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惨殺―川崎中一殺害事件の深層― / 石井光太・著

第四章 犯人(承前)

暴走
 中学三年の頃、虎男は全日制の高校への進学を希望していた。将来に対する目標はこれといってなかったが、漠然と同級生たちと同じように全日制の学校へ行きたいと思っていたのだ。
 ところが、虎男はこの高校受験で挫折を体験することになる。全日制に進学することができず、市内の定時制高校へ行くことになったのである。父親に言わせれば予想していなかったことで、かなり落胆したようだ。彼にとっては人生のレールから外れたことを意識せざるをえない出来事だったにちがいない。
 この定時制高校は、一部の修復科目が選択制になっており、場合によっては日中の授業を受けることが可能だった。だが、彼は高校生活に対する興味を徐々に失って遅刻や欠席をくり返すようになる。昼くらいまで家で眠り、午後から友達と会って明け方まで遊び回るのが日常となっていったのだ。
 定時制高校特有の時間帯や校則の自由さが、そうした生活を可能にしていたのだろう。周りにいたメンバーも全日制の高校へ通っている者はほとんどおらず、定時制、通信制、バイト、あるいは遼太のような不登校の中学生だった。
 高校入学後、虎男は周囲に対して、より激しく暴力をふるうようになったという。髪を金色や銀色に染め、見ず知らずの人に対して唾を吐きかけたり、公園で刃物を振り回したりしはじめたのだ。エアガンで多摩川に集まる鳩を狙い撃ちして楽しんでいたこともあったらしい。
 粗暴なふるまいを見せるようになったのは、中学時代のような不良グループからの抑圧がなくなったことが挙げられるだろう。ただ、それともう一つ、友人たちによれば、高校二年の時に三番目の加害者・星哉と出会った影響もあるという。
 二人は同じK中学の出身で面識はあったが、中学時代はほとんど言葉を交わしたことがなく、高二でクラスが一緒になって初めて交友するようになった。彼らを結びつけたひとつが飲酒の習慣だった。
 虎男は高校に入ってから酒を飲むことを覚えていた。父親は毎日のように晩酌していたし、母親もかつてホステスをしていた頃は、酒の相手をすることが仕事のひとつでもあった。アルコールは身近なもので、自然と手が伸びたのだろう。
 グループのメンバーは年下が多く、好んで飲酒をする者はそう多くはなかったが、星哉は同年代にしてはかなりの酒飲みだった。それで二人は意気投合し、連絡を取り合って会うようになっていったのかもしれない。
 星哉はグループの他のメンバーとはちがって、周囲から遠ざけられるほど凶悪な性格だった。不良グループに入るわけでもなく、いきがってケンカをするわけでもないのだが、常に護身用のカッターナイフを持って町を彷徨い、気に食わないことがあると相手かまわずに逆上して暴れだすタイプだったという。友人たちによれば、虎男は星哉と親しくする中で、どんどん感化されて自分でも護身用の刃物を所持するようになったそうだ。
 一体、星哉とは何者なのか。人となりについて調べると、霞がかったところが多く実態をつかむのが難しい。同級生だった者たちは一様に「やばい奴だけど、影が薄くてよくわからない」と口をそろえるのだ。
 同級生だった金藤は、星哉について次のように語る。
「星哉は中学の時から異常な感じでしたよ。ルールを守らないというより、人間として当たり前の関係が築けない感じ。いつも一人で目を光らせてフラフラしてむかついたことがあると襲ってくるみたいな。
 たとえば、学校の授業でサッカーをしてるじゃないですか。上手な奴が星哉をスルッとかわして笑ったとしますよね。そしたら、いきなり切れて相手につかみかかってボコボコに殴るっていう性格です。学校の先生に対しても、これをしろと指示されて、それが気に食わなかったのか、いきなり切れて暴れたことがありました。
 一言で表せば、全部思い通りにいくと考えてる奴。それがうまくいかなければ、ブチ切れて暴れまくる。しかも、暴力がえげつない。こんな感じだから、周りはみんな付き合いきれねえって思って近づかなかった。
 友達がいなかったのは、そのせいだと思いますよ。両親も兄貴もいたと思いますけど、全員あきらめて放っていたんじゃないですかね。それでどんどんヤバさがデカくなっていったんだと思います」
 裁判で精神鑑定の結果が読み上げられた際には、星哉の性格について次のような分析がなされた。
・ADHDの傾向がある。
・ペースを乱されると逆上する。
・小学二年生の頃から自らの行動を優先し、人とぶつかるとケンカをするようになった。
・両親が養育に理解がなく、改善しようとしなかった。
・中学時代は腫れ物に触るような扱いを受けた。
 もともと利己的で逆上しやすく、家族や同級生からも敬遠されたことで、ますますその傾向に拍車がかかったということだろう。
 星哉に発達障害の一つである「ADHDの傾向」があったことは、先の金藤の証言からもうかがえる。ADHDの症状の中には、思い通りにいかないと乱暴になったりする「衝動性」と呼ばれる特徴が表れることがある。しかも、加齢に伴って行為障害や反社会性人格障害を二次障害で患う例があり、思春期になってからそれが制限の利かない暴力行為として表れるケースが稀にあるのだ。同級生たちが、星哉に対して「切れると何をしでかすかわからないヤバい奴」という印象を抱いた背景には、そうしたことがあったとも考えられなくもない。(注・ADHDの人全員にこの種の特徴があるというわけではない)
