双葉社web文芸マガジン[カラフル]

ことわざ時代劇(瀬尾英男)

イラスト&タイトルロゴ:平田利之

第三話内兜うちかぶと見透みすかす】

相手の内情、秘密や弱点を見抜き、足元を見ることの例え。内兜は兜の眉庇まびさしの内側、またそこに接する額のこと。

 あたしは、手白てしろ。猿ですの。
 なぜ、手白と呼ばれるか? それは、あたしの姿をご覧ください。両手が白いの、手袋みたく。
 命名は徳川幕府の三代将軍、家光公。ひょんなことからそのご寵愛をたまわって、あたしお城に住んでおりますの。
 あたしと上様の出会いは、そうね半年くらい前かしら。
 それは、とある山道でのことでした。
 当時、あたしは母のお乳を離れたばかりのやんちゃな盛り。群れの仲間の見よう見まねで、木の実や虫けら、草などを片っ端から口にしていた、そんな頃。
「あの葉っぱ、食べられる。うわぁ、この実も食べられる」
 そのように夢中になっているうちに、あたしつい群れを離れていたようで。気づくと、背後を武者の一団に固められておりました。
「なんじゃどうした、この猿は」
「子猿じゃのう」
「群れからはぐれたのかの? 背を向けて、草などむさぼり食っておるが」
「して、こやつ。これほどの行列に気づいておらぬのか?」
「そのようじゃ。これぞまさしく、没我の見本。よほど草が美味いと見える」
「だが上様のおん行列に尻を向けるとは、けしからん。こら、子猿!」
 その声にはっとして、あたし後ろを振り向くと、大小の刀を差した武者が六人。彼らはなにを血迷ったのか、揃って頭の一部を剃りあげた奇態な御髪おぐしをしています。それがあたしを見下ろして、にやにや笑っているのです。
 やだ、怖い。気持ちが悪い。お母さん!
 あぁ、あたしはここな武者に捕らわれる。もてあそばれる。なぶられる。そして殺され、捨てられる。きっとそうに決まってる。
 そう思うやいなや、あたしとっさにこの目を覆っておりました。えぇ、そうよ。手袋のような白い手で。そしてこう唱えたの。
「これは夢、これは幻」
 なぜならあたし、恐怖のあまり腰を抜かして逃げようにも逃げられない、そんなありさまだったから。それならいっそ、なかったことにしてみよう。あたし、そんな風に考えたのね。
 でも彼らの声は、この耳に容赦なく聞こえてきます。
「なんじゃどうした、この猿は」
「両手で目を覆ったのう」
おこりのように震えておるわ」
「我らが荒武者ぶりに臆したか」
「ほほう。目をふさぎ、恐れを紛らわすのか。知恵者じゃのう」
「だが現実から目を背けるとは、けしからん。ここで成敗してくれようか。こら、子猿!」
 もうだめよ。あたし今、殺される。
 野蛮な声におののきながら、指の間から恐る恐る彼らの様子をうかがうと、ひときわ大きな男が一人、今しも刀のつかにその手をかけようとしています。
 あたし、草をんでいただけなのに。
 一生懸命、食べていただけなのに。
 カチリと鳴った冷たい音は、武者が刀の鯉口こいぐちを切った音。
 もはや、これまで。南無三なむさん、父さん、お母さん。
 そして彼が抜刀すると、シャキンと一層冷たい音が鳴り響き、あたしとっさに両手で耳をふさいでおりました。なぜってあなた、怖いんだもの。無論、両目も固く閉じました。
 殺される。斬り刻まれて、なますにされる。
 あたしはすっかり観念し、息を詰め、身を固くしましたが、どうしたわけかいつまでたっても殺されません。そこで薄目を開けてうかがうと、武者たちはあたしを囲み、しきりに感じ入っている様子。
「なんと。見猿の後は、聞か猿になりおった。上様が日光へご社参なさる道中で、かようなことが」
「この子猿、もしや東照大権現様のお使いではあるまいか?」
「なに? それは斬ってはまずいの」
「斬ってはならん、斬ってはならん」
「上様にご注進すべきかのう?」
「急ぎ、お伝えいたすのじゃ」
 かくしてあたしの前には立派な駕籠かごが横付けされて、上様おり。
 ずらり居並ぶ扈従こじゅうの者が一斉に平伏する中、乗り物の戸がすっと引かれて、颯爽と現れたのは三代将軍家光公。そのご尊顔をひと目見て、あたしはっと息を呑み、両手で口を覆っておりました。なぜなら上様のお鼻から、鼻毛が一本伸びていたから。
 どうして誰も注意して差し上げないの? お気の毒。
 でもそんなあたしの心中もおもんぱからず、上様はご喜悦至極なご様子です。
