先を別の店に変えていた。――お給料の額が勤務時間と違っているような気がする、と洩らしていたのをおぼえている。
「向こうに何度かお給金の違いを訴えたんだけど、たちまちそろばんを弾かれて、言い負かされちゃうのよ、私」
 悔しそうに富江さんの前でもこぼしていた。
 福井の、農家の貧しい家で生まれたお母さんは、女だということもあって、尋常小学校を出るとすぐ大阪の家に女中に出されたのだという。家の借金を背負わされたとも言っていた。
 だがそれ以上、お母さんはあまり自分の過去を語りたがらない。
 富江さんは「つらい思いをした人ほど昔のことを話したがらないものだ」と言っていた。
 そこにはお母さんのことも含まれるのだろうか。
 富江さんから私が聞いたのは、戦争の影響でお母さんは大阪の女中先から福井に戻らざるを得なくなってしまったということだ。戦況が厳しくなった終戦に近い頃には、女中を雇うなんてぜいたくだと言われたらしい。大阪も爆撃を受けたから、疎開の意味もあったのだろう。
 そうして福井の生家に戻ったお母さんは、疎開で福井に来ていた大須生まれの富江さんと知り合ったのだ。
 戦争が終わってすぐに私は福井で生まれた。お母さんは自分の親のことを話したがらないから、また家を追い出されるようなことがあったのかもしれない。もしかしたら、私が生まれたことが原因なのかもしれない……。
 赤ちゃんだった私を背負ったお母さんは戦後の混乱のなかを、富江さんとともに名古屋へ向かい、大須で再出発を決めた。富江さんは恩人だとよく言っている。
 私はお父さんのことをなにも知らない。
 どんな人だったのか、どこに住んでいたのか。お母さんのことを愛していたのか、いないのか……。
 しかしお母さんは、戦争でお父さんは死んだとしか教えてくれない。私は富江さんに少しだけ、過去を知らないことへの不安と不満を洩らしたことがある。すると、「時期がくればいつか、話してくれるだろう」と言っていた。
 寝返りを打つと同時に、お母さんが私の数学のテストの点に文句を言わなくなった理由がわかったような気がした。お母さんは働きながら、きっと、小学生程度の計算から勉強をし直す必要を感じたのだろう。だからこそ、私に文句を言える立場ではないと思ったのだろう。
 五十七点なんてとった自分が情けない。
 隣室から漏れる細い灯りの束が、見たことさえないお父さんへの思いと混じり合い、私の身に刺さるようだった。胸が痛くて、涙がひと粒だけこぼれた。

(第3回につづく)

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麻宮 ゆり子Yuriko Mamiya

1976年埼玉県生まれ。2003年、小林ゆり名義で第19回太宰治賞受賞。
13年、第7回小説宝石新人賞を受賞し、翌年、受賞作を表題作にした『敬語で旅する四人の男』を刊行。16年『仏像ぐるりの人びと』を上梓した。

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