双葉社web文芸マガジン[カラフル]

週末、死にたくなるあなたへ。(蝶々)

アルフォンス・ミュシャ 1897

第8回

 こんにちは!
 寒さの中にも、ふと風に春のかおりや予感も感じられる季節になりましたね。
 この世界や人の気持ちはいつもザワザワ忙しかったりするけれど、自然と季節は、それでも淡々といつもめぐっているんだなぁ………と当たり前のことを年々感じます。

 さて、前回の続き!
 もしかしたら、多くの人の“生きづらさ”に関わっているかもしれない、<母との過去や関係>について。
 ダイレクト・メールでもつながっている会員制クラブの皆さまや、友人・知人を通して、今回はよりいっそうの多くの反響をいただいています。
「読んでいて、まさに私のこと。初めてわかってもらえた………と号泣でした」「ああ、自分の生きづらさの源泉も、これだった! とようやく気づき、愕然がくぜんとしました」「そういう人、本当に多いのですね。こんなにずっと許せずこだわり続けているのは自分だけかと思ってた………」などなど。そのほとんどは、10代20代の学生さんたちから、ではなくて。30代~50代の、すでに主婦だったり自立されて働いている立派な大人の女性たちから。

 そんな風に、すっかり忘れていたつもりでも、カラダの芯に近い場所にザックリ刻まれているような嫌な記憶や古傷が、あるきっかけでよみがえり、うずきや痛みとともに、押し込めていた感情がふたたびあふれだす…………というご経験は、誰にでもあると思う。
 私も、親や育った環境に対しては、ぼんやりとした、でもたくさんの季節や時間の記憶と、感謝しかないけれど。15のころから、激しく変態野郎やストーカーに苦しめらる人生だったので、そういうフラッシュバックのような経験にも、覚えならたくさんある。
 大きくなってからのショックでも脱するのにはかなり時間を要したので、小さくてやわらかな存在のころに受けた虐待やひどいトラウマが、現実的に脳や体に刻まれてしまう感覚、というのも察せられるんです。
 私の場合は、10代20代はずっと(たぶん作家デビューして、書くこと、表に出すことで、救われた)本当に本1冊かけるくらい、様々な変態事件や警察沙汰が冗談のようにいろいろあったのですが……一番怖かったのは、23、4のころ、見知らぬ男の誘いを断ったら首に手をかけられ殺されそうになったこと。圧迫で口内から血が出てたくらいなので、ホントにあの世数秒前で。
 それらの記憶はひょんなきっかけで何度もフラッシュバックし、(ていうか、なんで私だけ?)と、人知れず私も苦しんでいた時期が長かった。
 でも、最も驚いたのは、エネルギーを調整する治療家の方に体を見てもらうと、<首に恐怖が残っている、事故か何かありましたか?>と2回も当てられたこと。
 怒り再燃、恐怖、悲しみ、恨めしい気持ち。何か私が呼んでいるんだろうな、と、20代前半はどんどん地味に目立たないようにし、自分のオーラを消し去ろうと頑張っていた時期もある。
 ――とはいえ、それがどんなにつらい出来事でも、人間、時を経るとともに、幸せで安心な時間や今の連続のほうがそれらを凌駕りようがし、少しずつ少しずつ忘れられてゆく。。。はずなのに。

 母親や肉親とのこじれや問題が厄介やつかいなのは、それがしづらいことにある。
 まず、心身とも柔らかで親を頼るしかない時代に受けた虐待やトラウマは、やっぱり残りやすいだろうな………と察するにあまりあること。
 さらに、どれだけ場所を移したり距離をとったりしても、たとえ絶縁したとしても、血のつながりや、自分が人として育ってきた環境の記憶までナシにしてしまうことは、おそらく永遠にできない。
 特に、同性である母のDNAや精神やこまごまとした何か(例えば、体質やアレルギー症だったり、肌質やツメの形が似ている、というようなことでも)は、良くも悪くも、自分の中にも見受けられたり、年を重ねるほど、母の血や影響を感じる機会は、誰にでもあるでしょう?
 私も、母とは容姿も性格も趣味嗜好しこうもまったく似ていないな~………と思っていたのに、35を過ぎたころから、「雰囲気が似てきた、声なんてそっくり!」などと、親戚や実家のご近所さんなどに時々言われる。…………声ときたか。それはどうしようもない。DNAって怖いな~と脱力のような、半分笑えるような気持ちで聞いている。


理不尽な毒母を娘のあなたが「立てて」どうする!?

