双葉社web文芸マガジン[カラフル]

おとな酒 第二部 / 山科けいすけ・著

第31回 思い出酒⑥

 長いこと呑んでいると、別れの酒というものもある。
 10年ほど前のある日、家の電話が鳴り、出ると聞き覚えのあるダミ声が聞こえた。
「おう、俺だよ」
 高校時代のバレー部の同期のSだ。
「ひさしぶりだな、どした?」
「肺ガンでな、医者にあと三ヶ月といわれた」
 こんな時、しょーもないテレビドラマだと「つまらない冗談はよせよ」とか返すのだけれど、現実ではそんなことはいわない。ワンテンポ置いて聞いた。
「手術は?」
「もう遅いってよ」
「放射線治療とかは……」
「いちおうやってるけどな、もうあまり意味ねえよ」
「健診はやってなかったのか?」
「やってたよ、だけど病巣が鎖骨の下で、レントゲンじゃわからなかったんだとよ」
 話す声は落ち着いている。元々威勢の良い話し方をする男だったので、その落ち着きが深刻さを表している。
「ったくなあ、まいったよ」
 しばし両者無言の間があった。「ガンであと○ヶ月」というセリフは、ボクはマンガでよく使った。母親の時は、ボクが医者からこの言葉を聞いた。しかし、本人から言われると、何をしゃべったらいいかわからないものだ。
「酒は?」
「まだ飲める」
「じゃあ、呑みにでもいくか……」

 Sとは元々それほど親しくはなかった。同じバレー部員だが、二人きりで遊んだりしたことはない。ボクとSがいっしょにいる時は常に他に誰かいた。まあほとんどが麻雀をする場合で、他にチームメイトが二人。たまにはそのメンツで映画を観たり、夜の盛り場に行ったりもしたが、そんな時でもボクとSが二人きりになる場面はなかったと思う。お互い、嫌いとまではいかないが、気は合わなかった。Sが仲が良かったのはチームメイトのTで、女子の着替えを覗くために女子更衣室の天井裏に二人で忍びこむほど気が合っていた。そのTは、今は東京にはいない。

 Sは少し複雑な家庭で育った男で、家には父母はおらず、祖父母といっしょに暮らしていた。両親は生きているのか死んでいるのか、詳しいことは知らない。ただ、どこかに腹違いの姉がいるらしい。
 そんな家庭環境もあってか、Sは進学はとうにあきらめていた。ちゃんとした就職はせずに、アルバイトでもしてしばらくブラブラすると話していた。
 卒業後は音信はなかったが一年ほど後、何かのおりに高校に寄った時、偶然そこにSもいた。ぜい肉のなかった体はデブって二回りほど大きくなり、腹が中年オヤジのごとくボッコリ出ていた。口には楊枝をくわえていた。
「夜の仕事しててな、毎日シェイカー振ってるよ」
 楊枝でシーシー音をさせながらいった。
 次に会ったのはさらにまた一年後。大学生になっていたTから「Sが有楽町のカジノクラブでディーラーをやっていて、一度遊びに来てくれといってる」という連絡が入り、高校時代の麻雀メンバーで行ってみたのだ。
 そこは有楽町の裏通りの雑居ビルの上。シックで重々しい黒いドアを開けると、中は金色銀色がキラめくゴージャスな広い空間で、そこにルーレット台やカードゲームのテーブルが置いてある。そのテーブルの一つに、Sが立っていた。白シャツに黒のベストに黒の蝶ネクタイのディーラー姿だ。一年前よりは体はしぼられたようだが、ベストの腹はパンパン。顔がオヤジ臭いので、とても二十歳には見えないカンロクだ。ブラックジャックの客相手にカードを配っていた。なかなか手際が良い。こーいう世界は合っているのだろう。
 カジノと名はついていても日本国内、もちろん現金は賭けられない。入店料の他にチップ代金を払って、後はそのチップだけで遊ぶ。いくらチップが増えても現金には換えられず、店にキープしておいて、また次回にそれを使うというシステムらしい。遊んでいる間は、店のキレイなおネエさんに声をかけると、ウイスキーなどの飲み物を持ってきてくれる。それらはタダで飲み放題だ。
 客は銀座で遊ぶような上等なサラリーマンたちが多く、みなスーツ姿。トレーナーにジーパンのボクらは場違いだ。目立たないように遊んでいたが、ボクがブラックジャックで大勝ちして、テーブル上にどっさりチップの山を作ってしまい、他の客や店員の白い眼に耐えられず早々に出ることにした。今回はSの招待ということでタダで遊べたが、次回からは金がかかる。だから二度と行かなかった。

 
※次回の配信は10月10日の予定です。

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山科けいすけKeisuke Yamashina

漫画家。1957年東京都生まれ。
1983年、「週刊ヤングジャンプ」にてデビュー。
1994年、『C級さらりーまん講座』で第40回文藝春秋漫画賞受賞。
2011年、『C級さらりーまん講座』『パパはなんだかわからない』などサラリーマンを描いた一連の作品で第15回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。

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