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おとな酒 第二部 / 山科けいすけ・著

第29回 思い出酒④

酒を飲んでの失敗というのは、たいてい他人がからむものだけれど、一人で勝手にバカをやることもある。そのバカもいろいろで、時にはそれで死にかける場合もある。
 あれは大学を出て一年くらいの頃だったか。ボクはマンガ家になるといって就職をしなかったくせに、一向にマンガを描く気にもならず、毎日バイトにあけくれていた。
 ある日、バイトを終えてから大学のサークルの後輩たちと飲むことになった。サークルといってもバレーボール同好会で、週に一回だけ練習して酒を飲む、という草バレー的な団体だ。ボクも夜の練習にちょいと参加した後、板橋の安居酒屋に五、六人で入った。板橋は国鉄(当時はまだJRになってない)と地下鉄と東武東上線の駅が近く便利だった。
 九時過ぎから飲み始めたので二時間も過ぎると後輩達は帰りだしたが、ボクと池袋に住むIだけはダラダラと飲み続けた。そのまま二人で閉店まで居続け、出たのは二時ごろだったろうか。交通が便利だろうが関係ない。電車はとうに終わっている。しかも飲み代を払ったら、財布には三百円しか残らなかった。
 「I、オマエいくら持ってる?」
 「百五十円ス」
 役に立たねえヤツだ。タクシーはとても無理だ。板橋から赤羽まで歩いて帰るしかない。電車だと十条、赤羽と二駅だが、これを道路で行くとめんどうくさい。赤羽方面にまっすぐのびる道がないのだ。路地をあちこち曲がり、さらに大きく遠回りするコースしかない。
 「しょーがねえ、俺は線路歩いて帰る」
 それが最短距離だ。道路だったら倍以上歩くことになる。
 「はー、いい考えっスねえ」
 「オマエはどうする?」
 「俺ァそこらへんでチャリ借りていきまあす」
 ベロベロに酔ったIは、板橋駅の周辺に駐輪というか放置されている何台もの自転車をアゴで指した。まあ冗談だろう。Iの住む池袋は赤羽と逆方向に一駅で、道路もそんなに遠回りではない。東武やパルコも見えている。二人は板橋駅前のロータリーで別れた。
 駅から五十メートルほど北に旧中山道が通っていて、鉄道と交差する所は踏切になっている。ボクはそこから線路上に入ろうと思っていた。この路線は「赤羽線」。赤羽、十条、板橋、池袋の四駅のみ、始発駅から終着駅までたった八分という国鉄の超短距離路線だ。この赤羽線は本来、品川と赤羽を結ぶ「元祖山の手線」だったのだが、後でできた池袋駅から田端駅への支線が環状線として使われるようになり、本線なのに分離されてしまった。なのでヘンに短い。さらに後には、埼京線という埼玉メインの新しい長距離路線に呑みこまれて消える運命にある、薄幸の路線だ。
 踏切の方へ歩いてゆくと、線路上がやたら明るい。そしてヘルメットをかぶった人が何人もいる。なにか工事をしているようだ。これでは中に入ることはできない。次の踏切はどこだっけ?酔った頭で赤羽線の車窓を一生懸命思い出す。あー、十条駅の少し手前だ。そこから入るか。でも、すぐに駅に着く。さすがに駅構内の線路上を歩くのはまずいので一度外に出なくてはならない。ならば最初から十条駅の先の踏切から入った方がいい。結局十条までは道路を歩くことにした。
 踏切以外の場所、柵を乗り越えて入ることは避けた。薄暗くて危ないからだ。鉄条網などもあるが、一番怖いのは電気ケーブルだ。ボクの高校時代の同級生の弟は、国鉄のスト(昔はそういうモノがたびたびあったのです)で山の手線が止まっている時に、やはり線路の上を歩いた。そして途中で柵を越えて出ようとして、ついそこにあったケーブルを両手でつかんでしまった。高圧電流が体に流れ、後方にぶっ飛び、レール上に頭から落ちた。結果、頭蓋骨陥没で意識不明、生死をさまようこととなった。ケーブルをつかんた両手のひらは、肉がえぐられたように無くなって骨が露出していたという。おおコワ。
 そういうことを知っていたので、踏切から直接線路上に出る以外の方法はとらなかったのだった。酔っぱらっていても賢い。いや、賢かったらそもそも線路上を歩こうと思わないか。でも酔っ払いだからしかたがない。人としてはバカだけど酔っ払いとしては賢い、ということにしよう。
 
※次回の配信は8月10日の予定です。

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山科けいすけKeisuke Yamashina

漫画家。1957年東京都生まれ。
1983年、「週刊ヤングジャンプ」にてデビュー。
1994年、『C級さらりーまん講座』で第40回文藝春秋漫画賞受賞。
2011年、『C級さらりーまん講座』『パパはなんだかわからない』などサラリーマンを描いた一連の作品で第15回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。

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