双葉社web文芸マガジン[カラフル]

なまものを生きる(少年アヤ)

©少年アヤ

第22回

○:月:○:日:○

 朝、おじちゃんの娘さんから改めて謝罪のメールが来た。とてもていねいなメールだった。とりあえず搬送されるようなことにはならなかったけれど、手のひらの傷は何針か縫わなくてはならなかったらしい。皮がじゅくじゅくになって、血まみれになっていたおじちゃんの手を思いだして、ぼくの手まで痛みだすと同時に、ぬぬぬ、縫うって、どゆこと、と目がチカチカする。ひどい傷にたいして、じゃあ縫おうかって最初に思った人だれなの。
 しかし、意識はしっかりしているし、食事もふつうにとっていると聞いて、安心してこちらからも、改めて昨日のおじちゃんの様子をお伝えした。ちょっと余計かな、と思いつつ、話していた内容のことも。
「そうですか……退職してすぐ、母を10年前に亡くしたので、さみしくて、お酒を飲みすぎてしまうのかもしれないです。だけど、こんなふうに人に迷惑をかけてはいけないですね」
 ぼくもぜひおじちゃんには、たのしいお酒を飲んでほしいです、と返事をした。
 それからスーパーに行って、お昼ご飯を買った。カップヌードルっぽい味のする、カップヌードルみたいなパッケージの、でもぜんぜんちがう、やすいカップラーメンとおいなりさん2個のパック。いい天気だったので、寒いけど外でたべることにした。
 この街は老人が多い。だけど、いつもおしゃべりをして、たのしげなおばあさんたちに比べて、多くのおじいさんたちは孤独に見える。だれとも関わりたくないし、関わり方がわからないし、そのことがさみしいのかどうかももうわからない、みたいな顔をして、ぼくと同じレベルのものをスーパーでコソコソ買っている。なにかしらの肉と野菜を炒めたら、それなりのものになるだろうに、おそらくなにもしていない。まさか自分にできるだなんて、思いもしないのかもしれない。あるいは、料理ができない、母親のようにはなれないということが、彼らのこころの、最後の聖域なのだろうか。
 彼らをそうさせたものってなんだろう。そして、そいつが彼らから、ごっそりもぎとっていったものってなんだろう。って考えるまでもないか。
 とてつもないよ。人生だよ。
 ふいにおじちゃんのことを思う。おじちゃん。大怪我するくらいお酒飲んで、息子だか婿だかに怒鳴られて、あんなにちいさくなっていたおじちゃん。大好きな奥さんと、きっとまだまだいたかったであろうおじちゃん。
 カップラーメンをたべきると、ゴミをビニール袋にまとめて、指先にぽんぽんさせながらアパートに向かって歩いた。そしてあらためて冷静に、おじちゃんのことを考えてみた。
 もしかするとおじちゃんは、社会のおばけだったんじゃないだろうか。ぼくになにか警告しに現れた、社会の亡霊。クリスマスキャロルだ。
 いったいおばけは、なにを伝えようとしていたのだろう。社会はおそろしいところだから隠れていろ。社会はすばらしいところだから戻ってこい。あるいは、あるいは……と一通りあたまをひねってから、ふと浮き上がるみたいに思った。
 ちがう。おじちゃんはぼくに、なにかを伝えようとなんてしていない。すこしの意味も持っていない。だからこそ、あのちいさくなった姿が、あんなにも哀しかったんじゃないか。
 ぼくはやっとおじちゃんのことで泣いた。声がでちゃうくらい泣いた。

