双葉社web文芸マガジン[カラフル]

FP(ファイナンシャル・プランナー)住職の丸もうけ人生相談(高橋 泰源)

第6回

 こんにちは。好きな高僧は覚鑁上人かくばんしようにん、FP住職の泰源と申します。

 ではさっそく、今回も衆生の皆さまからいただいたご相談にお答えしていきます。

16.「坊主丸もうけ」って言いますし、そもそも、その辺の坊さんを信用する気になれないのですが、お墓のこととかで相談をしたいので、信頼できるよい住職と、お布施ふせ戒名かいみよう料をふっかけてきそうなボッタクリ住職を見分けるチェックポイントを教えていただけますか。(40代・男性)

「炎上上等」みたいな聞き方ですね。なるほど。そうですか。坊さんである私に「信頼できる坊さんの見分け方を教えて」と聞いてくる。禅問答みたいですね。私が信用されているのか、されていないのか、わからなくなってきました。
 気を取り直して、本題です。「よい住職の見分け方」。結構頻繁ひんぱんに聞かれるので鉄板のお答えをご用意してあります。よい住職とそうでもない住職を見分けるポイントは、簡単です。お寺を訪ねたときに「さしすせそ」を思い出してください。

「さ」・・・作務衣むえ)
 僧侶が掃除や労働をする際に着用する仕事着です。仕事着ですので、綺麗な作務衣を着ている僧侶は仕事をしていない可能性が大です。ブランド物の作務衣など論外。もちろん、あまりに汚い作務衣を着用しているのは別の意味で問題ですが。

「し」・・・車庫ゃこ)
 墓参者用の駐車場でなく、住職の駐車スペースに、ベンツやBMWなどの高級車が鎮座していれば、それだけの実入りがあるということですから、永代使用料、葬儀代、戒名料等で結構な金額を要求される可能性も。あくまで可能性ですが。

「す」・・・寿司桶しおけ)
 庫裏くり寺族じぞくの居住スペース)の玄関によく寿司桶が置いてある寺は、自分たちの食費を経費で落とす習慣がついている可能性あり。寿司屋さんは必ず領収書を置いていってくれますから。もちろん多くの住職は、自分や家族で食した場合はその領収書を破り捨てて自腹で払っていますよ。

「せ」・・・接客っきゃく)
 自分の寺の宗派を聞かれて答えられない僧侶はいませんが、「その宗派の教義は?」と問うたときに、わかりやすく簡潔に答えられるかどうか。真言宗なら「即身成仏」とか、浄土真宗なら「他力本願」とか、そういうやつ。もちろんクイズ番組ではないので、単語で答えるだけでなく、その意味するところを正確にわかりやすく答えてくれるかどうか。言葉に詰まる住職や副住職、意外に多いです。試しにご近所のお寺で聞いてみてください。

「そ」・・・剃りこみりこみ)
 若いころやんちゃをした寺の跡取りは結構多いです。そういう連中が20代30代になり、副住職として住職を補佐する役割につき頭を丸めると、前頭部の左端と右端、つまり、若いころに剃りこみを入れるために毛を抜いていた部分があからさまに露出されるのです(そこだけ毛が抜けている)。そういう坊さんは御拝察の通り、血の気が多い傾向にあるので、気を付けた方が無難です。もっとも相談者さんのご子息もそっち系であれば案外気が合うかもしれませんが。

 もう一つ、

「そ」・・・卒塔婆とば)

 宗派にもよりますが、墓所の墓石のうしろに長い木の板が差し込まれているのをご存知でしょう。卒塔婆、お塔婆という、ご先祖様供養のお札です。通常、表に故人のお戒名、裏にその卒塔婆をささげる方の名前を書きます。もちろん筆で書くのですが、中にはマジックで書く猛者、いや猛住職が居ます。さらに、専用プリンターで印刷する住職も。ちなみに標準機種で80万円ほどするらしいです。
「マジックやプリンター出力などもってのほか、けしからん」と上から言うつもりはさらさらありませんが、いやしくもお塔婆代をいただいている以上、静かな気持ちで墨をすり、心を落ち着けて筆を持ち、故人やご遺族のことを思いながら丁寧に書くべきであろうと、私は思います。実際に墓所を歩いてみれば、マジック書きやプリンター出力の塔婆はすぐわかりますので、それをご覧になったうえでご自身でご判断ください。ただし、「施餓鬼せがき」と呼ばれる夏の先祖慰霊集団法要のときは数百本単位でご注文をいただきますので、定型の梵字の部分は塔婆屋さんに頼んで、印刷したものを購入し、使用しています(亡き父の筆跡を塔婆屋さんが持っているので、父の筆跡の梵字が印刷されてきます)。ちなみに私は細筆はそこそこですが、太筆はなかなかに厳しいです。