 ほんで、母との折り合いを、どうするか。
 今回、私の元に届いたご感想の中には、「お母さん、どうしてあなたは、私に求めてばかりで、一番大事な愛を与えてくれなかったんですか?」と、もはや老齢の母に問いかけたい………という、母への気持ちを切々と訴えてくださるメールもあって。
 前回も書いたけれど………私としては、私あたりで練習したり調整するのはもちろん構わないのですが、ぜひ、機を見て(本当はそんなソンタクもせず唐突とうとつにでも)当のお母さんに語りかけてみてほしいんです。
 <今さら、それをしてどうなるの?>と、忙しく小器用こぎようになってる現代人はすぐに結果や効率を求めるけれど、この場合、結果が大事なのではなくて。
 勇気をふるい起こして、母に対して本当にイヤだったこと、私はずっと傷ついているんだよ、というあなた側の本音と真実を、<実際に、言葉や形にして投げかけてみた>という行動そのものが、大事なんだと思うんですよ。
 母子関係における本当の自立と、生きる姿勢の立て直し。小さくても、とても大きなはじめの一歩。
 だって、真にぶつかってきていないから、反抗もケンカも気のすむほどにはしきれていないわけでしょう(親に強い圧をかけられてきた方は、通常、子供たちの多くが長い時間を経てやっていくプロセスを、やらせきってもらっていない感じがする)。
 なのに、「だって、うちの相手(母)にはその器量もつもりも愛情もないんですから」と、最初からどこか逃げ腰。
 理不尽だったりモンスター風だったお母さんのほうを、子のあなたのほうがおもんばかって、立てて、遠慮し続けている感じ。これ、驚くほど、<子供時代に母に傷つけられた>という人たちに共通している態度なんです。
 理解できないわけではないんだけれど、私はずっと「熊とかマフィア相手とかじゃないんだよ!?」と歯がゆい気持ちを消せないでいた。
 そこの<けじめ儀式>を回避し続けて、どれだけ代替療法や周辺のいやしや人生の積み上げをしていても…………それでは傷はえないし、ゆがんでいくのではないか、とどうしても気がかりなので。

 イメージとしては、こんな感じ。
 あなたの心臓には、母による、母だから刺せる場所に、思いきりぶっといトゲが刺さったまま。だけどあなたは、<もういいの、だいぶ筋肉もそれをカバーするようにつけてきたし、疲れた時にうずくだけだし、刺した本人も、場所なんかも忘れちゃってると思うから……>と、非常にナンセンスな理論構築で自分を納得させつつ、相手をかばい続けている。
 お母さんだもんね、わかるけれど。でも、いい悪いじゃなくて。あなたの元気が回復したり人生が確立されてきたら、まず、それをとろうとしないと。
 刺した本人に、抜いてあやまってもらわない? それが無理でも、自分か専門家にしっかり見つけてもらって、ぐいっと抜いてしまうのが、絶対早いよ。
 そのほうが、嘘みたいに楽になったりねじれやゆがみがとれて、あなたの源泉から、生きる力がバーッとき出しはじめると思う。そして、自然矯正きようせいや自然治癒ちゆが始まる。自浄作用が本当に働きだしたら、あなたが持つ本来の生き抜く力も出やすくなるから、本当にそれってなんだっけ? くらいに越えていくことができるはずだよ! ―――そう、思ってしまうのです。
 本当に、母に傷つけられた思いを抱え続け、こじらせている人は、すぐに<もういいんです><つまりは、こういうことだったんです>と言われる。優しいのかもしれない。
 だけど、自分でも意識していなさそうな本心は、ちっともよくないし気もすんでいないから、ずっと抱えてしまっているのにね。いろんな母や親御さんからのトラウマの話をうかがってきて、傷の深さや大きさは、されたことがひどい、ひどくないには、意外と比例していないと思うんです。
 では、何に比例しているか? と聞かれたら、<個体差によるけれど、どれくらい、初期設定の段階で自尊心を折られてしまっているか。回復が追いついていないか。どれくらい長い時間、くさいものにふたをするように、本心を押し込めてきたか>に比例している、と私は感じているんです。
 傷つけられてきたあなたが黙って飲み込んできたり、よそで散らしてきたことで、とりあえず親子関係や日常や心に表面上波風は立てずにすんだとしても………いつのまにか、常に、人生の本丸と向かい合わない態度、みたいなものができてしまう。どんなことに対しても、自分が傷つかない程度の、それ風の代替でなんとかしよう、というパターンが身につきやすい。それは、生きるためのすべのようでいて、逆にはめ殺し的に、スッキリしない生き方のシステムをつくってしまう。そのように私には見えるんです。
 傷ついてる私に何を言うの! とむかつくかもしれないけれど。そこでは傷ついていないからこそ冷静に見えることもたぶんあって。私には、ずっとそう思えるんです。


