双葉社web文芸マガジン[カラフル]

よい人生、ぼくをくるむ(少年アヤ)

©少年アヤ

第6回

◯:◯:◯:◯

 まゆちんにさそわれてイケアに行った。引っ越ししたばかりで、なにかおしゃれなインテリアが欲しいらしい。
 すこし遅れて着くと、まゆちんは改札前の喫茶店で、どでかいチーズケーキをたべていた。カウンター席に腰掛けた、ぜんぜん気取ってない横顔。
「こっちは腹へってんだよ」
 そのままちかくにあった大戸屋に飛び込み、ふたりしてあれもこれもと頼んでしまった。
 たべながらあたらしい部屋はどう、と聞くと、せっかく吟味していい感じの部屋に引っ越したのに、さっそく給湯器がこわれ、どうしてもシャワーの途中で水に変わってしまうらしい。
「いつも身体アワアワの状態でお湯でなくなって、仕方ないからケトルでお湯沸かしてるわ……」
 当然ケトルだけでは足らず、2万の鍋も引っ張り出してきて、どうにか泡を流しきったころには、すっかり身体が冷えきっているという。
 ぼくはマントルに浸したのかと思うほど熱いカツ煮をたべながら、悪魔のようにわらった。
「あんたはどうなのよ、最近」
「うーん、恋しちゃったかもしれない」
 まゆちんがうざ、みたいな顔をする。
「うざいと思ったでしょ」
「いいから聞かせろよ、ほら」

 恋しちゃったかもしれない。
 ここ数日のあいだ、ずっとそのことで悶々としている。ほんとに恋なのかどうかという判定を、こころがずっと待っている感じなのだ。
 いままで恋をしたのは、父を投影したヘテロセクシャルの男の子ばかりだった。思い返すと、あれらは恋でなく、父という神を投影した、単なる偶像崇拝であり、もっというとオタ活だったのではないかと思う。当然のように、どの恋もさんざん迷走しておわった。もう思い出したくもないって感じだ。あんな自分を見たくないし、人にも迷惑がかかる。
 愚行を重ねるうち、自分は果たしてゲイなのだろうかという問いに行き着いたのが、20代中盤だった。ほんとにどこまでも、ただ父に愛されたい、愛したいだけなんじゃないか。
 それで、思いきって父との関係を修復してみたら、すっかりこころが満たされ、父性的なものにすがりたい気持ちがなくなった。すっかりおだやかになって(それはうそかも)、女の子と付き合ったりもしてみたけれど、やっぱり自分はゲイだった。どうしようもなくゲイだった。理由も原因もない、ゲイだった。
 そっか、と思いながらも、あたらしい恋愛のかたちを、ずっと探し出せずにいた。父の呪縛から解き放たれて、自由になって、よいこと尽くめなはずが、かえってほしいものがわからなくなってしまったのだ。
 恋はもういいや、という気持ちもある。すくなくとも20代のうちは、自分を受け入れて、みんなと再会できて、家族とも関係がよくなって、はいおわり、ということでいいんじゃないか。残りの1年はおだやかに、ゆるやかに、まゆちんとあそんだり、おどったりしていたい。
 だからできれば、恋じゃなければいいなと思っている。
「ふーん。考えすぎじゃない?」

