双葉社web文芸マガジン[カラフル]

死に方がわからない(門賀美央子)

デザイン:大路浩実

第十三回

 本連載は基本的に毎月二回、十日と二十五日の更新ということになっているのだが、八月はまるまる一ヶ月、お休みをもらった。
 その間、何をしていたかというと、軽井沢の別荘でのんびりと避暑生活……なわけがなく、横須賀の陋屋で安楽死についてひたすら資料を読み、考える時間を取っていた。
 なんでそんなことをしていたかというと、二〇二〇年七月二三日に容疑者が逮捕されたALS患者嘱託殺人事件(以下、嘱託殺人事件と表記します)に強い衝撃を受けたからである。
 私が事件の第一報を知ったのはTwitter上のニュース速報だった。たしか、「ALS患者の依頼を受け、医師が薬物投与し殺害した容疑で逮捕」というような文言だったと思う。ごくごく短信で、それ以上の情報はなかった。だから、てっきり一九九一年の東海大学安楽死事件と同じようなこと(どのような事件だったかは後述)が起こったのだと思った。
 ところが翌日、詳報を見て驚いた。
 薬物投与を行った医師は被害者の主治医でもなんでもなく、インターネット経由で知り合っただけ。しかも、報酬として金銭を受け取っていたというではないか。
 これは安楽死事件ではない。単なる殺人だ。しかも、ビジネス臭までする。ありえない、そしてあってはならない事件が起こってしまった。
 しかし、ネット上には、事件を「自殺を強く願っていたALS患者の望みを医者が叶えた」と捉える声が少なからず上がっていた。中には、まだ事件の概要もわからないというのに容疑者を闇雲に擁護する者さえいたのだ。
 それを見て私は、津久井やまゆり園で元介護担当者による障害者大量殺人が起こった際、犯人の主張に同調するようなツイートを散見した時と同じぐらい、強い怒りと哀しみと憂慮を感じた。
 容疑者に同調する人たちのノリは軽い。もしくは安易に自分に引き寄せて「私には被害者の気持ちがわかる」と言ってしまう。
 だが、この問題は、何の知識もなく語っていいものではない。
 もちろん、人間には内心の自由がある。表現の自由もある。どう思おうが、何を書こうが、基本的には他人にとやかく言われる筋合いはない。
 しかし、社会的問題、こと命の問題に関わることについては、たとえSNSといえども意見を発信することには一定の責任が伴う。なぜなら、SNSには時として瞬発的な世論を喚起し、流れの方向を決める力があるからだ。それが政権を動かすほどの力を持つことを、私たちはこの数ヶ月で実見してきたではないか。
 事件を擁護する人たちの多くは、積極的安楽死と消極的安楽死、さらに本連載でもたびたび触れてきた尊厳死の区別すらついていないようだった。
 そんな状態では、何を話しても空転するだけではないだろうか。
 たとえば「寿司」について議論するとして、Aさんはチェーン店の回転寿司、Bさんは銀座の高級江戸前寿司、Cさんは母手作りのバラ寿司をそれぞれ念頭に置いていたとしたら、噛み合うものも噛み合わない。それと同じことが、SNS上の安楽死議論で起こっていたのだ。
 私は、本連載を、実用書のつもりで書いている。つまり、あくまでも主目的は「現実的な死に方の模索」であり、死を取り巻く哲学的/社会的考察は最小限に留めるつもりだった。
 だが、事件を受け、そして世論を見て、少し気が変わった。
 安楽死問題について、一度正面からきちんと考えを整理しておこうと思ったのだ。たぶん、そこをあやふやにしたままでは、今ちょうど模索している「よい死を迎えるための準備」についてだって、説得力をもって書き進めることはできないだろう。私自身の足腰を鍛えるためにも、あらゆる方向から「安楽死」について学び直すことにした。
 それが一ヶ月の休載の理由である。
 結局のところ、一ヶ月ぽっちではとてもじゃないが時間が足りなかったのだが、中間報告のつもりで、ひとまずまとめていきたい。
 これは、本連載に目を通してくださる読者ならば、必ず興味を持ってもらえる内容だと思う。少々重い話も出てくるし、最終的にはふわっとした人生論にならざるをえない部分もあるのだが、そこはご容赦いただければ幸いである。