 母子問題の難しさはそこにあるというか。
 子供は誰しも、ふるさとである母親が大好き。でも、その存在に、幼くまだ小さかった子供のころから、かまされたりどこかを折られてしまっていると、大人になっても当たり前のイエスノーが言えない関係や思考パターンをひきずりがち。
 もちろん、今更面倒! だったり、やりづらいのもわかるんです。だけどもう、あなたは十分に力を持っているオトナだから……何もわかりやすくケンカ腰で話をもっていかなくとも、いくらでも直接母にぶつけてみる方法はあると思うんですよ。
 母に対する積年の忸怩じくじたる思いのある方。お母さんがご存命であるのなら、そろそろ、<時空を超えた直接の対話>、ちょっと考えてみてはいかがでしょう? もちろんそのタイミングは人それぞれ、あなた主導のペースとやり方で。


切っても切れない母子関係だからこそ、やり直せること。

 私の長年の友人で、毒母(金持ちで強欲、気に入らないと娘たちでさえ裁判に訴えるような!)に苦しまされ続けた女性は、10年くらいお母様と絶縁されていたという。びた一文いちもん、お金も指図もサポートも受けたくなくて。彼女は天使のように繊細せんさいすぎる感性を持っていたし、小さなころから強欲な母にあまりに上から叩かれ押し付けられ続けていて、しばらくはとても<対等には戦うどころか、話すこともできなかった>と。
 でも、社会や家庭生活で、ご自身も“自分なりの、母と違う、これが美しいと感じる生き方”を通しつつ人間力をつけられてから、その後、お母さまとまた関わるようになり、「最後のほうは、“この鬼子母神きしぼじんがー!”とか好き放題こっちも怒鳴ってたわ。あれが、あの人の業と罪の全部を表している言葉で、あの強気と罵詈雑言ばりぞうごんしかない母が、みるみる青ざめて震えてた。ホントすっきりした!」と言ってましたよ。
 最期は介護もされて看取みとられたそうです。お母様が亡くなられた後は、「わるいけど、ものが落ちたってこのことか、とわかった。いなくなって、本当に肩と人生が軽いのよね!」と何度も言われるのです。それは心底嬉しそうに(笑)。現場を本当に戦い抜いてきた人は、お優しいみなさんのように、ちっともいい話にまとめやしない。
 でも、彼女が母のことを語るとき、決して陰口かげぐちとか恨み言のような重さや含み感は一切なく、「あー、事実は、単に、そうなんだろうね☆。ほんとサッパリした笑顔! おつかれさま」と聞いてるこちらも爽快感さえある感じ。
 お母様のほうも晩年は、<お前は、お金も財産もサポートもいらないって、ほんとまぬけなくせに強情な娘だった。呆れた>と言っていたそうなのですが、それは、<あんたはそういうやり方を通したのね、それはそれでわかったわ>という風に、彼女には感じられたのだそうです。ああ、お母様との長い長い物語を、紆余曲折うよきよくせつや大けがもありつつも、彼女はちゃんとやりきったのだな~と私も嬉しかったんです。
 母子関係の重いところは、どうしても切りきれないところ。
 でも、だからこそ、長い目で見たら、何度でもやり直したり胸を借りたり、ぶつかりあえる余地と優しさがあるとも言えますよね?

女が弱ければ、子がゆがむ

 また、逆に母親の立場から………「読んでてショック! 私も子供の脳を傷つけてる! でもそれも仕方なかったって説もわかる。だって、私も旦那も親にそうされてきた。少しずつは減らしてるし、リカバリーしてくしかない!」という幼子のママからのメールもいただいた。
「………リカバリーしてくださいな、ファイト!」心の中での私のお返事は一行。
 ただ、自分が母になってしまったせいで、そう単純にも割り切れなくなってきたのも本音。
 だって、現場の母たちを見ていると、誰しも<わかっちゃいるけど>大変そうだから。

 日々の家事に、子供の面倒、旦那のお世話に親戚やご近所づきあい、最近の多くの母たちは、そこに<働かなくっちゃ!>と仕事も入ってくる人が多い。会員制クラブや身の回りでも、幼子を抱えて、フル勤務を続けている人もたくさんいらっしゃる。朝5時に起きて、朝食から夕食の準備までして、子供たちを学校に送りだし、自分も出勤するのだ………とか、「盆暮れになると、夫の実家にも出入りしたりやりとりしなくてはいけなくて、本当に憂鬱ゆううつ!」という母さんたちの話など、本当に現場の母たちの生の声! をよく聞くようになり、私も(世の奥さんたちは、なんて複雑なタスクを常に抱えているのだ……)とおののいている。

