6月25日更新 第17号

俳句×ショートショート 五七五の小説工房

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はじめまして。ここは「五七五の小説工房」です。

この工房では、皆さんからお寄せいただく俳句をもとに、俳人の堀本裕樹さんとショートショート作家の田丸雅智さんが、言葉の職人として、とっておきのショートショートを生み出します。

えっ、俳句から生まれるショートショートなんて想像できない? ではさっそく、「五七五の世界」が、どのような小説に変わるのか、ご紹介しましょう。

題材の句
啓示無きひかりばかりや夜光虫 又吉直樹

夜光のBar

田丸雅智


 都会のネオンに一縷いちるの望みを見出そうとしたのは間違いだったと、男は思った。
 部屋に閉じこもって沈みこんでいるだけでは、何の解決にもならない。あのきらびやかな光に触れたら、少しは気持ちが晴れるかもしれない。そんな考えで重たい心を何とか持ちあげ、男は街へと繰りだした。
 だが、待ち構えていたのはケバケバしさばかりの際立った、うるさい光の横溢だった。男は活力を得るどころか、かえって鬱々としてしまう。ネオンは何の啓示も与えてくれず、虚しさを加速させるだけだった。こんなことなら部屋の暗闇のほうが幾分かましだったと、男は後悔に苛まれた。
 彼は踵を返し、帰路につくことにした。
 また今日も、あの人の影を追ってひとり夜を過ごすのか……。
 そう思うと、やりきれなさがこみあげる。
 と、俯きながら人混みの中を歩きはじめたときだった。
 何気なく横を見た男の目に、あるものが留まった。それは、薄汚れたビルの地下へとつづく階段だった。
 その先で、ぼんやりと何かが光っている。

