双葉社web文芸マガジン[カラフル]

よい人生、ぼくをくるむ(少年アヤ)

©少年アヤ

第11回

◯:◯:◯:◯

 目が覚めると顔が笑っていた。こっちはなんかもにゃもにゃした夢のなかで、とくにたのしいこともなく過ごしていたというのに、顔はずっとここで、こんなふうに笑っていたんだろうか。ずるいぞ、顔のやつめ、顔のやつめ。
 でも気持ちわかる。
 むくりとベッドから起き上がり、窓を思い切り開けて、部屋にあたらしい風を招く。つめたくて、さわやかで、礼儀ただしい冬の風。鼻から思いきり吸い込みながら、ここにはもみくんがいる。それだけで、どんな夢よりも上等だと思う。夢のなかにもみくんがいたらべつだけど。
 ヤカンでお湯を沸かし、インスタントコーヒーを淹れ、ちょうどいい音楽がないかパソコンのなかを探していたら、どの音楽を聴いても、もみくんの姿が浮かんだ。どんな曲調でも、もみくんがかっこよく踊るのだ。長い脚でステップ踏んで。
 なんておだやかな朝だろう。
 もみくんはあのあとうちに泊まって、そのまま仕事に行った。ぼくは一緒に起きて朝ごはんをたべて、窓からもみくんを見送ってから二度寝して、ほんの1時間くらいで目を覚ました。もみくんが作った毛布のくぼみに、すっぽり収まるように寝ていると、それだけでしあわせだった。すごくしあわせだった。
 こうやって生きたいと思う。
 こうやってしにたいと思う。

「お仕事がんばってね」ともみくんに連絡してから、ゆっくりコーヒーを淹れて返事を待つ。しかしいくら待っても既読にならない。時計を見ると10時すぎで、とっくに働いている時間だった。
 お昼休憩っていつからだろう。12時からと仮定しても、まだ2時間ほどある。たいしたことない、2時間なんて、と考えようとする一方で、いや2時間って、途方もないんじゃないのと思う。
 だって、2時間まばたきをしないのはむりだし、2時間片足で立つのは無理だし、2時間待ちぼうけを食らったらしょげる。人によっては縁を切ることもあるかもしれない。あるいは、2時間あれば髪を切ることができる。映画を観ることができる。ピンク・レディーのコンサートも観れる。
 12時を過ぎてしばらくすると、ようやくもみくんから返事がきた。
「おはよう。いまからうどんくうー」
 昼休憩は1時間しかないらしい。つまりこれを逃したら、夜まで連絡が取れなくなるのだ。
 ぼくはもう、こんなに早く動くんだってくらい、ばばっと指を動かしてラインをする。しかしもみくんは相当ゆっくりうどんをたべているのか、なかなか返事をくれない。ぼくよりうどんなの、とか思ってしまう。
「節約しなきゃいけないのに、肉うどんにして、えび天もつけちゃった〜〜うま」
 それだけを言い残して、もみくんは仕事に戻ってしまった。終業まであと5時間ある。
 ひとまず落ち着こうと思って、すっかり冷めてしまったコーヒーをチンしたら、やけどして床にこぼしてしまった。マグカップがあんなにあつくなるなんて、ちょっと信用できない気持ちになる。

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 昨日の長い長いロングロング2時間の教訓を経て、今日はお昼まえに起きてみた。
 しかし「おはよう」と送ってから12時半になっても、ラインの返事がこない。もしかして仕事が大変なのかな、と思ったけれど、それから2時間経っても既読すらつかない。
 さみしいを通り越して、だんだんおそろしくなってくる。まさか、しんじゃったんじゃないの。それかどこかで倒れて、だれにも見つからないまま、痛いよう、痛いよう、って泣いてるんじゃないの。いやな想像は秒ごとになまなましくなる。え、え、こわい。どうしよう、やば、やばい。頭がぐらぐらする。

