双葉社web文芸マガジン[カラフル]

なまものを生きる / 少年アヤ・著

©少年アヤ

第3回

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 ろくなものを食べていないのに、どういうわけか太っていく。しかし冷静に最近の食事パターンを振り返ってみると、どうやら食べ過ぎていることがわかった。
 たとえば今日は昼ごろ起きて、顔でも洗えそうなほど大量の白米に、からあげを載せて食べた。夜は弁当屋で売れ残っていたアジフライ弁当に白米を足しまくって食べたし、明け方にもやっぱり白米を食べた。ついでにビールも。
 どうして力士のように白米ばかり、それも大量に食べているのか考えてみると、空腹がこわいのかもしれない。なにか食べるということは、お金がかかるということだし、つぎにお腹がへったとき、なにも食べられないということが、今度こそ起きてしまうかもしれないから。
 だから、お腹が空いてくるとしずかなパニックが起こる。満たさなくては、の前に、満たせるだろうか、という不安でいっぱいになるから。そうして一回一回、すがりつくように白米をかきこんでしまうのだ。
 そういえば、スパゲッティやうどんでも同様のことが起きている。いまのぼくに、安価で寄り添ってくれるのは炭水化物だけだ。しかし結果として、食費がかさんでいる気がする(他人事)。

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 うつくしいびんぼうになりたかった。骨ばった野生の身体で、襟ぐりのすりきれたシャツをさらりと纏って、顔つきはきりりと精悍なの。そして、すこしのもので満足し、すこしのことでしあわせを噛み締められる。
 ぼくはもともと欲望過多で、ありったけのものを欲しい、迷ったらふたつとも買わずにいられないタイプだ。言い換えると、なにかひとつを選べない。
 友人たちとバイキングに行ったときなんかも、みんなは食べたいものを食べられるだけ、お行儀よくお皿に盛っているのに、ぼくは混乱してあれもこれもと盛りすぎてしまい、犬用の残飯みたくなってしまう。カレーかちらし寿司かを選びきれず、ちらし寿司にカレーをかけて食べたこともあった。当然、どちらの味も味わえない。まるで皮肉なことわざだ。
 うつくしいびんぼうになるには、こころに芯がなくてはいけないし、びんぼうという段階を経て、どこかに向かっていこうとする力、未来への展望がなくてはいけないのかもしれない。同じくらいの経済レベルの友人たちを見ていると思うし、彼らにはいつもうっすらと軽蔑されているような気がしてしまう。まったくそんなことはないと、頭ではわかっていても。

 いまのぼくは、芯を持たないままふやけたドーナツだ。顔つきは精悍さとはほど遠く、トローンとした薄気味のわるい、夜道に立っていてはいけない部類の表情を、わりとつねに浮かべている。

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 そんなことを考えていた矢先、夜道で警察に自転車を止められた。なにも悪いことはしていないはずだけれど、なんかばれたのかな、とオドオドしていたら、単に防犯登録を調べられただけでほっとした。
 それにしても、薄暗い夜道だというのに、警官のお兄さんの顔がやけにピカピカしている。失礼を承知で、「もしかしてものすごーくお若いですか?」とたずねてみると、「いくつに見えます?」なんてかわいいこと言う。なのでウキウキしながら「23くらい?」と返したら、なんと「ハタチっす」とのことだった。
 えーーっ!ハタチ!ハタチって!えーーっ!と驚きながら、正直十七歳くらいにも見えるな、と思った。それくらい、なんだか全体的につるつるピカピカの新品って感じだったのだ。
 基本的に、二十歳のころってくるしいことばかりだったので、いまこの年齢の自分のことは、よく生きてきたね、という意味でも気に入っている。だけど、圧倒的な若さを前に、ものすごい衝撃を受けてしまった。自分てもう、あたらしくないんだ、とはじめて思い知ったような。気が動転したせいか、去り際に「じゃあまた」なんて言ってしまったりして。