「なるほど、今度は言わ猿になりおったか。気に入った! これより余に仕えよ」
 猿に向かって、居丈高いたけだか。「余に仕えよ」ってこの人、正気なのかしら。暗愚あんぐの予感がいたします。
 だけどあたしは、黙ってお輿こしに乗りました。
 だって、お芋をくれたから。
 かくしてお城に入ってこちら、あたし気ままに暮らしておりますの。
 食べるものにも事欠かず、珍味佳肴かこうがたくさん並ぶ、上げ膳、据え膳、三度の御膳。お芋はもちろん、栗にお豆に果実、根菜。そんなものが供されます。
 でもあたし、時には虫がいただきたくて、セミをはっしと生け捕って、かぶりついたりいたします。手の中でジジジと鳴くのは、断末魔。そのセミを気ままに半身はんみ食べては放り投げ、上様お付きのお女中が卒倒するのを打ち眺めるのが、あたしの戯れ。
 一方で、家光公にも座興ざきょうがあります。
 それは、あたしの軽業かるわざをご覧になること。
 例えばあたし、上様の手の平でとんぼ返りをしてみせて、ご機嫌をうかがいます。そうしておけば、あの男はご満悦。そしてあたしは、お芋をたんといただける。それがお城の仕組みなの。
 上様はそんなあたしの芸を、お側に仕える方々にご披露なさることも怠りません。
「余が手白に仕込んだこれなる妙技、いかがじゃ」
「まこと、お見事にござります。手白殿におかれましても、本日もご機嫌うるわしゅう」「権現様のお使いを、かくも自在に。これも上様卓越のご指導力あらばこそ」
 ご家来衆の、恥知らずなお追従ついしょう
 そしてそれに支えられ、日々増長するお殿様。
 それもお城の仕組みなの。
 彼らも、あれでお芋をもらうのかしら。きっとそうよね。腹黒い。
 こうして今日も、あたしが上様の掌上しょうじょうでクルクルとんぼを切っていたところ、彼は家来に言いました。
「手白の機敏なること、いかにも見事。誰ぞ、これを打つことのできる者はおらぬか。苦しゅうない。そこな木刀を取り、我が掌上のこれを打て」
 気まぐれ、むら気随きずい気ままな殿の戯れ。この人、馬鹿じゃないかしら。木刀でぶつなんて、危ないじゃない。ひどいじゃないの。あたし権現様のお使いだったはずじゃなくって、家光? なのに、なんという罰当たり。
 でも、いいわ。その挑戦、受けて立つ。
 あたしは、そう決めました。そして家光の掌上で決然として立ち上がり、居並ぶ家来をひとにらみ。そして憤怒の目で語ったの。
 そこなご機嫌取りの者どもよ。そのなまくらな剣法であたしが打てるものなら、打ってみよ。さぁ、殺せ。あたしを殺せ、今すぐに。
「さらば、失礼つかまつりまする。手白殿、お覚悟! たーっ」
 そう言って打ち込んで来たのは、中でも若めのお侍。だけど畳で足が滑っているし、思った通りの屁っぴり腰で、からっきし。あたしは宙高くとんぼを切って木刀を避け、家光の頭へ見事な着地。そしてウキッと勝ち名乗り。イラッとしたのは将軍様よ。それが何人続いたかしら。
「……うぬぬ。その方らではらちが明かぬわ。但馬たじまを呼べい!」
 かくしてあたしの前に現れたのは、将軍家の剣術指南役かつ、幕府大目付でもある重鎮、柳生但馬守宗矩やぎゅうたじまのかみむねのりよ。
 その手には将軍家御家流おいえりゅう、柳生新陰流しんかげりゅうの剣術稽古に使う袋竹刀ふくろしないが握られて、あたしを打つ気満々です。
 柳生但馬守──。
 お年寄りではあるけれど、これは手強い。あたし、野生の勘でそう思ったわ。
「但馬。我が掌上の、これなる手白を打ってみよ」
「はっ。よろしいので?」
「構わぬ」
 家光公の冷たい言葉。それに応えて但馬守、割れ竹を革で包んだ袋竹刀を手に立つと、じりじりと間合いを詰めてまいります。その眼光は炯々けいけいとしてあくまで鋭く、戦わずして降伏を促すような威圧感。だけどあたしも機敏さだけは人後じんごに落ちない、猿なのよ。負けたくはない。
 柳生但馬守、いざ勝負!
 かくしてあたしが両足に力を入れた時、柳生但馬守が袋竹刀を打ち下ろすのを、ほんの一瞬ためらったではございませんか。
「あら、この人も?」
 あたしそんなことを思いつつ、くるりと舞って間一髪で但馬守の竹刀をかわし、家光の頭に再び着地。御髪も乱れ、烈火のごとく怒ったのはお殿様です。
「たっ、但馬! そなたでもこの手白、打つことできぬと申すのかっ!」
「面目次第もござりませぬ」
「ならばそなたが嫡男ちゃくなん、十兵衛を呼べっ!」
