せっかくステキな旅の記憶をたどる連載を始めることになって、記念すべき第一回目の原稿にとりかかろうとしているのに、まったく集中できません。
  原因は、隣の席の欧米人とおぼしき二人連れです。
  私が座っているのは、とあるファミリーレストランの窓際席。自宅にいるとメールチェックやネット検索を無意味にくりかえすばかりで、どうにも原稿がすすまない。そんなわけで、数ヶ月前からパソコンを抱えて近所の店数軒をグルグルとまわっているのです。音楽や人の話し声はさほど気にならず、むしろキッチンからコップが割れる音と一緒に「申し訳ありませ〜ん!」なんて声が響いてくると、みんな仕事してるんだ。私もダラッとしてられないわ! と気がひきしまったりするのです。
  しかし、今日は予想外の強敵が出現してしまいました。
  ひとりは、ブラウンの髪で耳にシルバーのピアス。レイバンのサングラスと黒の皮ジャケットというワイルド系ファッションだけれど、育ちはよさそうで粗野なイメージとは程遠い感じ。一方、テーブルをはさんで座るのは、薄茶の混じった金髪の巻き毛クン。アイボリーのカジュアルジャケットとグリーン系のシャツという、春らしい優しげなファッション。いずれも三十歳前後で、たぶんそれなりにインテリジェンスが必要な仕事をしているのだろうなという二人です。
  そんな彼らが、どうして強敵なのかというと、喧嘩の真っ最中だから。
  私が入店したとき、すでに二人が熱く語り合っていることは、うっすらとわかりました。世界的な金融危機をどうやって乗り越えるのか、ビジネスパートナーのふたりが有益な意見交換でもしているのか……なんて一瞬想像したのですが、巻き毛くんが「僕のこと愛してないんだろう?!」なんて叫んでいるので、彼らの危機は今、まったく別のところにあるのだなと嫌でもわかってしまうのでした。
  オシャレで(たぶん)学歴も高いアッパーなゲイカップルが、真っ昼間から愛をテーマに罵り合っている。映画やドラマだったらものすごくベタなシーン。でも現実に目のまえで展開されると、何かが心に染みこんでいくような深い感動さえおぼえてしまうのは、私がベタなシーンに萌える“ベタ萌え”だから。
  そんなわけで、まったく仕事にならないのですが、エキサイトしているネイティブスピーカーどうしの会話なので部分的にしか理解できない。なんだか飛行機のなかで、字幕ナシの映画を観ているような気分になってきてしまうのです。

  でも、あのときは字幕なんかいらなかった……! 
  ふとよみがえったのは、スペイン南部のコルドバで出会った情景でした。石畳の小道の両側に続く漆喰の白い壁の民家は、典型的なアンダルシアスタイル。凝った装飾の窓には、色とりどりの花が飾られています。
  そんな美しい街角に怒声を響かせていたのは、二人の老人でした。
  ツルのように痩せた爺さんと、背が低くて肩のガッシリしたハゲタカのような婆さんが、アパートメントの二階と一階の窓から身を乗り出し、すごい剣幕で拳をふりあげていました。それでも、どちらかがモノを投げたり、相手の部屋におしかけていったりする様子はなく、あくまで言葉の攻防が延々と続いているのです。どちらかが暴力にうったえれば、ご近所さんの誰かが割って入るのだろうけれど、なにしろ口喧嘩なので仲裁に入るタイミングもなく老人たちのバトルは終わりそうにありません。
  温厚そうな父親が小さな女の子の耳を手でふさぎながら立ち去っていくところを見ると、その罵りあいが容赦ないものだということが想像できます。そんな彼らの姿に、私はしばし深い感銘をうけながら見入ってしまいました。
スペインで伝統的なバトルといえば闘牛。倒れた牛はどうなるかというと、肉屋の店頭に並ぶ。闘牛は人気だけれど、闘牛の肉は硬いので不人気だとか。
  セリフが決まっているわけもなく(あたりまえだけど)お互いに手を出さずに戦い続けられるというのは、一種の特殊技能です。二人の息がぴたりと合わなければ、こうした壮絶な戦いを展開させるのは絶対に不可能で、そんなことを考えると、もうこれはこの町の無形文化財のひとつか何かに認定するべきという気がしてくるのでした。