   Bar ルミノ

 重厚な木の扉には、そう文字が刻まれていた。青白く光るそれは、控えめで美しい。
 せっかく外に出たんだから、バーにでも寄って帰るか……。
 光にいざなわれるようにして、男は階段をおりていった。
 店の中は、ほとんど暗闇に包まれていた。
「いらっしゃいませ。どうぞ、そちらの奥へ」
 静かな声に導かれ、男はゆっくり歩みを進めて席についた。
 その店は、カウンターだけの簡素なつくりのバーだった。男とは同じ列、カウンターの反対側には、ひとり先客の姿がある。闇の中、その人物の輪郭だけがなぜだか青白く光っている。あとの明かりは、カウンターの内と外を隔てている青白い境界線のみだった。
 店の中にある光は街のネオンとは対照的で、男は安らかな気持ちになった。なんだか幻想的な雰囲気を帯びた、不思議な場所だなぁと彼は思った。
 メニューを求めると、バーテンダーが渡してくれた。暗闇の中、かろうじて読み取れるウィスキーやカクテルの列の最後に、男は見慣れない名前を見つけて尋ねてみた。
「あの、すみません、このお酒は……?」
 バーテンダーは温かみのこもった口調で、それに応じた。
「うちの店でおすすめしているお酒です。少々、変わった代物でしてね」
「なんと読むんですか?」
「やこうしゅ、です」
「やこうしゅ……」
 男は手元のメニューを見返した。そこには、夜光酒という字が書かれてある。
「このお店のおすすめ……なんですか?」
 頷くバーテンダーに、男はその酒をオーダーしてみることにした。
 しばらくして差しだされたのは、脚の長いワイングラスだった。グラスの中には、何の変哲もない透明な液体が入っている。焼酎や日本酒をストレートで出されたのかと思うほど、きれいに澄んだものだった。
「これが夜光酒……」
 男はつづけた。
「どういうお酒なんでしょう」
「グラスを回していただければ、お分かりになりますよ」
 微笑むバーテンダーに、男は訝しげな顔をする。
「回す……?」
「ワインに空気を含ませるのと、同じ要領です」
「はあ……」
「どうぞ、お試しになってみてください」
 男は腑に落ちない表情のまま、グラスを手前に引き寄せた。
 液体からは、潮のような香りがほのかに立ちのぼってくる。
 脚をつまんで、グラスを回す。
 その瞬間、彼は声をあげていた。
「うわ! なんですか!?」
 目の前の光景に息を呑む。
 何もなかったはずの透明な液体には、突如、青白い光が幾筋も現れていた。それはまるで、闇夜に尾を引く蛍の光のようだった。
 グラスは回せば回すほど、青白く輝く。
 男は呆気にとられてしまった。
「これは夜光虫をヒントにしてつくられたお酒なんですよ」
 バーテンダーが、おもむろに口を開いた。
「やこうちゅう?」
 男はグラスをそっと置いた。青白い光は、たちまち消える。
「夜に光る虫と書いて夜光虫――海に棲むプランクトンです。刺激を受けると青白く光りましてね。じつに幻想的な生き物なんです。特に波打ち際で見る夜光虫は素晴らしく……波のうねりに刺激を受けて光るんですが、波自体が青白く染まったかのように輝いて、それはそれは美しいんです」
 バーテンダーは静かにつづける。
「もともとこの夜光酒は、亡くなったうちの先代が、試行錯誤の末に生みだしたものでしてね。光を見るのが大好きな人で、この店を切り盛りする傍らで、いろんな場所に自然の光や人工の光を見に行くのが趣味でした。私は、父でもある先代に、小さいころよく聞いたものです。光の、何がそんなに好きなのか、と。先代は、こう言いました。良き光には安らぎがあるものだから、と。
 それが高じて、と言いますか、あるときから先代は、光をモチーフにしたお酒をつくろうと思いはじめたようでして。モチーフにするのは、ふつうの光ではありません。先代の一番好きだった光――夜光虫の放つそれをグラスの中に再現したいと、研究するようになっていったんです。
 そのころよく先代は、都会の光は人の心を消耗させると言っていました。だからこそ、その都会には安らぎの光を提供する場所があるべきだ。そんな持論を語っていたのを覚えています。そしてその思いが形になったのが、このお酒――夜光酒というわけなんですよ」
 男はじっと、彼の話に聴き入っている。
「夜光酒には、夜光虫の光る原理をもとにしてつくられた特別なリキュールを使います。それを、蒸留した海水で割ってソルトを加えれば、完成です。先代のころから、見るものを癒すお酒として、長くうちの看板メニューでした。
 ちなみにみなさん、時おりグラスを揺らしては、じっくりと光を眺めながら少しずつお酒を飲んでいくのを好まれるみたいですね。塩気のある味を楽しんでから、またぼんやりとグラスに見入る。そうするうちに、いろいろな思いが浄化されていくようです」
 男はグラスを見やり、少し揺らす。ふっふっと、光の筋が巻き起こっては消えていく。
「それじゃあここは、人々が安息の光を求めて訪れるバー、なんですねぇ……」
 溜息をつきながら、意味ありげな口調で男は言った。
「そうなっていれば、うれしいのですが」
 男の言葉には深く触れず、バーテンダーは答えた。
 ところで、と彼はつづけた。
「いま、お客さまは安息の光という表現を使ってくださいました。肝心なのは、安息のお酒を出すだけの店ではなく、うちは安息の光をご提供する店だという点なんです。そこに、私なりのこだわりがありまして」
「こだわり?」
「ええ、先代は、夜光虫の光をお酒の中に再現することに成功したと申しましたが、私はさらにそれを広げて、お酒だけではなく、この店の空間自体を夜光虫のいる海のようにしたいと考えたんです。そして研究の末、空気中に夜光成分を漂わせることに成功しましてね。ほら、お客さん、気づかれていないようですが、さっきからずっと」
 バーテンダーの仕草につられ、男は自分の身体に視線を移した。
 次の瞬間、彼は目を見開いた。
「これは……」
 いつの間にか、男は青白い光を身にまとっていた。