 部屋にいたら頭が爆発そうだったので、パジャマにコートをひっかけて外に出た。しかし、なにかがうしろから追い立ててくるような感覚に襲われ、えー、なになにと戸惑っているうち、気がつくとスーパーのパンコーナーに立っていた。甘いものをたべたら気持ちが落ち着くと思ったのかもしれない。
 ここのパンコーナーはどことなく陰気で、いつ来ても活気がない。ちかくにできたスーパーの、スタイリッシュなパンコーナーのほうが華やかだし、味もおいしい。値段も安い。だけど、ぼくはこっちのほうが自分に合っている気がして、常日頃から通っているのだ。
 なのに今日は、そんなパンコーナーの空気が癪にさわる。ゆっくりとパンを選んでいるおばあさんの背中に、はやくはやくとってさけびたくなる。自分が自分じゃないみたいだ。
 そのまま歩いて新宿に出てみたけれど、なにもしたいことがなかった。サンリオも本屋もビックロも見たくない。
 ひとまず喫茶店に入って、なみなみとコーヒーの入ったカップをながめながら、どうしてこんなに混乱しているんだろうと考えたけれど、よくわからなかった。ラインはやっぱり既読がつかない。
 だんだん腹が立ってくる。
 もしかして、付き合ったのがまちがってたのだろうか。ほんとはいやなのにって、身体が訴えているんだろか。
 こういうことってよくある。いやだと思っているのに、気づかないふりをしたせいで身体をこわしたり、本気でたのしんでいると思っていても、あとで身体が反応して、あ、いやだったんだな、と分かることもある。
 一度考えはじめたら、どんどんそんな気がしてきた。もみくんと自分をつなぐコードみたいなものを、いますぐに断ち切りたくて仕方がない。
 思いきってもみくんに「ごめん、やっぱり付き合うの無理かもしれない」とラインをすると、すぐにびっくり仰天した返事がきた。
「どうしたの、なにかあったの!」
 なんだよ、返事できるんじゃんと思う。
「返事くれないからしんだかと思ってた」
「机にケータイ忘れてて返事できなかったんだ、、、いまなんとなく嫌な予感がしてトイレでケータイ開いたとこ、心配させてごめん。なにがあったの」
 ぼくは一呼吸おいてから、一呼吸おいた意味なんてまるでないってくらい怒涛の打ち込みをした。
「朝から気持ちが不安定になってて、たぶん付き合うことにしたせいだと思うからいったん別れたい」
「おれのこと好きじゃなかったってこと? それなら仕方ないけど、、、」
「そうじゃなくて、恋人同士っていう関係性が重すぎるのかもしれない。とにかくいったん別れたい」
「それで元気になれるなら、それでもいいよ。くるしいのは、つらいもんね、、、」

 喫茶店を出て、なんとなく駅に向かって歩いていたら、猛烈なかなしさが襲ってきた。涙がでないかわりに、ろっ骨がシクシク痛む。自分はいったいなんだろう。
 すると突然、いずよからラインがきた。ちょうど仕事が早めに終わって、東京駅にいるらしい。
「もみくんとはいかがかしら? よかったらのろけ話でも聞かせておくれ」
 いま人に会える状態かわからなかった。けれど、会いたいという気持ちがあった。とにかくそれだけを抱えて、ぼくは東京駅に向かってみることにした。

 改札を出ると、いずよから「迷子になっているわ……」と連絡がきた。自分がどこにいるかもわからないらしい。
 ぼくはマップでだいたいの居場所を送って、じっといずよを待つことにした。そうして、しらない人たちの顔、顔、顔のあいだから、ようやくつるんとしたいずよのおでこが現れた瞬間、ぼくは子どもみたくうわーーっと声をあげて泣いてしまった。
 いずよはにこにこと手をふりながら口を動かしていて、どうやら「おめでとう〜」と言ってくれているらしかった。しかし、泣いているぼくに気がつくとみるみる驚愕の表情に変わり、「えーっ、ちょっとちょっと、どうしたの!」と言いながら駆け寄ってきてくれた。
 おどろかせて面目ない、かたじけないと思いながら、ぼくは涙が止まらなかった。口からは、「こわいよーー、こわいーー」と言葉が勝手に出てくる。何度も、何度も繰り返しながら、そうか、いま自分はこわいんだ。なにもかも、ぜんぶこわいんだと思った。すれ違う修学旅行生たちが、おびえた目でぼくを見ている。あの子たちが、二度と東京に来なくなっちゃったらどうしよう。

