4月25日更新 第14号

俳句×ショートショート 五七五の小説工房

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ようこそ。ここは「五七五の小説工房」です。
この工房では、皆さんからお寄せいただく俳句をもとに、俳人の堀本裕樹さんとショートショート作家の田丸雅智さんが、言葉の職人として、とっておきのショートショートを生み出します。

さて前回は、第6回俳句募集の選句結果を発表しました。お題は「賀状(年賀状)」「猫の恋」と自由題でした。

今回は、堀本裕樹さんによって特選と秀逸に選ばれた俳句のなかから二句を題材にして、田丸雅智さんがショートショートを生み出します。
はたしてどの句が、どのような小説に変わるのでしょうか。それでは田丸雅智さん、お願い致します。

題材の句
逝きし友の家族と賀状続きたる 衷子

写真の友

田丸雅智


 年賀状から友人の姿が消えて、はや五年ほどが経つ。いまだに届くその年賀状の家族写真には、奥さんと息子さんの二人が写っているのみだ。
 正月を迎えるたびに、縁というのはつくづく不思議なものだなぁと思わされる。唯一の親友と呼べる幼少期からの友人が早世したときは、よもやこんな形になるとは思いもしなかった。彼の家族――奥さんと生まれたばかりの男児との縁も自然と消えていくのだろう。そう漠然と感じていた。
 けれど、友人の喪が明けた翌年だ。彼の奥さんから、友人の生前と同じように年賀状が届いたのだった。友人だけが欠けてしまった家族写真の添えられた。
 ――主人の遺思を尊重して、つづけることに決めました――
 奥さんはそう記していた。
 ――今後も息子ともども、よろしくお願い申し上げます――
 死は縁を切るものとは限らないのだなと、私はこのときはじめて知った。むしろ、それを経てこそ深まる縁が、この世には存在するのだ。直接的な交流は必要ない。年に一度のやり取りだけで、故人となった友人とのいっそう強くなった絆を、その家族とのつながりを、十分に感じることができるのだった。
 生前、友人は語っていた。出産祝いを兼ねて男二人で訪れたバーでのことだ。
「家族が増えるって、不思議なもんだな」
 上気した頬で、友人は言った。
「今度から、年賀状は家族写真つきのやつにしようと思ってて。ベタだろうけどさ」
 でも、ずっとつづけていきたいのだと、彼は笑った。
「毎年、家族写真を残す良いきっかけになるしな。それに、子供が大きくなってからがキモなんだよ。だいたい大きくなると、写真に写りたがらなくなるもんだろう? それを見越して、家族揃っての記録をきちんと残していくための口実を、いまからつくっておこうってね」
 次の正月に届いた年賀状には、友人と奥さん、そして生まれたばかりの子供の三人が健やかに写った写真が添えられていた。
 これから毎年、この家族の成長を見守っていけるのか――。
 しかし、それは叶わぬ未来と成り果てた。不慮の事故で、友人がこの世を去ったのだ。あまりにも突然の訃報だった。あのバーで交わした会話が最後になろうとは、つゆほども思わなかった。
 告別式で顔を合わせた奥さんに、掛けるべき言葉は見つからなかった。無二の親友とはいえ、残された家族にしてあげられることなど何もない。いかにこの世は酷薄で、自分は無力か。幸せそうに将来を語る友人の顔が、焼きついて離れなかった。
 そこにつけて、くだんの年賀状である。
 ――主人の遺思を尊重して、つづけることに決めました――
 あのとき友人は、家族写真を毎年撮りつづけていきたいと語っていた。同じことを奥さんにも伝えていたらしく、彼女は彼の遺思を汲みとって写真を撮りつづけることにしたようだった。
 それから四年ものあいだ、私は友人の欠けてしまった年賀状を受け取りつづけた。
 そこにはいつも奥さんからの簡単な挨拶文が書かれてあるのみだったが、奥さんと息子さんの家族写真は変わらず中央を飾っていた。私はそれを見るだけで心が満たされた。その家族写真に写る息子さんは、毎年どんどん成長していった。家族もおらず身寄りもない私にとってみれば、まるで身内の成長を見守っているかのようで幸せな気持ちに包まれた。
 そして五年目となる今年――届いた年賀状の束をめくっていたときのことだった。手にした一枚の葉書に、私は目を疑った。
 それは、あの友人の奥さんからのものだった。例年通り、家族写真の添えられた。
 しかし、この年は決定的に違うところがあった。
 奥さんと息子さん、そしてもうひとり、別の人物がそこに写りこんでいたのである。
 再婚、という言葉がよぎったのも、ほんの一瞬のことだった。写っているもうひとりの人物――私の目がとらえたのは、紛れもない在りし日の友人の姿であり、幸せそうな家族三人での写真がたしかにそこにあったのだった。
 合成写真だろうかとも思ったが、それにしてはよくできていた。
 と、私は写真に気を取られるあまり、文面に思いが至っていなかったことに気がついた。奥さんの綴った文字は、小さく葉書の隅に書かれてあった。
 ――写真をご覧になって、さぞ驚かれたことと思います。今年からは、主人も加わった家族写真をお送りできるようになりました。生前の主人の遺思がこのような形で叶うことになろうとは、私自身、思ってもみませんでした――
 そこで文章は葉書の端に到達し、定型の挨拶文で結ばれていた。
 私は久しぶりに、それも予期せぬ形で友人の姿を目にし、居ても立ってもいられなくなった。すぐに驚きを伝える手紙を奥さんに出し、可能な限りの詳細を求めた。
 しばらくたって返ってきた長い手紙には、丁寧な字でこんなことが書かれてあった。