 ということで、多少くだけた物言いもしましたが、要するに坊さんのパーソナリティを見極めることが大事です。さまざまな宗派の僧侶たちと交流してきた経験から申しますと、以下のことは間違いなく言えます。

皆、頭頂部、前頭部以外にもどこかに光る部分を持っている

・僧衣の着こなしがやたらと上手い
・本堂に響き渡るハイトーンボイス
木魚やはちなど打楽器のリズム打ちが正確
・法話の説得力が半端ない
・穏やかで包み込むような人柄
・職務に対してストイック
・お布施の目安として提示する価格設定が良心的
・悩み相談の守備範囲が広い
・奥さんが愛想よい
・卒塔婆の字がきれい
・戒名のつけ方が上手

 など、直接的・間接的に檀信徒さんの心の安寧に寄与しそうな評価ポイントの2つや3つ、多くの住職はクリアしています。ただ一言二言話しただけではそれらをなかなか見つけ出すことはできないですね。一番いいのは、そこでお墓参りをしている檀家さんに、
「ここのご住職はどんな方ですか?」
 と聞いてみること、ですかね。

 あとは、「そ」でも触れましたが、先が見えている住職より、長い付き合いになる次期住職(多くの場合住職の息子)のキャラに注目したいところです。相談者さんの息子さん娘さんとの相性もある程度脳内でシミュレーションして、慎重に選択をしたいものです。

つぶやき住職

 また、その寺院のWebサイトも確認して、沿革や住職のプロフィール、ブログでの情報発信の頻度や内容もチェックしておきましょう。きわめてレアな事例ではありますが、先日SNS上で、ある寺院の住職が実名アカウントで問題発言をし瞬く間に炎上、当該宗派のトップが謝罪する事態を招いたことがありました。仏教のさとりを開いた(ことになっている)身とはいえ、過激な思想を持っている人間がいないとは限りません。もちろん思想、言論の自由はありますが、非日常の典型というべき仏教寺院の中にあってはしっかり心を落ち着け、丁寧にご先祖供養を行いたいものです。それにふさわしい住職のいる寺を探す手間は惜しまぬよう。

*輪廻とはなにかと問われた住職は衣の袖からスマホを出せり

 以上、信頼できるお墓選び、お坊さん選びの参考になれば幸いです。ならないか。

17.妻子持ちですが、単身赴任の最中に赴任地の部下の男性を愛してしまいました。もはや彼への愛を抑えることは難しく、この先どうやって生きていけばいいのか悩んでいます。(40代・男性)

 そろそろ来るかと思っていましたが、来ましたね。同性愛を含むLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の方の社会的地位の問題に関しては近年頻繁に話題になっていますね。
 私の友人の僧侶で「身体は男性・心は女性」という状態に悩み続け、性別適合手術を受けて身も心も女性になった方がおられます。彼女はもともと寺の生まれではなかったので「僧侶にはなれても寺の住職にはなれず」という状態が続いたのですが、このほど異なる宗派の寺院から住職として迎えられることになりました。
 元男性の尼僧ということで檀信徒さんの違和感も小さくなかったことと思いますし、住職になるハードルは高かったのですが、ご本人の不断の努力、メディアを通じての情報発信が実を結び、めでたくご縁ができました。喜ばしい限りです。ご本人は通常の檀家さん対応に加えて、LGBTの方の悩み相談、駆け込み寺的な場所として寺を盛り上げたいとの意向を持っております。

基本ノープロブレム

 さて、仏教的には同性愛に関する禁忌はまったくありません。各宗の開祖、先人たちも何も触れてはおりません。「そもそも愛とはなにか」というテーマにまで遡及そきゆうして考えるのは別の機会に譲るとして、異性を愛するがごとく同性を愛する、このこと自体は決して非難されるべき行為ではありません。

#花枝自短長(普灯録ふとうろく

 かし、おのずからたんちょう。同じ樹についていても、花の枝には短いものも長いものもあるが、それぞれの枝に違いがあるからこそ、全体の姿は美しい。性的な指向もこれと同じように、人それぞれの個性と考えましょう。