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 夕方から、大学の食堂で働いているみちるさんのところへごはんを食べにいった。
 みちるさんの家はものすごく雑然としている。といっても、腐ったものが落ちていたり、やたらとゴミが散らばっているわけはない。とにかくものが多すぎるのだ。
 数年前、はじめてみちるさんの家を訪れたとき、みちるさんはぼくと友人をはるばる遠くから招いておきながら、やっぱり入らないでちょうだい、ときっぱり言った。そして奥の部屋の手前の、ほとんど物置みたいなスペースで、これから一晩過ごすようにとのたまったのだ。
 冬の、とても寒い日だった。ぼくと友人は、そんなのはごめんだと、一瞬の隙をついて部屋に入ろうとした。するとみちるさんは「イヤーーッ!」と絶叫して、泣きながらぼくにタックルしてきた。50代のみちるさんはでかい。もともとでかいのに、なぜかいまだに身長が伸び続けているという。
 それでもなんとか(みちるさんがトイレに入っている隙に)部屋に押し入ると、異様なほど雑然とした空間が広がっており、ふつうなら気絶しそうなほどなのに、ぼくたちは妙にほっとしたのだった。トイレから出てきたみちるさんは酢だこみたいな顔になって激昂していたけれど、しばらくして諦めたのか、獣の匂いのするベッドにぼくたちを座らせて、でっかいおにぎりをふたつずつ握ってくれた。そのおいしいこと。
 いま思うと、あのごちゃごちゃした部屋は、不器用なみちるさんのこころそのものだし、みちるさんがせっせと作り上げた、たったひとつの巣だったんだね。そこに、あんなふうに入っていって、ごめんね、みちるさん、ごめんね。そして、ぼくたちを入れてくれてありがとう。
 
 今日は鍋を食べる予定だったけれど、ふたりして猛烈にてんぷらが食べたくなり、まずは舞茸とナスのてんぷらを作ってもらった。できたてのてんぷらを、キッチンに立ったまま頬張りながら「うめー」「うめー」と何度も言いあう。みちるさんの顔は恍惚でぬらぬらしていた。
 つづいてメインのとんこつ鍋を作ってもらった。野菜と肉を入れ、スープの味が整っていくとともに、雑然とした部屋が極上の匂いで満たされていく。床にはあらゆるコードが絡まり合っているし、ベッドのしたからは得体の知れないイタチのぬいぐるみが覗いているし、そこらじゅうに服や雑誌が積み上げられ、雪崩を起こしているというのに。
 食べはじめてしばらくすると、みちるさんが「北海道の物産展で買った」というラーメン用のペーストを鍋にブリッと入れた。そうしたら、ただでさえ美味しかったとんこつ鍋が、お店でだって食べられないくらいの絶品になる。みちるさんは調味料に詳しい。「単に食いしん坊だから」と言うけれど、ベッドサイドにもずらっと並んでいるのを見ると、食いしん坊っていうのは、生きようとする力そのものなんじゃないかと思えてくる。でも、そのラーメン用の調味料はとっくに賞味期限が切れていたらしい。
 さんざん鍋を食べたあと、もう一度ナスのてんぷらを食べて、「あたしまだいける」と言うみちるさんに付き合ってソーセージとたまごやきを食べた。時間を早送りして朝食にまで到達してしまったようだった。つけっぱなしのテレビからは、なつかしい韓流アイドルの映像が、細々とエンドロールみたいに流れている。

 帰り際、玄関脇に置かれた炊飯器のまわりに、無数の小銭が、まるで霊験あらたかと言わんばかりに散らばっているのを見つけた。やけに均一にホコリが積もっていて、とくに500円玉は、うっすらと雪が降り積もったみたいに白く霞んできれいだった。

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 みちるさんのところで食べすぎたせいか胃がもたれ、安いうどん屋のおだしを求めて歩いていたら、顔にこつん、と小石のようなものが当たった。小鳥のいたずらかな、と気にせずうどんを食べにいって、ついでにヨーグルトをひとつ買い、帰宅してからようやく、顔にべっちゃりと鳥の糞がついていることに気がついた。臭いがしないのと、小石のようなもの(糞の本体)がどこかにはじき飛ばされていたせいで、それほど不快ではなかった。むしろ、こんなものがうんことか、鳥ってすごっ、と新鮮なおどろきがあった。もし人間が逆襲したとしたら、鳥は即死するだろう。
 しかし、それなりに貴重な経験だというのに、だれに話しても反応が薄い。もしかすると、「凡庸なうそ」みたいに思われたのかもしれない。たしかに、ほんとだったらおもしろいけど、うそだったらつまらなすぎる。
 そう思い、焦ってみちるさんに証拠を送りつけたらきらわれた。

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 朝から、久々に宗教勧誘のおばさんチームがやってきた。とにかくドアの狭いポストに、分厚い冊子をねじ込もうとしてくるので、インターホンでやってきたことを確認したら、ぼくはすぐさまポストの前にしゃがみこむ。そして入ってきた冊子を、ちょうどいい塩梅で押し返すのだ。
 ぐいっ。「あらっ」
 ぐいっぐいっ。「あらっ、あらっ」
 そうして冊子を持ち帰ってもらえたとき、ぼくはとても清らかな気持ちになれる。
 それにしても、毎回こんな目に遭ってもまだ、ぼくに勧めたくてたまらない神さまってどんなだろう。
 そう思い、おばさんたちが去って行ってからこっそり窓を開けたら、アパートの前で、3人固まってぼくの部屋を見上げていた。

