双葉社web文芸マガジン[カラフル]

無心セラピー(辛酸なめ子)

第9回 仏教系ヒーリング 前半

 悲しいことや辛いことがあった場合、立ち直るにはどうすれば良いのでしょう。GW前、イベントの仕事で辛いことがあり、夜の街をさまよいました。しばらくガードレールに座り、夜の道路を眺めていました。道の向こう側には赤坂御所の緑が見えます。もしかしたら、今、この広大な敷地の中にいる宮様も、婚約延期のゴタゴタで自分よりも辛いお気持ちかもしれません。イベントの結果が良くないといった些細なことで落ち込んでいる場合ではないと自分に言い聞かせ、歩き出しました。
 地元の駅に着いてからもまだ帰りたくなくて、近所をあてどもなくさまよいました。いつもは魔物がいそうなので絶対に立ち寄らない夜の神社にも引き寄せられました。自分自身が不成仏な気分の時は陰気な場所に足が向くようです。誰もいないと思っていたら、ポケモンおじさんとポケモンおばさんが本殿の石段に腰かけ、一心不乱に指を動かしていました。それを見ていたら笑いがこみ上げて、少し復活しました。笑えることがあると、生命力がちょっと復活します。
 その数日後、遠くに行きたくて、金沢へ。落ち込んだ時は自然や地方のおいしい食べ物に癒されたくなります。
 今回は前から行きたかった、世界的仏教哲学者、鈴木大拙先生の施設、鈴木大拙館へ。心をしずめるために伺いました。ジョブズも影響を受けたという偉大な学者です。竹やぶを横目に公園を進んでいくと、コンクリートのシンプルな塀の間に、浅い人工池が見えました。
 四角い水面の静かなさざ波を眺めているだけでも、心が穏やかになります。「展示空間」「学習空間」「思索空間」の3つの空間で構成されているという意識高い系施設。有名な建築家、谷口吉生氏の手がけた空間で、建物もセンス良いです。展示空間には、大拙の書や写真、直筆のメモが。
 「無」の意味を秘書に教えるため書かれた大拙直筆メモには、
 「無用」「無形」「無為」「無有」「無名」「無窮」「無極」「無事」「無意」「無私」「無道」「無思」「無才」「無生」「無相」「無心」と、ありました。「無心」、この文章のテーマにぴったりです。私など「無給」「無休」「無視」と思い浮かんでしまい、まだまだです。
 鈴木大拙の庶民的な口癖「うんとこどっこいしょ」「それはそれとして」がハガキやクリアファイルなどに印刷されて販売されていました。ギリギリ相田みつをになりそうでならない絶妙なバランス感が。IQ高そうな筆跡の効果でしょうか。(みつをの字も味がありますが……)
 人工池にせり出すように建てられた「思索空間」には、大きめのベンチが並んでいて、ゆっくり瞑想できるようになっていました。布袋様似のおじさんが目を閉じて坐禅していました。
 水鏡の庭と名付けられた池の向こうには緑の山々の連なりが見えて、視力回復にも良さそうです。と、ついどこでも実益を求めてしまう自分。坐禅しているおじさんは、しばらくして目を開けて、隣の仲間のおじさんに、さざ波を見ながら「ドップラー効果だね」と語りかけました。ドップラー効果? ちょっと違うんじゃ……ともやもやして、またもや心が乱れかけました。
 でも、しばらく思索の空間でぼんやりしていたら、頭の中にメッセージが。「無の中に有があり、有の中に無がある」という、一見格言風の言葉です。もしかして鈴木大拙先生をチャネリングできたのでしょうか? ジョブズじゃないけど、Macユーザーとして光栄です。
 この施設で購入した鈴木大拙の著書「無心ということ」(角川ソフィア文庫)を読んでいたら、「有がすなわち無であり、無がすなわち有である」と書かれていて驚きました。偉人の施設では、残留思念にアクセスできるのかもしれません。また、この本をパラパラ拝読していたら(難易度が高くて通しで読めず)、「喜びもなくまた憂いもない所において、私は無心ということを感受してみたいと思うのです」という言葉が目を引きました。悲しい時、その気持ちを否定せず、同時に「無喜」「無憂」にいるという境地に達していた鈴木大拙先生。落ち込んだ時の心の持ちようを教えていただきました。ただ、高度すぎて、一般人としては結局その後、ダンゴと温泉、お土産爆買いなどで英気を養わさせていただきました。
(第10回へつづく)

辛酸 なめ子Nameko Shinsan

東京都生まれ、埼玉県育ち。漫画家、コラムニスト。芸能界やスピリチュアル、オカルトなど多数のジャンルを独特な目線で描き人気を博す。『辛酸なめ子の現代社会学』『大人のコミュケーション術』『おしゃ修行』『魂活道場』など著書多数。

  • 双葉社
  • 小説推理
pagetop