双葉社web文芸マガジン[カラフル]

惨殺―川崎中一殺害事件の深層― / 石井光太・著

第一章 惨殺

二年目
 二〇一七年二月二十日、川の音が鳴り響く多摩川の河川敷には、手製の焼香台が設けられ、その奥にたくさんの献花が供えられていた。お菓子やジュースの他、西ノ島で獲れたというサザエまで置かれている。線香の煙が花と川のにおいと混じってあたりに漂う。
 焼香台の奥に、少年の写真が置かれている。この河川敷で、二年前に殺害された上村遼太だ。写真の中の遼太は屈託のない笑顔を浮かべている。
 焼香台のわきでは、若い女性から初老の男性まで七、八人が固まっておしゃべりをしていた。事件の直後から、河川敷で清掃ボランティアをしていたメンバーだった。その中の三十代の女性が、ふと土手の方を見て言う。
「あの方もお参りに来たんじゃないかな」
 見知らぬ男性が立っている。女性はすっと男性のそばに歩み寄る。
「遼太君のことでいらっしゃったんですか」
「え、ええ。献花できるかどうか不安だったんですけど、忘れられなくて……」
「できますよ。こちらに、どうぞ」
 男性は少し戸惑った表情を浮かべながら、土手を降りて焼香台へと歩いていく。女性が線香を差し出す。彼は何かを考えるように花束を見つめた後、ゆっくりと目を閉じて手を合わせる。写真の中の遼太が明るく笑いかけている。
 こうした光景は、朝からいく度となくつづいてきた。私は、狭い河川敷に今も多くの人が集まるのはなぜだろう、と思った。
 事件が起こるまで、ここは地元の人でもほとんど訪れないような場所だった。工場の高い塀によって町からは死角になっており、たどり着くためには京急大師線の高架下の薄暗いトンネルを通り抜けなければならない。さらに水門があるため土手の歩道は遮られているので散歩コースとしても使い勝手が悪く、草の茂る空き地はわずか四十メートルくらいの奥行しかない。川辺の袋小路のようなところなのだ。
 そんな河川敷に大勢の人々が足しげく通うのは、事件があまりにも鮮明に記憶に焼きついているからだろう。この日も、遼太の三周忌ということで、数人のボランティアたちが命日に焼香台を設け、献花にやってくる人々を案内したり、ゴミの片づけを行ったりしていた。平日にもかかわらず、全国から大勢の人々が花束を持ってやってきていて、その中には高校進学を控えた遼太の元同級生たちの姿もあった。
 私はすぎ去った二年の歳月を思いながら、事件が社会に与えた大きな影響を感じずにいられなかった。
 ――川崎市中一男子生徒殺害事件。
 そう名付けられた事件は、少年が起こしたものとしては、近年稀に見るほどメディアによって大々的に報じられた。
 おそらくここまで注目を集めた理由は、二つある。
 一つは、加害者の少年三人が行った殺害方法が信じがたいほど凄惨だったことだ。
 事件から一週間後に逮捕されたのは、未成年の男子三名。うち二人はフィリピン人の母親を持つハーフだった。そんな彼らが、中学一年生の純粋無垢を絵に描いたような容貌の遼太を、真夜中の河川敷につれ出し、二月の川で複数回にわたって泳がせ、さらにカッターで全身四十三カ所に傷を負わせて殺害したのだ。
 マスコミはハーフであったことをくり返し報じて「酷薄モンスター」「人の心なき〝獣〟」などと呼び、彼らが「イスラム国ごっこ」をして遼太を殺したのではないかと報じた。その結果、インターネットを中心としてハーフに対する人種差別的な中傷が飛び交い、犯人の実家に対してもそれが向けられることになった。
 もう一つの理由は、加害少年三人の素性が、逮捕前にインターネットでさらされたことだろう。
 地元の中高生たちが遼太を殺した犯人として、加害者三人の情報をSNSに流したことをきっかけにして、顔写真ばかりか自宅の住所や家族写真まで出回った。マスコミもそれに便乗するような形で、逮捕前から自宅を取り囲んで取材攻勢を行い、家族にまでマイクを向けるなどした。警察より先に、一般人が未成年の犯人を突き止め、個人情報を暴いていく様がリアルタイムでつたわったのである。
 こうして事件は一カ月以上にわたって、全国のメディアでくり返し報じられた。犯罪や教育の専門家が口々に辛辣なコメントを言い、雑誌の中には少年法に反して加害少年たちの顔写真を掲載したところもあった。そして私自身も物書きの一人として事件に関心を抱き、取材者としてかかわっていくことになったのである。
 だが、事件について調べれば調べるほど、私の中では当初世の中で形成されたイメージが揺らいでいった。悪魔のようなハーフの少年たちが、幼さの残る非のない中学生を殺害したという構図だけでは捉え切れないものを感じるようになったのだ。
 起きた出来事を表層的に言い表せば、そうなるのかもしれない。だが、それは非常に単純化されたものであり、事件が起きた背景まで考えようとすれば、善悪二元論では説明できない複雑な事情について考察しなければならないのではないかと感じるようになったのだ。
 私の直感が現実のものとして面前に現れたのは、二〇一六年二月二日から横浜地裁で行われた裁判員裁判の傍聴をした時だった。裁判の光景が、目を疑うほど異質なものだったのだ。
 通常の裁判員裁判では、傍聴席から見て正面に裁判官三名と裁判員八名が並び、中央の証言台を挟んで片側が検察官、その反対側が弁護士の席になっている。被害者参加制度を利用して、被害者の遺族が参加する場合は、検察官の後ろに席が設けられることになる。
 この裁判で特異だったのは、被害者遺族である遼太の父親と母親の間にアコーディオンカーテンの衝立が立てられていたことだ。一般的に遺族が傍聴席の人々に顔を見られたくないという理由で、傍聴席に向かって衝立を設けることはある。だが、傍聴席に対しては開かれているのに、父親と母親との間にのみそれを立てるというのはまずない光景だ。
 しかも、入退廷の際は父親と母親が顔を合わせないようにかならず時間をずらして出入りしていた。そのたびに、裁判所の職員たちが異様なまでに気をつかって衝立を押さえたり、ドアを開けたりしているのだ。父親と母親との間に、強い確執があるのは明らかだったが、この状況が加害者に有利に動くことも考えられる。本人たちがそのことをわかっていてやっているとしたら、どういう事情があるのか。
 証言台に立った加害少年三人の言動にも違和感を覚えずにはいられなかった。被告人質問で、彼らは遺族を前にして残酷な殺害の状況を事細かに語らされているのに、心から反省している言葉はほとんど聞かれなかった。特に、日本人の両親を持つ少年の態度は、無反省というより、遺族を嘲笑しているとしか思えないもので、誰が見ても怒りしか感じさせないようなものだった。
 少年の親についても同様だ。フィリピン人の母親は二人とも証人として法廷に立ったり、涙ながらに傍聴席で見守ったりしていた。しかし、もう一人の少年に関しては、日本人の両親とも証人として証言台に立たないどころか、傍聴席にのけぞるようにすわって眺めていただけで、来ない日さえあった。
 裁判の様子を見るにつれ、この事件が想像していたより複雑なものなのではないかと感じた。少なくとも遼太と犯人たちが出会った理由や、あれだけ残酷な殺害が行われた背景には一言では決めつけられない事情があったにちがいない。
 遼太は、どんな家族のもとで生まれ育ったのか。
 なぜ、中学一年で十七、八歳の不良少年たちと知り合ったのか。
 何が加害少年を殺害にまでいたらせたのか。
 裁判の光景を見ただけで、そうした数多の疑問が湧く。おそらく、その疑問の答えの数だけ、事件の引き金となった要因があるのだろう。もしこの事件にきちんとメスを入れ、今後に生かそうとするのであれば、それらを一つ一つ掘り下げていかなければならない。私はそういう気持ちで、取材を進めることにした。
 まず、取材の成果や裁判での証言から、遼太が殺害されることになった経緯を考えていきたい。
 血も涙もない凄惨な殺人事件。
 実は、それはお互いのことをろくに知らない少年たちのささいな勘違いからはじまったのである――。
 