 さて、まずは私個人の意見を明らかにしておきたい。
 安楽死は今後、確実に求められるようになる。
 しかし、今の日本においてのは時期尚早だ。
 安楽死に飛びつく前に、整えておくべきことはたくさんある。
 これがこの一ヶ月で出した結論である。
 どうしてそう考えたのかを説明していくのが今回と次回の内容になる。だが、その前にまずは言葉の整理をしておきたい。なぜなら、この手の議論がしばしば噛み合わないのは概念のすれ違いが根本にあることが多いからだ。
 実は、安楽死には、万国共通の明確な定義がない。
 たとえば、WHOでは健康の定義を「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。」(日本WHO協会による公式翻訳)としているが、安楽死に対してはこれと同様のパリッとした定義はない。
 安楽死を法制化している各国では、法がコントロールする対象となる「死」がいかなるものなのか、については定義している。しかし、それが安楽死の普遍的定義だと言い切っているわけではない。
 つまり、今現在、人類は「安楽死」の確固たる定義を持っていないのである。議論が食い違うのは、大方がこのせいだ。各々が自分流の「安楽死」を元に話をするから、ちょいちょい行き違いが生ずるのだ。
 そこで、まずは日本での「安楽死」の共通概念を確認するところから始めようと思う。まいどまいど「そこからかい!」で申し訳ありません。
 さて、日本大百科全書では、安楽死を「死期の切迫した不治の傷病者を死苦から解放するために死なせること」と定義した上で、積極的安楽死と消極的安楽死の二種類あるとしている。
 積極的安楽死とは、第三者がその人の命を物理的・薬理的方法を用いて積極的に死に至らしめること。
 消極的安楽死とは死の防止のみを目的とする治療を中止して、なりゆきに任せること。今の日本で「尊厳死」と呼ばれているものはこれに含まれる。
 これに加え、間接的安楽死と呼ばれるものもある。これは、苦痛の緩和や除去を目的にした医療的措置が結果として死を早めるケースを指す。強い鎮痛剤の副作用として、呼吸低下が発生し、死期を早めてしまうパターンなどが、このわかりやすい例だ。
 繰り返しになるが、日本では安楽死の法的定義はない。しかし、過去の裁判で、基準が示されたことがある。
 昭和三七(一九六二)年十二月に名古屋高等裁判所で下された判決だ。
 事件は、とても痛ましいものだった。
 殺されたのは父、殺したのは息子。父は病による激痛に耐えきれず、家族に殺してくれと繰り返し懇願していた。息子はそれに応え、何も知らない母を通じて毒物の入った牛乳を父に飲ませ、殺害した。
 事件が発覚し、嘱託殺人の罪で裁判が始まると、息子の行為がいわゆる「安楽死」をさせたものとして、違法性を阻却できるかが検討された。違法性阻却というのは「違法と推定される行為について、特別の事情があるために違法性がないとすること。法令による行為や正当防衛・緊急避難など。」(「デジタル大辞泉」より引用)。
 この事件では、苦痛に耐えかねて死にたがっている余命幾ばくもない肉親を殺すのは、違法性を問えるのか、という点が検討されたのだ。
 そして、「安楽死として違法性阻却が認められる要件」が以下の通りに示された。

1. 病者が現代医学の知識と技術からみて救済の見込みのない不治の傷病により死期が目前に迫っていること。
2. 病者の苦痛が著しく、何人も真にこれを見るに忍びない程度のものであること。
3. もっぱら病者の苦痛を緩和させる目的で行われること。
4. 病者の意識が明瞭であって意思を表明できる場合には、本人自身の真摯な嘱託又は承諾があること。
5. 医師の手によって行われることを本則とし、これにより得ない場合には、医師によりえない首肯できる特別な事情があること。
6. 安楽死の方法がそれ自体社会通念上、相当な方法であること。

 次に、医師による安楽死の実行が殺人罪として起訴された東海大学安楽死事件で示された要件を見てみよう。
 この事件は、平成3年に起こった。積極的安楽死を選んだのは患者本人ではなく、家族だった。よって、嘱託殺人ではなく、殺人罪で起訴された。
 安楽死の実行を求めたのは、患者の妻と長男夫妻だ。彼らが医師に延命治療の中止を強く迫ったのだ。だが、延命装置を外した後もなかなか死ななかったので、家族が積極的安楽死を求めた結果、医師がそれに従った少々特殊な事件だ。
 記録を読む限り、被害者の家族は少々今で言うモンスター・ペイシェントっぽいところがある。さらに、手を下した医師が若かったのもあり、家族からの圧力に抗いきれなかったようだ。
 こうした事情があったので、裁判では安楽死の要件だけでなく、延命治療の中止が妥当とされる基準についても、次の通りに示された。

