双葉社web文芸マガジン[カラフル]

FP(ファイナンシャル・プランナー)住職の丸もうけ人生相談(高橋 泰源)

第14回

 こんにちは。好きな『さくら』はケツメイシ、FP住職の泰源です。
 では、例によって、ご相談をお聞きしましょう。

41.お葬式の時につける戒名かいみようって、どんな意味があるのでしょうか。すべての人を救うのが宗教のはずなのに、名前をつけないと成仏できない、っておかしくないですか? あと、戒名料の相場っていくらくらいなのでしょうか。(60代・男性)

 こちら、みなさんからわりとよく頂くご質問ですね。なるべくわかりやすくお答えいたしましょう。
 戒名、宗派によっては法名ほうみようとも言いますが、仏門に入った者に対して師僧(その人の師匠となる僧侶)から与えられる名前です。

 戒名は没後につけられる名前と思っておられる方も多いかもしれませんが、本来は、仏門に入った人がその時点で授かる名前です。仏門に入ることを得度とくどといいますが、僧侶はみな得度した時点で僧名を授かり、それがそのまま戒名となります。
 現代においては、一般の方は仏門に入らずに社会生活を営みますので、亡くなった時点で仏門に入り、お葬儀をつかさどる僧侶から戒名を授けられて荼毘だびに付され、極楽浄土への階段を登る、という流れになっています。

段階

 お戒名には段階がある。あまりいい言い方ではありませんが、一般的には社会や寺院への貢献こうけん度、仏教への帰依度きえどなどにより、院号と呼ばれる三文字が頭についたり、位号と呼ばれる最後の二文字が違ってきたりします。
 拙寺の宗派・真言宗の場合ですと、

 男性:
 〇〇院□□△△居士
 □□△△居士
 □□△△信士

 女性:
 〇〇院□□△△大姉
 □□△△大姉
 □□△△信女

 上の△△の部分が「狭義きようぎの『戒名』」で、ここに俗名ぞくみよう(生前のお名前)から一文字をいただくことが多いです。ちなみに□□の部分は道号どうごうと呼び、故人の性格や業績を示す文字が通常入ります。

 一般的には「居士こじ大姉だいし」は「信士しんじ信女しんによ」よりも上位で、院号がつくと階級がさらに高くなります。ただしお戒名料は通常単独でいただくものではなく、通夜・葬儀・告別式、式中繰り上げ初七日の読経料どきようりようまで込みでお布施として頂戴しますので、お戒名料の相場というものは基本的にありません。

「じゃあ、院号をつけるとお布施は高くなるのか」
 その傾向は確かにあります。しかしながら、「高額のお布施を包まないと院号はもらえないのか」というと、そうとは言い切れません。例えば毎朝境内けいだい清掃をボランティアでしていただいた方などは、ご遺族のご希望にもよりますが、そのご貢献を考慮することもあります。また、見ず知らずの方がお寺にやってきて札束をどーんと積んで「院号つけて葬式やってくれやゴルア」と凄まれても、「はいはいオッケー」などと院号をおつけして、ご葬儀を引き受けるものではありません。あくまでご本人のご功績や寺、住職との関係性の中で考えさせていただいてます。

つけかた

 我々は通常、喪主様から一報を受け、希望の日程を出します。それをもとに喪主様が葬儀社と相談してお通夜、告別式の日程を決めます。その連絡を受けましたら、喪主様と直接お会いして、生前の故人のご様子を詳しく伺います。出身地、お仕事、趣味、性格等々。
 その中からお戒名に使えそうな文字や熟語を考え、仏教語辞典や漢和辞典等も参考にしておつけします。その際に、男性であれば院号居士、居士、信士、女性であれば院号大姉、大姉、信女の段階のご希望をお聞きして、おおよその目安となるお布施を提示します。決して定価ではありません。それぞれのご家庭のご事情は当然考慮します。

生前戒名

 子に負担をかけたくない、という理由で、生前にご自身のお戒名をご希望される方が増えてきました。亡くなってからお戒名をつけると、ご葬儀等のお布施の一環として喪主さんが寺院等に払うことになりますので、喪主さんの支払いを少しでも下げようという思いから出ています。もちろん、お子さんのいない方で生前戒名を希望されることも多いです。
 生前戒名の特徴は、なんといっても「(ある程度)自分で選べる」ということです。私の場合ですが、複数のお戒名を提示して、ご本人に選んでもらうこともあります。また一案だけ提示する場合も、どうしてもお気に召さない文字が入っていた場合等は、言っていただければ作り直すこともあります。
 生前戒名の場合は「お戒名料」として金額を申し受けますが、これは正直、地域差も宗派による差もあります。ここで私が「〇○○円!」と申し上げてその金額が独り歩きするのは困りますので、金額を明言することはできないのです。
 ただ、念のために申し上げますと、一部で伝えられる「通夜・葬儀の読経料を含まない純粋なお戒名料として一文字10万円、したがって院号をつけない普通のお戒名でも60万円」という相場は正直高い印象を受け、都市伝説のたぐいではないかと思わなくもないです。
 ここは「案ずるよりなんとか」で、菩提寺に直接お問い合わせいただくのが一番よろしいかと思います。

戒名をつけなくてもいい?

