双葉社web文芸マガジン[カラフル]

死に方がわからない(門賀美央子)

デザイン:大路浩実

第十回

 回復の見込みがないのなら、自分自身の尊厳を守るために自然にあの世に旅立ちたい。
 今では「尊厳死」の名で知られるこうした概念が、一般に広まり始めたのは一九七〇年代後半のことであるらしい。
 一九七六年、当時二十一歳で植物状態に陥った米国人女性、カレン・クインランの両親が起こした延命治療中止を求める訴えに対し、ニュージャージー州最高裁判所は延命を拒否する権利を認める判決を下した。後に「カレン裁判」と呼ばれるようになったこの判決を機に、米国では尊厳死の法制化が進んでいく。
 日本でも同年に現代の日本尊厳死協会の前身組織である日本安楽死協会が立ち上がり、市民レベルでの活動が始まっている。だが、名前が「安楽死協会」であることからもわかるように、当初は安楽死と尊厳死の概念はさほど厳密に分けられていなかった。より正確を期するなら「尊厳死」なる言葉自体がなかったのだ。
 しかし、現在ではこの二つは明確に区別される。
 安楽死は薬物の投与などの積極的な医療行為を医者が代行して死に至らしめる一方、尊厳死は延命処置の中止であり、前者が自殺幇助の可能性を否定しきれないのに対し、後者は自然死への道を開く行為と定義されるからである。
 私は時と場合によっては安楽死もいいのではないかと思っている方なのだがその是非はさておき、少なくとも尊厳死は絶対に不可欠であると考えている。
 だが、いくら切望していても、必要な時に必要な相手に伝わらなければ実行されることはない。
 医療現場の第一義は救命、そして延命である。医者が「この人、生命維持装置に繋がなきゃ生きられないだろうから、無駄な治療はやめておこう」と判断することは百パーセントない。予後がどうなろうと、まずは目の前の命を救うことに傾注するのが仕事であり、使命なのだ。というか、そうじゃないと困る。生殺与奪権を握った医者なんて、おっかなくて仕方ないではないか。だから、尊厳死の希望が伝わらない状況下で延命処置を施されてしまっても、文句は言えないのだ。
 よって、私は意志が間違いなく伝わるよう、準備しておかなくてはならない。
 その上で、一番クリアかつシンプルな手段は日本尊厳死協会に登録しておくことだろう。
 先ほど触れた通り、一九七六年に任意団体としてスタートした「日本尊厳死協会」は、現在公益財団法人として「リビング・ウイル」の登録管理事業を行っている。
 リビング・ウイルとは協会の定義を転記すると「治る見込みがなく、死期が近いときの医療についての希望をあらかじめ書面に記しておくもの」であり、会員登録すれば協会が用意した書式のリビング・ウイル(終末期医療における事前指示書)を発行してくれる。
 登録はネットから可能だ。とはいえ、もちろんタダではない。年会費が二千円かかる。入会時に終身会員として七万円を支払うという方法もあるが、それだと三十五年分の前払いということになる。今私が四十八歳だから48+35=83、ちょうど平均寿命あたりの年齢だ。だが、八十三歳まで生きる気があんまりしないので、一括支払いにしない方がお得っぽい。こういうセコい計算は得意だ。
 年二千円が高いと思うか安いと思うかはそれぞれだろうが、私のように身寄りがない人間の場合、望みを確実に実行するためのコストだと考えれば高くはない。コスト高は独り者にはついてまわる悩みの種だ。古くは独身貴族なんて言葉もあったが、なかなかどうして独身生活は基本金を余分に取られがちなのである。税制面だって基礎控除しか受けられないから最高額を取られるし、万が一の時の行政支援もほとんどない。世間の風は独り者には冷たいんですよ。氷点下の向かい風を受けながらサヴァイヴしていかなきゃいけないのが日本の独り者なんですよ。なのに、なぜか楽をしているように思われるんだから、本当に割りに合わないというか、なんというか……なーんて愚痴っていてもしかたない。
 とりあえず、日本尊厳死協会の公式サイトから登録してみた。