 イケアに着いたころには、すっかり満腹になっていて、うごくのもくるしかった。
 ぼくは背中のあたりにまだうじうじしたい気分を引きずりながら、カートにもたれるようにして順路を歩いた。
 イケアって、たのしいんだけど混乱する。くつろげそうでしょう。でもくつろがないでください、みたいなスペースが延々と連なっていて、うっかりソファーに腰掛けた数秒後には、あとから来た人が「わ〜」とか言いながら入ってくる。そのときのお互いの、すっかり家のなかみたいな顔。
 油断してはいけない、と気を引き締めながら、ねじっても水のでないキッチンの蛇口に触ったり、生活とはちがう汚れがうっすらと溜まっている子ども部屋を見ているうち、今度はおそろしくなってくる。友人のみちるさんが以前、上京した幼なじみとディズニーランドに行った際、「なんか虫がいなくない?」「そういえば鳥もいない!」と気がついて、集団パニックを起こしかけたと語っていたことをふと思い出す。
 そのわりにいろいろ買った。まゆちんといると、いつも余計なものまで買いすぎる。
 まゆちんは、ビンのなかにLEDつきのコードがちょろりと入っているという、なんとなく死にたくなりそうな置き物さえも、「おいおい、買っちまうよ」とカートに入れていた。「ほらー。おしゃれじゃない?」と得意気に言われても、捨てるのが大変そうだね、とでも答えるのが精一杯だった。
 しばらく行くと、広々としたフードコートが現れ、ふたりしてハッとした。この1週間、散々イケアでなにをたべるか話し合っていたのに、どうして先走って大戸屋なんてたべてしまったんだろう。
 えー、もうくえないよと言い合いながら、ちょっとメニューだけ見てみるつもりが、どんどんたべたくなってきて、「じゃあケーキだけ」と列に並んだ瞬間、理性が吹っ飛んでミートボールやらタコライスやら大量に買い込んでしまった。
「おいおい、くっちまうよ」
 そして存分にたべた。どうしてこんなにたべられるんだろうと首をかしげながら、次々にたべた。
 それからすぐに下痢が止まらなくなったけれど、悔いはなかった。ただ広さにたいしてトイレがすくないので、複雑なつくりのフロアを何度も行ったり来たりしなくてはならず、足だけはやたらとつかれた。
 たべまくり、買いまくり、歩きまくってやっと外に出ようとしたら、「あれ、傘がない」とまゆちんが言う。こないだデパートで調子に乗って買った、3000円もする傘だそうだ。
 とりあえずサービスカウンターで聞いてみたけれど、そんな3000円もするような傘は届いていないという。
 仕方がないので、またはじめからフロアを巡っていくしかなかった。ちょこちょこ点在する店員さんにたずねても、そのような傘は見ていませんと言われてしまう。
「いたっ!」
 うしろにいたまゆちんがとつぜんさけぶので、おどろいて「どうしたの?」と聞くと、乾燥で荒れまくった指が、展示されていたクッションの繊維に触れただけでひび割れを起こしたという。見せてもらったら相当ぱっくり割れていて、くじけそうになった。
 疲労でほぼ無言になりながら黙々と歩きつづけた結果、最後の最後、倉庫のゾーンに入るエスカレーターの手前で、ようやく傘を発見した。コロコロの替え芯が大量に入っているカートの縁にちょこんとかけてあったのだ。見つけたうれしさよりも徒労感が勝る。
「なんでこんなとこにあるんだろ」
 そういえばぼくがトイレへ行く前に、まゆちんに荷物を持ってもらったのだった。おそらくそのときに、ひょいとかけてしまっていたにちがいない。
「おめえのせいじゃねえかよ」
 とまゆちんがわらうので、ぼくもわらった。わらいだしたら止まらなくなり、かがんだ隙にちょっとオナラが出てしまった。
「いたっ!」
 まゆちんはエスカレーターの手すりで、またひび割れを起こしていた。

