双葉社web文芸マガジン[カラフル]

40℃のぬるま湯につかって(塩谷歩波)

第5回 剃刀とソリが合わない

 サウナ好きの女性として欠かせないものがある。それは剃刀だ。
 いや、他にも欠かせないものはあると思うけど、ひとまず剃刀。
 特にテントサウナのイベント時に必要不可欠な存在だ。テントサウナはどこでも持ち運び可能なので、川沿いに建てるとサウナ→川でクールダウン→川辺で外気浴を楽しむことができる。サウナを温める薪ストーブの音に心癒され、冷たい川に心身ともに清められ、大自然に囲まれた外気浴で心の底から安らぎを感じ、まるで生まれ直したような清々しい気持ちになってしまうのだ。
 名前を聞いただけで涎が溢れてしまうテントサウナだが、水着で異性と共にサウナに入るのが前提だし、よく晴れた日中に無駄毛ワサワサの状態はど〜〜〜考えてもマズい。みんな大人だから何も言わないかもしれないが、記念写真を見る度自分の足が毛だらけだったら恥ずかしくて死ぬ。恥ずか死する。そのため、テントサウナに入る前日はお風呂場でお手入れをしてツルツルの状態で備えるわけだ。
 しかし剃刀と私は非常にソリが合わない。思えば、出会った時点でもう仲が悪かった。

 あれは中学1年生の頃だ。当時仲の良かった同級生二人が家に泊まりに来た。
 朝イチで、両親がみんなを車で海まで連れていってくれるので、せっかくだから前日から私の家に泊まってもらうことにしたのだ。
 夕方頃、最寄駅まで友人たちを迎えに行き、テーブルにずらっと並べられた母の手料理をみんなでペロリと平らげ、他愛もない話でキャハハと盛り上がる。広くはない子供部屋に並べられた布団にゴロンと転がると、なんだか修学旅行みたいだねえってみんなで笑った。何回目か分からないUNOに興じていると、母から「お風呂が沸いたから順番に入ってねー」と声をかけられた。みんなお客さんだから、私は最後に入るね! と宣言した。半分嘘だ、私にはある思惑があったから最後を選んだのだ。
 私は海に行く日をめちゃくちゃ楽しみにしていた。中学に入って初めて出来た友達と海に行くのだ、それはもうワクワクしすぎて水着を新調してしまうほど。ちょっと背伸びをして大人っぽいデザインを選んでいて、これをお披露目できるのも明日のワクワクポイントの一つ。キレイな水着姿を見せるなら、絶対にキレイな肌がいい。海に行く前日のこの日、人生初の無駄毛処理に取り掛かる決意をしていた。
 毛一本逃さず、つるっつるの状態で最高の水着姿をお見舞いしてやる!!
 お風呂の順番を最後にしたのも、しっかり時間をかけて処理したいからだ。友人が浴室から部屋に戻ってくるのを見届け、薬局でこっそり買っておいた剃刀とボディクリームを持って浴室へ。
 初めて手にする剃刀は凶器のように感じられた。こんなに刃がついているのに、どうして毛だけを剃れるの…? 本当に、大丈夫?? 腕にたっぷりボディソープの泡をつけて、おっかなびっくり手首のあたりに添えてみる。思わず目をぎゅッと閉じながら、ゆっくりゆっくりと手前に引いてみる。剃刀はスムーズに動いて、少しの痛みもなく泡と腕の無駄毛を拭い去った。出来た!! ちょっとした達成感だ。次は太もも、ふくらはぎ、と徐々にスピードを上げ、初めての無駄毛処理は順調に進んですっかり身体中つるっつるになった。
 なんだあ、やってみたら大したことないなあ。仕事を終えた剃刀には細かな無駄毛がへばりついている。不衛生なのは良くないから毛は取ったほうがいいよね。剃刀に手を伸ばした時、強烈な痛みが走った。
 ガリリリリ……。
 左手の先から鮮やかな赤い汁がだらだら垂れていた。ち、血だ!!! 剃刀の毛を取ろうとして、思いっきり指の先から第二関節まで削ってしまったのだ。神経にまで響く、染みるような痛み。溢れ続ける赤い血。「お、おがあざあああんん!!」半狂乱で給湯器のスピーカーから泣きながら助けを求めた。即座に髪を振り乱した母が飛び込んできて、目を剥いた。
 剃刀をもって呆然とする娘。手から滴り落ちる赤い血。そして血が飛び散って事件現場のようになった浴室。誤解するには十分すぎるほど材料が揃っている。