 むしろ問題は、あなたが妻帯者であるという点です。何度も申し上げておりますが、仏教には不邪淫ふじやいん(よこしまな性的関係を持つべからず)という戒律があります。
 同性と関係を持つことでなく、配偶者以外の方と関係を持つことは、この戒律を破ることにも通じる可能性がある、と言えると思います。今回のご相談者さんは「目覚めた」と言っているだけで「一線を越えた」とは言っておられませんのでどこまで行っちゃったかはわかりませんが、奥様、お子様の気持ちを考えて、今一度自らを省みてください。

 さて、ちょっと話が大きくなってしまいますが、今後、ジェンダーフリー、性別をことさらに意識させることのない社会構造への変革、はますます進んでいくことと思います。お戒名の命名、墓所の継承問題等、仏教界も知らず知らずのうちに性別を意識した仕組みを構築していた部分もあり、それらは今後社会の変容に応じてアジャストしていかねばならないと考えます。

貞操の危機

 ちなみに、僧侶の資格を取る要件として、ほとんどの宗派で、数週間から数年間、泊まり込みの集団生活を送り勉強や修行を行うことが義務付けられています。その集団の男女比は圧倒的に男子が多く、泊まり込んでいるうちにそれぞれの性的志向が明らかになってきたりします。私も30年ほど前にそのような生活を送りました。僧衣の下には白衣、その下には襦袢を着るのですが、その襦袢にフリルがついていた同僚がおりました。これ以上は書けませんが、なかなか得難い、スリリングな体験をしました。

 同性婚やそれに伴う年金、相続の問題については、FP的見地から以前にも少し解説しましたが、また別の機会に詳しく。

*お相手が男性であれ女性であれキズナアイであれあなたはあなた

18.独身で彼女もおらず、正月だからといってめでたいことは何もないのに、帰省先の実家で兄弟の子供たちにお年玉を毎年あげるのがだんだん馬鹿らしくなってきました。帰省自体も憂鬱になりつつあります。何か対策はありますでしょうか。(30代・男性)

 はい、もういくつ寝るとお正月。自分の身に変化がないままの帰省ともなると、「何がめでたいのか、なんで帰らないかんのか」と思いたくもなりますよね。
 この相談者さんのお悩みは、キャッシュフロー(お金の出入り)がそのまま、個人の幸福度に比例していると思っているが故に発生している気がします。
 親戚:自分の子供がお年玉をもらえる→キャッシュフロー黒字→幸せ
 相談者:よその子供にお年玉をあげる→キャッシュフロー赤字→不幸せ→許せん!

「そうだよ、それの何が悪い」
 はい、では、仮にあなたに奥さん、お子さんが居たとして、今のあなたの生活に比べて余計に発生する費用(コスト)を列挙してみてください。
・家族全員が住める家の購入費・維持費
・家族全員の移動の際の交通費
・家族全員の服飾費
・家族全員の食費
・家族全員の交際費
・子供の教育費、ゲーム費
 まだまだありそうですが、とりあえずこのへんでいいでしょう。 
 では次に、今のあなたの生活に必要で、家族がいた場合に必要でなくなる費用(コスト)を考えてみてください。なにかありますでしょうか。

 そうですよね、独身の一人暮らしは相対的にコストがかからないことがおわかりいただけましたでしょうか。
 一般的な会社では「家族手当」と称して、家族の人数に応じて給与が上乗せされますが、さきほど洗い出したコストをカバーできるレベルでは到底ありません。

 はい、ここまで、「家族は多ければ多いほど、お金は出ていくんだよ」という、言ってみれば自明のことを説明させていただきました。ですから、経済的ゆとり=幸福度だという前提に立ったなら「家族持ちは(お年玉もらえて)得だよねえ」というのは違う、と思ってください。

サンタクロースを嫌いな人がいない理由

「それはわかったが、単純に『あげるばかりの人』と『もらうばかりの人』があるのはやっぱり不公平やん」

 突然関西人を装う意味がわかりませんが、確かにお年玉だけに限定すれば、二者間でのお金の流れは一方向に偏っていますね。そこまで言う方には以下のエピソードを送ります。ここまではFPモード、ここからは仏教モード。