「なるほど。あの恐れ知らずな者ならば、見事打ち据えるやもしれませぬ。されど十兵衛は今、この江戸にはおりませぬ」
「ならば、ほかに打てる者はおらぬのかっ!」
「されば適任と思われる御坊が一人、折よく拙宅に逗留しておりまする」
「なるほど、沢庵たくあん禅師か! 沢庵を呼べ!」
 こうしてその和尚様が呼び出され、今、あたしの前に座っているの。
 ずいぶんと徳の高いお方らしいけど、見た目は小柄な老人よ。でも沢庵だか嫡男だか知らないけれど、あたし刺客はもうたくさん。
「禅師。我が掌上のこれなる手白、そなたなら見事打てるか」
「東照大権現様の使いを打て、と申されますか」
「構わぬ! 打て。打ってみせよ!」
 命じられた沢庵は但馬守に一瞥いちべつくれて、やれやれという様子。その気持ち、あたしわかるわ。あたしももう、うんざりよ。どうせ同じことの繰り返し。
 でもやるの?
 仕方ないわね。いいわ沢庵、かかっておいで。
 ん? なによ、沢庵。あなた竹刀も木刀も持たないの? そんな孫の手みたいな仏具を手にして、それであたしをぶつつもり? あるいはそれを投げるのかしら?
 おほほほほ!
 もう、年寄りはこれだから。ご無理をなさらず、説法でも唱えていた方が良くはなくって?
 あら? やだなによ、その冷たい目。そんな目で見ないでよ。
 あら、家光にまで? そんな目で見ていいの? 殺されるわよ?
 あなた、こちら上様よ!? ちょ、ちょっと沢庵、お待ちなさいよ。身の程をわきまえなさい。
 ……う、嘘よっ! そんなこと、できるはずがない!
 ほほう。権現様のお使いとやら、恐怖のあまりご気絶召されましたかの。
 ではこの勝負、愚僧の勝ちとなりましょうかな。
 いかがして、かくなったかと申されますか? 上様もご照覧しょうらん召された通り、この沢庵、子猿を一喝したまでにござります。
 まだ、からくりがおわかりになりませぬかな? では、申し上げましょう。
 上様が「我が掌上の猿を打て」とご下命された方、これいずれも上様がご家臣ですな? しからばご一同、こう思ったのではありませぬかな。
「この猿を打ち損じ、上様のお手を打ってはならぬ」と。
 されば心は惑い、打つ手は自然と鈍るもの。この子猿、それを看破し、からかっておったのですな。
 ご一同、見事、内兜を見透かされたものですな。こやつ城内に暮らすうち、かような目を養ったのでござりましょう。賢いものじゃ。
 しかるにこの愚僧、かかる子猿の思惑を見て、上様のおん手もろとも微塵に砕く心づもりで、この如意にょい(棒状の仏具)を振り上げたまで。
 不本意ながら、上様たっての御意ぎょいともあらば、致し方ありませぬ。我が友、但馬守殿はこれを見越して、愚僧を推挙したのでございましょう。
 但馬殿。そなた忠も厚いが、人も悪いわ。
 上様、子猿を責めてはなりません。いずれ、もといた山へと連れて行き、母御のもとへ帰してやってはいかがですかな。だがこやつ、舌の喜悦も覚えたであろうから、帰らぬと申すかもしれませぬのう。
 その時は、但馬殿。そなたがこの猿に、懇々こんこん説諭せつゆされてはいかがかの。
[余滴]
 この話の素材としたのは、山田三川やまださんせん著『想古録』所収の「沢庵の一喝、沐猴もっこうを威服す」。
 原典は、三代将軍徳川家光(1604〜1651)が寵愛の小猿・手白を手の平の上で遊ばせ、その動作があまりに俊敏であったため、これを家臣に打たせようとする場面から始まります。
 手白を威服した沢庵宗彭そうほう(1573〜1646)は、臨済宗の禅僧。寛永六年(1629)、紫衣しえ事件(幕府と朝廷が、高僧に与える紫衣着用の勅許を巡り争った事件)に関わるとがで、幕府から出羽へ流されたものの、二代将軍秀忠(1579〜1632)の逝去に伴い赦免。親交の厚かった柳生宗矩(1571〜1646)らの仲立ちによって家光に近侍し、のちに家光が創建した品川の東海寺では住職を務めました。
 なお、柳生宗矩の嫡男は名高い剣豪、柳生十兵衛こと柳生三厳みつよしです。
(第四話へつづく)

瀬尾英男Hideo Seo

編集者/ライター。1971年生まれ。出版社勤務を経て、フリーランス。著書/『ボタニカ問答帖』『花暦 INTERVIEW WITH PLANTS』(京阪神エルマガジン社)、『描くひと 谷口ジロー』構成・編集担当(双葉社)

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