双葉社web文芸マガジン[カラフル]

なまものを生きる(少年アヤ)

©少年アヤ

第16回

○:月:○:日:○

 親知らずで入院した人のブログを読みふけっていたら、全身麻酔には尿道カテーテルを用らなければいけないことを知った。尿道カテーテル……なんとなくむずがゆい響きだ。どこかの軽音サークルに、そういうバンド名をつける、ちょっとお調子者で、結界めいたうぶげに守られている、デオドラントシートの匂いのする男の子たちがいそうだ。
 そういえば美大に通っていたころ、1年だけ軽音サークルに所属していた。気のつよい友人が、バンドを組みたいのに人数が足りないというので、「ボンゴでよければ」という約束で、あくまで人数合わせのために入ったのだ。しかし友人の組んだバンドにはボーカルがいなかった。ギター、ドラム、ベース、あとはボンゴだけだった。
 気がつくと、ぼくがボーカルになっていた。鼻声で滑舌もわるく、ふつうに話していても聞き返されることの多いぼくがだ。
 軽音サークルは毎日昼に集会があり、土日にはこまごました催しもやたらとあったけれど、もれなくコピーバンドだった。コピーバンドなのに神格化されているバンドもいた。コピーバンドのために留年する人もいた。
 授業の課題が忙しいし、何度かやめたいと訴えたのだけれど、例の友人が「途中で投げ出すなんて無責任ら」「うちっちのお父さん、中途半端なやつが一番きらいだけんね」と(静岡弁で)追い詰めてくるので、1年はつづけるしかなかった。
 文化祭の準備はとくに苦痛だった。食堂をライブハウスに仕立てるため、一週間ほど授業もそっちのけで大量の木材と格闘したり、提携している他大学から重い機材をいくつも運び出さなくてはいけないのだ。
 チームワークを高めるためか、初日は男子メンバー全員でかくれんぼをさせられた。ぼくはだれともコミュニケーションをとりたくない一心で、花壇の裏に寝そべって隠れた。そのまま虫のように這って帰りたいくらいだった。
 しばらくして、そばににかくれていた無口な男の子が捕まった。彼は無口なのが災いして、いつも男の子たちからいじられたり、一発芸を強要されたりしていた。あんなふうになったらおしまいだ、と思いながら、ぼくも万が一に備えてエド・はるみのモノマネを体得しようとがんばっていた。隠れながらも小声で繰り返し、結構おもしろくできるんじゃないか、と思いはじめた矢先に先輩がきた。
「お前なにやってんだよ。もうとっくにみんな夕飯食ってるぞ」
 食堂では、男子メンバーが大声でさわぎながらなにか食べていた。とてもにぎやかだけど、本当にたのしそうなのは中央にいるカリスマふうの先輩だけだった。その先輩を中心に、後輩たちは先を競うようになんらかの役割を演じている。見惚れるような躍動感があって、最後の晩餐を見ているみたいだった。
 ぼくは家で夕飯をたべるつもりだったので、とくになにも頼むことなく座っていたのだけれど、ふと見るとそうしているのは例の無口な男の子とぼくだけだった。やばい、目立ってしまう、と焦っていると、案の定先輩に気付かれてしまった。
「おい、こいつらなんも食ってねえじゃん。だれかなんか分けてやれよ」
  憐れみとも、憐れみふうのいじりとも取れる言い方だった。
 すると長身の、見るからに人の良さそうな男の子が、かぼちゃコロッケをせっせとふたつに割って、「はいどうぞ」とぼくたちにくれた。おかず、もうそれしかなかったのに、
「ありがとう」
 ぼくは引きつった顔でそう言って、半分のコロッケを受け取った。断面がきいろくてパサパサしてる。
 しかし、たべるタイミングがわからない。どういう気持ちでくれたのかもわからないから、リアクションの仕方もわからない。無口な男の子も、引きつった顔でにやにやしながら、コロッケと向き合って沈黙している。
「どうしたんだよお前ら。せっかくもらったんだから食えよ」
 先輩は怒っていた。てことは、ほんとにほんとに、やさしさで言ったのか。
 ぼくは決心し、コロッケを一口で頬張った。無口な男の子も同時に頬張った。みんなこっちを見ている。なにか言うのを待っている。ぼくはやわらかいコロッケを必要以上に咀嚼しながら、どうする、なにかおもしろいこと、どうする、と己に問い続けた。そうして出た答えがこれだ。
「……おいしいです」
 その場にいた全員が、「こいつだめだ」という顔をして、ぼくを猿山の外へ押し出した。外は無。かぎりない闇と真空。回転する身体。遠ざかる猿の群れとコロッケ。
 だけどきみたち、そのてっぺんに、いったいなにがあるっていうんですか。