◯:◯:◯:◯

 デートした。大森の映画館で、むかしやっていたちびまる子ちゃんの映画「わたしの好きな歌」のリバイバル上映があるというのだ。
 ほんとはデートなんておっくうだった。身体もいやだといっている。
 けれど、「わたしの好きな歌」は子どものころに観て以来、ずっと好きな映画だった。まるちゃんと、絵描きを目指しているお姉さんとの出会い、そして別れを、きれいな音楽と映像をまじえながら、するすると流れるように描いていく。
 あれを大画面で観られるなんて。
 自分を奮い立たせるため、スーパーでプリキュアのおもちゃを買ってから大森へ向かい、ラフな感じでやってきました、という演出のためにうそあくびをしながら合流した。緊張のせいか、口を開いただけでオエッとなりかけて、あわてて口を閉じる。しかし彼はまったくこっちを見ておらず、広場でおこなわれていたお祭りの様子をたのしそうにながめていた。
 なんかムカムカする。
 何回目かの上映だったせいか、客席はぽつぽつと人がいる程度だった。ぼくたちはいちばんうしろの列を選んで、すっぽり座席におさまった。
 子どものときぶりに観るまるちゃんの映画は、記憶よりずっときれいですばらしかった。それが無性にうれしくて、冒頭からだらだら泣いてしまった。
 映画の終盤、お姉さんは恋人にプロポーズされ、いっしょに北海道にきてほしいと言われてしまう。
 東京で絵の仕事をしたいと夢見ていたお姉さんは、戸惑うばかりで答えをだせない。そして「ボクより自分の夢を選ぶんだね……」なんてキモいことを言われつつも(おめぇはなんなんだよと子どものころから思っていた)、最終的には結婚を選ぶ。
 そうして、まるちゃんとの別れがやってくる。けっして二度と会えないということはないんだろうけれど、でも、ほとんど永遠の別れとおなじじゃないだろうか。あるいは、永遠の別れよりもずっとむごいかもしれない。距離や、距離をこえるためのお金や、時間や、労力などのハードルをすべて越えられるような絆が、いまはひとまずあるとしても、これからどうなっていくだろう。忘れてしまうことはないにしても、時間という圧倒的な流れにのしかかられたり、縛られたりしていくうちに、だんだんと薄れていってしまうんじゃないか。見えなくなっていくんじゃないか。
 子どものころは、ただまるちゃんに感情移入していたけれど、あらためて観ると、お姉さんのことばかり考えてしまう自分がいた。
 お姉さん、まるちゃんと別れるのさみしいよね。できたらいつまでも、まるちゃんといたいよね。気ままにお絵描きしたり、うたをうたったり、水族館にいったりしていたいよね。
 でも、そうもいかないよね。
 かなしいけど自然なこと。せつないけど仕方のないこと。

◯:◯:◯:◯

 一夜明けて、すごくいいデートだった気がしてきている。ここからは箇条書きで記録していく。

・肩を貸してくれたこと
 映画の中盤で、思いきって肩に頭を乗せてみた。なんだかんだいって、そのくらいのかわいいことはしてみたかったのだ。
 しかし、どうしても自然にできず(やったことなかったんだもん)、無理にまげた首が根っこからもげそうだった。そんなことになったら大変どころじゃない。“死”だ。
 彼のほうも、「う、きた」って感じで身体をこわばらせていて、おたがい緊張を移しあっているみたいだった。ちらっと見上げてみた顔の、ドキドキした感じ。慣れてなさそうな感じ。息遣い。
 それでも、そのままでいさせてくれたということ。肩がとてもあたたかかったこと。

・「たのしいね」について
 はまじの子守唄のエピソードで、笠置シズ子の「買い物ブギー」が流れるシーンがある。子どものときもすごい笑ったけど、いま見てもおもしろくて、でも素直に笑ったらかっこわるい気がして、こらえてこらえて、我慢しきれなくなったときに、鼻から「プィ」と音がしてしまった。
 しにたかった。でも飄々としていたかったぼくは、気取った感じでふふ、と笑いなおしながら、「たのしいね」と言ってみた。
 そしたら、「うん、たのしいね」とちいさな声で返してくれた。顔を見たら、ほんとにたのしそうに笑っていた。
 そのときなにか、まっすぐなものが胸に迫ってきて、泣きそうになった。おどろいた。なんだろう、このまっすぐなもの。ぐいぐい押し入ってくるきれいなもの。
 あたたかいもの。

