双葉社web文芸マガジン[カラフル]

なまものを生きる(少年アヤ)

©少年アヤ

第9回

○:月:○:日:○

 真夜中、コンビニに切手を買いにいったら、普段なかなか切手を買うお客さんがいないせいか、店員の男の子がない、ない、どこにもない、と慌てだしてしまい、あっちこっちひっくり返してない、ない、ない。そのうち裏で休憩していた店長さんも私服のまま出てきて、おいなにやってんだ。あれ、ない、ない、ない。
 やがて若い男の子が、必死で笑いをこらえようとしてプゥ、とか鳴らしてしまい、それをきっかけにぼくも店長さんも笑いだしてしまった。とてもやさしい時間だった。 切手はどっかに挟まっていたらしい。

○:月:○:日:○

 真夜中、またコンビニに行ってみたら、昨夜のことなんてなかったみたいにそっけない接客だった。
ピッ「108円です」
 べつに傷ついたりはしなかったけど、でもまた昨夜のつづきができるんじゃないか、なんて思って、うっすら微笑んでいたぼくとか、すごい愚かみたい。表情筋、あわててオフにする。
 たましいごと冷えていくみたいな帰り道だった。

○:月:○:日:○

 真夜中、飲み会で終電を逃したと思しきスーツ姿のお兄さんが、駅前をイライラしながら歩いていた。舌打ちをしたり、自販機のゴミ箱をけっとばしたりして、だけどお尻だけは、なんも知らないみたいな顔でもちもちしている。もちもちの木。
 ぼくは悶々としながら歩いて24時間営業のスーパーへ行き(無性にエクレアがたべたかった)、無事買い物を済ませ、ふたたび駅前に戻ってくると、さっきのお兄さんが、いつも親切にしてくれるコンビニのおじさんに絡んでいた。おじさんはうんとちいさくなって、普段ぼくに見せてくれる笑顔のまま、すみません、すみませんと繰り返している。
 お兄さんは、身体からはみ出るほど溜めこんでいた苛立ちを、ここぞとばかりに吐きだしているようだった。
「ねえ、こういう感覚ってわからないんでしょう。コンビニで夜勤なんかしてるあんたには。ほら、イエスかノーで答えてみてよ」
 こんなことまで言っている。ぼくはやだなあ、と思いながら通り過ぎて、角を曲がってから、どんどんかなしくなった。それから怒りが沸いてきた。おまえ知らないだろ。おじさんがすごくやさしいこと知らないだろ。
 ぼくは道を引き返しながら、なんとか仲裁できないかと考えた。
1、エクレアを探しにきた人のふりをする
2、エクレアと対話できる人のふりをする
3、エクレアで殴る
 2はツインピークスの見過ぎかも。しかしコンビニの前に戻ると、すでにお兄さんの姿はなく、おじさんはせっせと品出しの業務に励んでいた。
 あーよかった、と思うと同時に、自分はなにもできなかった、という感覚が、波紋のようにつめたく広がっていく。
 スーツのお兄さんは、通りの50メートルくらい先を、背中を丸めて歩いていた。なんか子どもみたいな背中だった。
 そうか、終電なんてどうでもいいや、って思えるような飲み会じゃなかったのね。おまけに明日も朝から仕事なのね。そんでいま、思ったよりぜんぜんスカッとできていないんでしょう。
 胸がぎゅっとなる。お尻だけは変わらずもちもちの木。

○:月:○:日:○

 女の子と街を歩いていると、世界の見え方がぜんぜんちがってしまう。たとえば、キャッチが激しく絡んできて、無視すると「なんだよババアじゃん、しね」と吐き捨てられたりする。「ババア」が「しね」につながる、そんな日常がすぐ隣に転がっているなんて、ひとりで歩いているときにはわからない。知ったあとでも忘れてしまえる。だってぼくは男だから。
 視線のぶしつけさもすごい。すれ違いざま、かわいいからつい見ちゃう、なんてものじゃない。えらい王さまが献上品でもながめるみたいに、ジットリ見てくるのだ。そして、「いらねー」みたいなのも露骨にだしてくる。
「いまのおっさんの目、すごかったよ。人に対してあんな態度、ある!」
 ぼくはバチきれながらずんちゃんの隣を歩いている。
「見てなかった。うざー」
「あ、また。いますれ違ったおっさんもやーな見方してた。なんなの」
 ぼくはいちいちを見逃さない。
「でもあんた、どうしてそんなに気がつくの」 
「えっ」
 そういえば、ぼくはぼくで王さまになって、男たちをジットリ見ているんだった。いやらしい目で見ているんだった。
 結局一日じゅう、男たちはずんちゃんを見て、ぼくは男たちを見て、ずんちゃんだけがまっすぐ前を向いて進んでいた。ひとつも視線が噛みあわない。
 ぼくが神さまだったら、ずんちゃんしか天国に招かないと思う。

