双葉社web文芸マガジン[カラフル]

おとな酒 第二部 / 山科けいすけ・著

第23回 酒器を楽しむ⑧

盃台を実際に店で使っているのを見たのは、神楽坂にある居酒屋くらいだった。そこは日本酒の燗好きの間では有名な店。昭和の古き良き時代の佇まいをそのまま残した雰囲気ある木造家屋の中で、炭火で燗をつけた酒を盃台に乗った猪口でいただける。
 ただ、この店の盃台は特注で作ったのであろう、現代物の揃いのものだ。壁の酒器棚には古い盃台が飾ってあるから、昔はそちらを使っていたのかもしれない。とにかく長いことこの店以外では現役使用の盃台を見る機会はなかった。
 それが最近、普通に盃台を使う店が出てきた。しかも古道具のヤツで。そこは日本酒専門店で以前から知っていた居酒屋だが、一年ぶりくらいに入ってみたら、カウンターにずらりと盃台が並んでいたのでびっくりした。
 外観はガラス張り、中もすっきりとシンプルな今風の店で、スタッフもみな若い。なのに盃台。思わずカウンターの中に声をかけた。
 「珍しいね、盃台なんて」
 「あ、よくご存知ですね。コレ知ってるお客さんて、ほとんどいらっしゃらないんですよ」
 そうでしょう。この店の客層は若いから、こんなモノ見たこともない人ばっかりでしょう。
 「こういうの使って酒飲むと楽しいと思って」
 お兄さんはさわやかに微笑みながら言った。良い見識だ。往々にして、若い人がやっている日本酒専門の店というのは酒の種類とそれに合うアテにはこだわるが、その他にはあまり気はつかわれてない。ウマい酒とウマいアテがあればそれでいい、と考えてるうちはまだコドモだ。雰囲気や遊び心の重要性を理解できて、やっとおとなの酒の世界へはばたけるのだ。
 カウンターの一席ごとに置いてある盃台は形も色もさまざま。後からきた女の子二人連れが「これ、カワイー」とか言っている。そうだ、そうやって気分が上がって、酒がさらにおいしくなる。酒器とはそうさせる力があるのです。こういう粋な遊び心をわかる店が、もっと増えてほしいものだ。
 盃台を出したら、続けて紹介しなければならないものがある。その名も盃洗(はいせん)。これもちょっと変わった酒器で、盃を洗うための器だ。
 日本には昔から同じ盃で酒を酌み交わすという風習がある。結束を強めたり親密度を増すための儀式的なもので、宴席でのお流れ頂戴とかご返杯とかというヤツだ。盃洗はこの時に使う。大きめの丼型で、中に水を入れておき、自分が飲んだ後の盃をそこでちょいとすすいでから相手に渡すのだ。
 これは料亭などでは現在も使われているようで現役の酒器ではあるけれど、一般の人にはなじみがないだろう。ボクも本来の使われ方をしているのは映画の中でしか見たことがない。森繁の前に置いてあった。でも、本来の使い方などボクはしたくもない。ちょっと水をくぐらせたくらいで、他人の盃を口にするのはイヤだ。相手がキレイな芸者さんだったらいいけど、そんなことは一生ない。盃洗は本来の使い方はしない方がいいというか、しなくていい酒器だ。
 ではどんな使い方をするのかというと、盃を浮かべるのである。盃台にきれいな水を張り、そこに小ぶりの盃をいくつも浮かべるのである。居酒屋でザルや箱の中にいろんな猪口を入れたのを持ってきて、好きなのを選ばせてくれる所があるでしょ。アレを盃台でやるのです。
 なにそれ、バカみたいと思うか、おもしろいと思うか、それはその人しだいだ。しかし、これは江戸時代から行なわれていて、浮世絵にも描かれている。料亭の座敷と思しき所や居酒屋の店先の縁台に、盃を浮かべた盃洗が置かれている。居酒屋の方など夏の情景だ。冷えた井戸水に浮かんだ盃をとって、冷やをキュッとやる。呑んべえ心をくすぐる店先だ。こういうのを見ると、やはり昔の人は粋な飲み方を知っているとつくづく思う。
 ボクもマネをしてやってみた。家で一人で。何種類かの盃を浮かべて、とっかえひっかえして冷やを飲む。ぷかぷか浮かんだ盃と盃が、盃と盃洗のフチがぶつかりカチャカチャという。取りそこねて水に沈むものも。感想は……バカみたいでおもしろい!まあ、しょっちゅうやることじゃないが。
 そんなことをやらなくても盃洗はいろいろ使える器だ。盃洗の多くは深鉢に太い足がついたような形の磁器で、洋食器のコンポートにそっくり。一説によると日本の盃洗がヨーロッパに渡り、その形を真似てコンポートの器が作られたという。本当かどうかはわからないが、ヨーロッパのコンポートよりもおもしろいコンポートとして実際によく使われている。なにしろ日本人が作った器。デザインがものすごく豊富なのはいうまでもない。居酒屋や寿司屋で、野菜を入れたり惣菜を入れたりしているのを見かけることもある。名前や本来の使用方法を知らなくても、実は多くの人が見たことのある器なのだ。

※次回の配信は4月10日の予定です。

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山科けいすけKeisuke Yamashina

漫画家。1957年東京都生まれ。
1983年、「週刊ヤングジャンプ」にてデビュー。
1994年、『C級さらりーまん講座』で第40回文藝春秋漫画賞受賞。
2011年、『C級さらりーまん講座』『パパはなんだかわからない』などサラリーマンを描いた一連の作品で第15回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。

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