6月25日更新 第17号

俳句×ショートショート 五七五の小説工房

この秋、単行本化決定!
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ようこそ。ここは「五七五の小説工房」です。
この工房では、皆さんからお寄せいただく俳句をもとに、俳人の堀本裕樹さんとショートショート作家の田丸雅智さんが、言葉の職人として、とっておきのショートショートを生み出します。

さて前回は、第7回俳句募集の選句結果を発表しました。お題は「陽炎」「卒業」と自由題でした。

今回は、堀本裕樹さんによって特選と秀逸に選ばれた俳句のなかから二句を題材にして、田丸雅智さんがショートショートを生み出します。
はたしてどの句が、どのような小説に変わるのでしょうか。それでは田丸雅智さん、お願い致します。

題材の句
陽炎や前に進める服を着る ひじり純子

陽炎の仕立屋

田丸雅智


 小さいころ、自宅兼仕事場である祖父の家に遊びに行くと、弟と一緒にこっそりしていた遊びがある。スーツの保管部屋での鬼ごっこだ。
 仕立屋の祖父は、オーダーメイドでスーツをつくるのを生業なりわいにしていた。お客さんの身体に合わせて採寸をして、パターンをとり、縫製をしていく。そうして生まれたこの世に一着だけのスーツの保管部屋。そこに二人で忍びこみ、吊るされたスーツの間で追いかけ合うのだ。
「あっ、また! 大事な商品やぞ!」
 祖父に見つかると、大目玉を食らったものだ。いま考えると当たり前だと分かるのだけれど、当時は懲りずに何度も忍びこんでは遊んでいた。おてんば娘と呼ばれていたのも、いまとなっては頷ける。
 祖父は職人気質の厳格な人だった。作業台に注ぐ鋭い眼差しは強く印象に残っている。
 そんな祖父との時間で好きだったのが、休憩がてら散歩に連れていってもらうときだった。
 近くの公園までの道すがら、祖父はいろいろな遊びを教えてくれた。
 田んぼの畦道に生えるスズメノテッポウやカラスノエンドウでつくる草笛。ナズナでつくるデンデン太鼓。オオバコでの草相撲。
 田舎の道を遊びの宝庫に変えてくれたのは、間違いなく祖父だった。
 空の青と雲の白、草木の緑。
 都会にはない鮮やかな色合いをもった道々の景色を、わたしは折に触れては思い返す。
 その祖父が病に倒れ入院したのは一年前。祖母を亡くしてからも細々とつづけていた仕立屋は、入院を機に廃業せざるを得なかった。
 祖父はそのまま寝たきりとなり、先日ついに故人となった。ある程度の心の準備はできていたつもりだったけれど、いざそのときを迎えると、こみあげる情動を抑えることはできなかった。
 祖父の長男である父が喪主を務め、葬儀はあっけないほど滞りなく執り行われた。
 それから数日してのことだ。田舎に戻り遺品を整理していた父から、わたしは一本の電話を受けた。
「ちょっと、こっちに来てほしいんだけど」
 何かあったかと尋ねても、父はとりあえず見てほしいものがあるとしか言わなかった。妙だなと思いながらも、ちょうど翌日は大学が休みで予定もなく、わたしは新幹線と電車を乗り継ぎ祖父の家を訪れることにした。
 思えば、祖父の家に行くのは小学生のとき以来だった。中学生になると塾に部活に忙しく、祖父のほうが上京してくれるようになっていた。祖父が入院してからは田舎に行くこともあったけれど、病院を訪れるだけで家のほうへ足を運ぶことは自然となかった。