 いずよは特につっこんだ話をしないまま、ただぼくといてくれた。ゆっくりとムーミンショップを見たり、動物のぬいぐるみを見たり。
「まあ、素敵なハンカチね。ひとつ買おうかしら」
「うん、素敵だね(まだ泣いている)」
 そうしているうちに、さっきまで猛威をふるっていたこわい、って気持ちが、だんだんと溶けていった。仕上げにセーラームーンのコンパクトセットを買ったら、完全に平常心を取り戻すことができた。
 そういえば朝からなにもたべていなかったので、ずっと気になっていたニユートーキョーに入り、1リットルくらいあるビールをぐびぐび飲んだり、ちょっと贅沢な前菜をたのんだり、名物のカツをたべたりした。すっかり満腹になったころには、いずよに会うまでの自分が、ぜんぶ夢のなかことみたいに感じられた。
 ほんとに夢だったらいいのに、と思いながらラインを開くと、すべてが現実だった。文字として残るってなんておそろしいんだろう。
 ひとまずごめんなさいと謝り、「やっぱり別れたくありません」と伝えたうえで、「返事がこなくてこわかった」と説明した。もちろん、それだけじゃないはずだった。もみくんの存在や、関係性自体も、さっきまではすごくこわかったのだ。
 なので、「正確にはぜんぶがこわいです」と追記すると、もみくんからすぐに返事がきた。
「そうか、正直、こわいって気持ちがわからないからあれだけど、平気ならよかったよ〜」
 もみくん逃げて、と思う。こんなめちゃくちゃな扱いをされて、よかった〜なんて言ってる場合じゃないのに。
「こわいって気持ち、私もちょっとわかるかもしれないわ」
 ビールを飲み終えたいずよが、鼻をぐしゅぐしゅさせながら言った。いずよはアルコールを飲みすぎると、くしゃみが出てしまう体質なのだ。
「私なんて恋愛自体がもうこわいわ。朝目が覚めたときから、『はい、45歳・派遣のババアが起きました』って思うもの……」
 いずよの放つフレーズに圧倒されながら、たしかにそれもあるかもしれない、と思った。こんな自分が、と思っているから、もみくんと向き合うことがこわくてたまらないのだ。

 ビールを飲んで酔っ払ったせいか、ふたりしていい気分になり、そのまま意味もなく六本木へ向かってカラオケに入り、朝になるまで存分に歌った。途中、トイレついでに非常口から外の景色をながめたら、雑居ビルとビルのあいだの深い闇が目について、思わず吸い込まれそうになった。すぐそばでネオンが光りまくり、人が行き交い、なにやら怒号のようなものまで聞こえてくるのに、そこにはなにもない。
 さんざんお酒を飲んでよっぱらい、始発の時間をとうに過ぎてから会計を済ませると、料金が3万くらいした。感傷もなにも吹き飛ぶくらいびっくりして、よくわからない液体で汚れた床に尻餅をつきそうになった。
 ボロボロになってカラオケを出ると、朝日がとてもきれいだった。けれど、ふたりして慰めあうように「わあ、きれい……」とつぶやいてみても、たいして得した気持ちにはなれなかった。

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 仕事おわりのもみくんとデートした。直前までまた例のこわさと戦っていたけれど、会ったら拍子抜けするほどふつうの自分でいられた。もみくんもふつう。
 行ってみたかったご飯屋さんがいっぱいだったので、仕方なく大戸屋に入ると、隣の席が近くてソワソワした。ぼくはなんとなく小声になりながら、たべたいものが全然決まらないもみくんを存分にながめていた。
「うーん、ぜんぶたべたい」
 この人、ぜんぜんこわくないじゃんと思う。