  しかし、上には上がありました。
  スペインでツルとタカのバトルを見物したあと、さらに南下した港町からフェリーに二時間半ほど乗ってジブラルタル海峡を渡ったモロッコのタンジェは、ヨーロッパの人々にとっての身近な北アフリカ・シティリゾートという感じでした。
  到着して昼ゴハンにしようと、道沿いにテーブルを並べるカフェ・レストランに入ると、オーダーをとりにきたのは、白い前かけをした色の浅黒いややずんぐりした印象のアラブ系のおじさん。グリルチキンのほかにおすすめを訊くと、「モロッコサラダ」というので「それ(ベタ)でいいね!」と注文。トマトやレタスのうえにゆで卵、ライス、ブラックオリーブがトッピングされたものが運ばれてきて、特別にめずらしさはないけれど、とにかく野菜がやたらに美味しくてビックリしてしまいました。乾いた土地では、たいていナス科やウリ科の野菜の味が良いのだけれど、なかでもモロッコの野菜は世界のベスト3に入る味。それをつつきながらビールを飲めば、リゾート気分満点。
  しかし、人が集まる場所に怪しい輩がウロウロしているのは万国共通です。
「金くれ」
  テーブルの横に立ったのは、極端に顔色の悪い痩せた男でした。こうした人々は「NO」といってしばらく無視していれば、たいてい諦めて立ち去ってしまうものです。しかし、どういうわけかこの男、やたらとしつこい。「金くれ」「タバコくれ」「タバコない? だったら、金くれ」なんてことをしゃべり続けていました。
  なんで私が?! なんて考え始めたら、せっかくのビールとサラダが楽しめない。
「お金もタバコも、ダメ!」
  男はようやく黙りました。そして数秒して右手をブンと振り、テーブルのグラスが吹っ飛んでいきました。
  きゃあああ〜、私のビールに何すんのよ!!
  驚きと怒りを声に出す暇もなく、私の横を黒い人影がサッと通りすぎていきました。気づくと、さっきオーダーをとりにきたオジサンが、男に跳びかかっています。その瞬間、私の怒りは吹き飛びました。なぜって、オジサンの手には銀色の丸盆がにぎられていたからです。
  レストランのウェイターが、商売道具の代表ともいえる銀の丸盆を武器に戦っている!
  すごい。こんなアクションシーン、世界中をまわったってめったに遭遇できない……。私ったらなんてラッキー!
そう思ったら、ビールが台無しになったショックもはるか彼方。
  男はほとんど無抵抗のまま走って逃げていき、武器となった銀色の丸盆はややひしゃげていました。それを膝のうえで「ヨッ」という感じで直して、新しいビールを運んできてくれたオジサン。その姿に、またグッときてしまったのでした。
モロッコサラダ。最初に口にするものによって、その国の印象は違ったりする。


 


片野ゆか(かたの・ゆか) 1966年東京生まれ、ノンフィクションライター。
人と犬の生活、アジアエリアの食文化、美容・健康等をテーマに雑誌、書籍、ネットなどで取材・執筆を行っている。2005年、『愛犬王〜平岩米吉伝』で第12回小学館ノンフィクション大賞受賞。著書に同賞の単行本のほか、『天職図鑑』『旅』する犬は知っている『すっぴん台湾』『犬が本当の「家族」になるとき』『アジワン〜ゆるりアジアで犬に会う』『ダイエットがやめられない〜日本人のカラダを追跡する』。最新刊は「小説すばる」誌の連載をまとめた『ポチのひみつ』。愛犬のダルマは、16歳のミニュチュア・ダックスフント。

著書ブログ
「片野ゆかのアジワン日和」

最新刊『ポチのひみつ』



最新刊『犬部!』






 
 
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