 仏式、つまり仏教のやり方でご葬儀をしたいということでしたら、我々僧侶側としては、「できるだけお戒名をいただいてください」という言い方になります。拙寺の場合、檀家さんは、私を通して(わが宗派・真言宗の開祖である)弘法大師こうぼうだいしのお弟子となり、研鑽けんさんに励んで徳を積むことを求められますので、お戒名をつけさせていただくのが決まりになっています。おそらくどの寺でもそういった規則になっていると思いますが、気になる方は一度菩提寺のご住職に聞いてみてください。
「拙寺のお檀家さんである」あるいは「お檀家さんになっていただく」という方でなければ、俗名でのご葬儀もお受けしております。永代供養墓に入られる方も「拙寺の檀信徒さん」という位置づけではありませんので、俗名でのご葬儀、ご納骨を希望されましたら当然お受けします。
 ですから、「お戒名をつけないと成仏しませんよ」などとは申しません。ただ、前回ご説明した「直葬(宗教者を介在させない葬儀)」ほどではないにせよ、「俗名でのご葬儀」について違和感を持つ方(特に高齢の方など)はおられるかもしれませんので、俗名でのご葬儀を検討される際は、親戚筋等への事前の根回しをお忘れなく。

位牌いはい卒塔婆そとば

 お仏壇に置く黒色のお位牌、永代供養墓の墓所に立てかける卒塔婆(お塔婆とうば)も、若干レアではありますが俗名でお作り、お書きすることはあります。

俗名では成仏できないのか

 仏縁を結ばなければ仏様にはなれません。つまり成仏できません。しかしながら、そもそも仏教徒でなければ成仏する必要はありませんし、「死んだらなにもかも終わり、来世などない」という信念をお持ちであれば、仏道に帰依する必要もありません。

 ということで、まとめます。来世で仏になってほしければ、お戒名をつけてください。こだわらなければ俗名でのご葬儀を。ただし菩提寺がある方は、ご住職と話し合ってください。

#上求菩提下化衆生 (摩訶止観まかしかん

 上求菩提じようぐぼだいは、仏の境地に近づくために自己の人間性を向上させること。
 下化衆生げけしゆじようは、少しでも人のために尽くし、教えるべきことは教えること。

 あわてて仏門に入らなくても、生前戒名をいただかなくても、日常生活の中で自己研鑽と他者への奉仕を積み重ねていけば、人間性は磨かれ、周囲からもリスペクトされる人になっていくと思います。
 何かと気ぜわしく、心配事の絶えない現代社会ではあろうかと思いますが、ぜひ気に留めておいていただければと思います。
 ちなみに私の宗派では「即身成仏」といって、徳を積むことによって現世でも成仏できる、という教えを説いております。

*本当に大切なのは名前より気前です人に絶えずほどこしを


42.夫に先立たれて2年前から独り暮らしです。食べていくだけの貯金と年金収入はあるので、なにかとお金がかかって大変そうな40代の息子夫婦に贈与したいと思っているのですが、贈与したとたんに子の態度が冷たくなることがある、と聞きます。今のところ息子夫婦は月に一度、車で1時間かけて様子を見に来てくれています。ほかに娘もいますが、こちらは独身です。息子たちに贈与してもよいものでしょうか。(70代・女性)

 来ましたねとうとう。これも結構よくある話ですね。税金も絡んでくるので、まず前提を整理しましょうか。

なぜ親から子へ贈与するのか

・子のほうが資金需要が旺盛である

 これはどういうことかというと、「70代よりも、30~40代のほうが、お金が必要だ」という意味です。具体的には子供の教育費や住宅ローン、お父さんの小遣い、お母さんのランチ代や洋服代、等々。
「収入がない高齢者のほうが大変じゃないのか?」
 20年先はともかく、現時点のこの国の多くの高齢者の方々は、そこそこの暮らしをしていけるたくわえを持ち、それなりの年金を国からもらって暮らしています。それでも「何歳まで生きるかわからない」という将来への不安があるので、ため込んだお金をあまり使わず、結果として1300兆円とも言われる個人資産が株式投資に回って企業を応援し経済を刺激することなく、普通預金や定期預金やタンス預金で眠っているのです。
 まあ、稼いだお金をどう使おうと個々人の自由ですので他者がとやかく言う性質のものではありませんが、経済が好況で企業活動も活発であるほうが我々の社会生活の利便性は向上するでしょう。結果的にお子さん世代が有意義にお金を使い、お孫さんたちの「やりたいこと」への後方支援にも役立つようなら、贈与することは基本的によろしいのではと思います。