邂逅
 奥多摩から武蔵野を通り、一本の美しい河川が東京湾へと流れている。多摩川である。
 全長は一三八キロにも及び、岸には野鳥の声がこだまする緑地が広がっている。野球やサッカーのグラウンドも多く、休日ともなれば子供たちが無邪気にはしゃぎ回る声があちらこちらから聞こえてくる。
 川は、府中をすぎたあたりから東京都と神奈川県の県境となる。南側は神奈川県の川崎市だ。川崎市は県庁所在地のない市としては最大となる百五十万人以上の人口を擁している。東京や神奈川の中心部のベッドタウンとして知られているばかりか、工業地帯も擁していて、人口は現在も膨らみつづけている。
 同市は七つの行政区にわけられている。川に沿って縦につらなっていて、区によって特徴が異なる。北部から中部にかけての区には緑が多く、落ち着いた街並みが広っている。新百合ヶ丘や武蔵小杉など、新興の高級住宅地として知られる町はこちらだ。
 一方、南部に行けば行くほど雑多な街並みが目立つようになり、最南側の川崎区は特にその雰囲気が著しい。東京湾側の臨海部は京浜工業地帯となっていて、大企業の工場や倉庫、石油コンビナートが林立する。そのため、社宅や団地が多く、昔ながらの木造の古めかしい平屋も残っている。シャッターを下ろした個人商店が散らばっていて、東京と横浜とを結ぶ産業道路には昼夜の区別なく巨大なトラックが行き交う。
 住民は語る。
「川崎区は、昔は公害で有名になるほど工業地帯の中心地として知られていました。そうしたこともあって、もともとはベッドタウンというより、全国から工場の仕事を求めて人が集まってきていたんです。なので、一代さかのぼると、東北出身だったり、九州出身だったりと、故郷がバラバラな人が目立ちます。よく言えば、いろんな文化の集まりですが、悪く言えば、流れ者みたいな人も結構いますね。工業地帯なのでガラもそんなに良くない。今は高齢化も目立ちはじめていて、生活保護の受給率は川崎市の中でも群を抜いて高くなっています」
 東京と横浜という大都会のはざまにある工業地帯。そういう意味では、関西でいうところの、大阪と神戸の間に位置する尼崎のような町だろうか。
 川崎区のもう一つの特徴としては、外国人の人口が多いことだ。市全体で約三万六千人の外国人が住民登録しているが、市内七区の中で最多なのが川崎区で、その数は約一万四千人にのぼる。市内の外国人の二・五人に一人が川崎区に住んでいる計算だ。
 一体なぜなのか。市役所に勤める女性は語る。
「川崎区の海側には、かつては『朝鮮人部落』と呼ばれていたような地区がありました。今ある神奈川朝鮮学園はその名残ですね。そうしたこともあって、住民の間では外国人に対する抵抗が他の町ほどなかったですし、外国人も集まりやすかったという特色があります。その後、在日韓国・朝鮮人に加えて、中国人も徐々に増えていきました。
 東南アジアの人が目立つようになったのは、八十年代からです。フィリピンなどの国々から、女性がエンターテイナーとしてやってきました。また、工場で働くことを目的として、男性の外国人も集まってきた。最近では、ブラジルやペルーといった南米の人たちもずいぶん増えました。
 こうした背景があるので、国別の外国人のコミュニティーもかなりつくられています。来日してすぐの外国人にとっても、居心地はいいと思いますよ。彼らが集まる教会、会社、レストランといったものがたくさんあるんです。県外にいた外国人が、同郷の知人を頼って引っ越してきたりすることも珍しくありませんね。そのため、外国人の人口は今でも増えています」
 日本各地から工場の仕事を目的として集まってきた人々と、アジアを中心として世界各地から仕事を求めて集まってきた外国人とが、入り交じるようにして暮らしているのが川崎区なのだ。
 こうした町の中心が、市役所のある川崎駅周辺である。町には二つの川崎駅――JR川崎駅と京急川崎駅――があり、周辺が大きな繁華街となっている。駅前には大型デパートが立ち、おしゃれなカフェ、ブティック、レストランが並んでいる。
 一歩奥に入ると、町の景色はキャバクラや風俗店、外国人パブが密集するいかがわしい歓楽街に変わる。立ち飲み屋では昼間から初老の男たちが集まり、ネオンを点滅させる風俗店の前には黒服の男性たちが呼び込みをしている。すえたにおいのする通りの角には、暴力団風の男たちを見かけることも少なくない。
 事件に話を移せば、主犯格の千葉虎男(仮名、事件当時十八歳)が遼太とよく遊んでいたのは、こうした猥雑な街にあるゲームセンターだった。フロアは女性でも来やすいようにライトで明るく照らされ、多数設置されたゲーム台はテンポのいい音を出している。客は若い世代が多く、日中から一心不乱にゲームに興じる人の姿も目立つ。
 二〇一四年から二〇一五年にかけての冬、虎男と遼太はこのゲームセンターに頻繁に通っていた。店は自宅から自転車で行ける範囲にあったため、学校の同級生や先輩たちと公園でたむろするのに飽きると、軽い気持ちで遊びに行ったのだ。彼らはゲームをする中で、そこに集まる大勢の人たちと顔見知りになっていった。何も約束がなくても、とりあえずここに来れば遊び相手が見つかったのだろう。

 まず、虎男がこのゲームセンターに来るようになった経緯から見ていきたい。
 虎男の家は、京急大師線の川崎大師駅から徒歩十分くらいのところにあった。三階建ての長細い一軒家で、日本人の父とフィリピン人の母親との間に生まれた。虎男は三人きょうだいの末っ子である。家には家族の他に、祖母が同居していた。
 元同級生の話を総合すれば、虎男は地元で名の通った不良というわけではなかったようだ。小学校の低学年の頃から落ち着きがない性格で、授業中に騒いだり、休み時間や下校途中に物を壊すようないたずらをしたりして、教師から頻繁に注意されていた。手癖が悪く、人のものを盗むこともあったようだ。
 一家を知る人物は語る。
「幼い頃は事件を起こすような悪い人には見えませんでしたね。傍目にはごく普通でしたよ。あまり言うことを聞かないとか、勝手なことばかりしてトラブルになったという話はありました。お母さんも手を焼いているような感じで、何度か愚痴をこぼしているのを聞いたことがあります。でも、あそこの家はお父さんが厳しくてガツンと言うタイプです。それで小さな頃は抑えられていたのかなと思います」
 近所の人々は、よく虎男が父親によって家の外に追い出されているのを目撃したそうだ。
 同級生は、そんな虎男を見下して馬鹿にしていた。特にハーフで外国人のような顔立ちをしているから、「フィリピン人」だとか「外人」と呼んでからかい、時には手を上げていじめることもあった。
 みんなに口々に蔑まれれば、虎男はなす術がなかっただろう。自分の体に流れる血についてはどうしようもできない。胸には、劣等感が澱のようにたまっていったにちがいない。
 詳しいことは四章で述べるが、虎男はこうしたことが影響したのか、中学生になってからは非行と呼ばれるような行為を重ねるようになった。万引き、煙草、夜遊びをくり返し、何度か同級生と暴力沙汰を起こした。中学卒業後は、定時制の高校へ進学。校風が自由だったこともあって、髪を金色に染めたり、飲酒を覚えたりして、規範から外れた行動をどんどんエスカレートさせた。
 それでも虎男は、周りからは怖がられるような存在にはなれなかった。同じ定時制高校には、暴走族に入っているような不良も少なからずいた。虎男はといえば、体の線が細くひょろっとしていて、見た目にもケンカが強そうなわけではないし、世渡りもうまいタイプではない。そのため、学校や地元の力のある不良たちからは、「パシリ」としてつかわれることもあったという。
 地元の友人の一人、金藤邦夫(仮名、事件当時十八歳)は言う。
「虎男は中学の時からケンカはあんまり強くなかったですよ。だから、力で人を押さえつける感じじゃありませんでした。むしろ、怖い先輩や同級生たちから『生意気だ』と言われるような感じです。学校はあんまり行ってなくて、昼間から地元の友達とつるんで盗みをやってるか、たまってアニメの話をしてるくらい。彼はアニメが大好きだったので、そういう仲間が多かったように思います。
 高校になってよく一緒にいたグループのメンバーは、十人から二十人くらいかな。ルックスは悪くないし、話も下手じゃないので、女の子の友達も結構出入りしてました。年上はあまりいなかった。同級生か、後輩がほとんど。だから、グループでの立場は上の方だったけど、ケンカが強いからというより、単に年上だったから自然と中心的な存在になっていたみたいな感じです」
 不良の多い定時制高校では派手にふるまうことができないぶん、地元の同級生や後輩を集めていきがっていたのかもしれない。強い者の前では尻尾を垂らして媚びるか、避けてかかわらないようにする一方で、目下の者に対しては強気に出るような性格だったようだ。

 二〇一四年の十二月、遼太と初めて会った時、虎男は少年鑑別所を出所したばかりだった。彼は路上で通行人を鉄パイプで殴りつけて傷害事件を起こし、警察に捕まって少年鑑別所へ送られていたのである。
 この傷害事件を詳しく見ていくと、彼の卑怯で狡猾な性格が浮き彫りになる。概要はこうだ。
 夏の夜、彼はグループの仲間数人と集まって居酒屋で酒を飲んでいた。その後、盗んだスクーターを友人に運転させ、自分は鉄パイプを手に後ろに乗っていた。その時、何の理由もなく、自転車を運転していた男性の頭部を後ろから殴りつけて重傷を負わせ、逃走したのである。
 虎男にしてみれば、後方から人を襲うことでしか、仲間たちに自分が威勢のいいところを見せつけることができなかったのだろう。虎男は検挙され、家庭裁判所へ送られることになった。
 家庭裁判所で親を入れた審判が開かれ、虎男は少年鑑別所へ送られた。中学生の頃から深夜徘徊や喫煙で計十三回の補導歴があったのに加えて、その年の六月には窃盗で捕まって家庭裁判所で審理を受けたばかりだった。そうした非行歴を加味した上で、少年鑑別所への送致という決定にいたったのかもしれない。
 少年鑑別所とは一定期間収容して、再び犯罪を起こさないように少年の抱えている特性や環境の問題を調べる場である。鑑定の内容によっては、そこから少年院へ送られることもあれば、保護観察処分となって自宅で保護者の監視下に置き更生に努めることもある。
 虎男はそこでしばらくすごした後、保護観察処分を言いわたされて川崎市内の自宅に帰されることになった。往々にして家庭で保護者がしっかりと少年の更生に協力する態勢が整っていると判断されれば、そのような決定が下される傾向にある。虎男の場合、両親が少年鑑別所に行き、面会や面接をすることで、更生に協力することを申し出ていたため、少年院送致を免れたということもあったのかもしれない。
 保護観察処分の場合は、社会に出た後に、保護観察官や保護司と定期的な面会をし、個別に定められた遵守事項を守って生活することを義務付けられる。それを破れば少年院等へ送られることになるのだ。虎男にしてみれば、首に鎖をつなげられた状態で社会にもどされたようなものだ。
 家に帰った時、川崎の街はクリスマスが終わって年の瀬へと向かっていた。商店は年末セールで盛り上がりを見せていて、行き交う人々はどこか浮足立っていた。グループの仲間たちも冬休みに入っていたことから暇を持て余していた。
 虎男はそんな仲間と再び連絡を取り、繁華街へくり出すようになった。そうして向かったのが、川崎の町だったのである。