 およそ十年ぶりの祖父の家は、ほとんど思い出通りの姿で佇んでいた。父が空気を入れ替えたようで、中に入っても埃っぽさはまったく感じられなかった。
 父の淹れてくれたお茶を飲むと、わたしは切りだした。
「で、見せたいものって?」
 父の顔は、いつになく真剣だった。
「じつは、こんなのがじいさんの部屋から出てきてね……」
 リサ、おまえに宛てた手紙だよ。父は丁寧に折りたたまれたそれを差しだした。
 ――リサへ――
 達筆な字で綴られた文を目で追っていくうちに、やがてこんな言葉に行き当たった。
 ――ずっと男物のスーツしかつくってこなかったので、うまくいったかは分かりません。いつかあなたの役に立つ日が来ることを、心から願っています――
 手紙を読み終えると、わたしは父に目をやった。父は席を立ち、隣の部屋から持ってきたものを壁のフックに引っ掛けた。吊るされたそれは、女物のスーツだった。
「これ……」
「じいさんがリサのためにつくったものみたいだな」
 手紙には、サイズは内緒で母に教えてもらったと書いてあった。
「昨日、母さんに確認したら、倒れる少し前に聞かれたらしい。渡せずじまいで、さぞ無念だったろう」
 弟の分も、成人したらつくるつもりだったんだろうなぁ。父はそう呟いた。
 わたしは口にするべき言葉が見当たらなかった。祖父が作業台に向かうときの鋭い視線を思いだし、その想いのこめられた目の前の一着に、目頭が熱くなった。
 気持ちが少し落ち着いたころ、わたしは父に尋ねた。
「ところでさ、この『陽炎で仕立てた』っていうのは何のことかなぁ……」
 それは手紙に書かれていた文言だった。
 父は一瞬、怪訝な面持ちになったけれど、ああ、知らなかったのかと口を開いた。
「じいさんは服をつくるときに陽炎を生地に使ってたんだ」
「は? 陽炎?」
 そう自分で発した途端、わたしの脳裏にある光景がよみがえった。それは、小さいころに祖父と散歩をしていたときのものだった。
 春にしては暑いほどの日だったように記憶している。道の先の風景が、何だかもやもやと歪んで見えることに気がついたのだった。
 あれは何だと口にすると、祖父が陽炎だと教えてくれた。
「空気がゆらゆら揺れとんや」
 わたしは後に、それが自然現象のひとつなのだということを知る。陽炎は、地面が熱せられたときに現れる。熱で空気の密度に揺らぎができると、そこを通る光が曲がり、遠くの景色が歪んだように見えるのだ。
 以来、わたしは散歩の途中で時おり陽炎を目撃した。そのたびに、なんだか無性に追いかけたくなり道を駆けたものだった。
「はは、どんだけ速く走ってもダメや。追いつくにはコツがいる」
 祖父はそう言って笑った。なんだか悔しくて、わたしはいつもむくれながら足を止めた――。
 そんなことを思いだして父に話すと、分かるよ、と返ってきた。
「陽炎を見ると追いかけたくなるよなぁ。アレには人を駆り立てる力があるって、じいさん、いつも言ってたよ」
 その陽炎を、祖父は服に使っていたのだと父はつづけた。
「変わった人でね。じいさんは陽炎に追いつける人だったんだ。どうやるのかはついに教えてくれなかったけど、普通なら絶対に追いつけないはずのアレにな。で、さらには鋏で切り取ってしまってたんだから、もう訳が分からない」
 父はどこか楽しげに語りはじめる。
