双葉社web文芸マガジン[カラフル]

死に方がわからない(門賀美央子)

デザイン:大路浩実

第二十二回

 遺品整理の次は財産処分だが、私にはあんまり縁のない話なので、この辺りはさらっと触れるだけに留めたい。
 財産は不動産と動産に分けられる。
 不動産は、土地およびその定着物(要するに建屋)を指す。それ以外の物はすべて動産であると民法上定められている。不動産は登記して初めて権利を主張できるようになる(ただし、法定相続分は登記不要)。一方、動産は合法的に取得すればその時点で所有権が認められるのが最大の違いであるそうだ。
 ゆえに、宝石や絵画のような動産は「形見分けです」と譲渡すれば、その時点で所有権は移動する。百十万円以下の場合は非課税だ。それ以上の価値がある物品を形見分けする予定がある豪気な方は、念の為税制をお調べください。私にはまったく縁がない話ですので、調査に労力を割くことは控えたいと存じます。
 なお、不動産/動産を問わず相続した一切合財の価値が最小で三千六百万円までは無税だそうな(二〇二一年一月現在)。なぜ「最小」かというと、相続人の人数によって無税の範囲が変わるからで、該当しそうな方は事前に調べ、相続させる相手がいる場合は事前に打ち合わせをしておいた方がよさそうである。
 なお、相続人がいない不動産は、異議が出なければ一年ぐらいの手続き期間を経て最終的には国庫に入る。つまり、お国に召し上げられてしまう。そうなるぐらいなら、独り者はある程度の年齢でさっさと売り払って、介護付き老人ホームにでも入った方がよいのではないかと思うが、いずれせよ私は関係ない話なので(しつこい)さくさく先に進もう。
 あ、でも、これだけは。近頃、終の棲家にしようと大枚はたいて入居した介護付き老人ホームが経営破綻し、老境にいきなり「家」が失われてしまうケースが発生しているそうである。
 十年単位の長期間にわたる契約の場合、社会状況の変化などでこのようなリスクがあるのは念頭に置いておくべきなのだろう。他の生前契約もまた然りだ。
 契約は相互に信用関係がないと結べないわけだが、法人はトップによって簡単に体質が変わる。契約した当初は“いい会社”だったとしても、何かの拍子に経営難になったり、交代した経営者がロクでもなかったり、あるいは悪意あるファンドの乗っ取りにあったりして、質がドンと落ちてしまう可能性もある。
 昨今では不景気が長く続き、かつ新自由主義の風潮が広く蔓延はびこってしまったせいで、「社会責任」という概念がすっぽり抜けてしまっている経営者も散見する。要するに儲け主義ってやつだ。少なくともバブル前は「儲け主義」は悪しき商習慣の象徴として語られていたように思うが、儲け主義全盛からジリ貧の失われた二十年を経て、今では商道徳自体最初から知らないような会社が少なくない。ブラック企業がこれだけ蔓延しているのがその証左である。
 社会は信用なくして成り立たない。しかし、様々な社会状況が個人/法人を問わず「相互信用」を難しくしている。いやはや、末法感バリバリである。
 次の項目なんかはさらに「相互信用」がものをいう。
 パソコンやスマホといったIT端末の処分だ。
 これらは個人情報の宝庫であり、プライバシーの塊である。よって、死後はデータを抹消するのが望ましい。だが、その作業は誰にしてもらえばいいのか。
 一番安心なのは、信頼できる家族友人知人だろう。だが、ちかしいからこそかえって頼みたくないってのもあるかもしれない。誰だって見られては困るものはあるはずだ。裏表あってこそ人間だもの。まあ、私はありませんけど。
