双葉社web文芸マガジン[カラフル]

なまものを生きる(少年アヤ)

©少年アヤ

第5回

○:月:○:日:○

 今月は一日500円までしか使ってはいけない。でないと即破綻する計算になっているのに、毎日なんだかんだで1000円くらい使っていて、思えば先月もそうだった。なぜ、こんなにだらしないのに、わりと平然と暮らせているんだろう。      
 けどこの件についてうっかり解明したら、なにかおそろしい、ぼくという生き物の真実に行き着いてしまう気がする。
 ところで毎回、出費が500円を越え、700円とかになると、500円と700円は200円しかちがわないよね。だからオッケー。とか思ってしまう。さらに、700円が1000円になっても、300円しかちがわないじゃん。オッケーと思う。
 その「だから」が意味不明だけど、意味不明なりにほじくってみると、0から500円は感覚的に遠いけど、500円から700円は近いってことなのだと思う。つまり、いきなり700円のものを買ったりはしないけど、500円の延長としての700円なら、じりじり熱があがっていくみたいに許容できるのだ。
 たとえばいきなり700メートル走れと言われたらいやだけど、500メートル走り終えるころに、じつはあと200メートルありますと言われたら、まあいっかって走れるでしょう。
 という線でいってみようかと思っていたけど、500メートル近く走ったあとの200メートルって超でかいかも。こ、ころすぞって思うかも。じゃあ200円の差っていうのも、やっぱでかいんじゃないのか。

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 セブンイレブンのおにぎり100円セールがいつまでか気になって、検索をしようとインターネットを開いたものの、別のことに気を取られて忘れ去り、もやもやしながら別用でセブンイレブンに行って、無意識のまま大好きなハム巻きおにぎりを買って、たべて、歯を磨いて、ねむりにつきながら、じわじわと記憶のヒダがめくれていくみたいに、そうだ、おにぎり100円セールのことを調べたかったんだと思い出した。せっかく食べたのに、食べてないみたいで釈然としない。100円だったかどうかの記憶もない。

○:月:○:日:○

 起きたらあれについて調べよう、と思いながらねむって、起きたら案の定忘れていて、なんだっけ、なんだっけと一日じゅう考えつつ、閉店前のスーパーのレジでぐしゃぐしゃにレシートの詰め込まれた小銭入れを見ていたら、そうだ、昨日たべたおにぎりが100円だったどうか調べたかったんだ、と思い出した。そしてスーパーを出てから、外灯のしたでレシートのひとつひとつをチェックして、ようやく昨夜のレシートが出てきたと思ったら、140円払ったと書いてあった。セールは終わっていた。

○:月:○:日:○

 引き続き、一日じゅうハム巻きおにぎりのことを考えていた。もう何度、スパッツのままセブンイレブンへ駆けこみそうになったかわからない。
 でも、冷静に考えておにぎりひとつが140円って、いまの自分には高すぎるし、大抵のものが100円で買えるようになった現代においても、じつは高いんじゃないか、そのことにまだだれも気づいていないんじゃないか、なにかの陰謀か、と不健全の見本のようなことを考えて、なんとかマグマに蓋してる。
 そんな折、妹から、母方の祖母がおにぎり屋を開きたがっているという話を聞いた。へえいいじゃん、とか言いながら、せっせと早起きして握ったひとつ100円程度のおにぎりを、ぼくみたいなやつに高いとか言われたりするのだろうか、と想像して、思わずぎゅっと目を閉じた。想像なのに見たくなかった。
 しかしすべてはおにぎり140円は妥当、よって買う、という結論のための茶番だったのかもしれない。
 日付が変わったころ、ぼくは正しさの塊みたいな顔でハム巻きおにぎりを買いにいった。

