双葉社web文芸マガジン[カラフル]

週末、死にたくなるあなたへ。(蝶々)

アルフォンス・ミュシャ 1897

第7回

 こんにちは! 厳寒の中にも、春のきざしや香りがふと感じられるような2月ですね。
 お元気ですか?
 さて。
 以前も言ったように、私は、気がつけばもう10年以上、同じ時代を生きる、ともかくいろんな立場の女性たちの生身の姿や、生の声、深い声に触れさせてもらう活動をしてきた。
 そして、いつのまにか、これまで出してきた書籍だったりイベントだったりファンクラブを通してつながった読者の方々と、なぜだか、いつも一緒に生きている感覚がある(その人たちが私のことなどすっかり忘れていたとしても)。
 この不思議な共生感覚(?)のおかげで自分自身も、自分のつとめを頑張る気になったり心強くいられる、という良さもあるけれど。みんなが不安だったり落ち込むと、基本能天気な私にも、時に、どーんとふさぎ込むような気持ちがなだれこんでくる。病気や失恋、もめごとなど、その人にとってつらいご報告をいただいたり、大地震などがあった時には、「ちょっと、大丈夫なわけ? それで?」といてもたってもいられない気分になる。
 でも、そのへんの振れ幅を含めて、私はそれを受け入れており、むしろ気に入っている。
 というか、本音を言えばすでに好きも嫌いもなく、(不思議だけど、ただそうなんだよね。うんうん)というザックリとしたまとめになっており、自分の人生や生活とその共存感覚をスッパリ切り離そうとか、どうこうしようと思ったことはない。

 私のラスボスは、母でした。

 そんな私にも、ずっと気になっていたけれど、なかなか真っ向から手がつけられない(深掘りして書くことをためらう)問題があった。
 それは、誰しものふるさと<お母さん>(もしくはご両親)との関係や、その人が経てきた子供時代がもたらす、根深い影響と負荷について。
 近年流行はやっていた言葉でいえば、<毒母>、<毒親>ということになるのかな。確かに、公私、いろんな女性を見てきて、幼少期や子供時代に、母や父や育成環境により、強いショックや心や体の傷を受けてしまったり、大人になってもこじれていたりわだかまったままの人は、どうしても生きづらくなりやすい。人として、一人の女性として、自分らしく生きるのに、抱えている荷物が一つ多いのかもしれないな………と痛感させられ続けてきた。
 そして彼女たちに、私は何度も驚かされてきた。
「え。あなたは、そんなにも素敵で魅力ある女性なのに、なぜそんなに自信がないの?」
「なぜ、そんな風に人や物事について、いじけたりねじって受け止めるの?」
「ね、落ち着いてみよう。なんでそんなに、みずから生きづらいように仕向けるの?」
 少なくとも私にはそう見えてしまう、向き合っていると、なんだかしっくり落ち着かないというか、<もったいないのでは?>と納得のいかない女性たち。
 特に、生みの親であり同性である母に苦しめられてしまった彼女たちには、共通項がある。いくつであっても、結婚していても子供がいても、たとえ世間的にはどんなに立派な学歴や職歴を持っていたとしても、「私は、これでいいんですか?」という根底からの自信のなさ。もしくは、逆に常に虚勢を張ったりよろいをつけているような、無理な明るさやがんばり感。
 そして、ひどい人は、常に、まるで何かに追い立てられているかのような不安感にさいなまれていたり、躁鬱そううつを繰り返すなどの激しい感情の起伏がある。かと思えば、やたらと周りや人の顔色を見て、先んじて過剰なまでの気遣いやサービスをしてしまう。
(それも個性だ、誰でも育成家庭の影響は受けている、という聞こえの良い一般論は今は置いとかせてね)
 何より、彼女たちは、十分に大人の年齢になっていたり自身が母親になっていたとしても、いつも絶対的な母性や温かさに飢えている。どう表現したらいいのか難しいのだけど、その人の魂の根本に近いところが満たされないまま、一生懸命、その周りを<大人らしく、社会人らしく、人に迷惑をかけないように>調ととのえている感じ………本能的にこれを私は一番よく感じるし、なぜかすぐわかる。そして公私・男女問わず、そういう方々によく出会う。

 当の彼女たち。自分自身が抱えるその生きづらさ、自分でもわけがわからないほどの“生きづらさ”と、それを生む“自己肯定感の低さ”の元を、真剣に、そして勇気を出してたどっていくと、<結局は、それは実の母との関係にあった><育った環境にあった>という声が、あまりにも多い。本当に多いんです。<私の中のラスボスは、じつは母でした!>というまったく同じセリフさえ、年齢も職業も立場も様々に異なる女性たちから、何度聞いたことか。