 ――年賀状では驚かせるだけ驚かせてしまって、きちんと説明をせずに申し訳ありませんでした。私自身、写真の出来栄えに舞いあがっており、受け取った方々の反応を充分に察するに至っていませんでした。非礼をお許しください。
 さて、あの家族写真のことですが、写っていたのは似た人物ではなく、主人に違いありません。ただし、言うまでもなく主人は六年前に他界しています。
 では、あれに写っていたのは、いったい何なのか――。
 じつは、亡くなった主人の霊魂なのです。
 いきなり妙な言葉が飛びだして、また驚かせてしまったのではないかと思います。ですが、ご安心ください。私も息子も、怪しいオカルトなどにはまりこんだわけではありません。近ごろ知人の紹介で、ある人物と知り合ったのです。
 それが、心霊写真家――心霊現象を専門に撮影するフォトグラファーでした。
 知人から最初に話を聞いたとき、もちろん私は真っ向から疑いました。なんでも、望みの故人を写真に収められるだなどというのです。そんな話を信じられるはずもありません。
 ですが、知人は私にこう言いました。試すだけ試してみてはどうか、と。責任は自分が負う、それだけ自信を持って薦められる人物だ、と。
 その知人というのは、毎年、私から家族写真つきの年賀状をお送りしている、数少ないうちのひとりです。そして主人や私の家族写真への思いを知っている方でもありました。
 お節介だと重々承知しているが、亡くなったご主人も交え、家族三人での撮影をお願いしてみてはどうか。そうでなくとも、写真家と会ってみるだけでもどうだろうか。
 私はその方を信頼していましたし、決して詐欺まがいのことを言うような方ではありません。
 迷った末に意を決し、私は教えていただいた写真館へと足を運んだのでした。
 占い小屋のような先入観を持っていたのですが、実際の写真館は町なかにあるごくごくありふれた建物でした。中に入り予約の者だと伝えると、年輩の男性が別の部屋から出てきます。
 彼こそが心霊写真家、その人でした。
 聞かれるままに、私は生前の主人のことなどを簡単に伝えました。穏やかな笑みを浮かべて耳を傾けていた男性は、ひと通り話を聞き終えると、撮影スタジオへと案内してくれました。スタジオにはグレーの背景布が張られているほかは、何の変哲もありません。
 男性から、写真は主人ひとりのものでいいかと聞かれました。それとも二人一緒の写真を希望か、と。まだ半信半疑だった私は、まずは主人ひとりの写真を撮ってみてほしいとお願いしました。男性は頷き、据えられていたカメラに向かいます。どうやらすぐに撮影に入るようなので、私は思わず尋ねました。
 いったいどうやって故人の写真を撮るというのか、と。
 男性は微笑みながら、自分はいわゆる「撮れてしまう」体質なのだと言いました。世に出回っている心霊写真のほとんどはイカサマらしいのですが、稀に本物があり、それは写真を撮ると霊魂が写りこんでしまうという特殊体質の人の手によるものだというのです。そしてそんな中でも男性はさらに特殊な体質で、ただ撮影できるだけでなく、イタコのように特定の霊魂を降ろすこともできるのだと語りました。ただし、降ろす場所は自身の身体ではなく、カメラの前。つまり男性の手に掛かれば、狙い通りの霊魂を写真に収めることができるというわけです。
 そして男性は何もない空間に向かってレンズを構え、フラッシュを焚いてシャッターを切りはじめました。何度か同じことを繰り返したあと、撮影はすぐに終わりました。もっと仰々しいものを想像していた私は、あまりの呆気なさに不安になりましたが、男性はこれで大丈夫だからと諭すように言うのみでした。
 スーツを着た立ち姿の主人の写真が届いたのは、数日が経ってからのことです。
 私は写真から目を離せませんでした。なにせ妻なものですから、それが別人や合成などではなく、本物の主人であることは一目瞭然でした。
 思わぬ再会に、私は言葉がありませんでした。恥ずかしながら、写真にぽたぽたと落ちた雫を見て、いつしか泣いてしまっていたのだと気がつきました。その日は主人との思い出にひたりながら、押し寄せるいろいろな感情と対峙したものです。
 そこから先は、述べるまでもないでしょう。
 私は幼い息子を連れて、もう一度、心霊写真家の彼を訪ねました。そして今度は事情を話し、年賀状に使う家族写真を撮影してほしいとお願いしました。
 その願いは快く聞きいれられ、そうして撮影されたのが、先日お送りした年賀状の写真だというわけです。
 心霊写真だなんて、もしかすると薄気味悪く思われるかもしれません。ですが、亡くなっていても主人は主人だと、私は考えています。もう会うことも話すこともできないのですから、せめて写真の中だけでも一緒にいたい。息子にも主人の姿を見せてあげたい。いまは、そんなことを思っています――

