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おとな酒 第二部 / 山科けいすけ・著

第15回 おすすめ酒 洋酒編⑧

小学生の頃から悪ガキだったIとは中学ではクラスが別なので、普段話をすることもない。記憶にある接触は、昼休みの校庭の真ん中で何か口論になってボクが「うるせえっ黙れこの野郎っ」と優しく諫めたら、いきなり顔面にパンチを入れてきたことくらいだ。
 そんなヤツだからアホだと思っていたが、本当にアホだった。修学旅行に酒を持ってくるのは良しとしても(厳密には良くない。いや、絶対良くない)、新幹線の中で、それも発車して三十分くらいでなぜ飲もうとするのか?理解に苦しんだが、こんなことで後ろを見せるわけにはいかない。「ふーん」といって水筒を受けとり、ゴクゴクとジュースを飲むようにのどに流しこんだ。
 「お~~っうめえ!」
 思わず出た言葉は嘘ではなかった。それまでにも祖父が「薬」と称して飲んでいた「葡萄酒」を口にしたことはあったが、それは「赤玉ポートワイン」。ベタベタに甘いリキュールみないなモノだった。でも、この水筒の中の赤ワインはスッキリとした酸味とコクがある。これまでに飲んだことのあるビールやウイスキー、そして日本酒よりもずっとうまかった。というか、初めてうまいと思った酒がこの時のワインだ。
 ボクの反応を見て、不機嫌そうだったIの表情がほころんだ。
 「だろ?コイツはいいワインなんだ。もっと飲めよ!」
 中学生が何を根拠にいいワインといっているのか知らないが、お言葉に甘えて水筒の半分以上飲んでしまった。Iはとてもうれしそうだ。
 「クラスのヤツに飲まそーとしたら、誰も飲みやがらねーんだよ」
 そりゃそーだろ。腹が立ったIは、ボクなら飲むだろと三車両先からわざわざ持ってきたそうだ。アホで乱暴者だけど、性根はいいヤツだ。彼は満足して戻っていった。思わぬところで酒が入ったボクは、ちょいと良い気分になって車窓の景色を楽しむのだった。修学旅行後、車内や旅館での飲酒が発覚して大問題になることなど、この時の二人は予想もしてなかったのだった。二人ともアホだった。それはともかくボクの「旅酒」はこの時に、ビールでも日本酒でもなくワインで始まったことになる。
 次にワインを飲んだのはだいぶ後、例のバイト先のしゃぶしゃぶ屋だ。一応、赤白の国産ワインを置いていたので時々口にしたが、酸っぱいだけでうまくはなかった。
 さらに大学三年の頃に一年ほど池袋パルコの中のイタリアンレストランでバイトをして、何種類かのワインを経験した。イタリアンといっても当時のことだから、ピザとパスタの他にちょこっと簡単な料理があるだけだ。もちろんワインも高価なものなどなく、ハウスワインは一升ビンみたいなものに入ったヤツで、それを閉店後のまかないの時にコップで飲んでいた。他のものではキャンティくらいしか覚えていない。
 それからまた間があって、ワインを時々口にするようになったのはマンガ家になってからだ。編集者のお供でレストランや洋風の呑み屋に行った時に、ちょっと良いヤツを飲ませてもらったりした。良いといっても店で扱うワインは原価率30%以下だから、一万円のものでも市販ではせいぜい三千円。まずくはないが、まあ、こんなもんか、という感じ。その頃はもう日本酒の地酒の味を知っていたので、それに比べればコストパフォーマンスの低い酒だと思った。だいたいコース料理と同じ金額を酒につかうという感覚がわからなかった。自腹で飲む時はもちろん安ワイン。白ワインは酸っぱいだけで薄っぺらく、赤はスッキリしない渋いだけのものが多くて悪酔いした。
 そんな印象のワインだったが、ひと月、毎日飲んでいた時がある。海外を一人旅した時だ。他に飲むものがなかったんで。
 マンガ週刊誌の連載三年目にアメリカ旅行に連れていってもらったボクは、その次の年に一人でヨーロッパを旅行しようと思い立った。海外旅行のおもしろさを知ってしまったのと、平均睡眠時間三時間の馬車馬零細マンガ家生活につくづく嫌気がさしていたこともあって、短期海外逃亡を計画したのだ。誰に気を使うこともなく、一人でダラダラと旅をしよう。度胸も根性もないので行先は便利で楽そうなヨーロッパにした。週刊連載をやめて、二、三ヶ月ほどの旅をと考えていたが、そうはうまくいかず、編集部からは帰ってきてすぐの新連載を条件に、一ヶ月の休みしかもらえなかった。
 スペインから地中海沿いを列車で移動してスイスまで。それが大まかなルートだ。最初の到着地のマドリードと最終地のチューリッヒのホテルだけ予約した。あとはいきあたりばったりで好きな所に行き、宿を探して泊まるという、いーかげんでテキトーな旅である。
 宿はそんなに苦労しなかった。当時はどこに行っても今ほど旅行者は多くなく、二つ星、三つ星のホテルを見つけて入ってみると、五割以上の確率で部屋が空いていた。夜道に娼婦しか人影がなく、窓からSEXSHOPというネオン看板しか見えない場末のボロホテルにも、アパートメントの自宅の一室を旅行者用の民泊施設にしている一般家庭にも泊まった。リゾート地では四つ星ホテルを奮発した。
 食事は昼間はバルやカフェ、夜はそこらへんにある安レストランに適当に入った。この夕食の時は必ずワインを頼んだ。ヨーロッパでは料理とワインはセット、と思いこんでいたし、日本酒といっしょで、まずい料理を流しこむこともできるから。いつも肉料理なので(当時のボクは和風以外の魚料理は食べなかった)、たいてい赤ワイン。毎晩、それを一本飲んでいた。本場で飲むワイン。さぞうまかろうと思っていたら、そんなことなかった。なにしろ一本数百円から高くても千円台。いくら本場でもうまいわけない。
 料理は単品だし、ゆっくり食べても三、四十分で食事は終わる。その間にうまくもないワインを一本空けるのはなかなかにキツい。ボクは毎晩、フラつこうとする脚を精神力でコントロールしながらホテルに帰るのだった。
 この密度の濃いワイン経験から得たものはただ一つ、「本場でも安ワインはまずい」。酒に関しては何の益もない旅だった。

 安ワインだのまずいだのさんざん書いたが、これは昔の話。今は日本にもバルやワインバーがいっぱいできて、以前のようにしょーもないワインで高い金をとる店はなくなった。もちろん、スゴいワインはスゴい値段がするけれど、そんなのは金が余ってる人が飲めばいい。手頃な価格で良質なものが楽しめる現在は、バブルの頃に比べればワイン天国だ。特に白ワインは昔よりずっとうまいものが飲めるようになった。ワインの知識なんかほとんどないが、「酒」としての味はわかる。人気があるのは当然だ。これからもワインファンはどんどん増えるだろう。でも、ボクはいくらワインを飲んだって日本酒ファンだけどね。


※次回の配信は11月10日の予定です。

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山科けいすけKeisuke Yamashina

漫画家。1957年東京都生まれ。
1983年、「週刊ヤングジャンプ」にてデビュー。
1994年、『C級さらりーまん講座』で第40回文藝春秋漫画賞受賞。
2011年、『C級さらりーまん講座』『パパはなんだかわからない』などサラリーマンを描いた一連の作品で第15回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。

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