 友人によれば、虎男と星哉は週二、三回のペースで会って酒を飲んでいたようだ。星哉の親は放任主義で、マンションの部屋で酒を飲んでいても何も言われなかったし、近所の店では親のつけにして酒を注文することもできたという。虎男は星哉の家に遊びに行ったり、自分の家に招いたりするだけでなく、日中も日雇いのアルバイトを一緒にするなどして、親友のようにつるんでいた。
 虎男のツイッターには飲酒を示す文章や写真が頻出するが、そこには星哉の名前や写真が添えられていることも少なくない。酒を飲んでいる時の虎男のツイートである。
〈べろべろになったよ笑笑 今日仕事なのにーΣ(゚д゚lll)〉
〈**ちゅん(※星哉のあだ名)と飲みなぅ*\(^o^)/*〉
〈呑みなぅ*\(^o^)/* みんないいかんじ!笑笑〉
〈飲みしてるけど、誰か来たい人いる~??*\(^o^)/* 来たい人コチャよろ~〉
 虎男は星哉に一目置いていたらしい。他のメンバーたちに「星哉はすげえ怖え奴だぞ。逆らったらカッターで切られる。でも、あいつの邪魔をしなけりゃフツーに付き合えるから」と語っていた。星哉の凶暴な性格を畏怖する一方で、自分はそんな人間と付き合っているのだと自慢していたのだ。
 二人が遊んでいた時の様子を、黒澤は語る。
「虎男の家で、星哉と俺と三人で飲んだことが何度かあるよ。チューハイとか、焼酎のお茶割とか、何でも飲むんじゃね。星哉はアニメにあんまり興味ないから、大体酒飲んでいる時はゲームしてる感じ。
 パッと見、星哉はキモイ感じの奴だよ。虎男の家で何回か会ったけど、いつもあいつの家にあるグーフィーのぬいぐるみを赤ちゃんみたいに抱いてしゃべりかけるんだよ。ぬいぐるみに対して『ねー、これから何する?』とか言ってる感じ。
 星哉は、俺に話しかける時もぬいぐるみを介して話してきた。グーフィーをこっちに向けて『何してんの?』とか訊いてきて、俺が『煙草吸ってんだよ』とか答える。それをガチでやるんだ。俺はキモイし嫌だったけど、あいつはそれが普通だと思ってたんだろうな。
 部屋にあったぬいぐるみは、虎男の姉ちゃんがくれたもんみたい。他にプルートのぬいぐるみもあって、星哉が来ている時は虎男も同じようにプルートのぬいぐるみを抱いて話してた」
 後に殺人事件を起こす高校生二人が、ディズニーのキャラクターのぬいぐるみを抱いて話す光景は、なんとも異様である。だが、それが彼らの幼稚な性格を表しているように思えなくもない。
 虎男が粗暴なふる舞いをみせるようになったのはすでに述べたが、大きな暴力沙汰を起こすのは大抵飲酒をしている時だった。彼は酒癖が非常に悪く、酔うと誰彼かまわずに絡んで攻撃性をむき出しにした。後輩、同級生、先輩など彼の周りでその姿を目撃していない者は皆無と言っても過言ではないし、時には居酒屋の店員や通行人にまでつっかかっていくことがあった。
 金藤は語る。
「仲間内では、虎男が酒を飲んで人が変わるってことは有名でした。そんなに強くないのにガンガン飲んでいるうちに、気持ちがデカくなるんです。それで盗みをしに行こうとか、誰々を襲撃しようなんて言いだす。
 ヤバいのは、それを実行に移すところ。それか、周りにいる目下の人間にいら立ちをぶつけるところ。日吉でカミソンをフルボッコにしたみたいに、顔面とか容赦なく蹴り入れたりする。割りばしとかマジで目に突き刺しそうな勢いで向けてきますからね。質が悪いのは、何回殴ってもやめようとしないこと。相手が死ぬんじゃないかって思うまで三十分でも一時間でもやりつづけるんです。常識がぶっ飛んじゃったみたいに。
 それを知ってる奴らは、虎男が酔って文句とか言いはじめたら、あんまりかかわらないようにしてました。同い年とかでも、絡んできて面倒なことになるから、虎男とはゲームとかの付き合いはしても、居酒屋には付き合わない人とかいましたよ」
 黒澤も、虎男の酒癖の悪さを指摘する。
「あいつ、酒飲むとマジ面倒臭いんです。酔うと誰に対しても絡みまくる。たとえば、川崎駅前のたまり場になっているRっていう居酒屋に行くでしょ。ある日、俺が腹が痛くなってトイレにいたんだよ。虎男たちは会計して待ってた。そしたら虎男が待たされてることにキレて、トイレに入ってくるなりドアをぶっ壊して、『遅えんだよ!』つって殴りつけてきた。二コ上の俺に対してだよ。おかげでこの店は出禁になった。
 こんなんだから年下の奴にはもっとひどかった。絶対誰か殴ったり、壊したりする。俺らも、できるだけ虎男とは飲みたくないと思ってたけど、夜になると誘ってくんだよね。カミソンとかも、面倒臭いって言ってたよ。カミソンは酒ほとんど飲まないし、年下で目の敵にされるから嫌だったんじゃないかな」
 虎男は未成年だったため、事件後の報道では虎男の暴力とアルコールの関係性についてほとんど語られてこなかった。だが、松本俊彦氏(国立精神・神経医療研究センター部長)は、事件の経緯からするにアルコールが事件に影響を及ぼした可能性を指摘している。ちなみに、犯罪とアルコールの関係は深く、「傷害および殺人事件」の四〇~六〇パーセント、「強姦事件」の三〇~七〇パーセント、「DV事件」の四〇〜八〇パーセントにアルコールが関係しているという。(「毎日新聞」二〇一五年四月九日)
 虎男の飲む酒の種類は手当たり次第で、ビール、焼酎、サワーはむろん、ウイスキーやウォッカのようなアルコール度数の高い酒を飲むこともあった。
 一度飲みはじめれば、イライラした様子を見せることも少なくなかった。逆に言えば、大なり小なりそれだけ多くのトラブルを事件までに引き起こしていたのだろう。事件で逮捕されるまで虎男が補導された回数は、窃盗、深夜徘徊、喫煙など計十三回を数える。
 