 一方、遼太は中学生になって最初の冬休みを迎えていた。
 家は、虎男の家から自転車で数分のところにあるマンションだった。きょうだいは五人。遼太は上から二番目の次男だ。
 遼太が西ノ島から川崎にやってきたのは、事件が起こる一年半前の二〇一三年の夏だった。母親の雅子(仮名、事件当時四十二歳)は、夫の善明(仮名、事件当時四十四歳)と別れた後も三年ほど西ノ島で暮らしていたが、生活に限界を感じて子供たちをつれて実家のあった川崎に帰ることにしたのである。一時期、雅子は実家に身を寄せていたものの、間もなく近くにマンションを借りて移り住むことになった。
 川崎の小学校を卒業すると、遼太は地元の市立D中学に進学した。明るく誰とでも仲良くする性格だったため、友達も多かった。バスケットボール部に入部し、練習にも熱心に通っていた。西ノ島の小学校時代からバスケをしていたことから、ほとんどのポジションをこなすことができた。彼は学校で「カミソン」と呼ばれていたが、そのあだ名をつけられたのも部活でのことだ。
 同級生の一人の証言である。
「すごく愛嬌のある奴で、先輩からも好かれていました。あだ名をつけられたのは、バスケ部の一つ上の先輩に、似たような苗字の人がいたせいなんですよ。練習中とかすごくまぎらわしい。それで、上村をもじってカミソンって呼ぶことにしたんです」
 遼太は人懐っこい性格で、いつも冗談ばかり言って人を笑わせていた。「カミソン」というあだ名は、そんな人柄にぴったりだったのだろう。部活の仲間たちだけでなく、クラスの女の子たちからも、「カミソン」と呼ばれるようになった。
 夏休みが終わった頃から、遼太の学校生活に変化が起こる。あれほど好きだったバスケ部の練習に顔を見せなくなったのである。授業が終わると学校をさっさと離れて、公園や町中でたむろしたり、先輩たちとともにゲームセンターに遊びに行ったりするようになった。
 このゲームセンターの一つが、川崎駅前にある大きな店だった。当時、若い者たちの間で流行っていたのが、「機動戦士ガンダム」のゲームだ。二対二で戦うことができる、チーム対戦型アクションゲームである。
 ゲーム機の周りには、いつもたくさんの少年たちが集まっていた。誰かが失敗すると、みんなでゲーム台を「バン!」と叩き、ヤジを飛ばしてからかう。仲間内ではそれを「台バン」と呼んでいたが、遼太はゲームが上手で、一度もそれをされたことがないのが自慢だったという。
 少年たちの年齢は中学生から高校生までバラバラだったが、ゲームを通して年齢の差なく話をするようになった。大半が地元に暮らしていたので、学校の先輩だったり、共通の友人がいたりして話が合ったのだ。
 部活にも入らずに平日の夕方にゲームセンターに入り浸っている者の中には、夜遅くまで徘徊しているような者も少なくなかった。彼らの交友はゲームセンターに留まらず、外へと広がっていく。遼太も中学の先輩から別の先輩を紹介されているうちに、学校では不良と呼ばれるようなグループと付き合っていろんなところへ出歩くようになっていった。
 二学期が終わって学校は休みに入った。虎男によれば、遼太と初めて会ったのは冬休みに友人を介してゲームセンターで紹介されたからだという。裁判では、この証言を元に事件の経緯が語られていた。だが、実際に二人を紹介した比嘉賢斗(仮名、事件当時十七歳)は、事実は別にあるという。
「ゲーセンで俺が虎男と遼太を紹介したっていうのは勘違いだよ。虎男が間違って記憶してんだと思う。
 俺が紹介したのは、(川崎区)中瀬の公園。俺は小学校の時から虎男と面識があって高校の時はしょっちゅう遊んでた。カミソンとは彼の先輩を通してちょっと前に知り合って仲良くしてた。
 その日、俺はカミソンたちと一緒にサッカーしてたんだ。メンバーが足りなくて、虎男から連絡がきた時、仲間に加わってって言ったらやってきた。それで虎男とカミソンをつなげたんだ」
 この日以降、遼太は賢斗のグループだけでなく、虎男のグループとも仲良くするようになる。もともと遼太は年上の先輩に懐いてかわいがられるのが得意だったし、虎男も年下の人間を周りにおいて偉そうにふるまう性格だった。さらに、二人はアニメやゲームという共通の趣味があり、ゲームセンターで一緒に遊ぶようになった。遼太は「虎男君」と呼んでよくくっついていたという。
 三学期がはじまると、遼太は部活ばかりでなく、学校へも行かなくなった。遊んでいたのは主に、D中学の先輩のグループか、虎男のグループ。こうした仲間の中には、不登校の者や、高校中退者もいた。遼太は彼らと親しくしているうちに、学校に通って勉強をすることに意味を見出すことができなくなったのかもしれない。
 母親が仕事に出ているのをいいことに、日中は家ですごすなどして、その後公園やゲームセンターで先輩たちと会って遊び、帰宅するのは深夜。そんな自堕落な日々を送るようになった。
 遼太がもう一人の加害少年である多田剛志(仮名、事件当時十七歳)に出会ったのは、三学期がはじまって間もない一月十日頃のことだった。剛志は、虎男の一学年下で、フィリピン人ホステスと日本人との間に生まれたハーフだった。中学卒業後は、高校に通っていたものの中退。その後は、勤め先の土建会社の寮に住むなどしていた。
 剛志が虎男のグループに加わるようになったのは、前年の三月だった。友人を介して虎男を紹介されたのだ。出身中学はちがったが、地元が近かったこと、アニメが好きだったこと、何より同じフィリピン人の母親を持つハーフだったことから、すぐに意気投合した。そして虎男のグループにまじってゲームをしたり、盗みをしたりしていたところに、遼太が加わったのだ。
 先述の賢斗は語る。
「最初に剛志を遼太に紹介したもの俺だよ。ラウンドワン(ラウンドワンスタジアム川崎大師店)のゲーセンでガンダムをしてたんだ。暇してる仲間が何人かいたと思う。剛志とカミソンもたたまた居合わせたんだ。俺は剛志と同じ中学で仲良くしてたから、カミソンを紹介した。あの二人は虎男のグループにも出入りしたからそれで仲良くなったみたい」
 遼太は、グループの中でも特に剛志を兄のように慕っていたそうだ。剛志は虎男に比べると物腰が柔らかく、後輩に対する面倒見がよかった。また、虎男より学年が低いので近づきやすかったのだろう。遼太は「剛志君」と呼んでくっつき、剛志も「カミソン」と呼んでかわいがったという。
 いつしか、二人はLINEのIDを交換して連絡を取り合い、個人的に遊ぶ仲になっていった。
 