 いや、正確には、男が身体を動かすたび、闇から光が現れては彼を包んでいたのだった。腕を振ると、ふっふっと青白く光る。足を揺らすと、同じように明るくなった。
 言葉を失っている男に、バーテンダーは言った。
「そういった具合に、安らぎの光は疲弊した人をほどよく照らして、心を落ち着かせてくれるんです」
 男は、視線をグラスに落として沈黙した。ただただ、何かをじっと考えこんでいるようだった。
 やがて男の口がゆっくり動いた。
「……ここは、安息の光を提供するお店だと、あなたはおっしゃいました」
 男は思いつめたように言う。
「それならば、私にも安らぎをもたらしてくれるんでしょうか。私にも、希望の光を授けてくれるものなんでしょうか」
 バーテンダーは真面目な顔で聴くのみで、何も言葉を発しなかった。そうすることが、彼なりの誠意だった。
 男は自ら口を開く。
「……リサが……私の妻が亡くなったんです」
 堰を切ったように、言葉が次々溢れてくる。
「突然の事故でした。まだ三十歳になったばかりですよ。半年ほど前、道で車にかれて、あっけなく……。
 相手側からは十分な謝罪を受けました。ですから、憎しみを抱くことはありませんでしたが、それだけで私の気持ちが収まるわけもありません。
 私は、あの日以来、ずっと妻の影を追ってばかりいるんですよ。いえ、妻に二度と会えないことは、頭ではもちろん理解しているんです。ただ、あまりに突然のことで、感情がまったくついてきていないんです。ふと気がつくと、妻のことを考えてしまっている。できることなら、もう一度、彼女に会いたい。会って、ちゃんと区切りをつけたい。そんなことを言っても、どうしようもない。でも、それが分かっていても、また気がつくと彼女に会いたいと願ってしまっているんです。
 そんな状態で仕事に集中できるはずがありません。だからいまは会社を辞めて、貯金を取り崩しながら自堕落な生活を送っていますよ。ただ、自分でもなんとか立ち直らないと、という気持ちはあります。だから、少しでも気分が変わればと街に出たんです。そして流れついたのが、このお店なんですよ」
 一気に話し終えると、男は大きく息を吐いた。小刻みに震える身体の周りでは、青白い光が微かに漂う。
 男は深呼吸を何度かすると、すみません、と、呟いた。
「こんな話をしても、どうにもならないことだって分かっているんですが、つい……余計な話をしてしまいました」
「いいえ……そうでしたか……」
 それきり二人とも、口を閉ざした。
 青白い光だけが、空間に時おり浮かびあがる。
 次に口を開いたのは、バーテンダーだった。
「じつは、この店の空間に夜光成分を漂わせるようになってから、不思議なことが起こるようになりましてね」
「不思議なこと……?」
 充血して赤みを帯びた目で、男は尋ねる。
「ええ、安らぎの光を求めてうちの店にいらっしゃっていたのは、何も姿形を持った存在に限ったことではなかったんですよ。この空気中の夜光成分は触れるものすべてに――姿なき人々にさえも形を与えることができるんです」
 バーデンダーは、カウンターの反対側に視線をやった。
「端的に申しましょう。あちらにいるお客さまは、すでにこの世の方ではありません。よくご覧になってみてください」
 男は信じられない思いで、先客に向かって目を凝らした。
 あっ、と声が洩れた。
 カウンターには、先ほど見たとおり、青白い輪郭を持った人物が座っていた。
 だが、その輪郭の中は空っぽで、向こう側の壁が透けて見えた。
「まさか、そんなことが……」
 男は言葉が出なかった。
 バーテンダーは言った。
「私がはじめて同じ光景を目にしたときも、驚きました。ですが、恐怖は微塵も湧いてきませんでした。むしろ、ああいった方々にとってさえも、うちの店は安らぎの場所となっていたんだなぁと、うれしさがこみあげてきましてね。もしかすると先代は、光を追い求める中で、薄々感じていたのかもしれません。安息の光を求めて彷徨さまよう、姿なき人たちの存在を。だからこそ、この場所をつくったのかもしれないなぁと、私はときどき、そんなことを考えたりしています」
 考え過ぎかもしれませんがと、バーテンダーは微笑んだ。
 一方で、男は複雑そうな表情を浮かべていた。バーテンダーの言葉と、いま見た光景と、自分の境遇と、いろいろなことが交錯して、言葉にならないようだった。
 静謐せいひつが場を支配した。
 と、しばらくたってからのことだった。
 頃合いを見計らっていたかのように、バーテンダーは、再びゆっくり口を開いた。
「お客さま」
 男は呼ばれて視線をあげた。
 バーテンダーと目が合った。
「ひとつ、よろしいでしょうか」
「……なんでしょう」
「先ほどから、申し遅れていたことがあるのですが」
 バーテンダーは、そっと言った。
「お連れの方が、お待ちですよ」
「連れ……?」
 困惑しながら聞き返す。
「連れって……今日は私ひとりですが……」
「いいえ、たしかに、あちらのほうに」
 言われて男は、扉のほうを振り返った。
 その途端、男の身体は固まった。息も同時に止まってしまう――。
「それでは、心安らぐまで、どうぞごゆっくり」
 バーテンダーは、すっと闇の奥へと消えていく。
 残された男は、言葉に詰まった。
 やっとのことで、ただ一言、かすれた声を絞りだす。
「リサ……なのか?」
 すらりと立つ輪郭は、尾を引きながら男のほうへと駆けてくる。
 ふわりと光がもつれあったその瞬間、バー全体に青白い明かりが行き届いた。

終わり

いかがでしたか。

あなたの詠んだ一句が、言葉の職人お二人の手によって、このような素晴らしい物語に生まれ変わるかも知れません。

「俳句募集」のページから投稿できますので、ぜひご参加ください。ご応募をお待ちしております。

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