 親の虐待は子供の心も脳も傷つけるという事実

「本当に不器用な子だね、不細工だし」。「太ってて色黒でみっともない」。「お尻が大きくて恥ずかしい子ね!」。母親によるそのような呪いの言葉に、40代や50代になり、立派に職や家庭を持った今もなお、苦しめられ続けている女性たちもいる。
 しっかり者で常に身ぎれいにしている母に、「バカな子だ、とろい」と宿題でつまずくたびに叩かれ続けて、しまいには、夜ご飯も抜きで、できるまでずっと一人部屋に閉じ込められていた女性。かと思えば、「勉強をしなければ不幸になる、最下層の人間になる」と脅され続けて、必死の勉強を続け、東大や名門大学に入ったはいいけれど、対世間に対する<私は勝ってきた!>というプライドはあっても、肝心の自己肯定感はなぜか低いまま。そして、そのアンバランスさを抱えたまま、社会生活や恋愛、人間関係に取り組むため、ずっと何かどこかしっくりこず(そりゃそうだ………)、もがき続ける女性たちもいる。
 もっと書くのもはばかられるような、人格否定のような暴言に、あざや傷が残るほどの体罰にネグレクト(育児放棄)。実の親による(教師や塾の先生もある!)、おぞましすぎる性的虐待。自宅での浮気のたびに、娘の身動きがとれないように柱に縛っていたお母さんの話まで。。
 聞けば聞くほど、知れば知るほど、<世界が親しかない小さな子供に、それをどうしろっていうのよ!!>と私も頭をかきむしって絶叫したくなるようなつらい話も、本当に多い。
 断っておくけれど、そこからサバイブし、今を生きている彼女たちが、皆壊れていたり可哀そうな女性というわけではなく………。むしろ社会的にはきちんと生き、けなげに日々と人生をつむごうとしており、見た目も美しく、何の問題もないような女性たちがほとんどだ。
 でも、そんな今を普通に生きているかのように見える女の人たちの口から、お手紙から、メールから、私は山ほど<その>苦しみやつらさ、そして、自分の中でどう受け止め昇華させていったらいいのかわからない、という訴えを聞いてきている、ということ。

 それなのに、私が<母問題>についてしっかりと書くのをためらっていたのは、まず第一に、一緒になって、今さらそこを掘ってってどうする? 過去を変えることはできないのに。余計傷を新たにませ、痛がらせてしまうのでは?という思いがあったこと。
 次に、自分自身が、母や父や育成環境による、不可抗力の嫌な思い出、深く傷つけられたような記憶があまりにもないこと。これはイタイ。そもそもわかったようなことを言う資格がない気がしていた。もちろん、怒られたことが一切ない、というわけじゃないと思うのだけど、もしかしたら、レジリエンス(流行りの教育&学術用語で、不都合や思い通りにいかない負荷を、跳ね返したりかてにする力)が生まれつき強かったのかもしれないし、むしろ(この子煩悩こぼんのうの人たち、自由奔放な私がそばにいたらなんか悪い。ともかく早く家を出よう!)と中学2年生のころから一人心を決めていた、自立心旺盛すぎる女子だったのもあるかもしれない。
 でも、実際に、親による負の深い影響を受けてきた女性たちの多くの話や、私なりに専門書や体験記などを読みあさり学べば学ぶほど、親や育成環境による精神や成長の発達や脳や思考システムへの影響が、科学的・現実的にも多大なことを知った。
 (『子どもの脳を傷つける親たち』という2児の母でもある女性小児精神科医の書籍が、多くのデータと現場体験に裏打ちされており、また、肝心の脳の傷を回復させていくご提案もあり秀逸だと思うので、もしもご興味ある人は読んでくださいませ)
 やわらかで何もかもを甘んじて受けるよりすべを持たない子供時代の出来事だからこそ、一番無条件に愛してくれ、自分を全肯定してくれる存在であるはずの親からの心無い仕打ちだからこそ、人によっては、気の持ちようや切り替えだけでは、いやしきれない何かがあることも知った。
 私もしだいに、<それでも、親もまた、そうせざるを得なかった犠牲者であった。あなたは、あなたの人生を前を向いて歩こう>という前向きなだけの励ましではなく…………それに明解な答えなどないのだとしても、もっと共に、親身に考えなくてはいけないのだ、と意識するようになった。だって、母とのつらい思い出や呪縛じゆばくを抱えて、今を生きづらいと感じているあなたとも、私はやっぱり共鳴しつながりつつ、共に生きているのだから。

