双葉社web文芸マガジン[カラフル]

大人を自由にする!プラトン恋愛名言~蝶々×米田郷之 往復書簡~ / 蝶々 × 米田郷之・著

ヴィーナス、アドニス、クピド (アンニーバレ・カラッチ 1590)

7通目 蝶々より米田さんへ

恋愛とは
感覚的なものが、
精神的なものに前進しようとする努力である。

 米田さん、こんにちは。
 GW、ご旅行など楽しまれたり、ゆっくりお過ごしになられましたか?  

 私は、初日に友人の家族と遊んでいたら、実家の母より突然めまいで倒れ救急車を呼ぶ! との連絡があり……急遽きゆうきよ、予定はALLキャンセル。子供と実家に戻り、一週間ほど付き添っていました。病院でいろいろと調べてもらった結果、幸い大事ではなかったので、自宅で静養する母と子の面倒をなんとなくみつつ、の、思わぬ家族水入らず・のんびりGWでした。
 そんな中、新緑のきらめく5月の日差しのもと、母の世話の合間を縫って、元気いっぱいの娘(3)と育った街のあちこちに遠征したりゆったりと過ごしていると……低めの子供目線に付き合っていたからでしょうか、青いイチョウや樹々の葉っぱの木漏れ日のようにキラッキラ☆と、少女時代のいろんなことや感情がフラッシュバックしてきたんです。主に高校時代の思い出。
 蝶々女子高生は、親友のMちゃん(栗色くりいろの髪で色白でとても可愛いくておちゃめな子)と、いつも放課後や町のあちこちで「なんで人は私たちをじろじろ見るんだろう、ほら、また見てる。いやだね!!」と話し合っていたんです。それは深刻に(笑)。
 どうする? どうしたらいいの!? 髪を切る? アラレちゃん眼鏡をかける? とか知恵を出し合って。時には、実際じろじろ見てくるおじさんやら大学生やらに、「見るな!」「もう!」くらい電車内で小さくつぶやきあったりして、本気で苛立いらだっていたし、身の毛もよだつほどキモチワルイ、と思っていた。
 今思えば、田舎町でちょっと目立つくらいに可愛い女子高生たちだったんだろうし(学校ではAチームと呼ばれていて)、ちょっと見ていたくらいで、いきなりキッとにらまれるおじさんや大学生たちも、お気の毒っちゃお気の毒……。そんな潔癖けつぺきな感覚の一方で、その時々のお互いの気になる先輩だったり付き合っている相手に見られたりデートすることには、もちろん前ノリかつ積極的――自分の乙女ゴコロの準備がついていけるくらいのペースでの交際ならば――というのも……いかにもワガママかつ、大人と少女のはざまにある女子高生っぽいですよね。さらに思い出せば、新人OL時代の私、詩人もやっていた会社の役員のおじさんに「蝶々さん、君の目は、何物をも許さない少女の目なのだ。自分自身さえも」とか言われていたのです。笑。  

 ――って、プラトン恋愛名言の往復書簡で、何をつまらない昔の自分語りをしているんだ! と思われるかもしれませんが。いえ、多少米田さんにも関係あるんです(怖?)
 というのも、まず、永遠の少女のようにミーハーでおしゃれで若々しかった母が、急に倒れてしまったことがひとつ。長年、専業主婦として母と妻をしてきて、三人の子供を育て上げ、ラブラブだったダンナを見送り……近年は、「今度生まれ変わったら、恋愛はしてもいいけれど、もう結婚はいい。来世は勉強をして自立して、好きなように自由に生きる!」と、天国の父も目が点になりそうなことを言っている。うちの母は、米田さんよりはうんと年上でしょうけれど……前回おっしゃられていた「体が脳をコントロールしていく」ってやっぱりあるんだろうなぁ、と看病していて、何度か思いました。太宰治だざいおさむも『女生徒』という短編で書いていたような。人間は、たとえば電車内で座ってるのと立っているのだけでも、考えることが違うんじゃないかしら? と。
 やっぱり、男も女も体が動くうちに、できるだけリアル恋愛しておくべきですね?  

 次に、「ああ、私も年を重ね、かなりおおらかに、なんでも可愛く思える風になっているなぁ……でも、あの頃から変わっていないこともあるな☆」というのも思いました。  

恋愛とは
感覚的なものが、
精神的なものに前進しようとする努力である。
 

 と、プラトンは語っていますが。まさに学生時代の恋愛たちがわかりやすくそうだったなぁ、と思うんです。私の場合は、基本一目惚れ(25歳くらいまでは、それ以外の採用ナシ)→感覚でひかれる相手と付き合うことで、相手や人間の成り立ちや自分の形を知っていく→肉体的な衝動や欲求を刺激したり満たしあいながら、次第に精神的な関係をも育てようとする。これ、確かに、かなりエネルギーのいる疲れる作業。体力は失せてゆくにしても、私も、恋愛の仕方くらい、年齢なりに少しは上達・精進できているのかなぁ、と考えてしまったり。体力や本能が年齢や経験とともに失われ、恋愛に対する姿勢も、退化・鈍麻どんましているのかしら。それとも、元気すぎたり暑苦しい衝動や欲望から解放されてからのほうが、恋愛道は精神的なものに前進しやすく、深く楽しいのかしら?  