 高校三年になり、星哉との付き合いが一年以上に及んだ時、虎男の周りにいるメンバーの顔触れは少し変わっていた。彼の酒癖の悪さについていけず、遠ざかっていった者が出てきていたのだ。逆に、剛志のような新たなメンバーも加わっており、グループは次第に非行と暴力の色を強めていた。
 こうした中で虎男が酒に酔って起こしたのが、鉄パイプによる暴行事件だ。事件の顛末を詳しく述べよう。
 六月の深夜、虎男はメンバー数人とともに居酒屋で酒を飲んで騒いでいた。いつも仲間内でやっているような飲み会だった。その中には、星哉の姿もあった。日付が変わり、彼らは別のところへ移ろうという話になり、会計を済ませて店を出た。
 メンバーの一人が盗んだ原付に乗ってやってきたので、虎男は後ろに乗せろと言って座席にまたがった。その時、虎男はどこからか持ってきたのか、一本の鉄パイプを握りしめていた。
 運転席のメンバーがアクセルを回して出発すると、少し先に自転車をこいでいる五十代の男性の姿があった。すれちがおうとした瞬間、突然ガコッと鈍い音がし、男性が自転車ごと道端に倒れ込んだ。虎男が、鉄パイプで男性の後頭部をいきなり殴りつけたのだ。
 虎男が叫んだ。
「行け!」
 メンバーは命じられるままにアクセルを回してその場から逃げ去ったという。殴られた男性は病院に運ばれ、後頭部を十二針縫う大怪我をし、警察に通報。虎男は警察に逮捕され、少年鑑別所へ送られることになったのである。
 初公判の前日、「毎日新聞」(2016年2月1日)が、被害者の男性にインタビューをして、記事にしている。
 少年は2014年6月19日未明、川崎市川崎区内を走行中の原付きバイクの後部座席に乗り、自転車で帰宅途中だった男性の後頭部を鉄パイプで殴り、12針を縫う大けがをさせたとして検挙された。
 半年後の14年12月、飲食店店長をしている被害者の男性の元に、見ず知らずの少年から手紙が届いた。「今回、きずつけてしまい申しわけございません」。2枚の便箋に1行おきに8行の文が書かれていた。「あの日自分は、よっていて、(略)やったあとになって、ざいあくかんがありました」「深くはんせいしています」
 被害者が示談に応じれば、家庭裁判所が社会生活を送りながら更生させる処分を選択することがある。
 男性に届いた手紙には「ちりょうひは払いたいとおもっています」という少年の言葉が記され、示談に関する弁護士の書面が添えられていた。
 男性は「当たりどころが悪ければ死んでいたかもしれません。そうなっていた時のことを想像してみてください」と返事を書き、「これをきっかけに、社会人になって、人に迷惑をかけない人間ではなくて、人のため、社会のためになる人間になって」と伝えた。
 少しでも責任を感じてもらおうと、約1年半の間、少年が自分で毎月一万円を支払う条件を付け、示談に応じることにした。15年1月、少年は両親とともに男性に会って直接謝罪し、二度と同じようなことをしないと約束した。男性を殴った理由は「酔っていてよく覚えていない」と話した。男性は手紙に書いた思いを改めて伝えて正式に示談し、高校を卒業するよう助言もした。
 家庭裁判所か警察、あるいは弁護士が両親に命じて謝罪文を書かせたのだろう。文面を見るかぎり、虎男は漢字を調べることすらせずに手紙を書いている。また、酒に酔うと罪悪感を失い、記憶を忘れる質であることが読み取れる。両親は何を考えてこの手紙を書かせたのか。
 示談では治療費も含めて合計二十五万円を支払うことになった。ただ、虎男はアルバイトをしておらず貯金がなかったことから、家族で相談して最初に父親が十万円を支払い、残りの十五万円を虎男が十五回にわけて払うことにした。虎男は一月以降も賽銭泥棒で多額の金を入手してゲームセンターで遊んだり、酒を飲んだりしていたにもかかわらず、裁判の時点で未だ完済していない。
 この事件で、虎男は少年鑑別所へ送られ、保護観察処分が下された。保護観察処分を受けて社会にもどされる際には、一般遵守事項(全員が守るべき事項)と特別遵守事項(事件の内容や経緯によって個人に課せられる事項)と二つの取り決めがなされる。これらを破ると保護観察が取り消されて少年院送致などの処分が下されることもあるのだ。虎男の場合は、アルコールを飲んで事件を起こしたことから、特別遵守事項の一つとして、二十歳未満であるにもかかわらず、「飲酒をしない」という項目が定められた。
 おそらく虎男が人生を変えられるとしたら、保護観察処分を受けたこのタイミングだったはずだ。事件と向き合って反省し、周りの大人から助言を受けて生活態度を改めれば、軌道修正は可能だった。だが、彼が生活態度を改めることはなかった。父親によれば、少年鑑別所へ送られて高校卒業が絶望的になったことで投げやりになっていたという。
 父親は語る。
「鑑別所を出てから、今後どうするかということを息子と話し合いました。息子の答えは、『学校をつづけたい』でした。でも、鑑別所に入ったことから、学校側からは卒業は厳しいと言われていました。それで、息子は卒業をあきらめ、仕事の相談をしてくるようになっていました」
 卒業が厳しいと言われたとしても、留年して一から学業に励めば卒業できたはずである。だが、虎男は下級生のクラスに入って学業をつづけるような気概はなく、かといって目標を持って社会に出て行くこともできず、自暴自棄になっていた。
 虎男は保護観察中であることから目を背け、逮捕前と同様の荒んだ生活を送るようになる。母親の言葉である。
「(少年鑑別所から出た後、家裁からの)“約束”を守るために日記を書くようになりました。息子の毎日の生活、何をしているのか、書いていきました。初めちゃんとしていましたが、だんだん起きなくなったし、夜に帰ってくるようになりました。私は『(特別遵守事項を)守らないと問題が起こるので守りなさい』と言いました。息子はわかったといいました。でも、何度も注意しても、直りませんでした。私がお酒を飲んだのを知ったのは二回です。一回目は『何で飲んだの!』と注意したら、『先輩とちょっとだけ飲んだ』と言って、二回目は『友人と飲んだ』と言いました」
 友人の話では、保護観察中もほぼ毎日飲んでいたという。母親が本当に飲酒の事実を二回しか認識していなかったとしたら、ずさんな管理しかしておらず、親としての監督責任を果たしていなかったと言わざるをえない。
 保護者としての自覚が足りなかったのは父親も同様だった。彼は息子の管理を母親に任せきりにして、自分はまったくといっていいほど介入していなかった。それは父親の「(虎男が酒を飲んでいたか)チェックしていません」「(友人関係について)はっきりと確認していなかった。息子を信じていた」といった言葉からもわかる。「信じていた」と語りながら、実際のところは「放任していた」のだ。