○:月:○:日:○

 自転車にまたがって、酷暑の練馬区をやたらと走った。練馬はとにかく広くて、行っても行っても練馬。
 夏の日にひたすら漕いでいると、ふいに自分の身体が消えたみたいに、感覚がなくなるときがある。空腹なのか、喉がかわいているのか、疲れているのか。いずれにせよ、走りすぎってことだと思う。
 つぎに出てきた店に、なんでもいいから入ってみよう、と決めて走っていたら、しばらくしてかっぱ寿司が現れた。やたらとおおきく、一階が駐車スペースのため空洞になっている、要塞みたいな雰囲気のお店だった。このなかで??寿司が??循環している??? なんかしっくりこない。
 石の階段をあがると、広い店のなかにはたった数人しか客がいなかった。遥か遠くには、ドリンクバーの機械を拭いているおばさんの姿が見えたけれど、ぜんぜんぼくに気がついてくれない。呼び鈴もない。
 そのうち、おばさんがチラッとこっちを見た。見たくせに、とくに気にせずドリンクバーの機械を拭きつづけていた。べつにいいけど。いいんだけど。
 べつのおばさんのおかげでようやく席に着くと、タブレットで注文した寿司が、電車のような機械に乗って、ウィーーンと届く仕組みになっていた。こういうパターンか。ひとりだと、素直にウキウキできなくて、なんとなくクールを装ってしまう。テンションが高すぎるんだもん。
 寿司はふつうにおいしかったと思う。だけど、しんとした広い店内で、たった数名しかいない客と共に、ウィーンウィーンいわせながらつめたい寿司をたべていると、それが能動的なこと、生きるためにしていることとは思えなかった。
 まるで天国のかっぱ寿司って感じだ。そういえば、寿司ってすごい「死」っぽいたべものかも。
 ぼくは600円ぶんだけ寿司をたべて、ふたたび灼熱の世界にもどっていった。ちゃんと汗がでてうれしかった。

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 まだ皮膚のしたに埋もれている感覚で、言葉にしようとするとうさんくさくなってしまう、あるいは意味が強まりすぎてしまう可能性があるのだけど、天国とか地獄って、わりといろんなところで口を開けているなあと思う。
 たとえば昨日のかっぱ寿司もそうだったけど、ふいに、なんかちがう場所に接続されてしまう感じ。そこにあるのに、いまいるこことは全然ちがう感じ。
 もちろん、人の思いや生活の染み付いた場所を、天国とか地獄とか、勝手にふりわけてどうこういうのって、ナンセンス以前の問題だと思う。
 けれど、あくまでぼくの主観、たべものにたいする感想程度の主観において、そこはとても天国っぽいし、地獄っぽいのだ。
 そもそも天国とは、あくまで事切れる瞬間に抱くイメージのことだ、というのをどこかで聞いた気がする。良いイメージを持っていれば、たとえどんな死に際でも、ハッピーエンドにできるというのだ。
 ということは、ぼくの場合は、そういうところに吸いこまれていくイメージを、最後の最後に抱くってことだろうか。
 ちょっといやかも。
 なんか地味だし。