 私は信じがたい話に戸惑いながらも、丁寧な筆致から伝わってくる真剣な思いを感じもし、途中から自ずと居住まいを正して手紙を読みこんでいた。
 奥さんの言葉は淡々としているようで、どこかその裏に隠れている感情を感じさせもした。故人と写真に写るのが果たして良いことなのかどうか……悩み抜いたであろうことは明白だった。その上で、彼女は撮影してもらう選択肢を選んだのである。
 薄気味悪いなどと、誰が言えよう。少なくとも私は微塵も思わなかったし、むしろ、そんな大切な写真を自分に送ってくれたことが信用を物語っているようで、うれしかった。
 おまえ、本当に素敵な家族を持ったもんだな。
 私は写真の中の友人に向かって呟いた。

 それからも毎年、友人宅からの年賀状は送られてきた。もはや、私にとっても大切な恒例行事であるといえた。
 息子さんは、一年ごとに見違えるほど大きくなっていった。それは自分の加齢を如実に示すものでもあったけれど、大きくなるにつれて友人の面影が強くなっていく息子さんを見守るうちに、若いころの友人その人を見ているみたいで、昔に戻ったような若々しい気持ちになった。
 無論、歳をとっていったのは、息子さんばかりではない。奥さんの見た目も少しずつ変わっていき、そして何より驚いたのは、友人にも変化が見られたことだった。
 以前の写真と比べてみると明らかで、表情もさることながら、友人は体型も少しふっくらしてきていた。霊魂も歳を取るものなのかと妙な気持ちになりつつも、自分と同じように中年太りをしていく友人に、なんだか笑えてしまったのだった。
 存命の近しい人でも、長らく会っていない人というのはじつに多い。そういう人を写真で見かける機会なども、ほとんどない。そう考えると、年に一度、必ず写真で会える友人のほうが現実世界を生きる人のようであり、おかしなものだなぁと考えさせられる。
 いまはまだ会えないだけで、そのうち機会がめぐってくれば再会できる。また飲みにでも行って、早くバカ話をしたいものだ――。
 そんな不可能なことが可能に思えるときもあり、苦しくなったり、しかし、救われるような気持ちになったりもした。
 残された奥さんや息子さんは、どんな気持ちで友人の写真を見るのだろう。
 いや、そんなことを考えるのは無粋だなと、私は自分で考えを打ち消すのだった。
 息子さんはあっという間に小学校を卒業し、中学生になった。その三年も瞬く間に過ぎ去って、高校生になる。私は節目ごとに、ささやかながらお祝いの品を贈らせてもらった。
 毎年届く年賀状は、アクリルフレームに入れて棚に並べ、ときどき眺めて楽しんだ。
 人の家族写真を飾るなど、おかしなことかもしれなかった。たしかにこんなに不思議な写真でなかったら、そうはしていないかもしれない。
 自分の息子家族を見守る父親のような心境なのかな、と考える。けれど、写っているのは身内ではなく、亡くなった友人と、残された家族だ。
 やがてある年の春、私は奥さんから、息子さんが志望する大学に晴れて合格したという手紙を受け取った。あの小さかった彼が、もう大学生か……。翌年の正月に届いた年賀状には、少しあか抜けた印象の息子さんの姿が写っていた。隣に写る友人は、もう立派なおじさんだ。
 その二年後に息子さんが二十歳を迎えたときは、感慨深いものがあった。
 就職が決まったという手紙が届いたときは、社会の荒波に呑まれるなよと、陰ながらエールを送った。
 そんな夜、私はひとり酒を呷りながら写真の中の友人に向かって話しかけた。