1. 患者が治療不可能な病気に冒され、回復の見込みがなく死が避けられない末期状態にあること。
2. 治療行為の中止を求める患者の意思表示が存在し、それは治療行為の中止を行う時点で存在することが重要である。

 その上で、改めて安楽死が許容される一般的要件として、

1. 患者に耐え難い激しい肉体的苦痛があること。
2. 患者について死が避けられず、かつ死期が迫っていること。

 の二つを示した。さらに、積極的安楽死については追加要件として、

3. 患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替手段がないこと。
4. 生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること。

 を加えた。
 これらの条件を今回発生した嘱託殺人事件に当てはめると、あれが安楽死事件ではないことは一目瞭然だ。被害者はALSという不治の難病に罹ってはいたが、死期は切迫していなかった。
 戦後日本では、「安楽死事件」として刑事事件となったケースは数件ある。どれもが医師が積極的安楽死を行い、その手続きや妥当性が問題となったわけだが、今回の被害者のような終末期にない患者が被害者となった例は一つとしてない。
 つまり、あの事件は安楽死議論の起点にはできないのである。
 また、ALSは死を考える上では極めて象徴的な病だが、一般的な死の経過をたどるとはいえない。よって、今回の被害者の絶望から、安楽死の要件を導き出そうとするのは無理がある。特殊例は個別にケアされるべきだが、それを全体に普遍させると必ず結論がおかしくなってしまう。そこは胸に留めておきたいなと思う。
 

 さて、ちょっと硬い話が続いてしまったので、ここから先は、ある小説を土台にして安楽死について考えていきたい。
 題材となるのは、森鷗外の小説「高瀬舟」だ。
 有名な作品ゆえ、教科書や宿題の読書感想文のために読んだという向きも多いのではないだろうか。
 あらすじは次の通りだ。

 江戸時代、寛政年間の頃、ある罪人が京から大坂まで、護送船である高瀬舟で運ばれることになった。罪人の名は喜助。弟を殺し、遠島を申し付けられたのだ。
 護送を受け持つ同心・羽田庄兵衞は、遠島を悲しむどころか喜び、旅を楽しんでいるように見える喜助の様子を訝しみ、問いただしてみた。
 すると喜助は、これまで食うや食わずで住む場所も定まらない生活を送ってきた自分にとって、住処を与えられ、食事も出てきて、支度金として二百文(米が三キロ程度買える程度の金額、今だと一三〇〇円から一八〇〇円ぐらい)を貰えたことがこの上ない幸せだという。
 羽田は、喜助の言葉に知足安分の心境を見て感じ入るとともに、そんな喜助がどのような罪を犯したのかが気になり、尋ねてみた。
 すると喜助は、弟を手に掛けた顛末を話し始めた。それは、貧困が生んだ悲劇だった。
 幼い頃にふた親を疫病で亡くした喜助兄弟は孤児となり、二人で手に手を取り合ってなんとか命を繋いできた。仲の良い兄と弟は、極度の貧困の中でも、暮らしに不平を持つことはなかった。しかし、赤貧洗うが如しの生活は、板子一枚下は地獄。弟が病を得て働けなくなると、途端に行き詰まってしまった。
 それでも兄は、懸命に弟を支えようとした。
 だが、無理をする兄の姿に、弟は耐えられなくなった。
「どうせ自分は助からない。なら、一刻でも早く死ねば、それだけ兄は楽になる」
 そう考えた弟は、剃刀で首を切って自殺を図ったのだ。だが、死にきれず、もがき苦しんでいたところに兄が帰ってきた。医者を呼ぼうとするも、弟に「もう無理だ。早くこの苦しみを止めてくれ」と懇願され、喜助は願いを聞き入れる。

 近頃は誰もが知るスタンダードでも結末まで書くと「ネタバレ」と叱られるご時世なので、これ以上は触れない。
 だが、安楽死問題を取り上げるにあたって、武士の切腹と介錯を選ばなかったところに鷗外の慧眼を感じざるを得ない。
 そう、安楽死問題とはただ「死苦を楽にしてやる」だけの問題ではないのだ。その背後に絡む経済/社会問題を考慮にいれてこそ、はじめて意味あるものになる。
 おそらく、多くの人は、兄の行為を法としては犯罪だが、心情的にはごく自然な成り行きだと思うだろう。私もそうだ。だが、だからといって、安楽死は無条件で許容されるべきという話にはならない。
 そもそも「高瀬舟」で弟が自殺を試みるに至ったのは、病身の己が兄の負担になっていると思い詰めたからだ。
 自分が死ねば、周囲の人間が楽になる。
 弟のこの発想が、悲劇を生んだ。そして、これこそ、安楽死法制化反対論者がもっとも危惧しているものなのだ。なぜ危惧されるのか。それを理解するために、ここからは「高瀬舟」のケースを現代に変換して考えてみることにする。