 そして、世間の常識と逆行しているようで毎度申し訳ないんだけれど………育児現場に出るようになって私がしみじみ感じているのは、旦那さんとの“力関係”のバランスが悪いおうちほど、そのしわ寄せは、子供にいってしまっている、という現実。あちこちで多々感じる。
 “力関係”、というのは、経済的・精神的に、<ご夫婦が対等ではなく、男性が強すぎるご家庭>のこと。これって、子供にとって、じつはかなり不幸な環境なのではないか?
 おそらく、体裁ていさいを重んじる世界や古き良き地方あたりでは、素敵で立派な「良家」のはずなのに、そういううちの子に限って、小さなころからイライラしすぎていたり、イジワルだったり、キー! といつも癇癪かんしやくを起こしていたり………ともかく天真爛漫てんしんらんまんさがない。
 つまり、子供の自然を生きられていないように見受けられる。
 子の物理的な状態としても、最近多いアトピー体質だったり、虫歯や骨折をしていたり、実害をこうむっているケースが非常に多い気がする。
 なんでだろう? とずっと考えていたんだけど、私としては、<ああ、母親のストレスと余裕のなさが影響しているんだろうな>という結論で。
 そのストレスとは、旦那様にやしなってもらったり助けてもらったりしているはずなのに、なぜだろう、私は支配され、まるで飼われているようだ………自由がない、という、人間としての当たり前の本能や内心からの気づき。
 この矛盾と葛藤かつとうの中で、歴史的に女たちは苦しんだり、心や力を押し殺したり、閉じ込めたり閉じ込めさせられたりしてきたんだよね。真に気づいてしまったら、昔の古き良き男の沽券こけんや、家庭や、彼女たちが世間並みで安泰あんたいだと思っている人生がぐらついてしまうから。

 でも、子供って、常に両親、特に母の感情を、痛いほどキャッチして影響を受けている。
 母の自己犠牲的かつ演歌的な我慢で、どれだけの子供の心が、じつは心が複雑骨折したり、生きづらく、人生や自分の幸せをまっすぐに肯定しづらい脳になってきたか、本当に考え物だよ……と私はずっと危機感を覚えてる(なぜなら、現代の母たちもその現実には、あまりにも目をそむけていたり洗脳されているのでは? と感じるので)。
 と、これ以上回りくどいことを言わず、ハッキリと言わせてもらうなら、<女が弱ければ、子がゆがむ>、私はこう断言したい。
 だって、母に傷つけられた、と私に訴えてくるあまたの方々の家庭環境のお話だったり、世の虐待ニュースを見たって、一目瞭然いちもくりようぜんなんだもん。
 お金を稼いでても稼いでいなくても、旦那がいてもいなくても、本質的には、それはどっちでもいいと思うんです。母たちは、母になった以上は、心強くなってほしい。
 夫とかしゆうとめとか世間とかにいちいち押しつぶされたり病んでないで、世界で一番大事で可愛い子供の心身を守れるくらいは、お母さん、強くなろうよ。女の子たちも、ずっと傷つけられた女の子のままでいないで、自らの代でその連鎖れんさを断ち切っていくためにも、まず自分の母子関係から、最後は自分でけじめはつけよう。

 ずっと考え抜いてきて、私からの提案はそれかな。
 そうこうしている間にも、今も連日、虐待のニュースは繰り返されている。「助けて」って泣き叫びたくても、誰に伝えたらいいかわからなくて絶望している小さな女の子たちがいる。
 世界の空気や社会のルールはみんなでつくってきているものなので………私たち一人ひとりにも、たぶん責任があると思う。あなたも、ひとりの誰かの娘として、社会人として、現在の妻や母として、どうかみんなで、少しずつ勇気をもって、まず自分の心の底からこの問題を見つめなおし、本気で昇華し乗り越えていきませんか?
 あなただからできることがたくさんある。女は死んでちゃいけないんです。死にたくなってる場合じゃ、本当にないのです。
(第9回へつづく)

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蝶々Chocho

作家・エッセイスト。コピーライター兼銀座ホステス時代に綴っていたブログが人気を呼び、2002年『銀座小悪魔日記』(宙出版)でデビュー。『小悪魔な女になる方法』(大和出版)がベストセラーとなり、幅広い世代の女性から絶大な支持を得る。単なるモテ指南とは一線を画した、真に幸福で自由な人生を送るためのテクニックを、聖俗両面から愛をもって発信中。著書多数。
公式ブログ;chochoママしぼり
http://blog.goo.ne.jp/chochochan
会員サイト;chocho女神クラブ
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