・アンパンマンのおもちゃのこと
 映画のあと、すぐそばにあるリサイクルショップを覗いてみたら、アンパンマンのおもちゃが大量に売られていた。いままでちゃんと見たことがなかったけど、結構凝ったつくりものが多くて、ひとつひとつ見だしたら止まらなくなってしまった。
 彼もなんとなくおもちゃが好き、というのは知っていたけど、なんとなく入ったリサイクルショップで、アンパンマンのおもちゃを延々見ていられるほど好きとは思わなかった。
 いつしか気取っていたい気持ちはふっとんで、夢中になっておもちゃを見ていた。ぼくはあれもこれも欲しくなって、決めきれずぜんぶ買うことにした。ぜんぶと言っても5個くらいだけど、なんかゴージャスな気分になる。
 こういうとき自分の顔を見ると、きまって欲深いとしかいいようのない顔をしている。なのでいったんトイレに行って、ゴブリンみたいな形相になっていないかチェックしてからまた売り場にもどった。
 彼はまるむしみたいにちいさくなって、てんどんまんのマグネットと、いないいないばあをするアンパンマンのペンダントのどちらを買うか考えていた。
 すごく真剣な顔だった。口では「金欠なんだよね〜」と言っていたけど、そうじゃなくて、たいせつにできるかどうかを、すごく真剣に考えているって感じだった。自分のためにじゃなくて、もののために。そして、このものに、いつか出会うかもしれない子どもたちのために。
 またあれが迫ってくる。まっすぐなものが迫ってくる。
 考え抜いた結果、彼はマグネットを買うことに決めていた。
「時間かかってごめんね」
「ううん、べつにいいよ」
 そう言いながら、ぼくは自分のカゴに、こっそりペンダントを混ぜておいた。あとでプレゼントしようと思ったのだ。映画のとき肩かりちゃったし、そんなに迷ったものならば、手元にあっても困らないだろう。
 でも、それってなんだろうとあとから思った。せっかくひとつに絞ったのに、納得してひとつを選んだのに、ぼくのしたことは冒涜なんじゃないか。ただまっすぐなものを、妨害したかっただけなんじゃないか。
 両手いっぱいのアンパンマングッズ。欲深いゴブリンの顔。
 自分てやだな。

・巨大なナンについて
 リサイクルショップのあとご飯をたべる場所を探していたら、商店街にあるインドカレー屋さんのドアに、クリスマスふうのデコレーションをされたナンがぶらさがっていた。巨大すぎるうえにあれこれくっつけられて、重さに耐えきれずだらんとしている。
 ふたたびかっこつけたい気分に戻っていたぼくがぐっと笑うのをこらえていたら、彼もすぐにナンに気がついて、へんなのー、と笑いだした。ぼくはいざ笑おうとしても、もう顔が笑わないように設定されているから、ふん、みたいな、つめたく漏らす感じでしか笑えなかった。
 このへんもっと臨機応変にならないとダメだと思う。

・背中のこと 
 別れ際、電車でアンパンマンのペンダントを渡したら、「ありがとう」とすごくよろこんでくれた。そしてお返しにと、こまごましたシールをくれた。キラキラに加工された猫や、貝や、ドラえもんのようでドラえもんでない、へんちくりんなキャラクターのシール。もともとぼくにくれるつもりでカバンに入っていたらしい。
「ありがとう」
 とぼくもそっけなく返す。
「アヤちゃん、今日はきてくれてほんとにありがとう。じゃあまたね」
「うん、またヒマなときにでも」
 去っていくとき、彼は一度もぼくを振り返らなかった。その背中が、そばにいたときよりもおおきく見えて、すごくきれいだった。抱きついてみたいと思った。かじったときの味まで想像してしまった。
 
 それから力が抜けてしまい、ビュービュー北風の吹くホームのベンチからしばらく動けなかった。乗るべき電車がいくつも通り過ぎていく。発車のベルがせっついてくる。
 だけど座ったままでいた。

・まっすぐなものについて
 とにかく今後、警戒しておく必要があるだろう。

(第7回につづく)

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少年アヤShonen Aya

1989年生まれ。エッセイスト。ブログ「尼のような子」が絶大な人気を得て、エッセイ集『尼のような子』(祥伝社)を刊行し話題に。著書に『少年アヤちゃん焦心日記』(河出書房新社)、『果てしのない世界め』(平凡社)、『なまものを生きる』(双葉社)。

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