 高齢者であればヘルパーや後見人に任せるという手もあるかもしれない。だが、これも上記と同じ理由で避けたい場合もあるだろう。なお、この人たちは基本的にサービスを提供していた人の死によって任務が終了する。よって、死後の手続きに関わる筋合いはない。よって、もしお願いするとしたら「個人的な厚意に頼る」ことになる。引き受けてくれるかどうかは生前の自分の振る舞い次第だ。また、信用に足る人でないと、データを悪用されるかもしれない。人品を見極めた上で依頼せざるをえないが、これまたなかなか難しいものである。
 となると、やはりこれも業者に頼む、ということになる。「パソコン データ消去」でネット検索して調べてみると、費用はやはり数万円必要になる。多めに見積もって十万円というところか。また予算計上しなければならないのも、なんだかなあ、である。
 結局のところ、これも道は三つだ。
 1.心から信用し、任せられる人間を事前に探しておく。
 2.業者に頼むために予算を用意しておく。
 3.自分でとっとと処分しておく。
 3については、たとえば余命がある程度わかる状態ならば可能だろう。私の場合、現在は仕事用のタワー型PCとバックアップ用のハードディスクを複数、タブレット端末が二つ、そしてスマートフォンを所有しているわけだが、死の間際まで契約しておかなければならないのはスマートフォンぐらいだ。スマートフォンは契約解除の際にキャリアのショップに持っていけば物理破壊してくれるので、信用できる誰かに託すしかない。他の端末は、自分の体が動くうちにどうにかしておけばいい。
 もしくは「死んだ後に何が出てこようが知ったこっちゃないわ。どうせ死んでいるんだし」と開き直る手もある。他人様に迷惑がかかるようなデータだけ消去しておけば、これはこれでありかもしれない。
 もしかしたら、物書きのさがとしてギリギリまでなにか書きたいと願うかもしれない。その時はその時、ライティング専用の端末を新たに用意すればいい。古いものはすべて捨ててしまう。それでいいではないか。
 一方、急死の場合はやっかいだ。
 私の場合、母より先にあの世行きになったら母に託すしか無いが、彼女に業者探しや手続きやらを一からしてくれというのはあまりに酷である。というか、たぶん無理。なので、やはりここはエンディングノートに細かく指示しておくしかない。
 現時点では、やはり業者処理が望ましいということになるので、これまた適宜探して連絡先を明記しておくことにしよう。ただし、明記すれば終わりではない。一年に一度ぐらいは、その業者がまだ事業を継続しているか確認しないと、いざ頼む段になると廃業していましたってなことになりかねない。何回か前に書いた通り、エンディングノートも定期的な見直しが必要だが、その際には業者一覧も再チェックした方がいいのだろう。
 いずれにせよ、準備としてはこれまで見てきた他の諸々と同じで、何をどうしたいか、明確にしておくしかない。
 最後に長生きした場合――私の場合だと後三十から四十年も生きることになってしまうケースだが――これはもう考えておくだけ無駄である。なぜならこの分野は日進月歩。十年後でさえスマートフォンが現在のような形のままかどうかすらわからない。ウェアラブルデバイスどころか、体内埋込み型が当たり前になっている可能性もある。そうなると、死亡が感知されれば即座にプライバシーに関わるデータは消去できるシステムもできあがっているだろう。あるいは消去されずにネットの海をゴーストとしてさまようかも云々とか、まあSF的なことを考え始めるときりがないのだが、とにかく今とは随分違った形になっているのは間違いないはずだ。だから、当面の物理処理のみ考えておけばひとまずOKである。