○:月:○:日:○

 おじちゃんの娘さんから、クリーニング代についてメールがくる。一応、自分でも洗濯しようとは思ったのだけど、どうしてもおじちゃんの血にさわりたくなかった。きたないからじゃなくて、かなしいからさわりたくなかった。
 もしクリーニングをして綺麗になっても、ぼくはもう二度と、この服を着る気にはなれないだろう。それはかなしいからじゃなくて、気持ち悪いからだ。ここに、人の血がべっとりついていたという事実を、なかったことにはできないからだ。おじちゃんの血はかなしくて気持ち悪い。
 どう返事をすべきかさんざん悩んで、服の定価の半額をいただけないか、と提案してみることにした。もう販売されていないだろうから、弁償していただくのはむりだろうし、すでに何回か着ているので、全額もらうのも図々しい気がしたのだ。
 我ながらちょうどいいかも、と思って送信すると、すぐに雲行きのあやしい返事がきた。洗えば血は落ちると思います、というのだ。
 なんか、なんだろう。そういうことなのかな、と思い、返事に詰まっていると、続けて「もし預けていただけたら、わたしが手で洗います」という旨のメールがきた。あきらかに怪しんでいる感じだ。でもたしかに、もう販売されていない洋服の値段なんて、いくらでもふっかけられちゃうもんな。
 と思い、すべてきちんと説明することにした。マイルドに表現しようとしたけれど、怒りが先行してしまい、「しらないおっさんの血のついた一張羅なんて、どんなに綺麗でも着たくないです」というようなことを、わりとはっきり送ってしまった。何事もそうだけど、こうやってはっきり表現しすぎると、こころのそうでない部分が途端に動揺しはじめる。申し訳ないじゃん!とか、お金目当てみたいじゃん!とか、おまえの親切はうそだったのかよー!とか。それでいつもぐったり疲れる。
 なので、今日の夕飯は抜き。おだしをちょっとなめた。

○:月:○:日:○

 服の件は、ぼくの要望どおり、定価の半額をいただくことで落ち着いた。これでよかったんだろうか、という気持ちでいっぱいだ。おじちゃんはいまどうしてるんだろう。家の場所も忘れてしまった。コンクリートには、まだおじちゃんの血痕が残っている。

○:月:○:日:○

 今朝、ちょうど資源回収の日だったので、血染めの一張羅を捨てた。なのに、部屋にはまだ、おじちゃんの血の気配みたいなものが漂っている気がして、すっきりしない。なぜかにおいまで感じる。
 窓を開けると、パソコンで塗ったみたいなあかね色で、景色のすべてがおじちゃんの血のなかみたいな気がした。
 おじちゃんの血の、飛沫のほんの一滴に、空があり、大気があり、ねこやイタチ、おまけに人々も暮らしている。はじけたら全部きえちゃうの。ほんとにそう思えるくらい、いろいろなものの尺度が変になって、現実とそうでないものの区別も、あまり意味をなさなくなっていた。夕暮れはもともとそういう時間だ。逢う魔が時っていうでしょう。
 それからスーパーに行って、振り込まれた1万円を使ってコロッケを買った。奮発して高いビールも買った。なにが奮発だろうと思う。でも、あたらしい服を買おうとはどうしても思えなかった。ひどい無力噛んだ。まちがえた。でももう、変換のミスもなおせない。もどれない。そこまで。

○:月:○:日:○

 血のことばかり考えていたら現実が軽くなり、結果としてバイトの応募をさくさくと済ませ、とっとと面接にいき、あっという間に採用されてしまった。ここ数ヶ月の葛藤はなんだったんだろう。思わずたあ坊みたいな顔になっている。
 古本を中心にしたネットオークションの出品業務をする会社で、人のよさそうな夫婦がふたりで経営している。働いているのはだいたいぼくと同世代の人たちらしく、みんなクラスのまんなかにはいない、いられない、みたいな人たちだそうだ。面接では、なにを読んでいますか、と聞かれてセーラームーンですと即答し、どういうところが、とたずねられるよりはやくセリフを暗唱していた。ふつうのことはできないけど、こういうことならいくらでもできる。
「じゃあ採用で」とあっさり言われた帰り道、温度や風のにおい、日差しにいたるまで、なにもかもぜんぶちがって見えた。体の底にしまいこまれていたエネルギーが、ぐつぐつと音を立てているのがわかる。油断すると、そいつが噴き出してきて、やった、やったぞってさけびそうになる。雪をつきやぶって咲こうとするツクシみたいに。
 通勤には片道2時間ぐらいかかる。しかしそれを言ったら、社会に戻ってくるまでに、すでに3年以上もかかっているのだ。