#無功徳むくどく

 りよう武帝ぶてい「私はこれまでに多くの仏塔を建立こんりゆうし、経文きようもんを写し、多くの人を僧侶にしてきた。ほかにもたくさんのことをした。これらの行いをしてきたことに対し、どのような功徳があるだろうか?」
 達磨だるま「何の功徳もない」
 武帝「では功徳とはなにか」
 達磨「大空のようにからりとしていて、迷いもなければ悟りもない」(景徳伝燈録けいとくでんとうろく

 6世紀頃の中国の歴史的なエピソードが、11世紀の書物にまとめられたものですが、この書物はそもそも、禅宗のさまざまな僧侶の伝記の寄せ集めです。なので、武帝さんをいましめた達磨大師だいしのカッコよさを伝えたかったもので、史実としての信憑性に関しては必ずしも……という部分もありますが、禅宗の基本思想を最もシンプルかつ適切に体現した、私も大好きなやりとりです。ちなみにこの達磨大師、インドから海路で中国に入り、禅を伝えた高僧です。

 まあ、言わんとすることはわかると思いますが、一応説明します。
 禅宗では「座禅を通して〇〇しよう」「〇〇の境地に到達したい」のような目的を掲げません。また、「結果として〇〇がもたらされた」という即物的なメリット、ベネフィットを追求することもしません(精神の集中とか安寧とかの結果を得てそれをSNSでつぶやく人はやばいほど多いですが)。
 禅宗ではそれらはすべて「執着」ととらえます。そういった「強い願望」とか「見返り」とかを取り払い、ひたすら座禅その他の修行をするところに禅の本質があります。

 お年玉に戻りますが、相談者さんが「毎年あげるばっかりだ……」とブツブツ言っている時点で「見返りを期待してしまっている」わけです。
 人は、ほかの動物とかAIとかと異なり、悲しいかな、見返りを求めてしまう生き物です。
「挨拶をしたら挨拶を返してほしい」
「仕事を仕上げた報告を上司にしたら『お疲れ様』の一言くらいほしい」
「電車で座席を譲ったらせめて『ありがとう』の一言が欲しいな」
「最近の若者は食事をおごられても『ごちそうさま』も言えないのか」
「結婚や出産のお祝いを送ったら半返しが当然だろうが」
「誕生日にプレゼントあげたからこっちの誕生日にも何かもらえるかな」
「二次会の司会やってあげたんだから当然新婚旅行で土産買ってくるよな」
 我々の日常はこんな風に「見返り期待」にあふれていますよね。もちろん、相手側がお礼の気持ちをもって施しをしてくるなら、それはありがたく受けましょう。しかしながら、期待した返礼がなされなかったといって、恨んだりキレたり、はすべきではありません。

 思い出してみてください。我々は小学生のころ、隣に座っている同級生が消しゴムを忘れたら、ためらわずに自分の消しゴムを使わせてあげましたよね。教科書を忘れた子には、ためらわず見せてあげましたよね。レンタル料一回7円だよとか、50円払ってくれれば一日借り放題だよとか、言いませんでしたよね。見返りを求めない利他的行為、あれこそが「施し」であり、仏道の、そして禅の本質です。子供に出来て大人に出来ないはずはありません。

 ということで、相談者さんもあくまで自然に、親戚のお子さんたちにお年玉を上げながら、「俺、また一歩、仏に近づいたぜ、イエイ」と内心ほくそ笑んで、お正月をやり過ごしていただければと思います。もちろん、ご両親やお子さんのいない親戚にもできるだけの心遣いを。同様に、広範な人付き合いの場においても、その「善人キャラ」を貫いていただければ、この先きっと、世間からの評価とか、金銭的なベネフィットとか、なにがしかのかたちで、たぶん、いいことがありますよ。将来結婚される際の披露宴でのご友人のスピーチとか、楽しみじゃないですか。いひひ。あ、それを期待、想定するのではなく、あくまで結果として、そんなことになるかもね、なったらラッキーだよね、という意味です。

*見返りがないとあなたが怒るのはあなたがそれを望んでたから

 では、皆様また来年。よいお年を。
(第7回へつづく)

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高橋 泰源Taigen Takahashi

密教系寺院の住職、1級ファイナンシャル・プランニング技能士、CFP ®認定者。大学在学中に僧侶資格を取得。専門分野は宗教法人の税務・資産運用。宗教法人経営者としては「寺院の真摯な運営」、宗教者としては「人々の心身の安寧」を志向し、埋葬と瞑想と妄想の日々を送っている。

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