「ほ、ほみーーー!! どうしたの!! 命は大事にしてーーー!!」
「違う!!!!」

 思ったより傷は浅く、母の手当てを受けて事なきを得たが、染みるようにズキズキと痛む。「この指じゃ、明日の海は無理だね」母は悲しい顔で言った。ため息をつきつつ、包帯でぐるぐるになった手を抱えて部屋に戻ると、友人が真っ青な顔をしていた。

「塩ちゃん、どうしたの…剃刀で手を切ったって……何か辛いことでもあった……?」
「違う!!!!」

 次の日。海へと駆ける友人の楽しげな姿を浜辺から眺めつつ、私は包帯の手をさすりながら静かに泣いた。




 それからもずっと剃刀との相性は悪い。ふくらはぎの毛を残さず剃ろうとして出血、肘周りのケアをしようとして骨の上の薄い皮膚部分から出血、撮影前日に顔まわりをお手入れしようと気合を入れすぎて唇から出血。テントサウナに入る前日には、お腹周りのお手入れをしようとして切腹のようになった(傷は浅かったけど)。剃刀を良いものに換えても全く変わらず、傷の手当てばかりがどんどん上達していった。ちなみに剃刀の傷はキズパワーパッドが最強だ。いざという時のため覚えておいてくれ。
 ソリが合わない話でいうと、最近ではこんなこともあった。

 新宿の歌舞伎町にあるスーパー銭湯、テルマー湯。地下二階、地上四階の大型温浴施設で、サウナ、水風呂、露天風呂はもちろんのこと、関東最大級の炭酸泉、中伊豆から毎日取り寄せている温泉、中性電解水風呂、そして最近では化粧水風呂も導入されて何から何まで充実しているのだ。
 私は静かでゆったりと過ごせるテルマー湯の雰囲気が好きで、すごく疲れている時やのんびり過ごしたい時によく訪れている。あの日も、低気圧が続いて身体中重だるく、少しでも楽になりたくてテルマー湯に足を運んだ。
 いつも通り、受付でワンピース型の館内着を受け取り、一階のロッカーで着替えて二階の浴室エリアへ向かう。服を脱いで最低限の荷物を持って浴室に向かう時、そういえばワンピースは膝下が見えてしまうと思い出して、足を整えるため備えつけの剃刀を持って行った。
 髪を洗って体を洗い、さて足のムダ毛の処理でもするか〜と泡だらけにした脛に剃刀をあてて手前に動かすと、ピーラーのようにつるりと皮が剥けた。そして、出血。
 ちょうど骨の上の薄い皮の部分を強く剃ってしまったようで、血がだらだら流れる。「あらあらまあ〜」なぜか穏やかなおばあちゃんみたいな言葉が出て、痛いより先にこの状況が面白すぎて笑ってしまった。
 何これめっちゃ血出てるんだけどウケる〜!
 今思うとアドレナリンが出て若干おかしくなっていたと思う。ちょうどスタッフさんが通りがかったので「絆創膏もらえますか〜」と半笑いで伝えたらスタッフさんは青い顔をしてすぐさま防水用の絆創膏を持ってくれた。いい人。とりあえず貼れば血もすぐに止まるでしょ〜と思ったが、一向に血は止まらず絆創膏はすぐに赤く染まった。こんな状態で湯船に入るなんて他の人に迷惑をかけるし、なんかもっと血が止まらなくなりそう。泣く泣く湯船は諦めテルマー湯のスタッフさんに助けを求めて丁寧に処置をしてもらい、一息ついてから家に帰った。結局湯船には足の先も浸かることはなかった。一体何しに来たのだろう……。
 テルマー湯に向かう前よりもドッと疲れた体で深いため息をついた。
 ちなみに、家に着いてからスタッフさんからお見舞いのDMをいただきました。テルマー湯のみなさん、本当にありがとうございました…その節は大変ご迷惑をおかけしました……テルマー湯はすっごくいいところですのでぜひ行ってみてください……。




 そんなわけで、未だに剃刀とソリが合わない。今後も仲良くなれる自信が全くない。未だに深い傷跡が残るすねを見るたび、そろそろ永久脱毛に手を出すか出さまいかを悩み続けている。
(第6回へつづく)

塩谷 歩波Honami Enya

1990年東京都生まれ。2015年に早稲田大学大学院(建築専攻)を修了後、都内の設計事務所に勤める。16年より銭湯の建物内部を俯瞰図で描く「銭湯図解」シリーズをSNS上で発表、19年にこれらをまとめた『銭湯図解』(中央公論新社)を刊行し話題を集める。高円寺の銭湯・小杉湯を退職後、現在はフリーの絵描きとして活動中。好きな水風呂の温度は16度。

  • 双葉社
  • 小説推理
pagetop