○:月:○:日:○

 いよいよ初出勤だった。目が冴えて一睡もできず、予定より1時間もフライングして地下鉄に乗ってしまった。まだ実感がわかない。ほんとにこれから、働くんだろうか。
 座席の温度が、ズボンごしにだんだんとつたわってくるように、意識にも眠気がしのびよってくる。せっかくだから、最寄り駅に着くまでちょっと眠ろうとうとうとしていると、車窓の真っ黒な景色が急に開けて明るくなり、強烈なひかりが差し込んできた。途端に目が覚め、しずかに緊張しはじめる。でも、下痢はこない。だよね。こないよね。ここまできてこないよね。と暗示をかけていたけど、一瞬「きたりして」と想像したら、5秒くらいで下痢になった。ティファールより早い。駅についてすぐトイレに飛び込む。ティファール持ってないけど。
 そのあと公園やコンビニのトイレも借りて、ようやくバイト先にたどりつくと、こぢんまりした事務所にはすでに人が揃っていた。みんな穏やかでやさしそうだ。けど、いい人たちのなかだと、余計緊張するのってどうしてだろう。
 まず簡単に事務所のなかを掃除してから、先輩の指示どおりトイレ掃除に移る。押入れみたいなノリでいきなり事務所のなかにトイレがあるので、ここで下痢をするのは不可能だ。くぎられた別の空間って感じがしないし、音も筒抜けだろうな。と思ってドアノブをみたら、ボタン電池式のちいさなブザーがぶらさがっていた。押してみたら、水のせせらぎが聞こえてくる仕組みになっていたのだけど、あまりにもたよりない音量で、普通におしっこの音ぽかった。だったらドアを殴り続けるなどしたほうがよさそうだ。

 今日の仕事は、新人ということで、売れた本をひたすら梱包する作業をさせられた。
 ものすごい愛のドラマや殺しあい、かなしみやうれしさの同時進行する世界で、ぼくはいま、ただ人様の買った本を梱包しているのかと思うと、ふしぎな気がした。たしかにいまここにいるのに、どこにもいない、どこにも含まれないような気がしてしまうのはどうしてだろう。おじちゃんの怪我はどうなっただろう。パパやママ、妹はどうしているだろう。いずよやずんちゃんも。
 考えごとをしていたら、梱包のやり方をミスし、なんども男の先輩に注意される。この先輩はこまかくて、うつくしい仕上がりをすごく大切にしている。そこまでやらなくていいんじゃないですか、と向かいの席の女の人につっこまれては「いえ……でも……」ともごもご言うのを繰り返している。でも絶対ゆずらない。あいだに挟まれたぼくはどうしていいかわからず、思わず遠くを見ていると、「手を動かしてください」とふたりから叱られた。
 お昼になると、タイムカードを切って、そそくさと休憩に出ていっていいことになっている。休憩中に時給がでないのは変な気がするけど、瞬間的に社会からログアウトできる感じがしてわるくない。近くの公園で、コンビニで買ったおにぎりをふたつかじる。
 おだやかな陽だまりに身を置きながら、あんなに遠く感じていた社会のなかに、いま自分がいることを、しみじみと感じていた。もっとはげしいところかと想像していたのに、びっくりするほど平穏で、かえって不気味なほどだ。
 公園でおにぎりをたべる気分も、今日はぜんぜんちがっている。非常に堂々としていて、誇らしくて、ぜひみなさん、こんなぼくを見てくださいと、旗のひとつも振り回したいくらいだ。
 けれど、だったら昨日までの自分には価値がないんだろうか。おにぎりたべる資格もないんだろうか。またおじちゃんのことを考える。
 おにぎりを食べ終えると、自販機でビタミン入りのシュワシュワしたジュースを買って一気に飲み干した。こういうビタミン系の飲み物って、これで大丈夫みたいな気持ちになれる。

 午後の仕事は、本の梱包だけじゃなく、倉庫のなかで山になっているDVDやCDを延々と縛ってまとめつづけた。紐を何回も回転させる、このお店特有の縛り方だそうで、結構むずかしい。同年代だという酸っぱいにおいのする男の子と一緒に、せっせと山を片付けていくのだけど、ぜんぜん進まない。でもふと見たら、棚のうえにセーラームーンがあってうれしい。
 帰りは、残っていた4人で駅まで帰った。みんな同世代だった。でもわるいけど、仕事が終わって、すこし気が緩んだこの人たちの様子とか、人間らし笑顔とか、ぜんぜん興味がわかないなあと思った。そんな自分がちょっとさみしい。帰りは日高屋に寄った。

(第23回につづく)

バックナンバー

少年アヤShonen Aya

1989年生まれ。エッセイスト。ブログ「尼のような子」が絶大な人気を得て、エッセイ集『尼のような子』(祥伝社)を刊行し話題に。著書に『少年アヤちゃん焦心日記』(河出書房新社)、『果てしのない世界め』(平凡社)。

  • 双葉社
  • 小説推理
pagetop