亀裂
 虎男のグループはK中学の出身者を中心にして十数名おり、十六~八歳が主体だった。すでにフリーターとして建築現場などで働いている者もいたため、かならずしも全員が毎日顔をそろえていたわけではなく、その日暇な者たちが連絡を取り合って集まっていた。夕方はゲームセンターに入り浸り、夜は居酒屋やメンバーの家で酒を飲む。そんな日々を楽しんでいたのだ。
 付き合いのあった木村幹夫(仮名)は次のように述べる。
「集まるメンツは固定してるわけじゃなかったです。虎男は酒を飲むのが好きだったから居酒屋とかにしょっちゅう行ってました。公園とかでも飲んでましたね。女の子も呼んで大騒ぎする感じです。大体携帯ゲームの話をする感じすかね。でも、酒があんまり好きじゃないやつもいるんです。そういうのは、ゲーセンとかで仲良くしても、飲み会とかには来ませんでした」
 ゲームセンターでの遊びや、居酒屋で飲み食いするには、それ相応の金がかかる。虎男は少年鑑別所を出てからアルバイトをしておらず、遊ぶ金はまったくなかった。遼太も母子家庭の五人きょうだいだったことから、ゲームセンターへ頻繁に通えるような小遣いをもらっていたわけではないだろう。彼らはどうやって現金を得ていたのか。
 虎男のグループの資金源だったのが、「エス」と呼んでいた賽銭泥棒だった。夜中にグループの仲間たちとともに神奈川県内や東京都内の寺院や神社へ出向き、賽銭箱の中から金を奪うのである。
 手法はいたって単純だ。細い棒の先にガムテープを巻きつけ、賽銭箱を覆う板の間から挿し込む。硬貨や紙幣が底にあればテープにくっつくので引き上げることができる。五、六人一組になって見張り役と実行役とにわかれるのが常で、実行役が金を盗んでいる間、見張り役は神社の前であたりを監視して人影が近づいてくれば咳払いをするなどして警告するそうだ。
 運がいい時は、一度に十万円を超す額が集まり、これがゲームセンターでの遊びや飲酒の資金になっていた。剛志も仕事先で給料こそもらっていたものの、賽銭泥棒に参加してあぶく銭を稼いでいた。虎男によれば、遼太もこれに加わることがあったそうだ。
 グループの中では、原則的に手に入れた金は山分けするのが決まりだった。だが、最年少の遼太には平等に行きわたっていたわけではなく、少額しかもらえなかったこともあったという。むろん、いじられることもあっただろう。それでも遼太は先輩たちに嫌な顔を見せるわけでもなく、「センパイ、そりゃないぜー」と口癖のように言って、無邪気な笑いを浮かべてくっついていた。
 先の木村は語る。
「カミソンはパシリってわけじゃなかったですよ。でも、年が一番下だから、自然とみんなから舐められる感じでした。本人もそれを嫌がってなかったと思う。グループを離れるわけでもなく、普通についてきましたから。剛志とかは、そういうこともあって、カミソンのことをかわいがっていたんじゃないっすかね」
 グループのメンバーは、長い付き合いでお互いをわかり合っていたというわけではなかった。アニメやゲームの話題しかせず、夜ごとに酒や煙草をやっていきがったり、暴力をふるって虚勢を張ったりしているだけだ。そんな者たちがつるんでいれば、些細なことからぶつかることもある。
 最初にそれが表出したのが、一月十六日のことだった。
 その夜、川崎駅の周辺で虎男は、中高生の少年たち六、七名とたむろしていた。金曜日の夜だったこともあり、大半が翌日は休みで初めから夜中までつるむつもりだったはずだ。中には、剛志や遼太の顔もあった。
 午後九時頃になって、メンバーの一人が、日吉にある祖母の家に用事があるので行かなければならないと言い出した。遼太のバスケ部の先輩の中学三年生の中村正(仮名)だった。用事そのものは短時間で終わるという。特にすることがなかったため、メンバーの一人が言った。
「じゃあ、俺らもついて行こうぜ」
 川崎駅から日吉駅までは、乗り換えが多く電車で四十分ほどかかる。自転車で行く場合は、直線距離はさほどないのでかかる時間は同じくらいだ。虎男ともう一人のメンバーは自転車で向い、遼太を含む他の者たちは電車で行って、日吉で合流することにした。
 虎男たち自転車組は、予定通り十時すぎに日吉に到着した。だが、待てども待てども、電車で行った遼太たちがなかなか現れない。やっと姿を現したのは、一時間ほどが経った午後十一時頃だった。
「遅せえよ。何やってたんだよ」と虎男が言う。
 メンバーの一人が言った。
「電車を乗りまちがえちまったんだよ。それでこんな時間がかかっちまった」
 一時間も待たされた挙句、謝りもされなかったことが不満だったが、その場では怒りを口にすることはなかった。
 その後、彼らは正が祖母の家に行って三十分ほどで用事を済ませるのを待ってから、虎男の「酒、飲みたくね?」という一言に乗って、近くのコンビニへ行って缶ビールや酎ハイ、それにつまみを購入した。時刻はすでに〇時を回っていて路地には人通りがほとんどなかった。彼らは竹林で思い思いに缶を傾けはじめた。
 この時、居合わせた黒澤勇樹(仮名、事件当時二十歳)はこう語る。
「裁判で虎男はビールをちょっと飲んだだけって言ってたんでしょ。でも全部嘘。超飲んでたもん。
 虎男が『賽銭泥棒した金があるから、俺が全部おごる』って言ってたくさんの酒を一人で買ってきたんだよ。鏡月のボトルを一人で半分ぐらい飲んで、その後ビール、酎ハイを飲んだ後、ウォッカの瓶を一人でほとんど空けちゃった。
 それでめんどくさい感じになってきて、カミソンとバスケ部の先輩の正に絡みはじめた。『お前らも飲め』って言い出して、ウォッカの蓋に中身を注いで一気をさせてた。むしゃくしゃしてるみたいな感じ。それでカミソンと正にヤキを入れるって言いはじめたんだ」
 竹林で酒を飲みはじめた時、遼太とバスケ部の先輩は一緒にタメ口でしゃべっていた。普段から盛り上がるとそうする癖があった。だが、虎男は酒を飲んでいるうちに、駅で待たされたことへの怒りを膨らませ、中学生である二人の言葉づかいに怒りをあらわにしたのだ。
 虎男は言った。
「おい、カミソン、おめえ、先輩に向かってタメ口きいてんじゃねえよ」
 遼太にしてみれば、なぜ今更という気持ちだったろう。
 虎男は、正にも嚙みついた。
「正もだよ!」
「…………」
「おまえら、中学生のくせに生意気だ。調子乗ってるだろ。ヤキ入れるから来い」
 遼太と正は、虎男に駐車場の暗がりへとつれていかれた。メンバーたちは突然のことに戸惑ったが、引き留めるのも面倒に思って何も言わなかった。
 虎男はまず正に手を上げた後、遼太を殴りつけた。公判で虎男は「普通の力で四、五発」殴っただけと語っていたが、現場で目撃したメンバーの証言は異なる。こぶしで殴った後、顔面を力任せに足蹴にして、仲間に止められてもふり払って暴行をつづけたというのだ。
 私刑が終わり、駐車場から帰ってきた遼太の顔を見て全員が唖然とした。顔が大きく腫れて、口から血が出ていたのだ。虎男の暴力が常軌を逸したものだったのは、誰の目にも明らかだった。遼太は手で顔を押さえて、黙って痛みをこらえていた。
 一人が言った。
「ちょっとヤバくね。これ、もっと腫れるべ」
「だけど、病院とかやってねえだろ」
「でも、何かしねえとヤベえよ」
 彼らは話し合って、深夜営業のドラッグストアで医薬品を買って自分たちで治療をすることにした。絆創膏やマスクといったものを購入し、手当てをしたのだ。湿布は遼太本人が買ったという。ただ、それは治療というより、傷を覆い隠すだけの処置だったと言った方が正しいだろう。
 虎男は酔いが醒めて我に返ったのか、急に優しい口調になって言った。
「カミソン、やりすぎてごめんな」
 自分が保護観察中であることに気がつき、謝罪してごまかそうとしたのだろう。
 遼太は笑顔をつくって答えた。
「自分が悪かったです。こっちこそ、すいません」
「仲良くしような」
「はい」
 メンバーたちは、日吉にあるチェーンの中華料理店へ行き、夜食を食べることにした。遼太も帰宅することなくついてきた。明るい店内で見ると、怪我の深刻さはより際立っていたはずだ。
 閉店間際まで店にいた後、彼らは川崎へ向かった。その頃には遼太の両頬と片目は先ほどより大きく腫れていて、まるで別人のような容貌になっていた。後に全治二週間とされた怪我はひどい内出血を起こしていたのだ。メンバーたちは、もう一度治療をしようと言い出し、顔にマスクや湿布をあてがった。この夜、全員が解散したのは、明け方のことだった。
 翌日、遼太は顔の腫れが引かないことから、自室に閉じこもって外へ出ようとしなかった。雅子がそれに気がついたのは、仕事から帰ってきた後のことだった。部屋に閉じこもっているのをいぶかしく思ってドアを開けたところ、遼太の顔が腫れで歪み、左目の付近の色が変わっていたのだ。
「どうしたの!」と雅子は尋ねた。
 口の中を切っていて、しゃべりづらそうにしている。雅子が問い詰めると、遼太は気まずそうに答えた。
「昨日の夜、先輩たちが酔っぱらってケンカをしたんだ。その仲裁に入ったら、殴られちゃったんだよ」
 真実を語れば大ごとになって虎男に恨まれると考えて嘘をついたのだろう。
 雅子は病院へ行こうと言ったが、遼太は「目は見えるし、冷やせばいい」と頑として拒んだ。子供同士いろいろあって触れられたくないのかもしれない。雅子はそう考え、腫れた顔の写真を撮り、事態を見守ることにした。

 深夜の日吉で起きたこの暴行は、後に検察によって「日吉事件」と呼ばれることになる。
 日吉での暴行は、誰の目にも理不尽極まりないものであることは明らかだ。だが、夜の街で不良少年たちが徒党を組んで虚勢を張っていれば、この種の暴力沙汰が起こるのは珍しいわけではない。その場にいたメンバーたちも、虎男に対して「やりすぎ」と感じたものの、大騒ぎするほどのことではないとし、時が経てば仲直りしてうまくやっていくはずだと流していた。
 おそらくそれは遼太にしても同じだっただろう。下手に騒ぎ立てて虎男の怒りを買うよりは自分が我慢して静かにしていた方が得策だし、事実を公にしたところで殴られたことが知れわたって自分がみっともない思いをするだけだ。また、不登校になっていたことから、グループを抜けたところで、行く場所がないという事情もあったのかもしれない。
 こうしたことから、遼太は事件の後もグループの仲間たちと連絡を取り合っていた。LINEのやりとりだけでなく、誘われれば夜中でもアザができた顔のまま出かけていった。虎男とも、少なくとも表面的には変わりない付き合いをつづけていた。
 日吉での出来事から約一週間が経った夜も、遼太は虎男と遊ぶため近所のコンビニで待ち合わせをしていた。約束の時間は午後十時半だった。遼太は時間が余っていたことから、大師公園へ向かった。
 ここで運命を変える出来事が起こる。公園内でたまたまD中学の先輩グループに鉢合わせしたのだ。その中にいたのが、吉岡浩二(仮名)だった。彼は遼太の顔の怪我に気がついて呼び止めた。
「おい、カミソン、その傷どうしたんだよ」
「え?」
「顔の傷だよ。どうした」
 浩二は、キレると見境なく暴力をふるうと言われている、札付きの不良だった。遼太も面識はあったが、深く付き合っていたわけではない。きっと下手なことを言えば、必要以上にことが荒立つと考えたのだろう。
 遼太はごまかすことにした。
「ちょっといろいろとあって……」
「はっきり言えよ。殴られたんだろ」
「…………」
「誰にやられた。誰が殴ったんだよ」
 暴行による暴力なのははっきりしていた。遼太は嘘をつくことができなくなって本当のことを打ち明けた。
「ちょっと前に虎男君にやられちゃって……」
「虎男って元K中の奴か」
「はい、そうです」
 浩二たちは、虎男の名前を聞いていきり立った。実は、彼らのグループは虎男と怨恨があったのだ。
 両者の関係は、浩二の兄である雄一(仮名)の代までさかのぼることになる。雄一はこの地域では誰もが知る、元暴走族と言われている筋金入りの不良で、隣の中学に通う虎男と何度か衝突したことがあったのだ。
 浩二からすれば、虎男は兄から格が数段劣るチンピラにすぎない。そんな奴が、自分の後輩である遼太をアザができるまで暴行したことが許せなかったのだろう。浩二は遼太に言った。
「虎男は、今どこにいるんだよ」
「コンビニです」
「何やってんだ」
「十時半から遊ぶ約束をしてて待ち合わせているんです」
「じゃあ、そこにつれていけ」
 とんでもないことになった、と遼太は焦ったはずだ。浩二が虎男に会えば、ただでは済まなくなる。だが、自分のために憤っている先輩にやめてくれと言えるわけもなく、コンビニへとつれていくことになった。
 コンビニの前では、虎男が何も知らずに待っていた。浩二は兄の威光をかざして、年上の虎男に詰め寄った。
「おい、虎男、おまえカミソンをなんで殴ったんだ」
 虎男は表情を曇らせた。浩二の後ろにいる雄一に対する恐怖が未だにあったのだ。
 あれは中学二年の時だった。ゲームセンターで遊んでいたところ、中学の同級生に絡まれトラブルになり、殴りつけたことがあった。後日、それを聞きつけた雄一が「俺の仲間をやりやがって」と言いがかりをつけてきて、報復として叩きのめされたのだ。中学卒業後、雄一は暴走族に入ったと聞いていた。
 虎男は言い訳をするように言った。
「だってカミソンが調子に乗って、俺らにタメ口をきいたから……」
「それだけで殴ったのか」
「え」
「それが理由でフルボッコにしたっていうのかよ!」
 ここで口答えすれば、浩二だけでなく雄一まで出てくるかもしれない。虎男は頭を下げて謝ることを選んだ。
「悪かったよ。もうしないよ」
 さらに浩二の顔を立てるために言った。
「お詫びに飯おごるよ。それでいいだろ」
 その場にいた全員に簡単な軽食をごちそうしたのだ。浩二はいったん許したが、帰り際にこう言った。
「おい、カミソン、虎男のLINE知ってる?」
「は、はい」
「ちょっと教えて」
 虎男の前でわざと遼太にLINEのIDを教えるように求めたのだ。虎男は内心「めんどくせえ」と思いつつ、黙認せざるをえなかった。
 この晩、浩二たちは虎男を脅し、LINEのIDを手に入れたことで満足してコンビニから去っていった。取り残された遼太は虎男に怒られると思ったのか、頭を下げて謝った。
「すいませんでした」
 いつもの虎男であれば、「なんでチクった」と激昂し、日吉の時のように手を上げただろう。だが、彼は感情を抑えて言った。
「もう、いいよ」
 遼太を許したわけではない。遼太の後ろ盾である雄一と浩二という吉岡兄弟のグループが怖かったのだ。