 その切り取ってきた陽炎を、祖父は自分のつくる服の裏地に使っていたということらしい。そうしてできたスーツを着ると、人は気持ちを駆り立てられる。まるで陽炎に向かって走りだしたくなるように、前へと進む不思議な推進力を得るのだという。
「まあ、いわゆる勝負服に使われることが多かったみたいだな。お客さんはここぞというとき、じいさんの服を着てたわけだ」
 商談、縁談……これから何かに臨もうとしている人が、新たに気合を入れるために。あるいは気おくれしている人が、気持ちを奮い立たせるために。
 父は自分も一着、むかし祖父につくってもらったのだと言った。
「じいさんは、そうやってたくさんの人の心をずっと鼓舞しつづけてきたんだよ」
 わたしは遠い記憶に思いを馳せた。
 祖父の家で遊んでいると、ときどきお客さんができたてのスーツに袖を通している姿を見かけることがあった。思い返せば、祖父のスーツを着た人たちは、みな一様にパッと輝きはじめていたような印象が残っている。
 そしてわたしは壁に目をやり、自分のために祖父が遺したスーツを見た。祖父の最後の仕事が、期せずして自分へのこの一着になったのだ。そう思うと、また熱いものがこみあげてきた。
 わたしはスーツに近づいた。表をめくると、裏地に見たことのない模様が現れた。色は表と同じグレーだけれど、それは渦を巻く川面のように、もやもやと揺れ動いている。
「陽炎は生地に縫いつけるとだんだん元の色を失くすらしいんだけどな、面影は少し残るんだ。そんな感じで」
 父の言葉に、へぇ、と応じ、わたしは疼く心を抱えながら考える。
 スーツに袖を通したら――きっと、いまのこの気持ちにも変化が現れるのだろう。祖父が亡くなってぽっかり空いてしまった穴は、奇しくもその祖父本人による最後の仕事で埋められて、わたしの気持ちを前へと押し進めてくれるのだろう――。
 不意に、父が口を開いた。
「そういえば、じいさんが切り取ってきた陽炎が、まだ作業部屋の奥にたくさん残ってたなぁ」
「……見たい」
 考えるより先に言葉が出ていた。
「見せて、それ」
 昔から、祖父の作業部屋には一度も入れてもらえなかった。もしまだそこに祖父の跡が残っているなら、きちんとこの目で見納めたい――。
「別に、行ってくればいいんじゃない?」
 あっけらかんと言う父に、わたしはすぐさま部屋を出た。階段を上がり廊下を進むと、そこが祖父の作業部屋だ。
 扉を開けると、裁断された生地や、つくりかけの服が目についた。仕立屋の道具も並んでいる。
 わたしはその部屋の、さらに奥へとつづく扉に手を掛けた。
 この先に、祖父の残したものがある。
 そして足を踏み入れたその瞬間――。
 飛びこんできた光景に、思考はすっかり停止した。
 部屋の壁には、掛け軸状に不思議なものがたくさん吊るされていた。すべては写真のようだった。どこかの庭や家、公園。そこから切り取られた風景は、どれも微妙に歪んで揺れていた。
 これが祖父の集めた陽炎か……。
 わたしは呆然と眺めるのみだ。
 と、吊るされたひとつに目が留まり、急に既視感に襲われた。この感覚は何だろうと困惑し、やがて理由に思い至ったその途端――思わず身体が固まった。
 なるほど、祖父は集めた陽炎のすべてを生地に使っていたわけではなかったのだと、わたしは悟った。中には遺しておいたものがあったのだ。
 いくら陽炎に追いつける祖父であっても、追いつくことのできないものは存在した。だからこそ、代わりにそれを手元に留め、時おりひとり眺めていた――そんな想像が頭の中に広がった。