○:月:○:日:○

 自転車で東京を彷徨っていると、たまにそういう景色に迷いこんでしまうことがある。 大抵自分から行こうとしてもだめで、その時々の心の状態によって、気がつかないうちに袖をひっぱられているのでないと辿りつけない。
 そういった景色にはまりこんだまま、出てこられなくなったりもする。梢から朝日がにじみだして、薄暗い林道がぼんやり白くになっている葛西臨海公園なんか、ほんとにあやうかった。目を閉じたら連れていかれそうで、ぼくは涙がダラダラでるほど目を見開いたまま、あわてて林道を走りぬけた。びっくりした目玉が、ぐりっと後ろにまわっちゃう感じがした。
 反対に、地獄というか、死みたいな景色にがっちりホールドされてしまうこともある。
 たとえば東京湾の某船着き場。八畳くらいのおおきさで、防波堤から何本かの紐でつながれただけの状態で、真っ黒な海にぷかぷか浮いている。
 ぼくと友人は、吸い寄せられるようにぴょんと飛び乗って、しばらく寝転んだりしてくつろいでいるうちに、かなり潮に流されていることに気がついた。紐でつながってはいるけれど、二メートル近くも離れていて、戻るにはちょっと勇気が必要だった。ちなみにきたときは一メートルくらいだったと思う。
 震えながら防波堤とのあいだを覗きこむと、巨大な魚が真っ白くなってしんでいる。箸でおいしいところだけつつかれたみたいにえぐれて、目玉はもう外れてなくなっていた。波がはげしく、シンバルのような音を立てている。
 ぼくは距離もだけれど、せっかく心地いいところにきたのに、またそっちにもどるの、という戸惑いがあった。
 友人はすぐさま「えいっ」と死骸を飛び越えた。ぼくにはそれが、生きる力そのものに思えた。足がすくんで「待ってよう」とか言っているあいだにも、どんどん距離が開いていく。
「ゆうちゃん、これに掴まって!」
 友人は、落ちていた枝をぼくに差し出してくれていた。でも、そんなもんに捕まったらたぶん、ふたりでドボンだ。魚の眼孔を思い出してこわくなる。
 結局、ふたたび流されて距離が縮んでから戻ったのだけれど、しっかり陸を踏みしめた瞬間、身体がどっと重くなった。せっかく捨てた荷物がまた戻ってきたみたいな感じだった。
 あのまま船着き場のうえにいたら、ぼくはどうなっていたんだろう。

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 無性に寿司がたべたくなり、渋谷の回転寿司屋へ行った。今度はきちんと回っているところだ。しかし、レールの内側にいるおじさんに注文しないと握ってもらえない仕組みになっていて、なかなか声をだす勇気がでない。意を決して「びんちょうマグロ」とか言ってみたものの、向かいの客のおじさんの声にかき消されて、ちっとも届かない。
 仕方なくレールに流れてきた、くたびれたナスのお新香が乗った寿司をたべた。ヘナっとしたナスの感じが、ちょっとかなしすぎる感じ。二皿あったからどちらともたべた。
 ぼくいじけながらその店を出て、今度は近くにある、わりとあたらしいお店に入ってみた。おおきな店舗のせいか、観光客や高校生もたくさんいて、ぐっと敷居が低い感じ。ちなみに、このあいだのかっぱ寿司とおなじ、ハイテクな電車式だった。
 案内されてカウンターに腰掛けると、右隣がカップル、左隣が高校生グループだった。にぎやかなのはいいけれど、なんか押しつぶされそう。
 注文はタブレット式で簡単だったけれど、あまりの混雑に、三層式のレールは大混雑で、頼んだものがなかなかこなかった。
 やっとたのしみにしていたハンバーグ寿司がきたと思ったら、ヒューーンと勢いよくぼくの目の前を通りすぎて、なぜか隣の高校生たちのところに行ってしまった。高校生たち、え、なにこれ……とか困ってるし。そして、ふたたびヒューーンとぼくの目の前を通りすぎて、厨房へ戻っていった。なんだったんだろうねえ、と言い合っている彼女たちの隣で、ぼくはしんでしまいたかった。よりによってハンバーグ寿司なんて。
 おねがい、もうやめて……と思っていると、またしてもヒューーーンと高校生たちのところへハンバーグ寿司が返ってきた。厨房から殺意を感じる。汗だらだらになりながら横目で見ると、ハンバーグ、シャリからずり落ちてるし。

(第10回につづく)

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少年アヤShonen Aya

1989年生まれ。エッセイスト。ブログ「尼のような子」が絶大な人気を得て、エッセイ集『尼のような子』(祥伝社)を刊行し話題に。著書に『少年アヤちゃん焦心日記』(河出書房新社)、『果てしのない世界め』(平凡社)。

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