 ここから事態は、思いがけない方向へ転がっていく。虎男のグループの中では収まりつつあった話が、吉岡兄弟が介入してきたことでこじれだすのだ。
 二月のある日、虎男は数人の後輩たちを引きつれて、川崎駅の仲見世通りにあるカラオケ店にいた。大森で賽銭泥棒をした金を部屋に持ち込み、勘定と山分けをしていたのである。テーブルの上には大量の硬貨や紙幣が散らばり、総額は約十六万円にも上っていた。
 作業が一段落し、虎男は店内のトイレへ用を足しに行った。すると、偶然そこで吉岡兄弟の兄・雄一とばったり遭遇した。雄一は虎男に気づいて声をかけた。
「よう、虎男じゃねえか。何してんだ」
 相変わらずいかつい風貌だった。
 虎男は思わず張り合うように言った。
「実は、賽銭を盗んで大金が入ったんだ」
 いきがっているうちに口を滑らせてしまったのだろう。二人はトイレで簡単に言葉を交わすと、ともに虎男の部屋に戻った。テーブルの上の金を見て雄一が言う。
「これ、いくらだよ」
「十六万くらい。一人四万とか」
 返事を確認すると、雄一は仲間が待つ部屋にもどっていった。
 部屋に残った虎男は、後輩たちとともに賽銭の山分けをはじめた。しばらくすると、再び雄一が部屋にやってきた。彼は虎男に言った。
「ちょっとだけいいか」
「何?」
「話があるんだ。来いよ」
 一抹の不安を覚えつつ、逆らうわけにいかないという思いから、後輩たちを部屋に残してついていった。
 実は、これが罠だった。部屋から二人が去ったのを見計らって、雄一の仲間たちが部屋に押しかけてきたのだ。後輩たちにしてみれば、相手は年上の不良ばかりで言いなりになるしかなかった。彼らは口実をつけてテーブルに置かれていた現金の半分を持ち去っていった。
 虎男が部屋にもどってきた時、すでに彼らは立ち去った後だった。後輩から、金を強奪されたことを聞かされたが、雄一のところに押しかけて取り返すだけの勇気はなかった。それをしたところで返り討ちにあうだけだ。後輩の前で顔に泥を塗られたような気持だったが、怒りをこらえることしかできなかった。

 数日後、雄一はオデッセイに乗り込み、仲間とともに虎男の家へ押しかけた。公判では彼が自宅へ行った理由は、弟の浩二から日吉での暴行事件の話を聞き、「遼太のために行った」とされている。だが、前後のことから推測するに、カラオケでの一件に味を占め、遼太のことを理由に虎男からさらに金を脅し取ろうとしていたと思われる。狙いは、賽銭泥棒の金だったはずだ。
 この日、家には虎男の他、母親、姉、祖母がいた。ドアチャイムが鳴ったので、母親が玄関に出て対応した。玄関の前に立っていたのは、弟の浩二だった。
「何の用ですか」
「虎男君と遊ぶ約束してるんです。呼んでもらえませんか」
 母親は息子の部屋へ上がっていき、友人が来ているとつたえた。虎男は事態に気がついて「遊ぶ約束なんてしていない。帰ってもらって」と頼んだ。母親は玄関へ下りていき、その通りつたえた。
「うちの子は約束してないって言ってます。帰ってください」
「約束してますよ。呼んでください」
「ダメです。約束がないなら会わせられない」
 母親も浩二のガラの悪い風貌を見て不吉なものを察したのだろう。何とか追い返そうとした。
 浩二は母親と約束があるないで口論をした後、一旦引き返すことにした。数分後、近くで様子をうかがっていた兄の雄一が虎男の家にやって来た。母親は先ほどと同じ問答をくり返した。約束がないのならば息子と会わせることはできないと言い張ったのである。姉も騒ぎを聞きつけて玄関に下りてきた。
 雄一たちはあきらめようとしなかった。今度は乱暴にドアチャイムを鳴らし、ドアを力いっぱい叩きだしたのだ。
「虎男、出て来いよ!」
 怒声があたりに響きわたる。
「おい、いるんだろ。隠れてんじゃねえよ!」
 祖母が何事かと怯えだす。家の中に入った母親と姉は危険を察して、部屋に閉じこもっている虎男に言った。
「あんたは絶対に出ていっちゃダメ。ややこしいことになるから!」
 母親は携帯電話を取り出し、騒ぎ立てる雄一を撮影しはじめた。もう話し合いにならないと考えたのだ。
「おい、虎男、出て来い!」
 祖母はこのままでは大変なことになると考え、家の中から一一〇番通報して警察を呼んだ。間もなくして警察が駆けつけたことで、なんとか事なきをえた。
 その夜、母親は虎男に、今日来た男たちは何者なのか、と尋ねた。保護観察中に再び警察沙汰となれば、家庭裁判所から呼び出しがかからないともかぎらない。虎男は明らかに怯えた様子で答えた。
「やばい奴らなんだよ」
「どういうこと」
「おっかない奴なんだ。怖い奴らなんだよ」
 母親によれば、虎男が怯えて泣きついてきたのはこの時が初めてだったという。そのことから、尋常ではないことが息子の身に降りかかっているのだと思った。
 勇樹は、後日、この話を本人たちから聞いている。
「吉岡兄弟から直に、虎男の家を襲撃した時のことを聞いたよ。二人とも、狙いは虎男の賽銭泥棒の金だったって言ってた。最初は虎男を呼び出して賽銭泥棒の金を奪うつもりだったんだけど、警察呼ばれて何をやってんだって訊かれたから、『カミソンの仕返しに来た』って答えたみたい。
 虎男は吉岡兄弟のことをビビッてたと思うよ。ほんとヤバい奴らだから。裁判では二人のきょうだいってことになってたみたいだけど、実は三人きょうだいで一番上に別の兄貴がいるんだ。その人が本当にヤバい人なんだよ」
 吉岡兄弟は、虎男からできるだけ大金を取り上げようとしていた。その口実となっていたのが、遼太だったのだ。
 この日を境に、吉岡兄弟のグループから直接虎男に脅しの連絡が入るようになった。LINEに見知らぬIDでメッセージが届くのである。〈どこにいる?〉〈話があるから来いよ〉といった文面だった。名乗ることは稀だったが、虎男には吉岡兄弟グループの仕業であることは明らかだった。
 メッセージを送った理由について、後に雄一は「暇つぶしにやった」とうそぶいている。だが、虎男にしてみれば、こうしたメッセージは恐怖でしかなかった。吉岡兄弟たちが警察に語った言葉から、「日吉でカミソンを殴ったことの報復をしようとしているにちがいない」と思っていた。もしつかまれば、半殺しにされてしまう。
 虎男は家に押しかけられたばかりか、LINEを通して脅しをかけられたことで、逃げ場を完全に失った気持ちになったはずだ。そして焦燥感と怒りの矛先は、遼太へと向けられた。
 ――あいつが、日吉での暴行を吉岡兄弟にチクったからこんなことになったんだ。俺が謝ったっていうのに。
 一度そう考えると、虎男の中で遼太への憤怒がどんどんと膨らんでいった。それは、強い者には巻かれ、弱い者にのみいきがって攻撃性をむき出しにする、虎男の習性そのものだった。
呼び出し
 殺人事件が起こるのは、吉岡兄弟が虎男の家を襲撃した十日後、二月二十日未明のことだった。
 あの夜、冬の冷たい闇に閉ざされた多摩川の河川敷で、何が起きたのか。それは現場にいた加害少年三人にしかわからない。
 裁判では三人が証言台に立ち、当時の様子を事細かに語った。その証言を組み合わせることで、河川敷での出来事の流れを粗方追うことができる。
 だが、同時に、三人の証言には細かな相違点が複数ある。虎男と剛志の証言にはさほど大きな食いちがいはないのだが、犯行を全面否認したもう一人の少年の意見はまったく異なる。
 これから事件当日のことを述べるにあたって、私は三人のうち虎男の証言を主に引用したいと考えている。それは次の四つの理由から、彼の言葉がもっとも事実に近いと考えられるからだ。
 1、 虎男が最初から最後まで現場にいたためすべてを見ていた。
 2、 虎男は刑が確定した後も、事件の経緯に関する証言がほとんど変わらなかった。
 3、 虎男は重い責任を負うことになる不利益な事実も認める供述をしていた。
 4、 全面否認した少年の発言は、裁判でも信憑性に乏しいと判断された。
 したがって、ここからは虎男の証言を中心にしつつ、剛志の証言や検察側が出した証拠で肉付けしながら事件について述べていきたい。主張が対立する場合は、編集部と協議したうえで、信頼できると思われる側の証言を使用することをあらかじめ断っておく。

