双葉社web文芸マガジン[カラフル]

おとな酒 第二部 / 山科けいすけ・著

第6回 おすすめ酒②

三大焼酎で最も飲みやすいのは麦焼酎。他の二つに比べると少々個性が弱いが、前日の酒が体に残っている時や日本酒をだいぶ飲んだ後などは、このスッキリとした味わいがありがたい。どんな時でも気軽にやれる焼酎だ。
 ボクは長時間飲まなければならないとわかっているような時は、最初から最後までこれで通したりする。よく、焼酎は悪酔いせず次の日に残らないというが、麦はそれに一番あてはまるかもしれない。
 これら焼酎は味のはっきりとした濃いめの料理に向くが、繊細な料理にはイマイチの感がある。やはりその匂いとクセがジャマをしてしまうからだ。しかし、その特性を逆に利用できる場合もある。飛びこみの呑み屋選びに失敗した時だ。
 通りすがりにちょいと気になって入ってみた店が大ハズレ。刺身は生臭く、他の肴も咀嚼をためらうようなものばかり。こんな絶体絶命のピンチを救ってくれるのは焼酎だ。
 ロックを注文し、肴を一口食べたら一口飲む。口腔内に充満したイヤな臭みや粘膜に貼り付いたイヤな味を、の焼酎パワーで消し去るのだ。この消臭、消毒の威力は日本酒の数倍。だいたいこーいう店では日本酒もマズい。ベタベタと甘い日本酒モドキだから飲みたくもない。焼酎ならどんな呑み屋にもあり(日本酒専門店は別)、いつでもその力を存分にふるってくれるのだ。ボクが中身のわからない得体の知れない呑み屋に入っていけるのも、焼酎という強い味方がいるからだ。ありがとう焼酎。これからも頼むぞ焼酎。焼酎造ってる人は、こんな使い方を望んでないだろうけど。
 と、まあここまでは本格焼酎、乙類の焼酎の話でありました。でも、実は本当にとりあげたい酒というのは、もう一つの方、甲類を使ったヤツなのだ。
 甲類焼酎は簡単にいうとエチルアルコールを水で薄めたようなモノだ。だから匂いも味もただのアルコール。そのまま飲んだら、とてもウマいとはいえない代物だ。しかし、本格焼酎がほとんど出回っていなかった昔の東京では、焼酎といえばこの甲類のことだった。
 街角の酒屋の片隅で、小ぶりのコップに入ったコレを立ち呑み(いわゆる角打ちというやつですね)しているオッサンをよく見かけた。最も安く、早く酔えるのがこの酒だったのだ。なので世間ではブルーカラーの労働者や酔っぱらいの飲む酒と見られていた。
 一杯呑み屋や大衆酒場でもよく飲まれた。そういう所では小皿の上にコップを置き、焼酎をついだ際にこぼれてもよいようにしていた。客はたくさんこぼれると喜んだ。オッサンたちは、酒のこぼれた皿にとがらせた口を当てて、チューッと吸うのが大好きだった。現在の居酒屋では日本酒の冷酒を頼むと升にグラスが入ってくることが多いが、あれは元々焼酎の出し方をまねて皿に乗せていたのを、見栄え良くするために升に変えたものだ。
 そして、焼酎そのままではあまりにも味気ないという人達向けに「梅エキス」なるモノがあった。梅シロップともいい、呼び名のとおり酸味のある梅味のオレンジ色をしたシロップだ。今でも下町の呑み屋などにはあったりする。
 「梅割り」を頼むと、店員がこれをコップの焼酎に少量たらしてくれる。透明の液体の中にオレンジ色がゆらゆらと広がってゆき、それをかきまぜずにチュウと飲むと、かすかに甘酸っぱい匂いと味を感じるのだった。でも、アルコール濃度はストレートで飲むのとほとんどいっしょ。キツい飲み物であることに変わりはない。ボクは高校一年生の時に、中学のバレー部顧問のG先生に赤羽のOK横丁という呑み屋街に連れていかれ、これを初めて飲んだ。ムセただけでウマくなかった。度数は同じでも、普通の梅酒の方がよっぽど飲みやすい。やはりこーいう酒は小僧の飲むものではない。というか、大人でも苦手な人はたくさんいた。
 焼酎のストレートはキツい。かといって当時は日本酒やビールは高価で、しょっちゅう(ダジャレじゃないよ)は飲めない。ならば何を飲むのか。そう、酎ハイです。
 酎ハイのハイはハイボールのハイ。ハイボールとは本来アルコール度数の高い酒をノンアルコール飲料で割ったカクテルをいうらしいが、日本でハイボールといえばウイスキーをソーダで割ったもののことだった。昭和三十年代から、サントリーのトリスウイスキーをソーダで割ったハイボールが巷でとても流行っていた。トリスバーというサントリー系の大衆バーがあちこちにあった時代だ。トリハイという呼び方もあった。
 そのハイボールをウイスキーでなく焼酎で作ったから酎ハイ(当時の呑んべえは焼酎のことを「チュウ」と言っていた)。初めは炭酸水で割っただけのものだった。味気なさを補うために梅エキスやレモンの切れはしを入れたりしていたけれど、ボクが大学生の頃までは甘さのほとんどないシンプルな味だった。
 それが変わったのは、昭和五十年代に割り材としてレモン味の炭酸飲料が発売されてからだ。簡単に味つき酎ハイができるので居酒屋チェーンで採用され、酸味と甘味が強くて飲みやすいと、若者を中心に流行り出した。こうして酎ハイを飲む人は急激に増えていったのだ。
 しかし、そのずっと以前から焼酎を炭酸水以外のモノで割ることは一部で行なわれていた。昭和三十年代、かのトキワ荘の若いマンガ家たちはサイダーで割って「チューダー」と呼んでいたと、藤子(A)先生はその作品の中で描いてらっしゃる。呑み屋によっては、そういうことを店でやっている所もあったようだ。庶民の酒呑みは、安いがキツくて味のない焼酎をいかにウマく飲むか、常に試行錯誤していたのだった。
 さて、ここでやっと焼酎の割り材の真打ち、「ホッピー」の登場であります。
※次回の配信は5月10日の予定です。

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山科けいすけKeisuke Yamashina

漫画家。1957年東京都生まれ。
1983年、「週刊ヤングジャンプ」にてデビュー。
1994年、『C級さらりーまん講座』で第40回文藝春秋漫画賞受賞。
2011年、『C級さらりーまん講座』『パパはなんだかわからない』などサラリーマンを描いた一連の作品で第15回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。

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