 喜助兄弟は孤児で、適切な保護者がいない。なので、現代では児童養護施設に入所し、十八歳までそこで養育されることになる。運が良ければよい家庭に引き取られるかもしれないが、ここではずっと施設暮らしだったと仮定する。
 高校を卒業後、喜助は施設を出て独立しなければならない。特例で二十歳まで施設にいることはできるようだが、自立心の強い喜助はまずは自分が独立し、弟の高校卒業後にはれて同居することにした。もし生活が成り立ちそうなら、卒業前の弟を引き取って一緒に暮らしたいとも考えている。お互い助け合って生きてきた仲の良い兄弟なので、できるだけ一緒にいたいのだ。
 独立を間近に控えた喜助は、自立支援として住居選びや就労、また希望すれば進学についてもソーシャルワーカーのサポートを受けられる。生活が軌道に乗るよう取り計らってもらえるのだ。
 もし、弟が病気になっても、日本には国民皆保険制度があるので適切な治療が受けられる。よほどの難病でない限り、健康を取り戻し、元の生活に戻れるだろう。
 こうして二人は貧困に喘ぐことなく、そして若いうちから病苦に苛まれることもなく、無事に人生を歩み始めた。
 めでたし、めでたし。

 うむ。事件が起こる前に話が終わってしまった。
 このように、福祉制度を適切に利用できれば「高瀬舟」の悲劇はそもそも起こりようがない。弟が「自分が死ねば、兄が楽になる」と思い詰めるに至るルートは、ずいぶん手前で塞がれているのだ。
 では、高校卒業までは順調だったが、社会人生活で躓いた場合を考えてみよう。

 喜助と弟はなんとか自立に成功した。ところが、弟は仕事場で事故に遭い、重傷を負った。幸い一命はとりとめたものの、下半身不随になってしまった。
 喜助は仕事をしながら弟の介護をしなければならない。その上、二人分の生活費に弟の医療費も捻出する必要がある。
 弟は毎日「あの時助からずに死んでさえいれば、兄さんにこんな迷惑をかけるはずがなかった」と泣く。若い喜助はどうすればいいのかわからず、絶望的な気分になった。
 このままでは江戸時代の喜助兄弟と同じ結末になりかねない。
 しかし、弟は身体障害等級が一級と認められ、障害年金を受け取れるようになった。また、訪問介護サービスも受けられるようになり、喜助の負担はグッと減った。さらに、回復を待って機能訓練や職業訓練を受けられると知り、自分の将来に希望を持てるようになった。自分だってまだ働けるかもしれない。それが弟の生きるモチベーションになったのだ。
 喜助の方も、事情を知った会社がしばらくの間勤務形態を調整してくれることになり、安定収入を確保したまま弟の世話をできるようになった。
 そして一年後、一人で外出できるまでに回復した弟は、無事就労することができた。見習い中はパート勤務だが、定収入は得られる。正社員への道も開かれている。兄弟で力を合わせれば、なんとかやっていけるだろう。
 めでたし、めでたし。

 と、言うわけで、やはり安楽死は出る幕はない。「人が人として生きていける環境」があれば、人は自ら命を断つ選択をせずにすむのだ。
 でも、もし彼らをサポートする制度が整っていなかったら、最悪兄弟心中すら起こるだろう。また、制度があっても、それを利用する人たちへのネガティブな視線が社会に満ちていれば、それが彼らに安楽死を選ばせる結果になりかねない。
 さきほど、「安楽死に飛びつく前に、整えておくべきことはたくさんある」と書いた一端がこの点だ。社会に「生きていくのが難しいなら安楽死すればいい」という空気が満ちると、それを否応なく人たちが生まれかねないのだ。
 孤児になったり、事故で障害者になったりするのは決して自己責任ではない。ところが、今の日本にはそれすら自己責任論の枠内に納めてしまおうとする雰囲気がある。そんな中で安楽死の法制化を議論するのは、とても危険なのだ。
 

