双葉社web文芸マガジン[カラフル]

おとな酒 第二部 / 山科けいすけ・著

第12回 おすすめ酒 洋酒編⑤

スコッチにおける「シングルモルト・ウイスキー」とは、大麦の麦芽(モルト)のみを原料として、単一の蒸留所で造られたウイスキーのことだ。
 対して、複数の種類のモルト・ウイスキーに、トウモロコシやライ麦などの穀物を主原料にした「グレーン・ウイスキー」をブレンドしたものを、「ブレンデット・ウイスキー」という。ブレンドするとクセが少なくて香りの良い、とても飲みやすいウイスキーになる。ボクがそれまで飲んでいたスコッチは全てブレンデッドであり、シングルモルトとの違いを知ったのはこの旅行後のことだった。
 ボクたちがシングルモルト・ウイスキーについて無知だったのは当然といえば当然だ。この頃の日本には、そんなものはほとんど入って来てなかったのだ。
 海外勤務でイギリスに滞在してそれに出会った人とか、ごく一部のマニアックなウイスキーファンとか、ウイスキーに関わる商売をしている人たちとかを除けば、日本人はシングルモルト・ウイスキーの存在すら認識していなかった。海外旅行先の空港の免税店で買う土産用のウイスキーは、みな名の知れているブレンデッドだった。銀座のバーですらブレンデッドばかりで、シングルモルトはめったに置いてなかった(銀座の老舗バーの主人談)。
 その後、1990年代になると日本でもシングルモルトのスコッチをポツポツ見かけるようになった。しかし、ロサンゼルスで恐るべき味を体験してしまったボクは、決して手を出すことはなく、スコッチ専門のバーに入った時でもブレンデッドしか飲まなかった。
 そうしてアメリカ旅行から七、八年も経った頃だろうか、ある日、知人の女性に新宿二丁目のとあるバーに連れていかれた。そこはカウンターだけで六席くらいしかない、とてもこぢんまりした店だった。いわゆる「ゲイ・バー」とは違い、静かな音楽が流れて品の良い年配のマスターがいる、二丁目とは思えない隠れ家のようなバーだ。でも場所柄、マスターも客もそちらの道の人たちで、知り合いでもない限りボクたちのようなノンケや女性が来ることはないという。
 ボクがイスに座ると、優しそうなヒゲのマスターが言った。
 「ウチはねえ、お酒は一種類しか置いてないのよ」
 確かに普通のバーとも違い、さまざまなボトルをズラリと並べた棚などはない。あるのは縦長でガラス扉のついたキャビネットだけ。アンティークぽい重厚な造りで、中には同じ銘柄のボトルが十数本、整然と収まっている。
 マスターはトビラを開けて一本を取り出すとボクに見せた。
 「これだけなの。よろしいかしら?」
 う……!そのラベルを見て、ボクは一瞬、言葉につまった。ヤバい。こいつはどこかのバーで見たことがある……。こいつは「アレ」ではないか……?内心アセリながら聞いてみる。
 「それは……シングルモルトですか?」
 「もちろんそうよ」
 ロスでのあの味と匂い、いや臭いがよみがえった。しかし、ここで嫌だということもできぬ。しかたない、ボクは思いきって言った。
 「じゃあ、水割りで……」
 「あらー、これは水なんかで割っちゃダメよお。ストレートかロックでやらなくちゃあ」
 ああ……クソ!
 「ロックでお願いします……」
 ボクの小さな声にうなずいたマスターはロックグラスに氷を入れると、ボトルから直にウイスキーをドボドボと注いだ。えっメジャーカップを使わないのか?その分量じゃダブルどころかトリプルじゃないか……!
 「さ、どーぞ」
 目の前に置かれたそれを見て絶望的な気分になったが、もうどーしようもない。ボクはマスターに見つめられながらグラスの中の液体を口に含んだ。
 ありゃ……!?予期していたモノと全く違う味と香りが口中に広がる。ありゃりゃ……?あのロスの「特別なスコッチ」のようなイヤな磯臭さや薬品臭さがない。かといってブレンデッド・ウイスキーとも違う。もっと香りが深く、味が重厚で豊かだ。なんだろうコレは?本当にコレもアレと同じシングルモルト・ウイスキーなんだろうか!?
 グラスに鼻を寄せて臭いを、いや香りをかいでいるボクに、マスターが微笑みながら言う。
 「おいしいでしょう、マッカランはスコッチの中で一番上品なお酒だから。私はこれ以外のウイスキーは飲まないの」
 『ザ・マッカラン』。それは「シングルモルトのロールスロイス」と称されたこともあるウイスキー。そして、あの「特別なスコッチ」から受けたボクのトラウマを、払拭してくれたウイスキーであった。
 ちょうどこの当時、巷ではシングルモルトが流行り出していた。どこのバーでも置くようになり、いろんな種類のものが出回るようになった。ボクもそれまでの偏見を捨ててチャレンジすることにした。そして、だんだんシングルモルトのことがわかっていったのだった。
 スコッチはその名の通りスコットランドで造られるのだが、地域によってその風味やクセが違う。さらに、同じ地域でも蒸留所ごとにまた異なる個性を持つ。その差別化に最も影響するのがピート(泥炭)だ。
 ピートは植物が堆積してできた泥状の石炭のようなもので、スコッチウイスキーではこれを使って原料のモルト(麦芽)を乾燥させるのが一般的だ。その時に、焚かれたピートから出た煙の匂いがモルトに付着する。それがスコッチウイスキー独特の風味や香りを生むのだ。ピートの量や焚いている時間によって、その「ピート香」の付き方も違う。ピート香が多いと、ケムっぽくてシブい風味とクレオソートみたいな匂いがする。ピートの素となった植物にヨウ素の多い海藻が入っていたりすると、さらにヨード臭がする。
 これで、あの「特別なスコット」の薬品臭も合点がいった。さらにつきつめていくと、そういった強烈なクセが最も顕著なウイスキーは、「アイラ」という島で造られているとわかった。「特別なスコッチ」はアイラ島産のものに違いない!
 でも、そこまで。慣れというのはたいしたもので、ボクはもうこの頃にはどんなにクセがキツいヤツも、一応飲めるようになっていた。だからアイラ島でもクセが強いといわれている何種類かのウイスキーを飲んでみても、あのロスの夜の衝撃的な味とは比較できなかった。感覚が変わってしまっていたのだ。
 まあ、とにかくそういうわけで、シングルモルトウイスキーに関しては一杯目に最も飲みづらいものを、そして二杯目は最も飲みやすいものを、ボクは偶然に味わったのだった。何年もの空白期間をおいて、ロサンゼルスと新宿二丁目で。他の酒とは全く違う、ヘンな出会いをした酒であった。
※次回の配信は9月10日の予定です。

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山科けいすけKeisuke Yamashina

漫画家。1957年東京都生まれ。
1983年、「週刊ヤングジャンプ」にてデビュー。
1994年、『C級さらりーまん講座』で第40回文藝春秋漫画賞受賞。
2011年、『C級さらりーまん講座』『パパはなんだかわからない』などサラリーマンを描いた一連の作品で第15回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。

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