○:月:○:日:○

 親知らずの入院について調べていたら、また尿道カテーテルの記述に行き当たってしまった。その男性は、ぶっとい麻酔注射よりも、術後のあれこれよりも、尿道カテーテルがもっとも痛かったという。挿入するときは麻酔が効いているけれど、問題は引き抜くときだ。ほんの2秒ぐらいらしいけれど、2秒って地味に長いんじゃないか。
 それにしても尿道カテーテル……やっぱりむずがゆい響きだ。
 コロッケのせいで猿山から締め出されたぼくは、文化祭の前日になってとつぜん「おにぎり係」に配属された。働く男たちのために、数時間のあいだ延々とおにぎりを作りつづけるという、地味めな女の子たちが毎年担わされている過酷な仕事だ。けれどリーダーの先輩は唯一、そういう仕事というか、女としてのあり方に、ちょっと名誉すら感じているらしかった。
「男の子たちって、おにぎりがおいしいと、ほんとに言うことを聞いてくれるのよ」
 学校に近いからという理由で、あまり目立たない男の先輩のアパートを借りたのだけれど、その部屋が信じられないほど汚かった。
 まず陰毛がそこらじゅうに落ちていて、どのくらいすごいかというと、生えているときとおなじくらいの密度があり、モスグリーンのカーペットがほとんど見えなくなっているのだ。こわいもの見たさでユニットバスを覗いてみると、そこはさらに想像を絶する光景が広がっていた。ペニーワイズが暴れたとしか思えない。
 ただでさえ潔癖性ぎみのリーダーは震えながら、それでも必死に「男の子だもん、しょうがないわよ」と微笑んで、さっさとお米をとぎはじめた。だれもなにも言わなかった。
 とくに会話をすることもないまま、みんな直立不動でお米の炊きあがりを待った。充満する精液の臭いと、炊飯器から噴き出したお米の匂いが合わさって、なにか途方もない断絶のあいだで引き裂かれているみたいな気分になる。
 しかしようやくお米が炊きあがり、蓋を開けた瞬間、思わず歓声があがった。なんていうまっしろさ、こうばしさ。もこもこしてて、やわらかそうで、ひたすら有難く感じられた。こんなにまっしろで、おいしいものを、昔のひとはどういう経緯で発見したんだろう。
 しみじみ感動していると、お手本を作るために屈んだリーダーが突然さけんで尻餅をついた。
「キャーーーッ! ちんげが、ちんげが!」
 見ると炊きあがったお米のなかに、ちんげが一本まぎれこんでいた。みんなショックで茫然としている。さっきまであんなに有り難かったのに、いまは炊飯器ごと捨ててしまいたい。
 するとリーダーは、パステルカラーのネイルでちんげをさっと摘みだし、速やかにティッシュにくるむと、「いい。このことは、絶対だれにも言わないで。とくに男の子たちには」と凄んだ。この人は信じるもののためならちんげにも触るし、現実もゆがめるし、うそだってつくのだ。
 圧倒されたぼくは、それから先輩の指示通りの、やたらとちいさなおにぎりを作るのに熱中した。人生であんなに熱中したことはなかった。ほかの女の子たちも、あつあつのお米で火傷をしながら、一生懸命お米を握っている。

 大量のおにぎりはあっという間に消費されていった。男の子たちは、「女の子のつくるおにぎりってちいさいな」「手がちいさいもんな」とか言いながら、当たり前みたいな顔でおにぎりを頬張り、指までしゃぶっている。
 ぼくは当然だけど、ひとつもたべなかった。おにぎり係はだれもたべていなかったと思う。