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 学生時代からの友人、ずんちゃんからメール。
「どうしよう、家賃がはらえない」
 ずんちゃんは困ったときにしか連絡をくれない。
「いいじゃん、家賃なんてくそだよ」(うそ)
「でも、管理会社から電話がすごいくるの。こわいよ。こんなのはじめて」
「ぼくなんかそんなのしょっちゅうだよ」
「あたし、こわいからずっと機内モードにしてるんだ」
「wwwwwwww」
 いつも思うけど、wwwwって、笑いの波形そのものって感じがする。
「笑い事じゃないよ。あんたはどうしてるの?」
「いっさい無視してるよ」
「気にならない?」
「気になるから、やわらかいもののうえに携帯を置いて、振動音が分散されるようにしてるよ」
「そうかあ、あたしもそうすればいいのかなあ」(いいわけないじゃん!)
 ずんちゃんは画家で、ぼくよりややマシという程度のびんぼうをやっている。
 学生のころは学部イチのおしゃれで、奨学金でとつぜんシアタープロダクツの5万するブルゾンを買って、いいのよ、大切に着るんだから、と真っ青な顔で言ったりしていた。才能があって、おしゃれだけど、どこか様子がおかしいのがずんちゃんだ。
 そのときの話をすると、ずんちゃんはいつも怒る。
「それ言わないでったら。けどほんとバカみたいだったよね、あのころのあたし。いまはもう、洋服なんてほとんど買えないよ」
 でもあのブルゾン、すごく似合ってた。白いレザーに、いろんな色の糸で花の刺繍がしてあるの。それを羽織ったずんちゃんと一緒に歩いていると、ずんちゃんばっかり雑誌のスナップなんて撮られた。当時人生でもっとも太り、着古したハリーポッターのシャツから饐えたような臭いを発散させていたぼくには、まぶしくて憎らしいほどだった。側から見たらぼくたちって全然ちがうけど、でもやっぱり様子がおかしい同士、妙に気が合ったのだと思う。
「でもね、いろいろ買ったり着たりできなくなって、ちょっとほっとしてる自分もいるんだ。強がりかもしれないけど」
「わかるよ。なんか、よくも悪くもシンプルにならざるを得ないもんね。シンプルって言ったらかっこよすぎるけどさ、楽ちんだよね、びんぼうってある意味では」
 ずんちゃんはわかるわかる、と言ってくれた。
「でもみんながおしゃれしてるところにさ、いつもおんなじ格好で行くの、すっごいはずかしいよ。お食事だってさ、このあいだ会計のとき8000円もして、たまたま払えたからよかったけど、汗ダラダラ。で、もちろんそんなことになってんのあたしだけなの。年下の子もいたのにさ」
 ぼくは同年代の男の子が、ちょっと凝った小物とかつけて気取って歩いてるのを見るとしにたくなる。汗もひっこんで、全身氷みたいに冷えてしまう。
「あたし、せめて堂々としてたいな」
「うん、ぼくも」
 思い返すと、ぼくたちはいつも堂々としていない。たまたまお金があって、それなりに見苦しくない格好をしていたときも、キョドキョドして、出かけた先でふたりして大汗かいたりしていた。ずんちゃんなんて美人でおしゃれだから目立つ目立つ。そして余計に汗をかく。

 そのあと、無事に家賃を払い終えたずんちゃんは、機内モードに設定していたことをすっかり忘れ、おかしい、おかしいと首をかしげながら一週間過ごしたそうだ。

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 夜、いずよとコーヒーを飲みに行った。一杯350円で、持ち込み可能のお店だから、いつもいずよ特製のお菓子をむしゃむしゃ食べながら、二時間でも三時間でもずっといる。今日はレーズンチョコクッキー。
 しかしいずよは、あまり元気がないようだった。力なく壁によりかかっている様が、しなびたニラどころか、雨で濡れそぼった短冊みたいに見える。
 なにかあったの、とたずねると、いずよは覇気のない顔を一段と暗くさせて言った。
「聞いてくれるかい……。あのね、おとつい妹に会ってね、ついに言われてしまったんだ」
「えー、なんて?」
 ぼくは笑ってもいいようにコーヒーを飲むのをやめておいた。
「あのね……お姉ちゃん、びんぼうくさい。カバンくらいまともなの持ったらどう。って……」
 いずよはいつも、みどり色の革でできた、でっかいトートバッグを肩にかけている。なかにはパンパンに物が詰まっていて、見るからにずっしりと重そうだ。けれど、なにか役に立つものが入っていそうな気配はない。かといって、余計なものもきっとない。そういう微妙なラインのものがたくさん入っているんだろうと思う。
 いずよはそのバッグを、たしかにもう五年くらいは使っている。底のほうはやぶれて、黒いしっかりした糸でがっちりと縫い直されている。
「だからさっきね、とうとうペペでまともなバッグを買ったんだ。でも、結局おなじような形の、おなじようなバッグを買ってしまってよう……」
 見せてもらうと、みどりがこげ茶になっただけじゃん、って感じのカバンが、でっかいショッパーから申し訳なさげに出てきた。あたしですみません、みたいな顔して。
 ぼくは言った。
「えー、みどりのバッグはいずよのトレードマークじゃん。まだまだ使えるなら、使っていてもいいんじゃないの」
 待ち合わせのときなんか、いつもその、やたらと発色のいいみどり色を目印にしていたから、そうじゃなくなったらちょっと困る。
「でも、びんぼうくさいってのがショックでさ……いや、びんぼうなのは本当だからいいんだ。でも、一緒にいたら人に恥をかかせるくらいみっともないのか、って思ったらかなしくなってよう……」
 いずよはすっかりしょぼくれていた。
「なんだか、周りのひとみんなに、そう思われてる気がしてしまってね……。そういえば、正月には叔母さんにもズボンのこと言われたんだよ」
 いずよは、もう十五年も穿いているというコーデュロイのズボンの膝に、チェックのフェルトを充てている。その、ちょっといびつな楕円が、一生けんめい作ったって感じでとてもかわいいのだ。けどいずよの叔母さんからすると、「たのむからズボンくらいあたらしいものを買ってくれ」ということらしい。
「いずよが大切に大切にものを使っているの、すごくいいけどな。ぼくも、長いこと穿いてるズボンとか、ボロボロのバッグとかあるけど、買う余裕も、意欲もないから、仕方なく使ってるだけだもん。いずよは、ただ大切に使いきりたいだけでしょう。それって素敵だよ」
「そんなふうに言ってくれてありがとう……。でも、きっとケチなだけなんだ、わたしは……」
 ケチな人が、せっかく作ったレーズンクッキーを、ほとんど人にばらまいちゃったりするもんか。
「それにしても、おいしいね、このクッキー」
「ほんとはもっと改良できたはずなんだけど、昨日キッチンで気絶するみたいにねてしまって、おかげで今日は身体じゅうバキバキなんだ……」
「やだー、何時までやってたの?」
「うんとね、三時」
 ぼくは宇宙人を見るみたいにいずよを見た。
 こんなに清らかなひとって、この世にいるんだろうか。