 夫婦を知る近所の人物は言う。
「土地柄もあると思います。ここらへんじゃ、普通に十代の子が居酒屋に入り浸ったり、コンビニでお酒を買っていたりするのは珍しいことじゃありません。大人たちもそれに慣れてしまっています。私は、ご両親が悪い人だとは思いません。でも、飲酒や夜遊びに対する感覚は、普通のそれとはズレていたのかも。きっとそういう町や家庭の空気があの子たちの犯罪を後押ししてしまったのかもしれません」
 虎男をきちんと見守るシステムはなかったのか。
 国の保護観察の制度では、家庭の中で保護者が少年を監督することが義務付けられているが、保護観察官と保護司も本人たちを支援したり、指導したりすることになっている。
 保護観察官は、監督的な立場で少年の更生を見守る役割だ。全国五十カ所の保護観察所などに配置され、保護観察の実施計画書を作成し、少年と定期的な面接を行ったり、遵守事項を守って生活しているかを判断し、時には保護司への助言もする。
 保護司の方は、保護観察官より少年に近いところで支援を行う。保護観察所と少年の間に立って、日常生活の相談、就労の手伝い、遵守事項を守っているかどうかの見守りなどをするのだ。少年が一定期間(原則として二十歳まで。少年が十八歳以上の場合は二年ほど)問題を起こさなければ、保護観察が解かれる。
 だが、この制度には未整備なところもある。最大の問題は人材不足だ。現在日本では年間に四万九千人の少年が保護観察を受けているが(成人を合わせると八万五千人)、保護観察官は全国にわずか千人ほどしかおらず、一人が数十人の少年を担当しているのが現状だ。これではすべての少年の行動を把握して適格な指導をするのは難しいし、全国四万八千人いる保護司の把握や指導も容易ではない。
 保護司が抱えている問題に関しては、その社会的立場が挙げられる。保護司は善意で成り立つ無償ボランティアであるため、大半が別に生業を持っているのだ。そのため、少年に向き合うだけの十分な時間がなかったり、対応に温度差が生じてしまったりすることがある。
 さらに保護司が異口同音に語るのは、今の少年たちと信頼関係を持って結びつくことの難しさである。少年たちは一時代前の非行少年とはちがい、仲間とはSNSでつながっていて会話から遊びまでほぼすべてそこで完結してしまう。
 虎男たちも、共通趣味はゲームやアニメなど。非行といっても自宅で酒を飲んで、酔った勢いでメンバーに暴力をふったり、暗がりの中で賽銭泥棒をしたりしていれば、その事実が表出することは少ない。また、保護司の高齢化が顕著で、SNSを主体にする人間関係についていけないばかりか、地域の人と一緒に見守りを行うことが難しくなっている。虎男が保護観察中だったにもかかわらず、「野放し」の状態になっていたのはそうした背景もあるだろう。
 この結果、起こるべくして起きたのが、一月十七日の日吉事件だった。裁判で虎男はこの時の飲酒量を「五百ミリリットルの缶ビールを二本」と発言したが、第一章でみたように現場にいた友人の話はまったく異なる。深夜の竹林でウォッカを含む大量の酒を飲み、周囲が介入をためらうほど酔って暴力的になっていたのだ。その犠牲となったのが、一番年下の遼太と中学三年の中村だったのである。
 両親は特別遵守事項の内容を知りつつ、なぜ日吉での事件を止められなかったのか。母親は語る。
「十七日の夜は、家に帰ってきませんでした。それで『何やってる? お母さん寝るよ』と連絡しました。息子は『友達といる』と言ってきたので、『お母さん寝るよ。早く帰って来なさい』とつたえて、薬を飲んで寝ました。朝の九時くらいに起きたら、息子は家で寝ていました。それで帰って来たんだと思っていました」
 母親と子供のコミュニケーションも携帯電話でしかつながっていない。だとすれば、母親が息子の非行を知る術はない。保護司においてはなおさらだ。
 こうして日吉事件が発端となり、虎男は事件へと突き進むことになる。吉岡兄弟が遼太への暴行の事実を知って虎男を脅迫しはじめるのである。
 事件の起こる三週間ほど前から、虎男は高校へ行かなくなっていた。この時期の虎男は、自分自身が無数の問題によって追い詰められているような気持ちになっていたはずだ。保護観察、示談金の支払い、高校中退、吉岡兄弟からの恐喝……。身から出た錆とはいえ、自分でもどうしていいかわからず自暴自棄になっていただろう。
 客観的に考えれば、虎男は親や保護司の力を借りて一つひとつ解決していくしかなかった。だが、彼はそうしようとは考えなかった。毎日のように酒を飲んで鬱憤を晴らすことで現実から目をそらしていたのだ。その無思慮な行動が最悪の結果を招くことになる。
 事件の直前も、虎男は数時間にわたってマンションと中華料理店でアルコールを摂取していた。それは彼の内面に潜んでいる凶暴性を覚醒させるに十分な量だっただろう。そしてそれが、多摩川の河川敷へ行った後、カッターによる殺害を後押しすることになったのだ。
判決
 二〇一六年二月二日から、横浜地裁ではじまった虎男の公判は、三日間審議が行われることになった。裁判長は近藤宏子。これまで東京や名古屋で数々の事件の裁判を手掛けてきたベテランだ。
 連日大勢のマスコミが押しかけ、法廷での発言が即座に速報として流される中、裁判は粛々と進められていった。虎男は声が小さいことを度々注意されながら、聞かれたことについては最低限の言葉で淡々と答えていた。
 公判の被告人尋問や証人尋問が終了した後、検察官が論告求刑を行った。検察は事件の重大さについて「少年犯罪の中でも特に残虐性が強く悪質」と指摘し、懲役十年以上~十五年以下の不定期刑を求めた。これは少年法が規定する不定期刑としてはもっとも重い罪である。
 被害者参加制度を利用して公判に出席した善明と雅子も、それぞれ弁護士を通して思いのたけをぶつけた。双方が求めたのは、無期懲役だった。善明は極刑を望んでいたものの、現実的には難しいとの判断から無期懲役を選んだのである。
 こうした求刑に対して、虎男の弁護側は次のように主張した。今回の事件は初めから殺意をもって行われたのではなく、「カッターが差し出される偶然から起きた事件」だとした。その上で、体罰を受けて育ったという虎男の生育環境、事件を起こしたことを反省していること、更生の可能性などを挙げて、五年以上~十年以下の不定期刑を求めた。
 二月十日が判決の日だった。裁判長は虎男に向かってこう述べた。
「被害者を逆恨みし、知人からの報復や逮捕を恐れて殺害したのは自己中心的で短絡的な発想であり、強く非難される」「ほかの2人の少年に指示するとともに、みずからも切りつけて犯行を主導しており、責任は最も重い」
 そして次の判決を下したのである。
 