・税金対策になる

 何度か申し上げていますが、ある程度お金を持った方が亡くなると、その方の配偶者やお子さんたちが、そのお金を譲り受ける(相続)際に税金が発生することになります。

 相続税の基礎控除(相続税が課税されない財産の範囲)は、

3000万円+法定相続人の数×600万円

 で、この財産には現金、預貯金に加えて土地や家屋などの不動産も含まれます。相続税を払いたくて仕方ない人はそうそういないと思うので、生前にお子さんお孫さんにお金を贈与して資産を減らすことを目論もくろむわけです。
(国もちゃんと考えてますので、一定の金額以上の贈与には贈与税という税金がかかります。ですから贈与するにも、やり方を工夫しないといけません。これはまた改めてご説明します)

 さて、贈与したら子の態度が冷たくなる、という話を聞く。なんとも寂しいかぎりですが、最近多いですね。血のつながった親子といえども、「金の切れ目が縁の切れ目」ということなのですかね。

 ただ、親の立場で、
「子供が冷たくなったなあ」
 と思うということは、裏を返せば、
「贈与してあげたんだから、老後の面倒をてくれるよな」
 という期待があったと言えなくもないですよね。これも以前の繰り返しになりますが、仏教的には、

#求報施ぐほうせ(見返りを期待してする布施)

 にあたります。
 つまり、「施しにならない施し」なのです。ですから、見返りは期待しない、何かしてもらったらラッキー、くらいの心持ちでおられることをお勧めします。

「そんな達観したことを言われても、あたしがひとりで歩けなくなったらどうすんだよ、だれが面倒看てくれるんだよ」

 ごもっともです。その場合には「負担付贈与」という手があります。
 読んで字のごとく、「○○を贈与するから△△してね」という契約を結んで、贈与する相手に介護を義務付けてしまうことです。親子なのに契約を結ぶなんて杓子定規しやくしじようぎな、という気もしますが、明文化することでかえってスッキリするという話もありますし、ほかのお子さんに対してもその契約内容を開示しておくことで、不公平感を払拭ふつしよくできるメリットもあります。
 詳細は行政書士さんなどの専門家にお尋ねください。

*今日からは親と子と同時に甲と乙互いに遅滞なく義務を果たそう

43.イケメンで要領もよく、同期で一番早く主任になった同僚から披露宴の招待状が来ました。それだけならまだいいのですが、相手が同じ部署の2年後輩で、自分の元カノなのです。一時は結婚を真剣に考えたことがあるほどの関係でしたが、結局ふられました。今でも彼女への思いは残っていますし、彼氏のほうが調子のよさだけで上から高評価を得ているのもわかっているので、とてもじゃないですが心穏やかに披露宴に行けそうにありません。なんだか男のほうからあてつけで呼ばれているような気もしますし、適当な理由をつけて断ってもいいでしょうか。それとも、せっかくの祝いの席ですし、本心を隠して笑顔で出席するべきなのでしょうか?(30代・男性)

 ほう。なんかドラマみたいでわくわくしますね。いや、わくわくしてる場合じゃないですね。いろいろと複雑なんで、ほどいていきましょう。

 まず、同僚の男性への気持ち。純粋な感想というより、かなりやっかみが混じっているように思えます。私も会社勤めが長かったので、一般企業において、「愚直に仕事に取り組む人」より「要領よく人を使う人」が上からの評価がめでたく、早めに出世する傾向にある、という事例はさんざん見ています。
 ただ、「要領よく人を使う能力」は、言い方を変えれば「効率的に業務を推進する能力」と言えなくもないですし、全否定されるものでもないという気がします。もちろん、相談者さんの個人的な感情は、それはそれとして尊重しますが、「仕事の仕方が好きじゃないから披露宴に出ない」のはさすがに社会人として大人げないと思いますし、一日だけのことですから出るところは出て、がーっと食べて、さっさと帰ってくればよいのではないでしょうか。
 今後、彼との仕事の中で「うまいこと使われてるなあ」と思ったら、それはその都度適当に流すなり受けなかったりすればいい話ですし、自分の経験で申せば、調子がいいだけの人間は、長い目で見れば結局淘汰されていきます。

 あと、彼があてつけに相談者さんを招待したのか、という危惧について。
 当然ですが、披露宴は招待する人数に比例して費用が上昇します。彼もあてつけるために相談者さんを呼ぶほど暇人ひまじんでもないでしょう。まして上昇志向の強い彼なら、そんな変な動機で同僚を呼ぶより、将来のことを考えて、将来が有望な先輩に声をかけるはずです。