 川崎駅から徒歩十分ほどの県道沿いに、廃墟を模した巨大な五階建てのビルがそびえている。アミューズメントパーク「ウェアハウス川崎店」である。ここは、香港のスラム・ビル「九龍城砦」をモチーフとして、八十年代のアジアの朽ちかけた建物を再現した建物だ。
 ドアを開いて中に入ると、廃ビルさながらの内装に、毒々しいまでの赤いライトが足元を照らす。まるでお化け屋敷の雰囲気だ。細く曲がりくねった通路の奥にあるエスカレーターを上っていくと、各階に膨大な数のゲーム台が置かれたフロアが広がっている。見るからに十代の少年が遊ぶ姿もあれば、フリーターともホームレスともつかない男性が隅の椅子にすわってずっと携帯をいじっていることもある。
 二月十九日の午後五時すぎ、このゲームセンターの一角で、虎男は剛志とともにゲームに興じていた。虎男は二月になってもアルバイトをしていないばかりか、定時制高校へも行かなくなって暇を持て余していた。そこで剛志を呼び出して合流したのだ。
 二人はしばらくゲームをしていたが、虎男のもとにLINEで次のようなメッセージが送られてきた。
〈なぁ、飲もうぜ〉
 相手は、三人目の加害者である清水星哉(仮名、事件当時十七歳)だった。
 星哉は、虎男と同じK中学の出身で、高校も同じ定時制に通っていた。中学の時は顔見知り程度でほとんど話をしたことがなかったが、高校二年で同じクラスになったのがきっかけで、地元でつるむようになった。虎男から日雇いのバイトを紹介されて、同じ現場で何度か働いたこともあった。この時はすでに高校を中退して働いていたが、酒が好きだったことから虎男から誘われれば一緒に居酒屋へ行ったり、自宅に招いて飲み会をしたりする仲だった。
 虎男はLINEで星哉とやりとりした後、剛志に言った。
「今から、星哉ん家に行かね? あいつの家で飲もうぜ」
 剛志は、前年の春に虎男から星哉を紹介され、二、三回会ったことがあった。だが、顔と名前が一致するくらいで、電話番号もLIENのIDも知らない。酒を飲むこともたいして好きではなかった。
「いいよ、俺、行かない」と剛志は断った。
「そう言うなよ」
「でも……」
「一緒に行こうぜ。少しだけ。いいだろ」
 しつこく誘われたことで、剛志は拒否しづらくなり渋々ついていくことにした。断ったところで、一人ではすることがなかった。
 星哉が両親と住んでいる家は、川崎大師から徒歩十五分ほどのマンションだった。円形のコンクリートの外壁に囲まれた十階建てで、エントランスはオートロック。不動産屋のサイトによれば、中古の3LDKで約四千万円となっているので、このあたりでは一般的な部類に入る物件だろう。
 虎男は自分の自転車に剛志と二人乗りして出発し、途中で安価な韓国焼酎を購入して、星哉のマンションへ行った。到着したのは、午後七時十九分のことだった。
 星哉の部屋で、三人は焼酎のお茶割りをつくって飲みながら、携帯ゲームをやったり、おしゃべりをしたりしていた。飲酒量は虎男が五、六杯、星哉が六、七杯飲み、剛志は一杯だけ口をつけた程度だった。剛志の記憶によれば、虎男と星哉は主に高校の友達や仕事の話をしていたそうだ。星哉は高校を中退した後、派遣の肉体労働をしていた。虎男は少年鑑別所へ送られたこともあって高校の卒業が絶望的になっていたことから、中退した後の仕事について悩んでいたのだろう。
 剛志は酒に口をつけることもほとんどなく、退屈していた。学校もちがうし、会話に出てくるのは自分の知らない人や仕事のことばかり。話についていけなかったのだ。かといって、ここで「帰る」と言えば場の雰囲気を壊すことになる。
 午後十時すぎ、焼酎のボトルを半分開けたところで、虎男が言った。
「腹減ったな。なんか食いに行かねえか」
 三人がマンションを出て向かったのは、近所の古い中華料理店だった。席にすわり、五目チャーハンを一皿、瓶ビールを一本注文した。五目チャーハンは三人で、ビールは虎男と星哉が飲んでいた。
 剛志の携帯電話が揺れたのはその時だった。見ると、遼太からのLINEが届いていた。
〈剛志君、何やってるんですか。ヒマです。遊びましょうよ〉
 遊び相手を探しているのだろう。
 剛志は、今夜は遊べない、という内容のメッセージを送り返した。虎男も星哉も酒に酔っていて、日吉事件のようなことが起きたら面倒だと思ったのだ。特に虎男には会わせない方がいい。
 遼太は虎男がいるとは知らず、次々と〈遊びましょうよ〉〈ヒマだから合流しようかな〉という内容のメッセージを送ってきた。
 剛志は再度断った。
〈ムリだね。ムリなもんはムリ〉
 それでも遼太は諦めずに送りつづけてくる。剛志は中華料理店でも蚊帳の外に置かれていたことから、だんだんと遼太がここまで言うなら呼んでもいいかもしれない、と思うようになった。単純に話し相手がほしかったのだ。
 ひとまず剛志は、虎男に確かめてみた。
「なあ、カミソンから暇だってLINEが来てるんだ。誘ってもいい?」
 虎男はビールを飲みながら、関心がなさそうに答えた。
「別にいいんじゃね」
 剛志はその言葉を聞いて、大丈夫だと思い、次のようなメッセージを遼太に送った。
〈やっぱり合流するべ〉
 遼太からも返信がきて、これから会うことになった。
 午後十一時十五分頃、三人は食事を終えてビールを飲み干すと店を出て、マンションへと向かった。そのあたりから、虎男は酔いが回ってきたように、イライラした様子で、しきりにこうつぶやいていた。
「あー、むかつく。ぶっ飛ばしてえな。ぶっ殺してえ」
 誰のことかまでは言っていなかったが、遼太である可能性は高い。剛志は、やばいな、と思いつつ、そうなったら止めればいいかなと考えて黙っていた。そもそも吉岡兄弟とのトラブルもあるので、簡単には手を出さないだろう。
 マンションにもどって間もなく、剛志の携帯電話が震えた。遼太からLINEのメッセージが届いたのだ。
〈ツタヤに行きますよ〉
 マンションから五百メートルほどのところにあるTSUTAYA大師店のことだ。ここで合流することになったのである。
 剛志は虎男にそのことをつたえた。虎男は言った。
「俺がいるってことは言うなよ」
「うん」
「チャリ、つかっていいよ」
 剛志は一人先にマンションを出て、虎男の自転車でTSUTAYA大師店へ向かった。
 店は一階が駐車場で、二階がビデオや漫画が並ぶフロアになっている。遼太は先に到着しているようだった。二人は落ち合うと、店内で本を読んだり、追いかけっこをしたりして時間をつぶした。
 しばらくして店を出ようということになり、一階の駐車場に下りた。剛志の携帯には虎男からの〈これる?〉というメッセージが入っていた。遼太をつれて来いという意味にちがいない。剛志は虎男が「むかつく。ぶっ飛ばしてえ」と言っていたことを思い出し、牽制する意味も込めて次のようなメッセージを送った。
〈フルボッコだけにしよう〉
 殴るにしてもほどほどにしようという意味だった。虎男からはすぐに返信があった。
〈いいよ〉
 剛志と遼太は店を後にした。待ち合わせは、川崎大師駅ということになった。
 虎男は星哉とともに〇時二十二分にマンションを出た。防犯カメラには、虎男が星哉が仕事でつかっている黒のトートバッグを持って歩いている姿が映っている。
 駅へ行く途中で、剛志にLINEのメッセージを送り、少し手前にある若宮八幡宮に待ち合わせ場所を変更した。暗い道を歩いている間、虎男は星哉に対してこう言った。
「俺、今、吉岡たちに狙われてるんだよ。家にまで押しかけられて脅されてる。カミソンが日吉で俺にフルボッコにされたことをチクったんだ。それに、俺たちに無理やりエスをやらされてるって言ってるらしい」
 話しているうちに、遼太への怒りがますます膨らんできた。
 若宮八幡宮に到着したのは、虎男たちの方が先だった。虎男は遼太に見つかって逃げられないようにするため、道を挟んだ前のマンションのエントランスに身を潜めた。少しすると、自転車に乗った遼太と剛志がやってきた。虎男はそれを見届けると、道路に飛び出してまっすぐに二人のもとへ歩み寄っていった。
「携帯貸して」
 虎男はそう言って遼太の携帯電話をひったくり、肩に手を回した。
「カミソン、おまえ、吉岡に日吉でのことチクっただろ」
「そんなことしてないです」
「ふざけんじゃねえ。後輩から聞いて知ってるんだよ」
 おそらく遼太は何のことかわからず戸惑っただろう。そもそも大師公園で吉岡兄弟の弟・浩二に問いただされた際、遼太は虎男をかばってごまかそうとしたのだ。決して自分から告げ口したわけではない。
 だが、虎男はそう考えなかった。遼太が自分を痛めつけるために吉岡兄弟に日吉事件のことを話したと思い込んでいたのである。
「本当にチクってませんよ」
「嘘つくんじゃねえよ」
 明らかに憤っていて聞く耳を持とうとしなかった。これ以上反論すれば、逆に激昂させることになると考えたのだろう、遼太は謝罪して切り抜けようとした。
「すいませんでした。勘弁してください」
 虎男の怒りは絶頂に達した。
「ヤキを入れてやる。来い!」
 そう言って、虎男は肩を組むようにして遼太を若宮八幡宮の外へと引っ張っていった。剛志と星哉は、二台の自転車を引いて同じ方向へ歩いていった。
 虎男が遼太をつれて向かったのは、川崎方面へ向かう住宅街の道だった。虎男は遼太に対して小声で怒りをぶちまけていた。遼太は縮こまって何度も謝っている。
 感情が抑えられなくなったのか、虎男はいきなり裏拳で思い切り遼太の顔面を殴りつけた。遼太の鼻から血が流れる。
 ふり向いた剛志が止めた。
「やめろよ」
 通行人に見つかって警察に通報されることを危惧したのだ。虎男もそれ以降は手を上げず、歩きはじめた。
 彼らが向かっていたのは、多摩川の河川敷だった。
 