 懲役九年以上~十三年以下
 
 翌三月二日からは、剛志の公判が幕を開けた。
 法廷に現れた剛志は、白襟のシャツに紺色のセーターを着ていた。首のあたりの肉がこけてやつれているだけでなく、短く刈った髪には十代にもかかわらず白髪がまじっている。逮捕から一年、心身ともに疲弊しているのが見て取れた。
 三日間の審議が行われた後、検察官の論告求刑が行われた。検察官が求めたのは、四年以上~八年以下の懲役刑だった。虎男の強い指示によって暴行に加わったことは認めつつ、虎男がいたことを知っていて遼太を呼び出したこと、兄のように慕っていた遼太を切りつけたことを重要視して罪は重いとしたのである。善明と雅子も、虎男の時と同じく剛志に対して無期懲役を求めた。
 一方、弁護士は大きく二つの理由から寛大な処置を求めた。
 第一が、剛志も虎男の被害者の一人であるという見方である。剛志は遼太の殺害に積極的に加わる動機がなく、一時は現場から離れている。にもかかわらず、虎男によって呼びもどされて暴行に加わるように強いられた。これは、彼が自分の身を守るためにやらざるをえなかったことを示しているというのである。
 第二に挙げられたのが、彼の劣悪な生育環境が及ぼした影響の大きさだ。母親からの虐待や中学でのいじめによって、彼は自分が傷つくのを避けるために意志を捨て、目の前の状況を何でも受け入れる性格になった。結果としてそれが暴行に加わる要因になったので、剛志にのみ責任を負わせるべきではないという。
 これらを理由に弁護士は、剛志が刑事裁判で裁かれるのは適切ではないと訴え、「少年院で育て直せば、更生の可能性がある」として家庭裁判所への移送(家庭裁判所で改めて審議して処遇を決めること)を求めた。
 傍聴席から弁護士の主張を聞きながら、私は何とも言えない気持ちになっていた。今回の事件は、フィリピン人ホステスの子供が起こした事件として、かつて三鷹女子高生ストーカー殺人事件を起こした池永チャールズ・トーマスと重ねて論じられることがインターネット上で度々あった。その裁判でも、弁護側は剛志に対してしたように、「幼少期の劣悪な環境」が事件を引き起こした要因の一つであるとして情状酌量を求めたことを思い出したのだ。
 この事件は、二〇一三年の十月八日に東京都三鷹市の一軒家の前で起きた。犯人のトーマスは当時京都在住の二十一歳。彼はフェイスブックで知り合ったタレントの卵である女子高生(同十八歳)と恋に落ち、頻繁に東京に通って遠距離恋愛を育んだ。
 交際そのものは順調だった。だが、トーマスは、交際にあたってある秘密を抱えていた。フリーターだったにもかかわらず、有名私立大学の学生であると身分を偽り、英語が堪能だと誇張して話していたのである。女子高生は小学生の頃から芸能活動をしていただけでなく、学校では成績優秀、リーダー的な存在だったため、自分の前を歩く年上の大学生と交際できたことを素直に喜んでいたようだ。
 トーマスは連日のように女子高生と連絡を取り、自分を嘘で塗り固めて虚栄を張っているうちに、いつかそれがバレるのではないかと怖くなり、「留学をする」と言ってアメリカへ旅立つ。そしてたびたび女子高生の愛情を試すかのごとく、わざわざ連絡してきては別の女性と遊んでいる画像を見せたり、距離を置こうと言い出したりするようになった。うまくいっている現実が、逆に恐ろしくなったのかもしれない。後で述べるように、彼は凄惨な幼少期をすごしていたことから、自分が幸せになれるはずがないという強烈な思いを抱えていたと考えられる。
 女子高生の方は、そんなことをされているうちに愛情を少しずつ失い、やがて別れを切りだす。別に気になる男性ができたのだ。トーマスは自分が蒔いた種であるにもかかわらず、女子高生が別の男性と仲良くしていることを知り、「裏切られた」と逆上。交際中に撮影した性行為の写真をばらまくと脅して、関西の自宅に呼びつけて手錠をはめてレイプをし、その後約束を破って実際に写真をインターネットに流出させた。
 彼の衝動的な行動はこれだけでは収まらなかった。なおも「この苦しみから抜け出すには、彼女を殺すしかない」との思いに駆られ、友人をつれて東京へ行って刃渡り十三センチのペティナイフを購入。一週間以上も家の近所に潜むなどしてチャンスをうかがった末、三鷹にあった家に忍び込む。そして、学校から帰宅した女子高生に襲いかかり、首や背中など十一カ所をペティナイフで刺して殺害したのである。
 本事件は、「リベンジポルノ」という言葉を広く世の中に知らしめ、世間の注目を集めたばかりでなく、後にリベンジポルノ被害防止法(通称・略称)が成立するきっかけとなった。ただ、裁判の中では、リベンジポルノという行為のほかに、もう一つ注目を浴びたことがあった。トーマスが幼少期に受けていた壮絶な虐待である。
 先述のようにトーマスの母親も、虎男や剛志の母親同様に出稼ぎを目的として日本にわたってきて、水商売をしていたフィリピン人だった。母親は日本語能力に乏しく、親子の間で細かな会話はほとんど成り立たない状態だった。彼女はトーマスをまともに育てようとせず、夜は仕事に明け暮れ、それ以外は恋人との時間を優先して何日も帰って来ないことが日常化していた。ネグレクト(育児放棄)である。
 アパートの電気や水道は料金未払いでたびたび止まった。幼いトーマスはそんな部屋に四日も五日も独りぼっちで取り残されていた。お腹がすけば近所のコンビニへ行って賞味期限の切れた弁当をただでわけてもらい、アトピー性皮膚炎の体のかゆみが耐えがたくなればアパートの共同トイレの水で体を洗う日々。話し相手さえいなかった。
 母親がようやく家に帰ってくるようになったと思ったら、今度は母親の恋人の男性が転がり込んできた。次々とつれ込まれる同棲の相手は、暴力団員や何をしているのかわからないような男たちばかり。
 彼らはトーマスに対して拷問さながらの虐待をした。何か言っただけで「うるせえ!」と怒鳴られ、ライターの火で鼻の中をあぶられた。全裸にされてベルトを鞭替わりにして叩かれつづけたこともあれば、炎で熱した鉄を体に焼き印のように押し付けられたりしたことも、水風呂に放り込まれたこともあった。また、母親との性行為を見せつけられるのも日常茶飯事だった。
 このような幼児期からの虐待などによる過度なストレスが、子供の脳の健全な発育を妨げることは、精神医学や心理学の分野で明らかにされている。
 裁判で弁護側が指摘したトーマスの特徴は、例えば次のようなものだ。
・幼少期から理由もなく殴られ、母親に何を言っても言葉が通じないので、自分の意志を持てないようになった。
・自らの痛みに無感覚になるあまり、他人の痛みや気持ちについても想像することができなくなった。
・暴力によって否定されつづけるあまり、自分に対して否定感しか持てず、あらゆることに投げやりになった。
・追い詰められた時に、解決策を暴力に求めるようになった。
 弁護側は、トーマスが女子高生に対して試し行動のようなふるまいをしたのは「自己否定感」の表れだとした。そして、女子高生に背を向けられたことで逆上して解決策を暴力に求めた背景の一つは、幼少期に男性や母親からの暴力を慢性的に受けていたためだと主張したのだ。
 実際、法廷の証言台に立ったトーマスの言葉遣いは、弁護側の主張にうなずきたくなるほど異様だった。スーツに身を包んで真剣な表情で、しかし時代劇さながらの言葉遣いで、女子高生を殺害したことを「恋慕ゆえにしたことで後悔はしておりません」と言ったり、女子高生への気持ちは「愛ではなく恋慕でございまする」と言ったりするのだ。遺族の苦しみがどれだけのものかわかるかと問われた際には、難しい顔をして言葉を選びながら次のように答えた。
「頭ではわかりますが、実感としてはわかりませぬ」
 最初は彼が冗談や侮辱のために言っているのだと思っていた。だが、彼の表情は最初から最後まで真剣であり、本当に罪の重要性を理解したくてもできないという苦しみのようなものが感じられた。
 私は、そんな彼を見ながら、虐待がいかに人間の心を破壊するのかを実感した気がした。彼は母親のネグレクト、乏しい言語能力、男たちからの虐待を受けたことで、心が壊れたまま大人になった。それゆえ、彼は正常な人間関係を築くことができなくなったし、人の気持ちや痛みを理解できなくなったのだろう。
 長々とトーマスの事件について述べたが、今回の剛志の裁判における弁護側の主張の一つは、トーマスの裁判と同様のことだった。剛志もネグレクトなど不遇な家庭環境の中で育ち、それが事件にかかわる背景の一つとなったとしたのである。ただ、トーマスの場合は、虐待を受けた経験が情状の理由になるとは認められなかった。私が剛志の裁判で感じたのは、今回の裁判で裁判長がどれだけ剛志の成育歴を加味するかという点だった。
 判決の日、裁判長は、剛志の生い立ちに多少の理解は示して次のように述べた。
「被告人の成育歴には不遇な面があり、このため、被告人は、家庭に居場所がなく、不良交遊に居場所を求め、しかも、成育歴の影響を受けたために、性格的には、状況判断が甘く、想像力や感受性が乏しく、成り行きに任せて物事を気楽に考え、危機を感じても問題解決に向けて行動をするよりも無力感を感じて逃避的になるといった傾向のあることが認められる。被告人が本件犯行に及んだことや、被害者を助けようとしなかったことについては、これらの成育歴に由来する被告人の性格傾向が相当程度影響しており、この点は被告人に対する責任非難を減少させる事情である」
 しかしながら、次のようにもつづけた。
「被告人が自ら本件犯行の契機を作出した責任が大きい上に、被告人が被害者に加えた暴行も、力はあまり入っていなかったとはいうものの、頸部を3回切り付けるという危険性、悪質性の高いものであることなどに照らせば、被告人について、その凶悪性、悪質性を大きく減じて保護処分を許容し得るまでの『特段の事情』があるということはできない」
 こうして下された判決は次だった。
 
 懲役四年以上~六年六月以下
 
 判決が言い渡された後、虎男も剛志も控訴することなく罪を受け入れ、少年刑務所で刑に服すことを選んだ。二人に費やした裁判の日数は七日間。それは事件の凄惨さに比べれば、あまりにあっけない幕切れだった。
 