♥ ♥ ♥

 そうそう、米田さん。前回の“男子コラ~!”のお返事まで、誠実にご対応いただき、ありがとうございました。
(つまり、私の“コラー!”というつっこみは、あながち間違っていないのでは)と頭がハテナでいっぱいになりかけたのですが、事実の向こうまで切れて(!)しまうほど斬ってしまっていたのなら、本当にごめんなさい。これ、私が変われていない、成長できないところかも。
『君がピンってやったら、相手はバーンとはじけるか壊れるってわかれ!』と、そういえば何度か言われたことあります。それじゃ私が怪獣みたいで可愛くないので、封印しがちな記憶なんですけど。
 米田さん、私ともし実際に付き合う羽目になったら、半日くらいで別れたくなるかもしれない! 思わず、これまで私と付き合ってくれた男性たちに心の中で謝ってしまいましたよ。
 私は実際、女の皮をかぶった怪獣とか現場監督のおじさんなのかもしれませんし、米田さんは律義りちぎで立派な男性の皮をかぶった、クリスタルのような心の男子高生や女学生なのかもしれませんよね。
 これはもちろん、目上の大先輩をからかっているわけではなく。人間は多面体かつ複雑構成なので、そういうことって実際あるんじゃないかと思うし、米田さんが時々触れていらっしゃる、男らしいとは何か、そして女らしいとは何か、という話。あれには私も、思うところ多々あり、もう少しつっこませていただきたかったので。
 私は、付き合う人だったり両親には、「男らしい」と時々言われてしまう。けしてめられているわけでもなく、「なんなの、そのきもわり方とおとこ気は」的な引き気味のニュアンスだったように思うんですが……でも同時に、母性的だ、女らしい、とも言われる。自分自身ではどちらでもいいんです。どちらも私。
 また物書き業をしていることも手伝ってか、基本的には、その人が私から感じたり受け取るものを、受け取りたいようにどうぞ、というスタンスで。単純に、大元の何かが過剰に飛び出しがちな人間なのでしょうし、これまた米田さんがおっしゃる<蝶々の言いきり!>も、性格もあるでしょうが、一応、物書きとして、ザックリ持論を言い切ったほうが、賛否両論・異論反論、感情も浮かびあがりやすく、読み手の皆様もからみやすいんじゃないかな~? という私なりの(おっさん風の)サービス精神でもあったりします。米田さんとの往復書簡なのにすみません。米田さんのようにキチンと筋を通したり説明をしっかりしてくださる、というのも、また書き手としてのサービス精神なのでしょうね。
 プラトンは当然、もっと高尚こうしようだったり深淵しんえんな思索の元、後世に残る概念や言葉を編み出しているんでしょうが……もしかしたら、彼の各種言い切りも、どこかそのような<あとはめいめいご自由に、お好みの感じで考えてみて>という燃料気分もあるのかも? そんなことも考えました。受け手や後世の我々にも、つっこんだり異論反論や研究心をかきたてる余地とたわみがある、ことはありがたいですね。  

♥ ♥ ♥

 ところで、おそらく米田さんが長い社会人人生の中で、女性の特徴的なところ、嫌な面(?)もさんざん見てこられたように、私自身も、男の人と深く付き合うほど、「コラ! 女々めめしい奴だな!」と思うことは、もう、たくさんあります。
 でもそれって、私にとっては、必ずしも悪口や揶揄やゆでなく。好きな人の場合はセクシーだったり魅力を感じるフックになったりもする。そもそもの肝っ玉が女々しいやつが、対社会や対女性、勝負や人生に対して、自分をなんとかふるい立たせて、男らしくしよう! 男でいよう! と頑張っている姿にきゅんとしたり、母性本能をくすぐられる。これって、誰かと深く恋愛をしたことのある大人の女性だったり、男の子を育てた経験のある母親なら、少なからず「わかる!」とうなずいてもらえる感覚なんだと思うんですよ。
 同様に、私と恋に落ちる人は、私の隠しきれない男らしさ(笑)や強さと、アンバランスな女性っぽさのリミックスの妙に、色気や魅力を感じるんだと思うんです。
 ある日、初めて会ったモテ男が、私の目を見て「あれ、おまえの心は男じゃないの?」と驚いたように言ったことがありました。失礼な男! と思ったけれど、「だって、俺の中の女が反応しているもん、きゃ」と彼はまじめに続けました。  