○:月:○:日:○

 今日も一晩じゅう尿道カテーテルについて調べていた。どこかへ逃避したいのに、もう軽音ネタも尽きてしまった。
 男子は尿道が長いため、より痛いらしかった。どの人も、すさまじい痛みを乗り越えたことに興奮していて、これから経験する人間の気持ちなんてとても考えられないでいるって感じだった。麻酔が効いているあいだに引き抜いてくれることもあるようだけれど、事前には決められないらしい。
 もはや手術や入院そのものよりも、尿道カテーテルがおそろしくてたまらなかった。人生のすべてが、尿道カテーテルを引き抜く2秒間に集約され、そのあとにはなにもない気さえしてくる。
 検索を進めるうち、気がつくと尿道をいじくるのが好きな人たちのページに辿りついていた。専用の道具だけでなく、尿道カテーテルらしきものもがんがん突っ込んで、とても気持ち良さそうにしている。
 まるですぐそこにあるのに、永遠にたどり着けない岸辺を、尿道を押さえながらながめているみたいな気分だった。ガンダーラ。

○:月:○:日:○

 気分転換にサイクリングをしていたら、「尾道ラーメン」を「尿道ラーメン」と空目した。具合がわるくなり、夕飯を抜く。

○:月:○:日:○

 虫歯治療のため、いなり先生の病院へ。ドアを入っていった瞬間、受付のお姉さんたちがきたきた、という顔をするのだけれど、その雰囲気がやさしい。小学生5年生のとき、やっとクラスに友だちが出来て、はじめて教室へ入っていくことがこわくなかった朝のことを思い出す。もちろんちょっとはこわいけれど、だれも味方のいないこわさとは全然ちがっている。
 診察台に腰掛けると、いなり先生は「どうも」と言って背後から現れ、すぐに「大学病院のほう、予約取れましたか?」とたずねてきた。胃がぎゅっとなる。
「取れたは取れたんですけど……なんか、相性がわるかったのか、また圧倒されてしまって……」
 ぼくは正直にすべてを話した。月またぎのこともだ。先生は一瞬だけあちゃーという顔をしてから、慎重に言葉をえらんで言った。
「えっと、前にもお話ししましたけど、2本を一気に抜くのは、おすすめしません。もし、どうしてもそうしたいとおっしゃるなら、せっかくだしいいかもね、と言うかもしれませんが……」
「いえ、2本一気なんてとてもこわくてむりそうです……」
「うんうん、そうですよね。わかりました。先生は月一回、この病院にいらしっしゃるんですけど、そのとき改めて、私も交えてお話ししましょうか。1本だけの施術にしてもらうこと、月またぎのほうもね、できるだけ安いほうがそりゃいいですものね。なんとか変更してもらいましょう」
 ぼくは有難さよりも、申し訳なさでいっぱいだった。
「先生、ごめんなさい。その場で言えたらよかったのに」
「いえいえ。ちなみにほかにもなにか不安ってあるかしら。もしあったら教えてくださいね」
「あの……」
 と口を開いた途端、尿道カテーテルにたいする不安が、堰を切ったようにあふれだした。不安のあまり現実逃避したり、変態のページに辿りついてしまったこともだ。
「そもそも、尿道カテーテルってぜったいにしなくちゃいけないんでしょうか……」
「うんと、全身麻酔っていうのは、どうしても身体の力がぬけちゃうので、排便や排尿が自分の意志でできなくなっちゃうんですね。術後も、なかなか思うように身体がうごかないこともあるので、あると便利ってことなんです」
「じゃあ、オムツを履いていれば……」
「うんうん、いろいろ対策もあるかもしれませんよね。そこらへんも込みで、次回一緒に聞いてみましょう」
 先生はそう言って微笑んだ。印象的な垂れ目、ぬいぐるみにしたいくらい落ち着く。
 ちいさな虫歯の治療がおわると、受付で早速予約を入れた。話を聞いていたと思しきお姉さんは、不安でぐったりしているぼくに、「大丈夫ですよ」と言ってくれた。「いなり先生も、私も、みんないるので。どうか安心してきてください」
 思えば、救ってくれるのっていつも女の人たちだ。人生を振り返っても、つねにそうだった。そういう自分がふがいないんだけど、でも、いまはうれしさを、ありがたさを、誠実に受け止めなくてはいけないと思う。

(第17回につづく)

バックナンバー

少年アヤShonen Aya

1989年生まれ。エッセイスト。ブログ「尼のような子」が絶大な人気を得て、エッセイ集『尼のような子』(祥伝社)を刊行し話題に。著書に『少年アヤちゃん焦心日記』(河出書房新社)、『果てしのない世界め』(平凡社)。

  • 双葉社
  • 小説推理
pagetop