 二つの裁判が幕を閉じた後、横浜地裁を後にした私の胸にはまだ納得のできない気持ちがあった。百歩譲って、虎男と剛志が罪を認めて罰を受け入れたのはいいとしても、事件が起きた原因を彼らの責任だけにして済ませられるものなのだろうか。
 私の胸に引っかかっていたのは、虎男と剛志が保護観察中に事件を起こしたという点だ。
 法務省は、少年院や刑務所での生活を「施設内処遇」と呼ぶ一方で、保護観察は社会の中で処遇を行う「社会内処遇」と定義づけている。施設の中で行うか、社会の中で行うかのちがいはあれど、国がきちんと少年を監督、支援、指導する責任はあったはずなのだ。にもかかわらず、虎男の裁判でも、剛志の裁判でも、保護観察官や保護司が彼らの非行を止めることができなかったことについての責任問題は話題に上ることすらなかった。
 事件を防げなかったことを、関係者はどのように受け止めているのだろうか。この後、私は二度にわたって川崎市を管轄している横浜保護観察所へ取材の申し込みをした。一度目は事件についての見解を聞きたいと依頼し、二回目は保護観察制度についての見解を知りたいと依頼した。
 横浜保護観察所は、二度の申し込みをすべて断った。回答を要約すれば次の通りである。
「プライバシー保護の観点から、一切の取材を受けることはできません。保護観察制度全般に対する質問についても、事件の文脈で聞きたいということであれば、取材はお断りいたします」
 保護観察官や保護司個人の責任問題を問うつもりはなかった。にもかかわらず、一言も見解を出してもらえなかったのである。
 善明は、弁護士から聞いた話として次のように述べていた。
「事件の責任の一端は、少年たちを放っておいていた保護観察官にあるはずです。でも、それはマスコミも司法も言及しようとしない。噂ですが、彼らの中では保護観察官の責任問題について言及することはタブーになっているようです」
 司法の壁の高さを感じずにいられなかった。
 すでに述べたように、成人も含めれば保護観察処分を受けている人の数は、年間で約八万五千人。少年にかぎっても、その数は約四万九千人に上るのだ。そうした人々を虎男や剛志のように「野放し」にせず、指導、支援するには、実際に起きてしまった事案と向き合ってきちんと検討し、保護観察の制度がかかえている問題を一つひとつ解決していく必要があるはずではないか。
 だが、保護観察所の扉は固く閉じられたままなのだ。
全面否認
 二人から遅れること二カ月後の五月十九日、横浜地裁で加害少年三人目の星哉の初公判が開かれることになった。罪名は傷害致死。これまで同様、三名の裁判官と六名の裁判員によって審判がなされた。
 午前十時、裁判がはじまり、星哉は白いシャツを着て、被告人の中でただ一人髪を伸ばして現れた。まるで遊びに出かけるかのように整髪料によって横にウェーブしセットされていたのだ。髪を刈って黒っぽい服で現れた虎男や剛志とは、法廷に挑む印象がまったくちがった。
 傍聴席には、これまでと異なり倦怠感のようなものが立ち込めていた。すでに二人の裁判が終わって大方のことが明らかになっていたことから、新たな事実が出る余地がないと思っていたのだ。
 公訴事実の確認が行われた時、傍聴席にすわっていた人々は、星哉の一言によって鈍器で殴られたような衝撃を受けた。裁判長に検察の公訴事実の真否を問われ、星哉はふてぶてしい口調で言い放ったのだ。
「(公訴事実とは)ちがいます。上村君に対して殺意はありませんでした。首を切りつけたり、頭を打ちつけたりしていません」
 検察側の起訴内容を、全面否認したのである。
 弁護側も次のように支持した。
「無罪を主張します」
 傍聴席にいた私は耳を疑った。虎男と剛志は起訴事実をほぼ全面的に認めて控訴すらせずに罪を受け入れた。星哉だけがそれを真っ向から否認し、無実だと言い切ることはできるのだろうか。
 記者席にすわる記者たちも同じことを思ったのだろう、一瞬の間があってから立ち上がり、法廷を駆け出していく。数十分後には、「少年C 無罪を主張」という見出しの記事がメディアに踊った。ざわつきの収まらない法廷で、こうして星哉の裁判が幕を開けたのである。
 裁判での星哉は証言台にすわり、驚くほど感情のこもっていない口調で語る少年だった。口数は少なく、時折体を揺さぶるように動かして、どんな質問に対してもセリフの棒読みのような言い方で答える。
 彼が否認した事実関係はおおよそ次の通りだ。
 ・遼太のことは一回見ただけで知らない。
 ・カッターを手渡した記憶はない。
 ・河川敷での暴行に加わっていない。
 暴行のために河川敷へ行くことも知らずについていっただけで、遼太が暴行されている最中は何もせずに傍にいただけと主張したのである。
 裁判がはじまったばかりの頃、あまりに星哉が平然と言い切るので、彼の証言の方が正しいのではないかと思いかけた。だが、よくよく聞いてみると、つじつまの合わない点がいくつも浮上してきた。
 星哉は前後の状況から考えて矛盾することを平気で述べたり、検察の主張を覆す証拠を出すことなく、「知らないっす」「やってないっす」「覚えてないっす」と言って否定したりしているだけなのだ。証言をすればするほど、無実という名のメッキがはがれ落ちて、星哉の異常な正体があらわになっていくようだった。
 傍聴席にいた人たちも同じことを思ったのだろう。星哉や弁護士が発言する度に、あちらこちらからうんざりしたようなため息が漏れ、次第に傍聴席には空席が目立つようになっていった。
 法廷で星哉はどのような主張をし、それがいかに信憑性に欠けていたのか。特に重要な三点について考えたい。
 一つ目が、星哉が遼太と面識がほとんどなかったという点だ。これについて彼は次のように証言した。
「虎男とは中学高校が同じで、高2から遊ぶようになりました。剛志とはこれまで二、三回会っただけで、携帯もLINEも知りません。上村君とは一回会っただけです。虎男がつれてきたので見かけました。上村君の名前は知りませんでしたし、『カミソン』というあだ名は事件後にテレビで知りました。日吉事件とか、他のトラブルも聞いていません。それらを知ったのは、事件で逮捕されてからです」
 遼太に関しては一度見かけただけで名前すら知らなかったというのだ。
 だが、虎男は自身の公判ではっきりと事件の数日前に紹介したと語っており、名前を言わなかったことは考えにくい。
 また、事件を起こす直前、中華料理店で虎男と剛志が遼太を呼ぶかどうかの話し合いをしているし、若宮八幡宮や河川敷で虎男がなぜ腹を立てているのかを遼太に向かって語っている。傍にいた星哉がまったく聞いておらず、事情を知らずに殺害現場にいつづけたとは信じ難い。
 二つ目が、星哉がカッターを虎男に手渡した覚えがないという点である。これに関する星哉の主張は次の通りだ。
「僕のカバンは虎男が持っていて、カッターはその中に入っていました。虎男はバッグにカッターがあるのを知っていました。マンションで話をしていた時、仕事の相談をされて、僕がバッグにカッターが入っていると話したからです。僕が『見る?』と訊いたら、『いい、大丈夫』と言われました。
 河川敷に着いてから、虎男が先に上村君をつれて川の方へ行きました。僕が行ってみると、上村君は全裸になって仰向けになっていて、その後虎男がカッターで彼の頬を切りました。それから護岸斜面の横の草地に移って、彼からカッターを差し出されて、初めてカッターの形や色から自分のものだとわかったのです」
 虎男はバッグにカッターが入っていたのを知らなかったと証言しているし、剛志も河川敷へ移動する最中、虎男は手ぶらだったと答えている。マンションの防犯カメラには、事件前に虎男がバッグを持って出ていくところが映し出されているが、河川敷に来るまでに遼太の肩に腕を回したり、殴ったりしており、最後まで持っていたかは定かではない。虎男自身は「自転車のかごにバッグを入れた」と証言している。
 さらに暴行がはじまった後、虎男はカッターを手に取って何度か切りつけたものの、「自分じゃ殺せない」と思って剛志を呼びもどして手伝わせた。結果としてそれが四十数回の傷となったのだ。そう考えると、自らカッターを取り出したのではなく、星哉にカッターをわたされたと考える方が自然だろう。
 最後が、星哉が暴行に加担しなかったと主張する点だ。彼はこう語った。
「(虎男がカッターで遼太を切っている間)僕は草地にすわってその様子を見ていました。止めなかったのは、昔同じことをしていた時に間に入っても止めなかったからです。何か言って自分が切られても嫌だという思いもありました。
 その後、剛志がやってきたので、虎男がやれと命令していました。剛志は『捕まっちゃう』『外国に帰れなくなる』と嫌がっていましたが、虎男が『やんなきゃお前をやるぞ』みたいな感じでカッターを顔に向けた。ただ、その時は彼が持っているのがカッターだとはわかりませんでした。その後で、剛志もカッターで切りはじめました」
 虎男と剛志が二人で暴行をしていたというのである。では、その間、星哉は隣で何をしていたのか。
「川で上村君を泳がせてから、虎男たちはよりつよく切りつけていました。僕はずっと同じところにすわって携帯をしたりしていました。だから全部見ていたわけじゃありません。虎男からは『おい、星哉もやって』と言われました。僕は『自分はできない。無理』と言ったのですが聞いてくれないので、いったん立ち上がってコケるふりをしました。酔ってなかったけど、やりたくなかったので、コケるくらい酔っているように見せかけたんです。
 虎男はそれを見てあきらめたようです。僕が元のところにすわると、彼はまた自分で切りはじめました。僕はそれをずっと見ていたり、携帯をしていたりしました。上村君の頭を護岸斜面のコンクリートに打ちつけたという証言もありますが、僕はそんなことはしていません」
 虎男は、星哉もカッターを受け取って遼太を切ったと明確に証言している。護岸斜面への打ちつけについても認めており、遼太の遺体の額には固い物にぶつかったような痕が残っているのが検案で明らかになった。
 剛志の方はコンビニへ行っていたため、直接星哉がカッターで遼太を切っているのを目撃していないものの、「(星哉が)カッターを受け取ったと思っていました」と述べ、護岸斜面のことについては「護岸斜面に遼太の頭を叩きつけているのは見ました。虎男がすわって見ていて、星哉が叩きつけていました」と語っている。
 これだけ凄惨な殺人が起きた中で、星哉だけが何もせずに平然と携帯をいじっていたと言われて簡単にうなずける人はいないだろう。検察官ばかりでなく、裁判官や裁判員たちも同じように考えていたらしく、被告人質問の際に事実関係をくり返し問いただしたが、星哉は開き直ったように同じ主張をくり返した。彼の証言が無責任で曖昧であることをつたえるために、一部をそのままの形で引用する。
 