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 真夜中、近所にある24時間営業のスーパーに売れ残りのお弁当をチェックしにいった。全体的に薄暗く、うらぶれたプールの更衣室みたいな雰囲気の店で、普段はあまり近づかないのだけれど、今日はあの薄闇にしか受け止めてもらえない気がしたのだ。
 広いスーパーにはぼく以外の客はおらず、店員の男の子はレジに立ったまま、すっかり安心しきった顔でうとうとしていた。グリーンのエプロンのまきついた腰が、おそろしく細い。ぼくはなんだか、この子にまつわるすべての人を代表して、そっとつつんでやりたくなった。
 弁当売り場には、鬼畜かと思うほど値引きされまくった弁当がまばらに並んでいた。その安さにびっくりして、つい必要以上にカゴに入れてしまう。あたりまえだけど、安いものに飛びついた結果、本来の予算をオーバーするほど消費してしまうのってすごく愚かだ。膨れ上がった合計金額を前に、チクチクと胃が痛みだすけれど、でもいいの、代わりに明日と明後日のぶんの食費が浮いたんだから……と必死で自分に言い聞かせる。
 そしてトボトボ帰宅して、歯を磨き、布団にもぐりこんでから思う。
 いま食べちゃったらどうしよう。
 ベッドサイドに置かれた低めのテーブルのうえには、買ってきたばかりの弁当が三つ積み上げられている。
 これ、いま食べちゃったらどうしよう。
 だめだ。絶対に食べたりしてはいけない。
 慌ててストップをかけるけれど、もう完全にスイッチが入ってしまっている。目もぱっちり開いているし、胃も準備万端って感じだ。
 思えば、なにかが崩れてしまいそうなとき、崩れてしまったらどうしよう、という不安に耐えきれず、自分から崩しにいってしまうことがよくある。たとえなにもかもが崩れ去ったあとの世界がどんなに悲惨でも、不安でハラハするよりはずっと穏やかでいられる。なぜなら、結末っていうのは不変だから。
 ちらりと目をやると、生姜焼き弁当がこっち見てる。折り重なった生姜焼きの隙間からだれか見てる。ちいさくてかわいい子。さっきのスーパーの店員みたいな子。
(ねえ、ぼくを食べない?)
 食べません。
 ぼくは頭からすっぽり布団をかぶる。けれど、爪先からジリジリと熱が迫ってくる。全身が火になってしまいそう。

 そうして空も白みはじめた深夜4時、ぼくは転がるようにベッドを抜け出し、生姜焼き弁当を貪った。バリバリとビニールを剥がし、きちんと味を噛みしめることもないまま、容器の底にへばりついた甘いタレまでもしっかりと舐め尽くす。
 すっかり満足し、ふたたび布団にもぐると、今度はミニミニおにぎりセットが誘惑してくる。はっきり言ってもうお腹はいっぱいだ。だけど、もし食べちゃったらどうしようという不安に、やっぱり耐えられそうもない。
 ぼくは最悪のシナリオを回避するため、それからねむりにつくまでずっと、すけべでは済まされないようなことを考えつづけた。もし宇宙人がやってきて、ぼくの頭をうっかり覗いたとしたら、地球人のおぞましさにおそれをなして逃げ帰っただろう。そのようなことがあったと信じたい。

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 業務用スーパーにお米を買いに行ったら、ものすごく安いお米(800円くらいだった)があって、迷わずそれにしたら、レジで2000円ですと言われて尻餅をつきそうになった。たしかに、よく見たら800円で買えるわけないという感じのパッケージだし、銘柄だし、量だった。こんなに大変なものを、たった800円で買えると信じ込んで、じっと長蛇の列に耐えた巳年の男だと、まわりにいるだれにも思われたくなかったので、なにくわぬ顔して買うしかなかった。もはや白米すら、以前のようには食べられない身体になってしまった。

(第4回につづく)

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少年アヤShonen Aya

1989年生まれ。エッセイスト。ブログ「尼のような子」が絶大な人気を得て、エッセイ集『尼のような子』(祥伝社)を刊行し話題に。著書に『少年アヤちゃん焦心日記』(河出書房新社)、『果てしのない世界め』(平凡社)。

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