 さて、最後は預貯金や有価証券など、お金に関する後始末だ。
 お金。
 苦手である。
 昔から金勘定ができなかったし、今でもあんまりできない。
 そもそも計算が苦手なことハクション大魔王が如し、である。子供の頃、おつかいを頼まれても文字通りガキの使い。買った物の値段やお釣りをいくら貰ったかなんてことにはまったく無頓着で、母からはよくアホの子扱いされたものだった。
 いいだけ大人になった今だって、あんまり状況は変わっていない。どんぶり勘定は幾分収まったものの、家計簿を付けるなど真面目に家計に向き合うようになったのは、つい数年前からだ。親の関係で想定外の出費が発生し、預金や株式売却によって資金を捻出した結果すっからかんになってしまった。そのせいでさすがに自分の老後資金に大きな不安を持ち、ようやく管理を強化したのだ。しかし、未だ火の車は我が家から去ろうとせず、ずっと燻り続けている。
 預貯金があるから老後はあんまり心配していない、という諸氏。人生なにがあるかわりませんよ。思わぬ落とし穴はいつでもあなたを待っています。死ぬその瞬間までゆめ油断召されますな。
 とにかく、そんなわけで私にはお金がない。
 ゆえに「私、お金なんかないからこの項目はパス!」で済まそうかと思ったのだが、ここでスルーしては自分の貧乏を容認することになり、結果として一生貧乏が固定してしまうのではないか。
 そんな気がしてきた。
 逆引き寄せの法則、みたいな?
 よって、気を取り直し、まじめに「お金周りの始末」に向き合うことにした。きちんと考えるので、お金の神様、このワタクシメに祝福を!
 さて、「お金周り」も不動産同様、法定相続人がいなければ定められた手続きを経て、最終的には国庫に入ることになる。それが嫌なら最初からお金の行き先を決めておかなければならない。
 遠縁にあげるもよし、ここはという団体に寄付するもよし。
 決めたら遺言状を作成し、遺言執行者を決めておく。法定相続人がいる場合でも、やはり同じ手続きを取っておくほうがスムーズなようである。
 だが、当然それにはお金がかかる。
 遺言執行者として適切なのは弁護士や司法書士、行政書士といった士業の人たちだ。ただし、それぞれができる業務の範囲に限りがある。
 もし、自分の相続関係にややこしいこと(実は認識していない子供がいそうとか、腹違いの兄弟姉妹が突然現れそうとか)が発生する気配があるなら、弁護士にお願いするのが一番なのだろう。
 ただ、当然ながらそれにはお金がかかる。弁護士さんともなれば数十万円単位だ。結構辛い。辛いがこればかりは仕方ない。金、金、金の世の中なのだから。
 だが、お金がかかっても専門家に依頼する効果は絶大である。私は、それを父がやり残した後始末をあれこれする際に実感した。一番の効果は精神的負担がどっと軽くなることだった。一億から十になるレベルで減った。最初は何もかも自分でやるつもりだったが、今では弁護士さんにお願いできて本当によかったと思う。そして、そこに繋がれたのは、成年後見制度利用のためにお世話になった家庭裁判所の担当者さんが必要な支援を提案してくださったから、そしてそれを素直に受け入れたからだ。もし「自分たちのことは自分でやります!」なんてつまらない意地をはっていたら、末路は悲惨だっただろう。
 一般的にはまだまだ知られていない公的支援はたくさんある。自分の手に余るならば、遠慮なく行政や支援NPOに相談し、アドバイスに従うこと。差し伸べられた手は振り払わないこと。その重要性を学べただけでも、苦労のしがいがあったのかもしれない。
 とはいえ、弁護士費用も捻出できないほど貧乏であれば相続の心配は不要だろう。莫大な借金をしていて、それが法定相続人にかぶってしまいそうとかいうなら別だが、本連載では法定相続人なしのケース(つまり私)のみを対象としているので、ひとまず考えるのはよしとする。
 なんにせよ、遺言書を書くには、まずは自分がどこにいくら持っているのかを把握しておかなければならない。
 いわゆる終活を解説する書物やサイトにおいては、これらの情報は一覧にしておくよう強く勧めている。普通預金なら通帳が見つかれば問題ないだろうが、古い定期預金や株式、投資信託などは本人しか把握していないなんてざらだろう。ボケてしまえば自分でもわからなくなるかもしれない。
 ゆえに、頭がしっかりしているうちにまとめておけ、ということらしい。
 というわけで、とにかく肝心なのは財産をしっかり把握し、それらの行き先を決めておくこと。そして、それを明文化しておくこと。
 何もこれは独り者に限った話ではない。相続関係を曖昧にしたまま亡くなったせいで、死後親族が骨肉の争いに、なんて話はごまんとある。それを防ぐのは、死者が遺せる最後の思いやりなんじゃないかと思う。
 私の場合、相続人がいないわけだから、もし幾ばくかの財産が残るようなら、どこかの団体に寄付するのがベストだろう。するとしたら、子供の福祉や育成に関わっているNPOなんかがいいな。子供がいない分、未来の人にちょっとでも役に立てたら、それほどうれしいことはない。……なあんて、寄付するほど遺せないのはほぼ確実なのだが。
 それどころか借金が残ったりして。あんまり考えたくはないが、まったくありえない未来でもない。そうならないよう鋭意努力はいたしますが、如何せん人生は暗夜路を行くが如きもの。望むようには参りません。胸を張って死んでいけるようできる限り力を尽くしますが、及ばなかった場合はどうぞ平にご容赦くださいませ。未来にいるかもしれない債権者に、先に謝っておきます(突然の弱気)。
(第23回へつづく)

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門賀美央子Mioko Monga

1971年、大阪府生まれ。文筆家。主に文学、宗教、美術、民俗関係の分野を手がける。著書に『自分でつける戒名』『ときめく妖怪図鑑』『ときめく御仏図鑑』、共著に『史上最強 図解仏教入門』など多数。

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