 ――なぜ暴行がはじまったのか知っていますか。
「知りません」
 ――止めようとは思わなかったのですか。
「思ったけどできなかった」
 ――逃げようとは思わなかった?
「(家に帰る時に虎男の自転車で)送ってくれる(約束になっていた)ので、その時は思わなかったんじゃないですか」
 ――暴行をしている時に、君は携帯電話をいじっていたと言っていました。その時間があるのなら、通報できたのでは?
「その時はそこまで考えていませんでした」
 ――じゃあ、虎男が嘘の証言をしている、と。その理由はなぜですか。
「自分を巻き込みたいんじゃないですか」
 ――虎男は君を恨んでいた?
「わからない」
 ――じゃあ、なぜ?
「巻き込みたいんじゃないですか」
 ――理由は?
「特に思いつかない」
 ――剛志も君がやったと証言しています。
「剛志のことはよく知らないし、よくわからないです」
 
 これだけでも星哉の不誠実さはつたわると思うが、信じがたいのは現場にいた理由である。河川敷から自宅マンションまでは徒歩十五分ほどにもかかわらず、彼は現場にいつづけ、さらに公園で遼太の服を焼くところまで付き合ったのは、虎男に自転車で家まで送ってもらうためだったと言い放ったのだ。
 証言台の真横にある席で、善明と雅子は怒りに唇を震わせて星哉を睨みつけていた。わが子を殺しておいて事件に向き合おうともしない少年の姿に殺意すら湧いているような眼差しだった。星哉はそれに気がつきながら、平然と白を切るだけでなく、時には遺族や検察官を嘲るようにニタニタと笑ってみせた。
 たとえば、検察官から事件についての思いを聞かれたことがあった。普通ならば、被告人が事件を思い出して反省を示すところである。だが、星哉は薄笑いを浮かべながらこう語ったのだ。
 
 ――事件後は後悔した?
「考えないようにしてました」
 ――なぜ?
「考えたくなかったから」
 ――後悔を遺族につたえようとしたことは?
「なかったです」
 ――虎男や剛志に対してはどんな気持ち?
「虎男に対しては嘘をつかないでほしいと思います。剛志に対しては剛志のことをわからないからいいです」
 
 目の前で、中学一年生の男子生徒が全裸でおびただしい血を流して死んでいった。それを「考えたくなかったから、考えなかった」と言って済まそうとするのだ。
 私は傍聴席の最前列の端の席にすわっていたため、斜め後ろからでも彼が薄気味悪い笑みを浮かべているのが見て取れた。その冷酷な態度に怖気をふるうと同時に、私の脳裏によぎったのは、精神鑑定にあった「ADHDの傾向がある」という言葉だった。
 先述したように、精神医学の研究ではADHDは二次障害として行為障害などを生む例があるとされている。これらの特徴は「罪悪感が抱けない」「他人の気持ちがわからない」といったもので、まったく罪の意識を持たずに虚言を口にしたり、反社会的行為をしたりするケースもある。
 個人的には、犯罪者に発達障害や精神疾患のレッテルを貼り付けて、事件を捉えることには否定的だ。犯罪が起きる背景には、それ以外の要素が多数あるからだ。だが、星哉の冷徹な言葉や挙動を目の当たりにしているうちに、病理に理由を求めなければ自分を納得させることができなくなったのである。
 六月三日、すべての審議が終わり、判決が下されることになった。裁判官は主に次の理由から、星哉の証言が信用に値しないと判断した。
・虎男と剛志は自分に不利な証言もした上で罪を認めて刑に服しており、今更嘘をついて星哉を巻き込む理由が見当たらない。
・虎男と剛志の証言の方が、星哉より具体的で証拠とも矛盾しない。
・星哉の供述内容は不自然かつ不合理な点が多く、信用性が低い。
 こうして星哉の主張を退け、「凶器を手渡すことで犯行をエスカレートさせる契機をつくり、果たした役割は大きい」「未だに自らの行為に向き合うことすらできてない」として求刑通りの判決を下した。
 
