双葉社web文芸マガジン[カラフル]

無心セラピー(辛酸なめ子)

第2回 風邪セラピー・後半

 風邪による浄化は一週間ほど続きました。「寒さが寒すぎる……」と無意味につぶやき、悪寒で震えながら外出した日、不思議な体感がありました。2日前、野外イベントを取材して、逆バンジーに初挑戦する機会がありました。よく商業施設で休日に子どもが遊んでいるトランポリン的なアトラクションです。腰回りにハーネスを装着したら、両側から吊り上げられ、そこから下のトランポリンに飛び降り、激しく上下する、というもの。その時のふわふわした感覚が、風邪の時に再現されました。一歩歩くごとにフワっとなって、めまいなのでしょうか、とにかくまっすぐ歩くのも大変です。これが数分で治まるのなら、また逆バンジー追体験みたいで楽しいと思えたかもしれませんが、一日中ずっとフワフワしていました。
 所用がある場所に行くのに、まっすぐ向かえなくて、カフェで小一時間休憩をしてエネルギーを充電してからそろそろ歩き出しました。そして行ったイベント会場では、6分くらいしか立っていられず、すぐに帰りました。めまいが激しいのでゆっくり歩いていたら、駅で通行人の邪魔になってしまいました。その時気付いたのは、東京はゆっくり歩くことすら許されない街だということ。駅や街中では、人々がすごいスピードで急いで歩いています。時間にとらわれ、一分一秒を争っています。競争社会の異様な空気を体感しました。元気な時はそのスピードに合わせて、モタモタしている人を邪険にしていた自分を反省。足が悪い人や体調が悪い人が、それぞれのスピードで歩けるような街になってほしいです……。今後は、都会の空気にのみこまれすぎないようにしようと思いました。
 その次の日も、取材などで出かける用事がありました。渋谷という雑踏の中に入って行くのは勇気がいります。口呼吸をしながらゆっくり歩きました。街ゆく人は、どうして口でハァハァと息をしないでも歩けるのかが不思議に思えます。自分の荒い呼吸が数メートル先の人にまで聞こえていそうでした。横隔膜がぞわぞわするのも違和感がありました。体内で何が起こっているのか……。ふと、気付いたのは、風邪の時は自分の心が今ここにある、ということです。瞑想やヨガで重視される、今の瞬間にいる、という体感が自然とできているのです。他のことに思いを馳せたり、妄想する余裕がないからでしょうか。とにかく、自分の今の体の声に集中している感覚です。これも風邪の効用です。
 取材を終えると、ビーガンのカレー屋に入って体に良いピースフルな食べ物を摂取。そして食べ終わったら、自然と駅の方へ……。魂に従ってまっすぐ帰宅したのですが、心が(えっどういうこと?)とざわめいています。セールの時期、渋谷までせっかく来たのだから、通常なら渋谷西武で買い物しまくるはず。それが、何も買わない無欲の境地に……。激しい口呼吸でエネルギーが燃焼し、物欲を燃やしてしまったのかもしれません。風邪の効能は、煩悩滅却というのもありました。
 さらにスイーツ欲も滅却され、いつもは渋谷にまで来たらデパ地下でケーキでも買うところ、そんな欲求もなく、直帰。風邪のおかげで、自分がいかに煩悩にまみれていたかを知りました。心ここにあらずで、瞬間瞬間、生まれる欲にただ翻弄されていたのです。
 体調不良で新年会もキャンセルし、ひとり自分の心と向き合う日々。そしていつしかインスタへの関心も失せてしまいました(承認欲求についてはまた改めて……)。ここまで欲がなくなると危ない気もしますが、強烈な浄化体験で、今はうつした人にも心から感謝しています。数年前、インフルをうつした人を訴えるとか怒っていた自分はどこに行ったのでしょう。風邪をポジティブに受け止めると、心が整います。
 
(第3回へつづく)

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辛酸 なめ子Nameko Shinsan

東京都生まれ、埼玉県育ち。漫画家、コラムニスト。芸能界やスピリチュアル、オカルトなど多数のジャンルを独特な目線で描き人気を博す。『辛酸なめ子の現代社会学』『大人のコミュケーション術』『おしゃ修行』『魂活道場』など著書多数。

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