 同時に、私も親になり、他の多くの母たちと同じように、昨今連日のように報道される親たちによる虐待や女性や子供を傷つける事件の多さに、毎日正気を失いそうに怒り、胸を痛め続けている。TVニュースなどとても直視できない。でもPCを立ち上げれば、トップニュースはそんな話ばかり。
 私たち女性は、この社会システムや変なやからに、ていよく搾取さくしゆされたり女性性をゆがめられたりしいたげられるだけではなく、今や、小さなころから、一番のシェルターでふるさとであるはずの親により、殺されたり傷つけられることが珍しい事件ではなくなってしまっている。大げさですか? 大げさじゃないんだよ。今も毎日、それは起き続けている。

 <おねがいだからゆるしてください>だなんて、5歳で義父に反省文まで書かされていた、目黒の結愛ゆあちゃんの事件。暴力父とその悪魔に支配されていた母により殺されてしまった千葉の心愛みあちゃんの事件。
 殺されてニュースになれば、世間はみな怒り悲しんでくれる。「鬼畜きちくだ、モンスターだ」「なぜ救えなかったのか」「学校は何してた、児相じそうは何してた」責任者探しにやっきになる。私もあなたも、誰もこのような実の親により命奪われるまで傷つけられる子供、というやりきれなさには耐えられない。だけど、幼児虐待は、年々うなぎ上りに増えているのが現実だ。
 そして、たとえ命は残されていても、一応、食べ物や着るもの、お勉強の環境などは与えられてきたとしても………本当は誰より自分を全肯定して、愛し、抱きしめて、優しい言葉や愛をかけ続けなければいけなかった親によって、一番大事な心を踏みにじられたり満たされることなく、大人になっても自己肯定をしきれないでいる、大きな結愛ちゃんや心愛ちゃんたちは、今もいっぱいいるんだよね。
 そんな大人の女性たちの声までをすくいとる余裕は、今の社会や大人にはない。自分から声をあげたり、セラピーや療養りようようを受けようとしないなら、それは、なかったことにさえされる。(当の親からでさえ)。そして、大きくなったたくさんの結愛ちゃんや心愛ちゃんは、今も一応社会人しながらも、未消化でやりきれない思いだったり、どこかない不安な気持ちを、自分自身では整理整頓せいとんしたり決別しきることができないまま、もがき、さまよっている。

 大人になって出会った良き人からの評価こそ“本当のあなた”

 そんな、今でも母や親による負の呪縛やトラウマに苦しむ女性に、私が、まずハッキリと伝えたいこと。「それは、まったくあなたのせいで起きたことではない!」。
 母たちに、「あなたがバカだから、悪いから、ダメだから、ブスだから」「あなたが生きやすいようにそうしているのよ!」と再三言われていたとしても………それは、そもそも親が100%間違っていたの。あなたはバカでもダメでもブスでもない。何度でも言うけれど、そういう女はいないし、そう言われて育ってきた、という女性で、私は本当にそうである女性を見たことがない。
 正直言って、今、幼児の育児をしていても、そういう<自分の子にダメ出しし続ける>お母さんって実際いる(これって、もしや日本ならではの業病ごうびようなのかしら? と考え込んでしまうほどに)。
 そんなことないよね、何言ってるの? と私は異議をいちいち申し立てずにいられない。そしてその子に、超可愛い! こういうところが素敵だよ! と思う存分言いまくる。
 客観的に見ても、その母親自身が、何らかのコンプレックスにさいなまれ続けているか“世間体の奴隷”なだけで………その幼女自身は、ブスでもバカでもみにくくもない。ピカピカに可愛いのです。おまえが一番、その輝きを絶賛しまくって育てろ、奪うな! と本当に公園でも習い事でもキレたくなるよ。
 あなたも、もしも子供時代に、お母さんから否定されるような言葉をかけ続けられていたとしたら………本当に、それは当時のお母さんのほうが、どうかしていたか、気の毒に、病んでいたのです。ただそれだけ。
 だけど、あなたはもう大人です。もう、それを律儀りちぎに受け入れ続けたりひけめにとらえ続けることはないんです。だって事実じゃないんだもん。はた迷惑なのろいの言葉なんだから。
 傷つくのは当たり前で仕方ないけれど、それに押しつぶされっぱなしでは、いかん。
 オトナとして、どうか冷静になってくださいな。子供時代と、今の自分を、なんとか切り分けて考えていこう。そして、大人になってから出会った良き人々の、あなたに対するめ言葉や素敵な評価のほうを、遠慮なく受け止めて、どんどん、新たに自己認識や自己評価を書き換えていってほしい。それが真実のあなたなんだから。相手はあなたを愛し大切に思う人であれば、友人でも夫でも仕事相手でもセラピストでもいい。そこに自分自身が納得し、たどり着けるまで、どん欲に求めていってほしい。あなたがちゃんと生きるために必要なこと。恥ずかしくなんかない。