 懲役六年以上~十年以下
 
 この判決によって、加害少年三人の裁判は幕を閉じたものと思われた。だが、これで終わることはなかった。判決が出た直後に、星哉は地裁での判決を不服として、控訴したのである。この期に及んで、まだ無罪を主張しつづけたのだ。
 十月十一日、今度は霞が関の東京高等裁判所で、第二審が開かれた。善明も仕事を休んで西ノ島から駆けつけ、雅子も父親や長男をともなって裁判に参加した。一審で主張を退けられていたことから、星哉がどんな新たな証拠を出すのかに注目が集まった。
 開廷して、私はさらに星哉の行動に驚かされる。法廷に、星哉自身が現れなかったのである。被告側の参加者は、弁護士のみ。弁護士が法廷で淡々と語ったのは、一審と同じ無実の主張であり、新しい証拠は一つもなかった。ただ口先だけで、虎男と剛志の証言は嘘であり、無実を主張すると語ったのみだったのだ。
 第二審は午前中の一時間余りで終了し、次回十一月八日には判決が下されることとなった。何も証拠が提出されなかった以上、裁判官は一審の判決が妥当かどうかを検討することしかできない。
 判決の日、裁判長は「被告がほかの少年と共謀して暴行を加えたと認定した一審判決に不合理な点はない」と認め、一審の判決を支持した。
 星哉はこの判決も不服として最高裁判所に上告した。徹底的に争う構えだったのである。だが、最高裁は上告を破棄。事件から約二年が経った一月二十五日、ようやく一審判決通りの不定期刑が確定することになった。
携帯電話のせい
 東京高等裁判所での第二審が終わった日の午後、私は裁判所を出て日比谷公園を通って銀座方面に向かって歩いていた。公園の木々は所々紅く染まり、秋晴れの気持ちのいい陽射しが照りつけている。小鳥のさえずりもあちらこちらから聞こえてくる。
 この日、私は銀座のとある喫茶店で、善明と会ってインタビューをすることになっていた。高裁での裁判が終わった今、彼は遼太の父親として何を思っているのか。そのことを聞きたく、西ノ島へ帰る前に時間を取ってもらったのである。
 昼食時ということもあって、公園にはスーツ姿のビジネスマンたちがゆっくりしている光景があった。だが、私は胸に溜まる後味の悪さを感じながら、口を閉ざして歩くことしかできなかった。
 裁判で明らかになった星哉の不誠実さに不愉快な気持ちになったのはもちろんだが、同時に、裁判で垣間見た遺族同士の感情の衝突が気にかかっていた。公判では、判決が下される前、意見陳述といって被害者の家族が加害者や裁判官に意見を述べる時間があった。これまでに行われた意見陳述の中で、雅子は前夫である善明に対する批判ともとれる言葉を口にしたのだ。
(遼太は)中学に入り、バスケ部に所属しました。
 、深夜まで友人とやりとりするようになりました。夏休み頃から家に帰らなくなりました。
 私は早番や残業ですれ違いの生活。夜帰って来ないので携帯に電話をかけても出ず、警察に捜索願を出さないとと思っていたら、息子が帰ってきました。
(傍点著者)
 雅子と善明は 法廷でアコーディオンカーテンの衝立を挟んですわっていた。にもかかわらず、彼女は西ノ島の小学校時代の遼太との楽しい思い出を述べた後、中学になって善明が携帯電話を買い与えたことがきっかけで、夜遊びをするようになったと訴えるように語ったのである。
 傍聴席にいた女性は、こう感想を漏らした。
「お母さんのあの発言は、元夫が携帯を買ったから遼太が非行に走ったと言っているように聞こえました。どうしてあんな場所で、元夫を責めるような言い方をするんだろうって思いましたね。しかも、自分が恋人と同居して遼太君に目を配れなかったことを棚上げして。遮蔽で仕切られた状況での発言だったので、遺族が身内同士で傷つけ合っているような気がして残念でした」
 中学一年で携帯電話を持つことは珍しいことではない。むしろ、それがあったことで雅子は遼太と連絡を取り合うことができたという見方もできる。それなのに、意見陳述で善明の責任を問うような言い方をしたのである。
 私はその言葉が胸に残り、何ともやるせない気持ちになった。なぜ最愛の息子を殺されて悲しみのどん底にいる元夫婦が、相手を傷つけなければならないのか。
 雅子とて望んで法廷の場で善明を批判したかったわけではなかっただろう。離婚にいたった経緯、事件による精神的な混乱、どうしていいかわからない感情、そうしたものが絡み合ってああいう発言を生んでしまったにちがいない。
 そういう意味では、彼女は批判される対象ではなく、やはり被害者として憐れむべき存在なのだと思う。私は、つくづく残忍な事件が遺族に与えた悲劇の大きさを感じずにいられなかった。
 名誉のために付け加えておけば、雅子は意見陳述で善明の批判を述べただけではなかった。涙声を絞り出すようにしてもっとも多く語ったのは、遼太への熱い愛情であり、それは傍聴席にいた人々の涙腺を緩まさずにはいられなかった。
 一部を引用すれば次のようなものだ。
 
 息子に何があったのか、すべて知らなければならないという覚悟で、(家庭裁判所の)少年審判を傍聴しましたが、十三歳の子供を傷つけた内容はとても人のすることではない。聞くに堪えられませんでした。
 息子のどこにどのような傷があったのか、私たちは初公判まで知りませんでした。首、腕、足、体のいたるところにある傷は言葉では言い表せないほどで、いつも笑っていた息子は残忍な目に遭わされました。
 犯人への怒りよりも、息子がどんなに苦しかったか、どんなにつらかったか、どんなに怖かったかと思うと、とても苦しいです。
 犯人を許すことはできません。くだらない理由で、五歳も年下の息子にひどいことをし、なぜ止めないのか。なぜ助けてくれないのか。
 なんで、なんで、ばかり浮かんできます。
 二月の寒い夜中に川で泳がされたと知りました。息子は自分で服を脱いだといいます。
 家に帰ってきて服が濡れていたら、私に怒られると思っていたのかと思うと、本当につらく、胸がしめつけられます。
 川で泳がせた時、「溺れて死んでしまえばいいと思った」と話していましたが、息子を放置した三人は、本当に人間とは思えません。三人が逃げた後、息子は二十三・五メートル、草むらまで移動したといいます。
 二月の夜中、寒い中で携帯を捨てられ、助けも呼べず、着替えも持ち去られ、それでも必死に家に帰ろうとしたのだと思うと、どんなに怖かったろう。「母さん助けて」と言ってたろう。
 息子の絶望感、恐怖感を受け止めることができず、自分が生きていることも許せません。息子のいないつらさを、どうしたらいいかわかりません。
  (中略)
 息子のいない人生が、楽しいはずがありません。息子がいなくなった日は、末っ子の誕生日です。来る度に悲しい思い出になり、迎える度に、こんなに悲しい思いをしなければならないのか、子供たちも本当につらい。この先も許すことはできません。
 息子が受けた怖さ、痛み、すべての苦しみを犯人に味わわせたい。どんな判決が出ても満足も納得もしないでしょう。
 犯人たちに言いたいのは一言だけです。
「息子を返してほしい」ということです。
(虎男の公判での意見陳述)

 
 傍聴席の私の隣にすわっていた女性は、この言葉を聞いて肩を震わせて嗚咽していた。年齢はおそらく四十代。もしかしたら遼太とさほどかわらない年齢の子供がいたのかもしれない。彼女は意見陳述が読み終えられた後も、一人ハンカチで口を覆い、下を向いてしゃくり上げていた。
 私はこみ上げてくる感情を必死に抑えながら、事件の後、雅子はどれだけ全身を震わせて泣きじゃくったことだろうと思った。いくら声を上げて泣いたところで、涙が枯れるわけではない。これから一生にわたって遼太のことを思い出し、カッターで四十三回切られた痛みを思い、救えなかった自分の至らなさを責め、遼太に謝りつづけることになるのだ。それが殺人事件の遺族として生きていくということなのだ。
 虎男、剛志、星哉の三人は、このことをどこまで理解しているのだろうか。どうやって罪滅ぼしをしていくつもりなのか。
 判決の通りにいけば、三人は次の年齢で社会に出てくることになる。
 
 虎男 二十八歳~三十二歳
 剛志 二十二歳~二十四歳
 星哉 二十五歳~二十九歳
 
(未決勾留日数中の算入は除く)

石井光太Kota Ishii

1977年、東京都生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件など幅広いテーマで執筆。著書に『絶対貧困』『遺体』(ともに新潮文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)など多数。近著に『「鬼畜」の家~わが子を殺す親たち~』(新潮社)、『世界の産声に耳を澄ます』(朝日新聞出版)など。

石井光太 公式ホームページ
KOTAISM.COM
http://www.kotaism.com/

INFORMATION

本連載終了後 単行本化予定!

年末の出版にあたって、事件の関係者や情報を知る方のご意見や証言を求めています。
著者宛にメールにてご連絡ください。
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