 眼前に広がるは、かつてわたしが祖父と一緒に歩いた散歩道。
 鮮やかに揺れる、あの眩い春の日の遠景。

終わり
題材の句
卒業のかたちに変わりゆく校舎 春明

桜校舎

田丸雅智


 卒業式が近づくと、春の気配が漂いはじめる。日を追うごとに、校内に蕾が目立つようになってくるのだ。
 と言っても、植えてある桜などにではない。
 校舎そのものに蕾がつくのである。
 ここE高では、毎年、珍妙な現象が起こっている。もっとも、在校生たちはそれに違和感を覚えはしない。高校という閉じた世界で過ごす彼らは、日常の光景を世間でも当たり前のものとして受け入れているのだ。
 だから、生徒たちは卒業して見聞を広げる中で、校舎の不思議にようやく気がつく。そして同窓会などで真っ先にのぼる話題のひとつになっている。
 そんなE高卒業生たちの間に激震が走ったのは、一年ほど前のこと。くだんの校舎が取り壊される可能性が浮上したのだ。
 E高は元をたどれば明治に起源を持つ学校なのだが、もうずいぶん校舎の建て替えが行われておらず、その老朽化が指摘されるようになっていた。
 何より心配されたのが耐震強度の問題だ。このままでは、もしものときにどうなるか。何か起きてしまう前に建て替えたほうがよいのでは。そういう声が多くあがり、次の卒業式を終えたあと、まずは現状調査が実施されることに決まったのである。
 この話は、さっそく同窓会を通じて卒業生たちにも知らされた。そうなると、血気盛ん、思いこみがひときわ激しく――よく言えば母校愛の強いE高卒業生たちは色めき立った。
 調査の結果次第うんぬんになど目がいくはずもない。
 取り壊しの可能性がある。
 その一点だけが強調されて伝播した。そして伝言ゲームが繰り返されるうちに「可能性」は「予定」へと変わり、程なくして「決定」という言葉に置き換わった。
 ――校舎の取り壊しが決定した――
 そんな噂が流布されて、学校側に問い合わせが殺到する事態と相成った。
「いえ、そうではなくてですね……」
 窓口の担当者は、同じような電話にうんざりしながらも応対する。
「まだ決まったわけではなく、今回はあくまで調査だけで……」
「いやいや、お立場は分かりますが、建前だけの意味のない話はよそうではありませんか」
 電話の主は、噂の裏付けを聞き出そうと努めて友好的な声を装う。
「何を言われても驚きませんから、隠さずすべてをお話しいただきたいのです。校舎は取り壊されるのでしょう? いつですか?」
「いえ、ですから……」
 こんなケースはまだマシで、中には熱くなり過ぎて、「校舎を壊すとは何事だ」と恫喝まがいの電話を掛けてきたり、呪詛の手紙を送ってくる者もいたほどだった。
 そしてついに、学校側の変わらぬ返答に業を煮やした卒業生たちの一部が団結して立ちあがり、具体的なアクションを起こした。すなわち、学校側へある要求をつきつけたのである。
「まあ、いいでしょう、知らぬ存ぜぬを貫き通すおつもりなら。しかし、校舎がなくなるというのなら、最後に見届ける権利くらいはあるはずです」
 その団体の代表者は、電話口で表明した。
「ここに卒業生による校舎とのお別れ会の開催を宣言し、その学校での開催権利を要求します」
「いえ、ですから……」
「いやいや、この期に及んでお茶を濁そうとしても無駄です。二択でお答えください。我々はお別れ会を開催できますか? できませんか?」
 担当者は呆れ果てて閉口したが、やがて言った。
「……ちょっと相談してみます」
 かくして学校側で要求を呑むか否か、協議する場がもたれることとなったのだった。
 この盲目的な母校愛は、校長はじめ、他校出身の上層部の人間にとっては理解しづらいものだった。
 普段見ている在校生がそうならば、卒業生もやはり同じ気質を持っているということか。思いこみが強いというか、何というか……。
 これだからE高生はと溜息をつきつつ、学校側は考えた。
 まず、反論しても相手に聞く耳がないので埒が明かず、議論は平行線をたどるだけで終わるだろう。では要求をはね除ければいいかというと、相手の歪んだエネルギーがどう暴発するか分からない。それならば、お別れ会の開催くらいは許可してやるか。というか、これ以上の不毛なやり取りは業務に支障が出てしまう。いや、もう出ているが……。
 結論は下された。学校側は団体の要求を受け入れて、翌年の春、彼らに休日の学校を開放することに決めたのだった。
 さて、次の春のある休日。
 お別れ会の参加者である卒業生たちは、朝からわらわらと学校へと集まってきた。みな一様に目を細め、校舎を見上げる。
「もう、少しずつ色づきはじめてるようですねぇ」
「懐かしいなぁ……」
 いつしか地面にはブルーシートが敷き詰められて、段ボールのテーブルまでもが置かれている。
「さあ、みなさん、今日は盛大にやりましょう!」
 お別れ会の代表者が、拡声器で場に呼びかけた。
 それを合図に、みなはひそかに持ちこんだ酒を開け、グラスになみなみと注ぎはじめる。
「準備はいいですか? それでは、我が母校に、そして我が校舎に……乾杯っ!」
「乾杯っ!」
 グラスが傾き、拍手とざわめきが場に咲いた。
 やがてピザなども宅配されて、銘々が思い出話に耽りながらそれをつまんだ。学校関係者がいないのをいいことに、瞬く間に大賑わいの大宴会へと発展した。
「おれは初夏の校舎が好きだったなぁ……」
 すでに頬を赤らめているひとりが言った。
「あの葉桜がたまらなかったよ」
「いまどきの言葉だと、グリーンカーテンとか言うんだって?」
「だとすると、我らが校舎はその先駆けみたいなものだったんだなぁ。殺虫剤を撒くのだけは大変だったけど」
「みんなでこっそりサボったよな。そのせいで虫が湧いて……」
 別のブルーシートでは、こんな声があがっている。
「秋の校舎、好きだったなー」
 若い女性同士の会話である。
「紅葉がきれいで」
「落葉をくしゃくしゃ踏んで歩いて」
「掃除は面倒だったけど」
「掃いても掃いても落ちてくるもんねー。それでいうと、冬はラクだったよね」
「葉っぱも全部落ち切って、すっかり裸になっちゃって」
「裸の校舎、あれはあれで、なんだか風情があったなぁ」