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 久々にバッハと自転車で走った。いつも通り芝公園で合流して、しばらく芝生に寝転んでおしゃべりしたあと、品川エリアを探検することに決めた。
 バッハと走る日は、いつもちょっとした事件が起きて、場合によっては時空さえ超えてしまうこともある。ぼくはいつも、ある種の緊張感をもってバッハのところへ向かう。 
 通りをつっきって海沿いに出てたぼくたちは、レインボーブリッジのぶっとい脚をまじまじ見上げて、おもむろにそのしたに立ってみた。
「やーん、ゆうちゃん、ちいちゃーい!」
 バッハはぼくがちいさいとよろこぶ。バッハはバッハでちいちゃい。
 自分がちいちゃいと知ったぼくたちは、世界に対してとても敬虔になり、また勇敢になれる。どんな光景でも愛せるし、どんな路地へも入っていける気になるのだ。
 新馬場のあらゆる路地をしらみつぶしに探検したあとは、駅の近くで300円のお弁当を買って、公園の石垣に腰掛けて食べた。安いお弁当が、こんなにおいしいなんて、いろんなもんに甘やかされすぎて胸焼け起こしそう。
 バッハがついこのあいだまで行っていたスウェーデンでは、これくらいのレベルのお弁当でも1500円くらいしたらしい。そして、たったの300円ではけっしておいしいものになんてありつけない社会のほうが、みんなそれなりに幸せに見えたそうだ。しかし、そういうの全部ぶっ飛ぶくらい、トリ天はさくさくのまやかしだ。
 お弁当をたいらげたあとは、ひみつのルートを正確に通って、コンテナ街に行った。休日のコンテナ街にはだれもおらず、車の通りもなく、ゾンビに襲われて、みんな逃げ去ったあとの世界みたいに閑散としている。
 ぼくたちは自転車を道路脇に放り出して、日焼け止めも塗らないまま、ごろりと道路に寝そべった。そしてちぎれそうなほどの大の字になって、すっかりコンクリートに身を預けてしまう。背中がポカポカして気持ちいい。
「バッハ、ぼくたちってしあわせだね」
「ねー、しあわせだね、あたしはいつもしあわせだけど、いまも最高にしあわせ」
 雲の流れ、大気の流れ、音や匂いの流れ、すべてを全身で感じとっている。もうすこししたら、地球がまわっているのさえ、捉えることができそうだ。
「ぼく、びんぼうになってよかったな」
「えー、どーして?」
「とっても豊かになれたって思うから」
 着ているものはボロボロだし、靴の底は穴が開きそうだし、髪もマーライオンみたくなってる。けど、かつてない潤いを、こころでは感じているのだ。まえの自分ではぜったいにむりだった。
 しかしバッハは言った。
「うーん、でもそれって、びんぼうだからじゃないと思うよ」
「そうかなあ」
「うん。いまゆうちゃんが豊かなのは、びんぼうだからじゃないよ」
 ぼくはちょっとむっとした。
「でもお金なんかあったって、ろくなことには使わないもん。好きなガシャポンを手当たり次第にやるとか、好きなガシャポンを独り占めしたくて機械ぜんぶ空にするとか、好きなガシャポンをいくつもだぶりで買うとか。たぶん、お金に向いてないんだよ。お金にも社会にも向いてない」
 自分で言ってて、拗ねた子供みたいだなあとはずかしかった。バッハは、そんなぼくにも、まっすぐに言葉をぶつけてくれる。
「そんなことないよ。きっとゆうちゃんでも、あたしでも、お金持ってたっていいんだよ。びんぼうじゃなくたっていいんだよ。でも、びんぼうになったことで、なにか変化が起きたなら、それはひとまずいいことだと言っていいと思うけどね」
 あくまで、びんぼうそのものの恩恵ではないと、バッハは言うのだ。
「ひとまずかあ」
 ぼくはぼんやり答えた。雲がものすごく速く流れていく。

(第6回につづく)

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少年アヤShonen Aya

1989年生まれ。エッセイスト。ブログ「尼のような子」が絶大な人気を得て、エッセイ集『尼のような子』(祥伝社)を刊行し話題に。著書に『少年アヤちゃん焦心日記』(河出書房新社)、『果てしのない世界め』(平凡社)。

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