殺害
 多摩川に沿って一本の公道が通っている。「イトーヨーカドー川崎港町店」や「スーパーオートバックスかわさき」など大型店舗が並び、自家用車やトラックの往来も激しいが、歩く人影は少ない。深夜ともなればほとんど見かけることはない。
 この道の信号を右折すると、京急大師線が通っていて、その鉄橋の下が二・三メートルの高さのトンネルだ。あたりには民家がなく、街灯も少ないために、閉ざされている。鉄橋のトンネルを抜けると、道は未舗装になって百メートル先の雑草の茂る土手につづく。二月の川辺には、冷たい風とともに川の流れる音が響いていた。
 土手の手前で虎男が、剛志に言った。
「チャリを隠して、どっか行ってていいよ」
 自転車が誰かに見つかるのを恐れたのだ。さらにヤキを入れるとなれば、遼太と仲の良い剛志の存在は邪魔になる。剛志も、その場の空気からこれから起こることを予期し、言われた通りに自転車を河川敷にあった看板のわきに止め、三人を残して逃げるようにその場から立ち去った。
 虎男は遼太を引っぱるようにして土手を下りていった。四十メートルの草地の三角地帯が広がっており、その奥がコンクリートの護岸斜面になっている。人目につかない場所と考え、ここを選んだのだ。
 虎男は草地で足を止めると、若宮八幡宮で奪った遼太の携帯電話を川に向かって投げ捨てた。吉岡兄弟に助けを求められることを恐れたのである。
 それから遼太を護岸斜面までつれていくと、話をぶり返した。
「なんで吉岡兄弟にチクったんだよ!」
「すいません」
 すぐに謝ったのは、何を言っても無駄だと察したからかもしれない。
「すいませんじゃねえだろ!」
 恫喝したが、遼太の反応は同じだった。ついてきた星哉が遼太に向かって言った。
「そういうのが調子に乗ってるって言ってんだよ!」
 その言葉に火がついたのだろう、虎男が見せてやるとばかりに遼太を護岸斜面に押し倒し、馬乗りになった。
「どうする、こいつ」
 訊きながらも虎男は遼太を殴って痛めつけるつもりだった。だが、予想もしなかったことが起こる。
 星哉が黒いトートバッグに入っていた作業用カッターナイフを取り出し、差し出してきたのだ。かつて虎男が星哉を誘って引越しのバイトをした際に、仕事で必要だからとホームセンターで一緒に買ったものだった。グリップが紫色のオルファ製のものだ。
 虎男は、脅してやろうとカッターの刃を出し、遼太の頬を、二、三回切りつけた。頬の傷から血がにじむ。横で見ている星哉に対する面子もあったのだろう、虎男はさらにカッターを振りかざし、腕と膝の上を一回ずつ切りつけた。
 五回切られたことで、遼太の服は赤い鮮血に染まったにちがいない。それでも遼太は痛そうに立ち上がった。虎男は冷淡に命じた。
「おい、服に血がつくから脱げば」
 それはさらにカッターで切るという宣告だった。遼太は年上の男二人に囲まれて切りつけられた恐怖からだろう、拒む様子も見せずに黙ってパーカーを脱ぎ、寒風が吹きつける中でタンクトップ一枚になった。
 カッターを握り直し、虎男は立ちすくんでいる遼太の首を、つづけざまに三回ほど切りつけた。遼太は「うっ」と叫んで、痛そうに顔をゆがめた。
 虎男は遼太のタンクトップが血で赤く染まっているのに気づいて、ふと我に返った。これまでは「痛めつけてやろう」と勢いでやっていただけで、明確な殺意はなかった。だが、これだけの傷を負わせれば、ただではすまない。吉岡兄弟はこれを口実に報復しに来るだろうし、警察にバレれば逮捕される。
 もはや遼太を帰すことはできない。そう思ったものの、自分が最後まで手を下せるか自信がなかった。虎男は途端に弱腰になり、星哉に向かってカッターを差し出した。
「なあ、やってくれねえか」
 星哉は切れ長の細い目を向けて言った。
「もうちょっと自分でやれよ」
 虎男は見下されたように思っただろう。だったら、やってやろう、とばかりにカッターを握りしめ、さらに遼太の首を切りつけた。遼太は避けることもせずに切られるままだった。顔をゆがめるが、いずれも致命傷になるほどの傷にはならない。
 もう限界だとばかりに虎男は言った。
「やったぞ。やってくれ」
 虎男の本心は、ここで星哉に止めてほしい、というものだったという。法廷でこの時の心情を次のように述べている。
「殺そうと思ったけど実際はうまくできなかったです。途中で怖くなりました。カッターで刺す時に力はあまり入りませんでした。自分では首を切って殺すなんてできないと思い、星哉に『替わって』って頼みました。自分の代わりに切ってほしいというのと、止めてほしいという気持ちが半々くらいでした」
 しかし、星哉は引き留めることをしなかった。カッターを受け取ったのだ。そして遼太の前に歩み寄ると、無言で首の右側を何度か切りつけた。この時も遼太は黙って切られるままになっていたという。
 彼は、これで自分の番が終わったとばかりに、カッターを突き返してくる。もうできない。虎男はそう思った。脳裏をよぎったのは、剛志にやらせようという考えだった。ポケットから携帯電話を出し、LINEで電話をかけた。
「俺だよ。今どこにいんの? すぐもどってきて」
 その頃、剛志は近所のコンビニでおにぎりを二つ買って食べていたが、連絡を受けて「(暴行が)終わったかもしれない」と思い、走って多摩川へと向かった。
 五分ほどして、土手のあたりから剛志の「おーい」という声が聞こえてきた。暗くて三人の姿が見えなかったのだ。虎男は、「こっちだ!」と返事をして剛志を護岸斜面に呼び寄せた。
 剛志は遼太を見て言葉を失った。後の公判で、彼はその時の衝撃をこう語っている。
「よく見ると、(遼太は)裸で体育座りをしていました。左側の頬、ふともも、腕から血が流れていてびっくりしました。いや、ものすごくびっくりしました。気持ち的にも見ることはできませんでした」
 この時点で遼太は全身十カ所前後切られていた。首の周りどころか、全身が正視できないほど血だらけになっていただろう。それでも虎男は遼太にカッターをふり下ろす。剛志が呆然とする中、星哉が口を開いた。
「川で泳がせれば」
 川辺には凍ったような風が音を立てて吹きつけていた。気温は五・二度だったから、水は痛みを感じるほどの冷たさだったはずだ。
 重傷を負った遼太を泳がせれば、おぼれて勝手に死んでくれるかもしれない。そうすれば、自分が手を下す必要もなくなる。
 虎男は「いいね」とつぶやき、遼太に命じた。
「おい、泳いで」
「…………」
「泳げよ」
 遼太は裸のまま川の中に入っていった。冷水に触れたことで体はガタガタと震えて、手足を思うように動かすことすらできなかっただろう。対岸までの川幅は百メートル以上。流されずに水に浸かっているので精いっぱいで、とても泳いで逃げることなどできなかったはずだ。
 これが終われば、解放してもらえる。それまでの辛抱だ。遼太は震えながら自分にそう言い聞かせていたのではないか。
 三人は護岸斜面から、暗い川の中を泳いでいる遼太を眺めていた。虎男が言った。
「なんか面白くね」
 川辺に軽口が響く。剛志が心配して言った。
「あのままじゃ、おぼれるぞ」
 川に浮かぶ遼太の頭が時折見えなくなる。
「反対岸まで行っちゃうよ」
 剛志が不安に駆られて叫んだ。
「おーい、カミソン、もどってこい」
 暗い川に声が響く。虎男も対岸へ行って逃げられると困ると思ったらしく呼びかけた。
「もどってこい!」
 川にいた影が近づいてきて、全身から水を滴らせた遼太が這うように上がってきた。二月の凍りつくような風は、全裸でずぶ濡れの遼太を低体温症に近い状態にまで陥らせていたはずだ。
 虎男は剛志にカッターを差し出し、言い放った。
「おまえもやれよ」
 切れ、と言われているのだとわかり、当惑した。
「で、できないよ」
「やれっつってんだろ!」
「無理だよ!」
「ふざけんな、やれ」
 何度か押し問答をしていると、虎男が激昂して剛志をその場に押し倒した。馬乗りになり、血に染まったカッターの刃先を首につきつけて叫ぶ。
「やれって言ってんだろ。やらなきゃ、殺すぞ!」
 剛志は、カッターを握る虎男の腕をすんでのところで押さえた。このままだと自分が殺される。
 星哉が、二人の間に割って入って言った。
「やめとけよ」
 仲間割れしている時ではないと忠告したのだ。
 虎男も我に返って立ち上がり、何かを考えてからおもむろに剛志に向かって「時間見せて」と言った。剛志が携帯電話をわたす。虎男はそれをさも当たり前のように自分のポケットに突っ込んだ。そしてもう一度カッターを差し出してきた。
「やれよ」