 でも、やっぱり一番は――。
 
「春だった」
 どんな話をしていようとも、やがてみなは同じ結論へとたどりつく。
 春の足音が聞こえてくるころ、E高の校舎は赤く色づく。壁という壁からぷっくりと、生えるように蕾が現れるがゆえである。蕾は卒業式に向けて膨らんでいき、やがてひとつ、またひとつと開花していく。
 そして卒業式の当日。
 まるでペンキを被ったように建物全体が淡いピンクに染まり切り、校舎の壁に咲いた桜は満開を迎えることとなる。
 校舎の桜に見守られながら、卒業生たちは各々の三年間に思いを馳せて、感極まる。
 肩を組んで写真を撮る者。後輩に胴上げをされる者。第二ボタンを渡す者。
 風が舞うたび、校舎の桜は花びらを散らす。幾筋もの花吹雪が吹き抜けて、彼らの門出を祝福するのだ。
「そういえばさ、なんで校舎に桜が咲くんだろなぁ」
 それは卒業後、誰もが一度は抱く素朴な疑問だ。
「よく知らないけど、バイオテクノロジーがどうだとか」
「いや、なんでも昔ここに桜があって、その魂が宿ってるって」
「特殊な塗料を壁に塗ったって聞いたけど」
「ひとつの大きな生命体だって話だぞ。学生たちのエネルギーを分けてもらって生きてるらしい」
「あれは全部が機械でできてて、制御室でコントロールされてるんだよ」
 折に触れていろんな噂が飛び交うのだが、真相は誰も知らないし、別に本気で知ろうという者はひとりもいない。思い出と共に、ああだこうだと言い合っている時間こそが楽しいのだ。
 校舎の桜が本格的に散りはじめるのは、翌年度の入学式が終わってからのことである。
 新入生たちは式典を終えるとジャージに着替えて外に出る。そして散り落ちた花びらをみなで片づけるのが彼らの務めであり、初めての共同作業というわけだ。
 それを思いだしたひとりの参加者が、思わずこぼす。
「そっかぁ、あの伝統もなくなるのかぁ……」
 お別れ会の参加者たちは、酔いが進んで感傷的な気分が増していた。
「ひとつの時代が終わるのね……」
「なんだか自分の思い出ごと奪われるみたいだなぁ……」
 いつしかハンカチを目元に当てる者が現れて、鼻をすする音があちらこちらで聞こえてくる。
 と、ちょうどそのとき、幹事のひとりが口を開いた。
「なんだか湿っぽくなってきましたねぇ。こういうの、ぼくたちらしくないですよねっ」
 彼は周囲に向かって言葉を継ぐ。
「ぼくたちはみんな、この校舎に送りだしてもらったんだ。だから今度は、ぼくたちが校舎を送りだす番でしょう!」
「……そろそろ、やりますか」
 お別れ会の代表者が、言葉を引き継ぐように口にした。
「校舎を送りだしましょう!」
 幹事たちは頷いて、グラスを置いて立ちあがる。
「卒業生のみなさん!」
 拡声器から再び大きな声が発せられ、しんみりしていた場に響いた。
「宴が盛りあがってきたところではございますが、本日のメインイベントに移りたいと思います!」
 幹事たちが持ち場について準備をする。
「それでは、こちらの端から順番にお願いします! 焦らず、押さないでっ」
 参加者たちは誘導されて列をなし、校舎の中へとぞろぞろ入る。
 階段を上り全員がたどりついた場所――それは校舎の屋上だった。
「みなさん、準備はいいですか?」
 拡声器の声が場に問いかける。
「では、どうぞ前の方から順番にっ!」
 その瞬間、屋上から一斉に白いものが投げ放たれた。
 桜の花びらのようなそれは紙切れだった。参加者たちが、この日のために用意してきたものである。
 屋上から次々と放たれる紙切れはくるくる回り、陽の光を反射しながら風に舞う。それは蕾の色と混ざり合い、ほんの少しピンクを帯びる。
 いまや校舎は紙吹雪に包まれて、桜色に霞んでいた。
「これまで、本当にありがとな」
 屋上では感謝の言葉が重なり合うなか、卒業生は各々校舎に触れて別れを告げる。
「青春を、ありがとう」
 桜色の紙吹雪は、青い空にいっそう踊る。