 登録そのものはさほど難しくない。会員になればリビング・ウィルをすぐにダウンロードできるようになる。書類は一瞬で整うわけだ。めでたいことである。
 ただ、一つだけ困ったなあと思ったことがあった。リビング・ウイルに証明者や確認者のサイン欄があったことだ。
「このリビング・ウイルは本人がで作成しましたよ」ってことを二人の人間に証明してもらいましょう、ということになっているのである。なぜそれが必要かは説明するまでもあるまい。発作的に登録して後でやっぱりやーめたとなるのは協会として迷惑この上ないだろうし、悪用されるケースだって考えておかなければならないだろう。
 だから、必要性はわかる。
 わかるのだが、残念ながら私には証明を頼める人がいない。
 いや、ちょっと違うな。
 たぶん、ポチポチ作戦同様、頼めばやってくれる人はいる。何人もの顔が思い浮かぶ。私は決して「ともだち百人できるかな」タイプではないがその分一騎当千、信頼して物事を任せられる人に恵まれている。人間関係に対しては少数精鋭主義なのである。だから、私が真剣にお願いすれば、きっと快く引き受けてくれるだろう。
 だがしかし、どうしても躊躇ってしまうのだ。
 私の命に関わる決断に、他人を巻き込むことを。
 そもそも、リビング・ウイルは単なる意思表示であって、法的根拠はなにもない。よって、「救命こそ我が命! リビング・ウイルなんてクソくらえ!」みたいな医師にたまたま当たってしまえば無視されてしまう可能性もある。無視したところで、医師にはなんのペナルティもない。
 逆に、命の瀬戸際でかなり微妙な判断を迫られ、医師としては近親者の意見がなければにっちもさっちも動けない状況が発生することもあるだろう。医療訴訟などが増えた結果、医療現場は徹底して本人及び家族の承認を取る体制をいている。必要性は理解するものの、単身者としてはこれが結構厄介で、入院に際して面倒な思いをしたことがあったのが本連載を生む遠因のひとつになったわけだが、いずれにせよ、人の命に関わる決断は、決断をする人間にとって相当な心理的負担となる。
 私は、できる限り、そのような負担を他人に負ってほしくない。というより、「そのような負担を他人に負わせている」状況が自分自身にとってハンパじゃなく重い心理的負担になってしまう。だから、できる限り避けて通りたいのだ。
 そんなわけで、私は証明者を立てない選択をした。リビング・ウイル自体は証明者のサインがなくても成立する。それに、私の場合、この連載の存在こそが尊厳死を希望していることの何よりの証明になる。なにかややこしい事態に陥っても、私のリビング・ウイルは私が自分の意志に基づき、頭が至ってまともな状態で作成したと理解してもらえることだろう。だから、これでいい。
 でも、みんながみんな公表できる媒体を持っているわけではない。
 あなたには、命に関わる判断を心置きなく任せられる他者がいるだろうか?
 すぐに思いつかないのであれば、一度ネットでリビング・ウイルの書式を探してみて、そこに書いてある文言をじっくり読み込んでみることをお勧めする。その上でもう一度誰かに頼めるかを考えてみると、自分が本当に信頼しているのは誰なのかが見えてくると思う。
 そして、その人に証明を頼む心理的負担に自分が耐えられるかどうかを想像すると、おのずから自分の強さ、弱さが見えてくる。
 人に頼らないのは心が強いからではない。むしろ、弱いのだ。
 死を考える時、たぶん誰もが自分の中にあるこの手の弱さと向き合うことになるだろう。これは、まあまあしんどい。だからこそ、人は無意識に「メメント・モリ」を避けようとするのかもしれない。
 リビング・ウイルを書いた事実を公にすることで証明者の問題を避けた私は、間違いなく弱い人間である。この弱さを抱えたまま、何度も同じような問題にぶつかるであろうこの先の人生をどのように生きていくのか。ありふれた言い回しは使いたくないが、やはり死を考えるとは生を考えることなのだ。どんなに陳腐でも、それだけは間違いないようである。

