双葉社web文芸マガジン[カラフル]

おとな酒 第二部 / 山科けいすけ・著

第32回 思い出酒⑦

 半年もすると、そのカジノクラブはつぶれた。表向きは健全なゲームクラブを装っていたが、やはり裏では現金を賭ける非合法闇カジノを運営していて、警察の手入れであっさりバレたのだった。まあ銀座の近くでゲームだけのクラブやって儲かるわけもない。最初から怪しまれていたと思われる。
 「裏のことは知ってたけど、俺はバイトで表の仕事しかしてねーから何のおとがめもなかったよ。でも早すぎたなー、給料よかったのになー、ちくしょうツイてねえよ」
 後でSはしきりに残念がっていた。手入れがなくそのまま続けていたら、きっとそのうち裏の方にも関わっていただろう。ツイてないどころか。運がよかったことを自覚してなかった。
 そしてそれからまたしばらくたった頃、バレー部のOB会で顔を合わせたSは、元通り突き出た腹をさすりながら言った。
 「もう日本にいてもつまんねーからよ、俺ぁアメリカへ行くことにしたぜ」
 はあ? 何ほざいてんだこの男?
 「知り合いの知り合いがニューヨークの日本レストランで勤めててな、そのつてで俺もそこで働いてみることにしたんだ」
 その後はどうすんだ、料理人にでもなるのかと、あきれながら問うと、
 「先のことなんか知らねーよ、そんなこたあ向こう行ってから考えらあ。とにかく行ったらもう日本に戻るつもりはねーからよ」
 しょーもない、ろくなもんにならないだろうなコイツ。ボクはろくでなしの自分のことを棚に上げてそう思った。そして音信は完全に途絶えた。
 「おう俺だよ、Sだよ」
 もう一生聞くことはないだろうと思っていたダミ声が受話器から出てきたのは十年ほど後、ボクがマンガ家になって三、四年たった時分だ。
 「少し前に日本に帰ってきて就職してよ、今、サラリーマンやってるよ」
 コイツは意外性だけで人生送ってるのだろうか。
 「マンガ見てるぜ、今度酒でも呑もーや」
 そういうわけで、初めて二人きりで酒を呑んだ。
 十年ぶりのSは髪を七、三に分け、パリッとしたスーツ姿で居酒屋に現れた。スマートとはいえないが、二十歳の頃の出っ腹は引っ込んでいた。品性を感じられなかった顔つきも少しシュッとして昔よりだいぶ賢そうだ。
 「いやー、おまえがマンガ家になるなんて思わなかったぜ。ビックリだよ」
 「おまえがサラリーマンになる方がビックリだ」
 話を聞くと、ニューヨークの日本レストランで数年働いたが、なーんかこのままではどうにもならんのじゃないかと、途中で悟ったらしい。それで目をつけたのが、コンピュータ。80年代はあらゆるオフィスにコンピュータが浸透するようになった時代だ。Sはアメリカの専門学校に通い、その知識と技術を手に入れて一般企業に就職した。そこでまた数年仕事の経験を積んで、ついに日本へと舞い戻ってきたのだった。コンピュータに関してはアメリカよりたいぶ遅れている日本の企業では、英語もパソコンも自在に使える人間がとても重宝され、すぐに就職できたという。
 「なんか知らんが、たいしたもんだな」
 「まあな、いろいろ苦労したからよ」
 それからは時々、呼び出されて呑むようになった。バレー部の他の同期は地方勤務で東京にいるのはボクだけだったし、マンガ家はヒマそうだと思っていたのだろう。
 そのうちSもボクも結婚し、呑む回数は減っていった。さらに年を経て、顔を合わせるのはOB会の会合の時くらいになり、いつしかそれもなくなった。今回会うのは三年ぶりくらいか。
 Sはまだ働いているというので、勤務先の会社の近くの人形町で待ち合わせをした。当日、ボクはよんどころない事情で二十分ほど遅刻した。もちろん携帯電話で知らせたが、待ち合わせ場所は駅出口前の道端。ボクが息せき切って行くと、歩道脇のガードレールに座っていたSがギロリと睨んで言った。
 「てめえ、ガン患者待たせてんじゃねえよ!」
 思わず笑いそうになったがこらえた。「そんなこと言えるようなら大丈夫だよ」などとも口にできない。大丈夫じゃないから。
 「すまん、すまん、今日はオゴるから」
 「ったりめえだよ!」
 なんか元気だ。ボクがたまに利用する割烹店に入ることにした。

※次回の配信は11月10日の予定です。

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山科けいすけKeisuke Yamashina

漫画家。1957年東京都生まれ。
1983年、「週刊ヤングジャンプ」にてデビュー。
1994年、『C級さらりーまん講座』で第40回文藝春秋漫画賞受賞。
2011年、『C級さらりーまん講座』『パパはなんだかわからない』などサラリーマンを描いた一連の作品で第15回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。

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