 カッターを向けられ、携帯まで取られれば、断ることはできなかった。剛志は「わかった」とカッターを受け取り、全裸の遼太のもとへ歩み寄った。
 遼太は怯えた目で、「ごめんなさい」と口を動かした。謝れば許してもらえるのではないかと思ったのだ。剛志は「ごめん」とつぶやき、カッターで切った。刃先が肉を裂く。遼太は「うっ」と声を上げて前かがみになる。
「これでいい?」と剛志は言った。
「まぁいいや」
 虎男は答えながらも、どうすればいいのか、と焦っていた。遼太は痛がる素振りを見せていたものの、致命傷を負わせるまでにはいたっていない。自分自身が追い詰められたような気持ちだった。そして、再び非情な命令を下す。
「おい、もう一回泳いで来いよ」
 遼太は歩こうとしたものの、足元はふらついていた。出血と寒さのせいで意識がもうろうとしていたのだろう、護岸斜面を滑り台から落ちるように川へと入っていった。剛志がその様子を見て言った。
「やばいんじゃないか……」
 浅瀬を進んだものの、川の中にいるのが精一杯といった様子だった。もはや限界にきていたのだ。
 虎男は呼びもどした。
「もういい。帰ってこい」
 遼太はなんとか護岸斜面を登ってきたが、立っている力もなかったらしく、その場に崩れ落ち、正座を崩したような形ですわり込んだ。白い息が出ている。
 虎男は剛志を促した。
「もう一度やれよ」
 剛志は今度は拒むことなくカッターを受け取った。一度やってしまったのだから次も同じだという感覚に陥ったのだ。剛志がカッターを持って近づくと、遼太はすわり込んだまま目に涙をたくさん浮かべ、口を動かした。再び「ごめんなさい」と言っているようだが声にならない。剛志は首の左側に刃を当てると、一気に喉に向かって引いた。血が流れる。
 虎男がそれを見て命じた。
「反対側もやれ」
 ナイフを逆の手に持ち換え、同じように首の右側も切った。
「もう、いいでしょ」と剛志が言った。
「ああ」
 虎男はカッターを受け取り、次に星哉に手わたした。カッターは血と脂でべとべとだったにちがいない。
 星哉は遼太の頭をつかむと、護岸斜面のコンクリートに思い切り頭を打ち付けた。剛志はこれから起こることを予想していたたまれない気持ちになった。
「俺、見張りに行ってくる」
 誰も止めようとしなかった。剛志は逃げるように一人で土手の方へ歩いていく。背後で、再び星哉が遼太の頭部をコンクリートに叩きつける鈍い音が聞こえてくる。
 そして星哉はカッターを握りしめ、遼太の首にふり下ろした。かなりの力が入っていたらしく、刃が折れた。暗闇の中で刃先が転がる音がする。
「刃、拾う?」と星哉は言った。
「いや、いいよ」
 護岸斜面で遼太はうつ伏せになってぐったりとしている。星哉は虎男にカッターを突き返した。その行為は、俺はやったぞ、おまえがとどめを刺せ、ということを示していたにちがいない。
 虎男は覚悟を決めて受け取った。もうやるしかないという決意があったのかもしれない。倒れたままの遼太の左側の首をカッターで力いっぱい切り裂いた。新しい刃先が「ずどん」と皮膚の奥まで刺さる感触があった。
 瞬間、遼太の悲痛な叫び声が上がった。
「ああー!」
 うつ伏せになったまま、ぴくりとも動かなくなった。
 しばらく虎男は見下ろしていたが、手に残った感触から、「死んじゃったな」と思った。土手へ行っていた剛志が、悲鳴を聞きつけて青い顔をしてもどってくる。虎男はつっぷしたままの遼太を見ていてだんだんと怖くなり、星哉に言った。
「川の方にやって」
 星哉は遼太の脇に手を入れて運ぼうとしたが、力の抜けた体は重くて動かすことができなかった。彼は靴底で蹴るようにして遼太を川へ転がしていった。血だらけの体は護岸斜面から落ち、仰向けになって止まった。傷ついた下半身が暗く冷たい水につかっている。
「息してるか」と虎男は訊いた。
 星哉が遼太の顔に耳を近づける。
「少ししてんな」
 今は息があったとしても、死ぬのは時間の問題だった。
「帰ろう」
 虎男はそう言って遼太が脱ぎ捨てた洋服を集めた。それらはまとめて剛志に手わたされた。
「これ持って、チャリのところで待ってて」
 剛志は服を受け取り、先に現場を離れた。虎男と星哉は携帯のライトで地面を照らして遺留品が残っていないかどうかを確認した後、現場を去った。
 三人は河川敷を離れると、川崎大師の方面へ向かっていった。自転車の籠には遼太の血だらけの服が入れられている。最初に訪れたのは、河川敷から約五百メートルのところにあるコンビニだった。
 店の前に着くと、虎男は中に入ろうとせずに剛志に言った。
「上着脱いで」
「え?」
「それと、オイル買ってきて」
 そう言って千円札をわたした。上着を脱ぐように命じ、自分は店内に入ろうとしなかったのは、防犯カメラを気にしてのことだった。剛志は一人で店に行き、言われた通りにライター用のオイルを二缶購入した。
 次に訪れたのは、コンビニから二百メートルほど離れた伊勢町第1公園だった。住宅街の公園としては広く、子供たちがボール遊びをしたりするスペースや、滑り台などの遊具が集まるスペースにわかれている。桜の木が何本も植えられ、中央には三角屋根の公衆トイレが男女一つずつある。男子用は白いタイル、女子用は薄ピンクのタイルだ。
 時刻は午前三時直前。公園には人影がなかった。虎男は自転車を止め、籠に入れた遼太の衣服を指さした。
「カミソンの服、トイレに持って行って」
 命令されたのは、またも剛志だった。彼はうなずき、服やスニーカーをひとまとめにして抱え、女子トイレに運んだ。その際、彼は遼太の服のポケットに入っていた財布やヘッドフォンを取り出した。公判では「形見にしようと思った」と語っているが、盗むつもりだったのではないか。
 公衆便所には和式の便器のある個室があった。剛志は個室の一つに服を投げ込んだ。つづいて、虎男と星哉がやってくる。
「外で見張ってろ」
 虎男はそう言って剛志を外へ出すと、オイル缶を出し、液体を服にまきはじめた。オイルのにおいがトイレに充満する。星哉は個室の外からじっとその様子を見つめていた。
 服がオイルでぐっしょりと濡れたのを確かめ、虎男はそれらに火をつけた。服や靴にボッと火がつき、瞬く間に燃えはじめる。二人は衣服が炎に包まれるのをしばらく見届けてから、自転車に乗り、急いで現場を立ち去った。
 その後、虎男と星哉は、剛志に一人で公園に引き返してちゃんと衣服が燃えたかどうか確かめてくるよう命じ、自分たちは先に星哉のマンションへもどった。剛志も確認後に二人が待つマンションへ行った。
 マンションの防犯カメラには、星哉がコンクリートの壁を乗り越えて中に入り、つづいて虎男と剛志がエントランスから顔を隠すようにして入っていくところが映し出されている。防犯カメラでアリバイを押さえられることを避けようとしたのだ。
 それから一時間強、三人はマンションですごした。事件について語ったのは、「今夜のことは黙っていよう」と口裏を合わせた時だけ。それから夜明け頃まで、殺害のことを忘れてしまったかのように、それぞれの携帯電話でゲームをやって遊び、午前五時三十五分にマンションを後にした。
 信じがたいことに、これ以降、三人のLINEの履歴には事件のことを綴った言葉がほとんど見当たらない。やりとりされているのは、お互いの様子確認とゲームに関するやりとりばかりなのだ。
 この日から逮捕まで虎男のLINEの記録で、具体的に事件について触れられているのは一回だけ。事件の翌日の二十一日のことだ。おそらくワイドショーか何かを見たのだろう、星哉にこういうメッセージを送っている。
〈ニュース見た?〉
 それ以降、虎男が二人とやりとりしたLINEの履歴には、一度も事件のことは出てこない。

石井光太Kota Ishii

1977年、東京都生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件など幅広いテーマで執筆。著書に『絶対貧困』『遺体』(ともに新潮文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)など多数。近著に『「鬼畜」の家~わが子を殺す親たち~』(新潮社)、『世界の産声に耳を澄ます』(朝日新聞出版)など。

石井光太 公式ホームページ
KOTAISM.COM
http://www.kotaism.com/

INFORMATION

本連載終了後 単行本化予定!

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