 大戸屋を出たあと、もみくんの住む街へ向かい、アパートまで見送りながら、あらためて「昨日はごめんね」と謝った。けれど、なんかしっくりこない。自分がほんとにあんな自分だったのか、ぶつけた相手が、ほんとにこの人だったのか、どちらも定かではないような気がした。
 もみくんは、「べつにいいよ。こっちこそごめん」と、なにもわるくないのに謝ってきた。「なんで謝るの、もみくんはわるくないんだから、謝らないで、怒ってよ」と言うと、また「うーん、べつに怒ってないしなあ」とか言う。
 しばらく無言になる。
「またああいうふうになっちゃったらごめん」
「えー、あの人またくるの。やだなあ」
 もみくんのなかでも、昨日のぼくは別人ということになっているらしかった。
「あの人がなんと言おうと、ぼくはもみくんが好きだよ」
「ふーうん」
 照れ隠しか、もみくんは身体をぐにゃりと横にまげて、鼻の下をぽりぽりと掻いた。こんな夜道では受け止めきれないほどかわいい。
 そのあとだれもいない歩道橋で手をつなぎ、ドキドキしながら歩いたあと、くだりの階段を降りるまえにそっとほどいた。つないだとき以上に、ほどくときのほうがおたがいの合意をよりつよく感じられて、こういうことなんだ、とちいさく思った。
 街は息がつまる。それは大戸屋でも、だれもいない歩道橋でも変わらない。

 自分の部屋に帰って、シャワーを浴びてから、洗いたてのパジャマに着替えて横になった。そして、今日撮ったもみくんの写真を見返しながら、たぶん、またあの人来るだろうな、と思った。ひとりになったとたん、またちょっとこわさが迫ってきている。部屋のすみから、本棚の隙間から、じわじわと水が染み込むみたいに、ぼくに入り込もうとしてくる。
 このこわさはいったいなんだろう。
 そんなことを考えていたら、友人のぱんちゃんがラインをくれた。
「かれぴできて調子はどう?」
 ぼくはとっさに、「なにもかもこわくてド鬱になってる」と送ってしまった。
 ぱんちゃんはゲラゲラ笑いながら、「おちついて、おじさん」とぼくを去なしたあとで、「でも当たり前だよね。泳ぎ方しらないのに海に放り込まれてるみたいな状態なんだもん」と言ってくれた。
 すこーんと胸に入ってくる。たしかにそうかもしれない。もみくんは海だ。でっかいおおきいかわいい海。
 そのなかで、ぼくは勝手にぶくぶく溺れているのだ。ただでさえ苦しいのに、自信のなさや、はじめて体験することへのおそれが、あがけばあがくほど荒波になって襲ってくる。きちんと想像してみたら、こわい。あまりにもこわい。はじめてあの人に同情したくなってきた。
「ぱんちゃん、ぼくのせいでもみくんが壊れちゃったらどうしよう」
「あはは、そう簡単には壊れない壊れない」
「ほんと?」
「あんたと付き合う男でしょ。もみとかいう男、相当頑丈じゃない。というより鈍感かも」
 たしかにそうかも、と思えてくる。
 それからすっかりのんきな気分になり、こつこつ撮りためてきたもみくんの写真を選り抜きで10枚ほど送ったら、ぱんちゃんは微妙な間を置いて返事をくれた。
「なんも興味わかねー」

 部屋の電気を消して、もみくんのことをうつらうつらと考えながら、ぼくは改めてあの人のことを思った。いまも心の片隅で、こわいこわいと震えている気持ちの塊。
 きみに、なにかしがみつくものをあげたい。ぼくがそれになりたい。

 それからぐっすりねむった。

(第12回につづく)

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少年アヤShonen Aya

1989年生まれ。エッセイスト。ブログ「尼のような子」が絶大な人気を得て、エッセイ集『尼のような子』(祥伝社)を刊行し話題に。著書に『少年アヤちゃん焦心日記』(河出書房新社)、『果てしのない世界め』(平凡社)、『なまものを生きる』(双葉社)。

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