 そして、わかりやすい暴言・暴力・ネグレクトのようないわゆる<虐待>でなくとも、あなた自身が、親との関係によって、今も生きるのにつらさや不具合を覚えるような傷を抱えているのなら、それも完全に親の落ち度です(たとえば、夫婦喧嘩げんかを目の前で聞かされ続けただけでも、子供の脳は傷つくそう)。前述の『子どもの脳を傷つける親たち』が提唱しているのですが、子供を傷つけたり自己肯定感を損なわせる育児行為は、すべて<マルトリートメント>(悪いケア)。
 子供というものは、誰しも本当は親が大好きなので、無意識に親をかばおうとして、<自分が悪かったんだ、自分のせいかもしれない>と考えがちだという。そして、親によるあまりにもひどい体験をすると、受け止めきれなかったり、また自分を可哀そうな子にしたくなくて、記憶を書き換えたりもするそう。自己防衛本能ですね。小さな頃は仕方ないかも。
 でも、その書き換えは、やがて、精神のねじれや複雑骨折、ひいては<なぜかわからないけれど、人と違って自分は何もかもスムーズにいかない>という生きづらさにつながりがちのように思う。
 私は、親を無理にかばう必要はないと思うし、もしもあなたが、すでに現実的に親による影響下にいないのならば(物理的に自立ができているのなら)、過去のひどい体験はひどい体験として、そのまま受け止める勇気を持つべきだと思う。可哀そうな女、になるためじゃない。むしろ、あなたが本当のあなたとして、それをも乗り越え、誇りと自尊心をもって生きるために。
 その過程で、親とぶつかったり、恨んだり憎しむ時期があってもいいと思うんです。親はどれだけ年老いていても、甘んじてそれを受け入れたらいい。たとえそれが生涯続いたとしても。だって親なのだから。
 でも、毒親ほど、自分がしたことからごまかし逃げがちだ、とも聞く。そこでひるんだりあきらめてはいけない。「なぜそうしたの。私はそれでどれだけ傷ついたか」を泣いて訴えるような機会を一度は持つといい(私の聞いてきたケースでは、その過程を経た人ほど、自分の中で折り合いをつけられるのが早い)。
 そのことによって、一時的に余計ひどい気持ちになったとしても、わだかまりや思いのたけを、できるだけ当の親本人に伝えることそのものが、子供時代のやり直し、人間関係に対する学び、傷を本当に超えていくときの一つの大事なプロセスのように思う。

 第一、あなたはすでに大人であり、ここまで立派に生き抜いてきた一人の力ある女性なのだ。もう、<ママやパパのいい子>である必要は、とっくにない。つらかった子供時代を振り返ることは、古傷に再び塩を塗るような痛みを伴う行為かもしれない。でも、自分の中に深い傷を生んだ出来事の深さや形を、大人になっているからこそ、ありのまま見つめ、昇華し、乗り越えていく力も必ずある。<私はもう、傷つけられていた小さな子供ではない、もう完全にそうではない>そう自分の中できっぱり線をひいてください。その過程で、フラッシュ・バックしてくる何かがあったとしても、そのたびに、丁寧に自分の中でそれをより分け、分別し、根気よく、外にゴミ出ししてってください。迷ってしまったり怖くなったりして、誰かの手伝いが必要ならば、ちゃんと助けを求めてください。
 そして、少しずつ、あなた本来の力と輝きを取り戻していくことが大事。いくつからでも遅すぎることはない。どんな世の中であっても、過去がどうであっても、今がどういう状況であっても、誰にひけめを持ったりさまたげられることなく、その人生を力強く生きていきましょう。私もそうするけん!
 で。母と子の話は、驚くほど多くの女性が抱えている生きづらさの大きな一因でもあり、じつは社会全体が抱えているとても根深いテーマだと思うので………次回にまた続かせてくださいな。
 少しでも、少しずつでも、昨日より明日は確実に。あなたやすべての女性たちが、生きやすくなっていけますように!
(第8回へつづく)

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蝶々Chocho

作家・エッセイスト。コピーライター兼銀座ホステス時代に綴っていたブログが人気を呼び、2002年『銀座小悪魔日記』(宙出版)でデビュー。『小悪魔な女になる方法』(大和出版)がベストセラーとなり、幅広い世代の女性から絶大な支持を得る。単なるモテ指南とは一線を画した、真に幸福で自由な人生を送るためのテクニックを、聖俗両面から愛をもって発信中。著書多数。
公式ブログ;chochoママしぼり
http://blog.goo.ne.jp/chochochan
会員サイト;chocho女神クラブ
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