 さて、色々考えてどんよりした気分になりつつも、ひとまず今の私にできる「死に時を逃さない準備」の第一歩は踏み出せた。
 次にやらなければいけないのは、私がリビング・ウイルを用意しているという事実が必要な時に必要な人へと伝わる体制づくりだ。
 人がばったり倒れる場所は二つしかない。
 家の中と外だ。
 まず、家の中の場合、最初に想定した通り発見者が救急車を呼ぶだろう。ということは、まず救急隊員のみなさんに私が尊厳死を望み、リビング・ウイルに署名していることを知ってもらわなければならない。
 これはなかなか難しい。玄関にリビング・ウイルを貼っておくわけにもいかないし、だからといって見つけてもらえないような場所にしまい込んでいては意味がない。なんのために年会費を二千円も払っているのかという話である。
 そこで、よい方法を求めてネットの海を泳いでいたら、またもや素晴らしい解決方法を見つけてしまった。
 冷蔵庫の中に緊急医療情報を入れておくという方法があったのだ。緊急時に必要な医療情報を紙に記入し、適当な容器に入れて冷蔵庫に保管しておき、その事実を知らせるマークやサインを玄関入ってすぐの目に付きやすい場所や冷蔵庫の扉に貼っておく、というのである。
 そうしておけば、一朝事あった時に駆けつけてくれた救急隊員さんに間違いなく情報が伝わるわけだ。
 この裏技(裏でもないか?)に必要なのは、情報を記入する用紙と用紙を入れておく筒状の容器。そして、容器の保管場所がひと目でわかるように冷蔵庫や玄関に貼っておくシール類である。どれも特別なものではないので、百均で材料を揃えれば自作可能だ。百円ショップなら三百円もあれば材料は揃うだろう。救急医療情報シートはネット上でフォーマットが配布されているので、それをダウンロードして使えばよい。無料配布している自治体もあるので、まずは自治体名+「救急医療情報キット」で検索してみるのも一手だ。一方、「救急医療情報キット」や「緊急医療情報キット」の名前で市販もされている。
 私はというと、市販のキットを購入した。送料込みで千円ほどだ。自作より高くつくが、見栄えは全然良い。いかにも緊急っぽい赤色の蓋が、ごちゃつきがちな冷蔵庫の中でも存在を主張してくれるし、「緊急医療情報キット」と書かれたロゴやマークもかっこいい。結構見た目重視派なので、玄関や冷蔵庫などいつも目に入るところに貼るのであれば洗練されたデザインを求めたいのである。
 なお、情報シートには名前や住所、血液型、緊急連絡先といった基本情報のほか、アレルギーや既往症の有無、普段飲んでいる薬、かかりつけ医の連絡先などを記入しておける。救急隊員のみなさんは、これだがあるだけでも随分助かるのではないだろうか。そして、私はこの筒にリビング・ウイルを同封しておいた。これで「家でバッタリ」への備えは万全である。
 というわけで、次は「お出かけ先でバッタリ」への対策だ。
 リビング・ウイルに関しては、尊厳死協会からクレジットカードサイズの会員証が送られてきたのでそれを常に携帯すればよい。そこで、私はスマホケースに挟んでおくことにした。財布に入れれば? と思うかもしれないが、すっかり電子決済に軸足を移したせいで最近は外出時に財布を忘れて愉快なモンガさんになってしまうことが度々ある。一方、スマホはドラクエウォークをするためにちょっとした散歩でも手放さないので、どこで倒れても携帯している確率が高い。ドラクエウォークさまさまである。
 しかし、これだけでは安心できないのが私の性分だ。ここでも二の矢、三の矢を求める気持ちがふつふつと湧いてきた。
 そこで二の矢として用意したのが、臓器提供意思表示カードだった。
 実は私、日本臓器移植ネットワークには随分前から登録してある。そのカードを入れておけば「脳死したらもう結構です」の明確な意思表示になる。二重の意思表示がしてあれば、私の希望が疑われることはあるまい。
 ここまでやれば十分だと思う。思うが、せっかくだからもう一つぐらいなにかないかなと探していて、またまたまたまた見つけてしまったのだ。
 私が求めていたサービスを。
 しかも、それはなんと待望の行政サービスだったのである!
 と、(私が)盛り上がったところで待て次回。
(第十一回につづく)

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門賀美央子Mioko Monga

1971年、大阪府生まれ。文筆家。主に文学、宗教、美術、民俗関係の分野を手がける。著書に『自分でつける戒名』『ときめく妖怪図鑑』『ときめく御仏図鑑』、共著に『史上最強 図解仏教入門』など多数。

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