 おまえの息子、立派になったなぁ。
 おれらもずいぶん、歳をとったもんだよ。
 また近いうちに飲みにいこうや。
 積もる話がいっぱいあるだろ?
 しかし不意に、それは永遠に叶わぬことなのだと思いだす。
 なあ、おまえ、なんであんなに早く逝ったんだよ。
 おまえのせいで、昔話にふける相手がいなくなったじゃないか。
 もうずっと、腹を割って話せるやつもいないんだ。
 どうしてこんな思いにさせるんだ?
 写真の中の友人からは、何も言葉は返ってこない。
 ある年の正月だった。届いた年賀状を整理していた母親が、しきりに首をかしげていた。
「どうかした?」
 尋ねる息子に、母親は、ある人物の名前を口にした。
「あの人からの年賀状が来てなくて……」
「見逃したんじゃないの?」
「ううん、もう何回も確認したの」
「……なら、喪中とか?」
「それが、たしか記憶では身寄りの人はいなかったはずで……」
 そのとき息子の胸に、嫌な予感がよぎった。
「ねぇ、母さん、もしかして……」
 その口調で、母親も察したようだった。
「えっ、でも、まだお若いんだし……」
 そう言った途端、その言葉の頼りなさを思いだす。かくいう自分の夫が、若くしてこの世を去ってしまったではないか。
 重たい沈黙が流れたあと、息子が言った。
「ねぇ、いつもの人に頼んでみる……?」
「いつもの人?」
 母親も息子も、手紙のやり取りこそあれ、その人物の安否をすぐに確認できる手段は持ち合わせていなかった。あるとすれば――。
「ほら、毎年お世話になってる心霊写真家の……」
 息子は慌てて付言した。
「いや、まだそうと決まったわけじゃないんだしさ、なんていうか、こっちも不安になるじゃんか。たしかめてみて、何もなかったらいいわけだし……」
「……そうね、ただの確認作業よね」
 母親が息子と一緒に写真館を訪れたのは、正月が明けてすぐの休日だった。
 そして、できあがった写真が届いたのは、さらに数日が経ってからだ。
 その写真を目の当たりにし、嫌な予感は当たってしまったのだと二人は知った。
「これって、ほんとにあの人なの……?」
 息子が尋ね、母親は弱々しく頷いた。
 彼女が最後にその人物と会ったのは、もう何十年も前、夫の葬式にまで遡る。あのときから見た目はずいぶん変わっていたが、写っていたのは間違いなくあの人の姿だった。
 息子は、しばし言葉を失った。会ったことはないけれど、ことあるごとに世話になってきた人物なのだ。そして何より、亡き父親にとってかけがえのない人だったと聞いている。
「でも、なんかさ……」
 やがて息子は、重い口をおもむろに開いた。
「よかったって言うのは、絶対に違うと思うけど……」
 慎重に言葉を選びながら息子は言う。
「母さん、写真家の人に、良いリクエストをしたんじゃないかな……もしそうなってしまってるなら、こういうふうに撮ってくれって」
 息子は手元に目を落とす。
「父さんのこんな顔、初めて見た」
 その一枚の写真には、悲愴さのかけらも見当たらない。
 写っていたのは、肩を組み、子供のように無邪気に笑う二人の男の姿だった。

終わり
題材の句
自転車はドミノ倒しに猫の恋 高尾彩

猫ドミノ

田丸雅智


 昨今の世間は、急激に増加したカップルたちで賑わいを見せている。そのまま結婚、出産へと至るケースも多々見られ、少子化を憂えていた行政は思わぬ事態に歓喜している。もっとも、少しばかり悩ましいところもあるのだけれど――。
 