 校舎の現状維持の速報が駆け巡ったのは、ひと月ほどしてのことだった。
 それを聞いた卒業生たちは、また一斉に学校側に問い合わせた。
「ちょっと、どういうことですか!? 建て替えは決定してたはずでしょう!?」
「いえ、そんなことは一言も……」
「話が違うじゃないですか!」
「あの、ですから、はじめから……」
 学校側の担当者は、同じ説明を根気よくつづけねばならなかった。
 先日行われた調査のこと。耐震強度も問題なかったという結論。
「……それじゃあ、校舎は残るんですね!?」
「そうですっ、そうですっ」
「なんだ、それなら早く言ってくださいよ! あのお別れ会はなんだったんですか!」
「そう言われましても……」
「まあいいです、校舎が無事なら。では」
 一方的に電話は切られ、また次の電話が鳴りはじめる。担当者はうんざりしながら受話器をとる。

 E高生たちの青い春は、時代を超えて受け継がれる。
 叱られたり褒められたりを繰り返し、生徒たちは有り余るエネルギーを惜しげもなく溢れさせ、校舎はそれを吸収する。その共生の見返りが、門出を祝う桜吹雪、なのかもしない。
 今年もまた新入生を迎えた校舎には、青い葉が茂っている。
 次の開花のときに向け、校舎は力を蓄える。

 校舎の調査を担当した業者は、その地下を調べて驚いた。本来あるべきはずのコンクリートの基礎などが一切見当たらなかったのだ。代わりにあったのは、木の根と思しきものだった。
 調査の結果、校舎から伸びたそれは地面に広く深く張っていることが判明した。おかげでちょっとやそっとの揺れではびくともしないことが確認され、耐震補強も必要ないほどだったということだ。

終わり

これまでの俳句募集に、たくさんのご応募を頂き、ありがとうございました。

なお、誠に勝手ながら、俳句の募集はしばらくお休みさせて頂きます。

皆さんが詠まれた俳句とそこから生まれた物語を収録したこの「五七五の小説工房」を、この秋に単行本として出版する予定です。
詳細はこのWebサイトでお知らせしますので、お楽しみに!