 次に、本丸。元カノへの思いを、どう整理すればいいのか。まず、ふたりの僧侶が出てくるちょっとした話を聞いてください。

#明治時代の禅僧、原坦山はらたんざんがまだ雲水うんすいの頃、もうひとりの仲間と農村を歩いていました。小川に橋があったようですが、流れてしまって渡れない。若い娘がひとり、困ってたたずんでいました。そこへ原坦山と、もうひとりの若い坊さんが出くわしました。原坦山は自然に「お嬢さん、渡してあげましょう」と言って、彼女を両手に抱え、川を渡って向こう岸に運び、「どうぞ」と下ろしました。娘はお礼を言って、立ち去りました。原坦山ともうひとりの坊さんはまた道を歩き出しますが、しばらくしてからもうひとりの坊さんが、「お前は戒律かいりつを破った。坊さんのくせにけしからん」と言いました。「どうして?」と尋ねると、若い坊さんは「お前は女性を抱いた。女性に手を触れた」。原坦山はそこで「なんだお前、まだあの女性を抱いていたのか。私はあの女性を抱いて向こう岸に着いて、どうぞ、と言った時に、もう離しちゃったよ」と言ったとのことです。

 19世紀の話なので昔話というわけではないのですが、「執着しゆうちやく」という概念を考える時になかなかの示唆しさに富む逸話いつわですね。
 私なりの解釈をすると、僧侶仲間のほうは「女性を抱いてはならぬ」ということに執着しすぎて、人助けという基本理念を忘れてしまっていた、ということになります。原坦山さんのほうは「女性を抱くことに執着しなかったがゆえに自然に抱け、結果的に人助けができた」というところでしょうか。

 話を戻します。相談者さんは、「同僚のお相手が元カノであることに執着しすぎているのでは」と思うのです。元カノ、すなわち、今はなんでもない友人。もしくは友人ですらない異性。何を意識することがありましょう。まして、同僚の奥さんになる女性(生涯ずっと同僚の奥さんのままでいるかどうかはまた別の問題ですが、話がややこしくなるので今回はそこは掘らないでおきます)。

 はい、もうおわかりですよね。元カノへの思いなど、いらぬ執着です。彼女の心の中に「なにがしかのあなたへの好意的な思い」が残っているなら、わざわざ披露宴に呼ぶようなことはしません。
 未練など断ち切って、次なる出会いを求めるほうがはるかにコストパフォーマンスもよく、効率的ではないでしょうか。

#他事莫知 (禅語)

 たじ しるなかれ。
 ねたみ、そねみ、うらやみなどの感情は持っていても無益。人のことは気にするな。知ろうとするな。

 考えてもみてください。今までの自分の恋愛の相手。いずれも、内なる気持ちに気付き、それが醸成じようせいされ、沸点ふつてんに達し、相手にその思いを伝え、交際に至り、繁栄の時期を経てマンネリに向かい、消滅もしくは終息、というプロセスをたどったことでしょう。それぞれの局面で、他の異性のことなど目に入らない時期もあったでしょう。しかし、今、そのお相手のことを1か月に何度くらい思い出しますか? 人間がAIに勝っている点、それは「忘れられること」です。

 ですので、仏教的にはこの「忘れちまえ」というベクトルでの意思決定をお勧めするのですが、どうしても、もやもやが止まぬようなら、思いっきり嫉妬しつとの炎を燃やし、仕事の面で結果を出し、彼と元カノを見返してやろう、というこころざしを立て、目標を定めてはいかがでしょうか。功績評価がフェアな組織であれば、社長賞とか昇進とかを目指してみる。とてもフェアとは思えない組織であれば、今までのキャリアを棚卸しして、会社を飛び出すプランを考えてみる。イメージがわかなければ転職コンサルタント会社と面談してみる、とか、あるいは客観的な能力の証明となる資格を取得するべく勉強を開始する、とか。

 10年くらいのスパンでライフデザインを描き、それを達成するために今、何をすべきか、じっくり考えてみてください。

*見返すもよし振り返らずともよししょせん色恋人生の句点

 では、今回はこのへんで。また15日後にお会いしましょう。
(第15回へつづく)

バックナンバー

高橋 泰源Taigen Takahashi

密教系寺院の住職、1級ファイナンシャル・プランニング技能士、CFP ®認定者。大学在学中に僧侶資格を取得。専門分野は宗教法人の税務・資産運用。宗教法人経営者としては「寺院の真摯な運営」、宗教者としては「人々の心身の安寧」を志向し、埋葬と瞑想と妄想の日々を送っている。

  • 双葉社
  • 小説推理
pagetop