 次に、不運にも弟が事故で負ったのは致命傷であったケースについて考えてみたい。
 原作のように、兄が弟の苦しみを終わらせるため、自らの手で弟を殺す――積極的安楽死を選ばなければならない羽目に陥るだろうか。
 結論から言うと、ありえない。
 まず、痛みだが、現代医学ではほとんどの苦痛がコントロール可能であるそうだ。これは末期癌などの場合も同じで、痛みを取るための処置は優先して行われる。だから、先に紹介した二件の安楽死事件のような「死ねずにのたうち回る」ことは、今ではまずないという。
 また、十数年前と違い、見込みのない患者に対して何が何でも延命装置を取ることもなくなってきている。家族に詳細な説明が行われた上で、延命装置をつけるか、それとも苦痛を低減しながら自然死を迎えるような処置に留めるか、選ぶことができるのだ。喜助がどちらを選ぶかはわからないが、自らが手を下すようなことだけは絶対にならない。
 こうして順に見ていくと、今の社会ではぼんやりと考えられている「安楽死」のうち、積極的安楽死は、発生し得ないということがわかる。
 逆に言えば積極的安楽死が発生したら、それは即、嘱託殺人として断罪されるべき種類のものなのだ。
 間接的安楽死についていえば、末期患者の緩和ケアの結果として起こる可能性はある。
 だが、ここは判断が難しいところで、末期患者の死が緩和ケアの結果だったのか、それとも自然死だったのか、はっきりと区別するのはほぼ無理だという。少なくとも、通常の医療が行われている限り、患者の寿命を積極的に縮めるような処置は絶対になされない。しかし、人の命はいつまでと定まっているわけではないから、投与した薬剤が寿命を縮めたかどうかは、最終的には判断がつかない。そもそも間接的安楽死というのも法曹によって提出された概念であり、医療側がそうした区別をしているわけではない、というか、区別できないのだ。
 よって、間接的安楽死も、法律でコントロールするようなものでない、つまり法制化云々の問題ではないということになる。
 では、消極的安楽死はどうだろう。

 一命を取りとめた喜助の弟だったが、脳に大きなダメージを負った。診断の結果、人工呼吸器などの生命維持装置を付けなければ命を保つことはできないだけでなく、たとえ延命したところで意識を取り戻す可能性はほぼないとのことだった。
 喜助は、生きてくれてさえいれば、と延命治療を選択した。万が一の期待もあった。だが、日が経つにつれ、自分の選択は果たして正しかったのかと迷うようになった。
 ベッドの上でただ呼吸をしているだけに見える弟。
 これは本当に、弟のためになっているのだろうか。弟との別れを恐れる自分のエゴではないのか。
 悩みに悩んだ末、喜助は医師と相談し、人工呼吸器を外すことに決めた。弟は、それから三日後に息を引き取った。
 静かに、眠るように逝った弟の顔を見て、喜助はほっとした。だが、初七日が終わった頃から、本当にあれでよかったのか、という思いが湧いてくるようになった。
 自分は弟を殺してしまったのではないか、と。
 それに対し、あのまま生かしていても誰も幸せにならなかったと反論する自分もいる。
 この思いを抱えて生きていかなければならないのか。喜助の心は晴れることなく、堂々巡りを繰り返すのだった。

 おそらく、多くの人が「間近に起こりうる安楽死」としてなんとなく心に浮かべるのは、このパターンではないだろうか。
 高度医療がなければ、繋ぎ止められなかった命。
 だが、その命は二度と「人間らしい生活」を送ることはできない。
 その時、人は生き続けるべきなのか、それとも人生を終わらせるべきなのか。
 そして、もし終わらせる決断をしたとして、それは周囲に受け入れられるのか。
 生きることを選んだが最後、何十年もベッドの上に縛り付けられることにはならないか。
 こうした数々の不安が、人を「安楽死容認論」に走らせるのだと思う。そこで、次回は「消極的安楽死」についてじっくり考えてみたい。
(第十四回へつづく)

バックナンバー

門賀美央子Mioko Monga

1971年、大阪府生まれ。文筆家。主に文学、宗教、美術、民俗関係の分野を手がける。著書に『自分でつける戒名』『ときめく妖怪図鑑』『ときめく御仏図鑑』、共著に『史上最強 図解仏教入門』など多数。

  • 双葉社
  • 小説推理
pagetop