 そんな風に、社会的には<男>ということになっていて、男の機能や男の生理を確かに持っているけれど、ある<女>と出会ったり組み合わさることで、なぜだか自分の中の女らしさや女性性の存在を知る。逆に、社会的、生物的には<女>ということになっている女性も、ある<男>と深くかかわることで、自分の中の男らしさや男性性に触れたり垣間かいま見る。
 そういうのも、恋愛ならではの面白さや醍醐味だいごみ
 そんな多重構造の凸と凹として(ある面では、その女が凸だったりもする)、ぴったりと補い合えたり、組み合わされる相手が、私は人生最高の恋愛の相手のように思うし、一生、魂のどこかがそれを求めているかもしれません。
 互いに違う肉体を持っている以上、性的な関係もあったほうがいいような気がしますが、それも、もっと深いあちこちやすみずみをピッタリ合わせたり掘っていくための、人間便宜上のフックなだけかもしれない。
 でも、本当にピッタリすぎる人と出会ってしまったら、もう、人間ではなく、生物としてなんか完璧かんぺきな一対になってしまって(?)人間卒業のような気もするんです。  

 私も、そのモテ男との関係が、あまりにもふだん言葉にしてこなかったことが通じ合うし、深い感情や情緒が刺激されすぎるし、社会の枠からはみ出していくようだったので(お互いのコントロールがきかず、お互いの通常や人間関係を投げ出すことが増えていった)、なんだか怖くなってしまい……途中でひきました、私が。  

 中途半端な不倫なんて箸休はしやすめにもならない、魂は一生凸凹がピッタリの関係を求めている、と書いておきながら矛盾しているようですが、私は、そのように、理性や精神のコントロールが飛んでいっちゃうような、すわ駆け落ちか(!)みたいなイカれたテンションではなく、落ち着いて日々を味わいながら、自分自身で奮闘したり失敗したり、働いたり発見したり、他人とは通じ合えないことに悩んだり、いわゆる普通の人間ペースで生きていきたかったんだろうな、と思うんです。
 そして、自分の魂はかなり大胆で情熱的だけど、同時にジェネラルで冷静でありたがるのだな~とか、そういうことも恋愛で見えてきます。芯からわからされる面白さ。
 振り返れば、10代の私も20代の私も30代の私も40代の私も、生身の女でそれを楽しんでいるのだけど、女とか性愛だけにはなれない(妊娠・出産がものすごく楽しかったのは、斟酌しんしやくなく、女とか母性愛だけになれる・むしろココはそうなるべき! という感覚があったからかも)。  

恋愛とは
感覚的なものが、
精神的なものに前進しようとする努力である。
 

 そんなこんなを経て、女であると同時に人間でもある私にとっては、<精神的なものに前進しようとする努力>をする余地さえ生まれないような、男女や凸凹がぴったりすぎる恋愛って、逆になんだか困っちゃうのかも、と思います。米田さんにもこの感覚は伝わります?  

 米田さんのおっしゃるように、<人はみんな同じじゃない>のは、年々、切なくもさみしくもない、ただ当たり前の真実で、だからこそのこの世やかかわりの面白さ、だと受け止めています。
 だからこそ、人の魂は、完璧な片割れをどこか夢見つつ、現世のご縁ある相手と、ああでもないこうでもない、ここは合うけどこれは合わない、なんかむかつく、でもまた何となく仲直り……とかやっているのが、今を生きる人として、いい感じの恋愛なのかもしれません。
 あっ、でもでも、<膝枕>ならば、私は高校生のころからしていますよ~。彼とのそんなデート写真が実家のアルバムにけっこうある。男の人は、きっといくつになっても好きなのですね。その理由や感覚が、米田さんのお便りでなんとなくわかった気がしました。私は膝枕より……うーん、何がいいだろう?


蝶々Chocho

作家・エッセイスト。コピーライター兼銀座ホステス時代に綴っていたブログが人気を呼び、2002年『銀座小悪魔日記』(宙出版)でデビュー。『小悪魔な女になる方法』(大和出版)がベストセラーとなり、幅広い世代の女性から絶大な支持を得る。単なるモテ指南とは一線を画した、真に幸福で自由な人生を送るためのテクニックを、聖俗両面から愛をもって発信中。著書多数。
公式ブログ;chochoママしぼり
http://blog.goo.ne.jp/chochochan
会員サイト;chocho女神クラブ
https://chocho-u.com/megamiclub2018

 

米田郷之Satoshi Yoneda

1958年鳥取県出身。慶応義塾大学法学部法律学科卒業後、出版社に勤務。以降、ずっと編集の仕事に携わるも、原稿を依頼されることが増え、音楽雑誌を中心に署名記事・評論を多数執筆。2017年、蝶々さんにお会いした少し後に取締役を退任。2018年2月に還暦を迎え、今後のことは未定。

  • 双葉社
  • 小説推理
pagetop