 猫に関する珍現象が報告されるようになったのは、ここ数年だ。
 ある春のこと。各地の町なかで、連なって止められていた自転車がドミノ状に倒れているのが散見されるようになった。
 最初は気に留める者も少なかった。強風か、何かの拍子に倒れたのだろう。その程度にしか考えなかった。
 が、人々は次第に違和感を覚えはじめる。あまりにいろいろな場所で同じ現象を目撃するのだ。偶然にしては頻度が高く、意図的なものを感じさせる。行政側に人々の苦情が入りだしたのは、そのころからだ。
 単独犯か複数犯かは分からないが、誰かのイタズラに違いない。
 そう判断され、警察の主導のもと防犯カメラの分析が行われた。
 やがて、このお騒がせ事件の犯人が特定される。
 それは当初の予想を裏切る結末――猫の仕業であったのだ。
 春になって発情期を迎えると、町には特有の唸り声を振りまきながら闊歩する猫の姿がよく見られる。夜になれば、どこからともなく激情に駆られた猫の声が聞こえてきたりもする。繁殖行動に勤しむ彼らは、己の衝動の赴くままに激しく振る舞う。周囲に気兼ねすることもなく。
 そんな猫が、自転車のドミノ倒しを引き起こしていたことが判明したのだ。すなわち、発情した恋猫たちが勢い余ってぶつかって、自転車が転倒していたのである。
 なんだ、そんなことだったのか。
 中にはそんなふうに笑い話で済ませる者もいたが、行政側は放っておくことができなかった。
 ひょんなことから知恵をつけたカラスが線路の上に石を置き、あわや脱線事故になりかけたことが、かつてあった。
 さすがに今回の事件はそれほどではなく、命にかかわるわけではない。けれど、すでに駐輪場の利用者たちには実害が出ているのだ。倒れた自転車の中から自分のものを引っ張り出すだけでも難儀であったし、自転車の転倒に巻きこまれ、いつ誰がケガをするかも分からない。
 本来ならば、なぜ急に恋猫たちが自転車の近くで行為に及ぶようになったのか、その原因究明をしたいところだった。猫に発情期があるのは、いまにはじまったことでは当然ない。どうしていま、それも多数の猫たちが各地で同時多発的に、自転車近くで事に及ぶようになったのか――。
 あるいは、オス猫が力を誇示するためかもしれない。あるいは、自転車付近が良い隠れ家になるのかもしれない。
 しかし、行政側が頭を悩ませているあいだにも、市民からの苦情は絶えず入る。そうなると、いつまでも猫の生態の謎を気にかけているわけにもいかなくなる。彼らはその追及を諦めて、苦情対策に乗りだした。
 市民は、こう呼びかけられた。
 自転車を止めるときは、なるべく間隔を開けて止めること。
 そして本物のドミノよろしく、自転車を並べざるを得ない場所には簡易的な衝立を立て、連鎖的な転倒の防止策を施した。
 その対策は、一定の効果を示すことになる。
 しかし、その一定のラインを下限に、そこからなかなか自転車の転倒発生件数は減らなかった。
 主な原因は若者だった。
 猫ドミノ。
 そんな言葉をもってして、猫による自転車転倒をありがたがる者が出はじめたのだ。
「昨日おれ、猫ドミノ見たぜ」
「えーまじかよー、先越されたわー」
 そんな具合である。
 なぜ若者たちが自転車転倒をありがたがるようになったのか。
 その裏には、こんな噂の流布があった。
 猫ドミノの起こる瞬間――自転車が倒れる場に出くわすと、恋が成就するというのである。
 すぐに縁起を担ぎたがる、若者にありがちなジンクスだった。誰が言いだしたのかは分からない。本当に効果があるかも不明だった。が、いつしか噂は広まって、瞬く間に若者なら誰もが知るようにまでなった。猫ドミノを見た者は、恋猫のような熱い恋に恵まれる。目撃した者は、まるで流れ星を見た者のように羨ましがられた。
 そうなると、行政側に抑えられるはずもない。
 猫が自転車を倒しやすいよう、若者たちは率先して間を詰めて駐輪するようになった。行政による転倒防止衝立の盗難・破壊被害も相次いだ。
 結果、せっかくの注意喚起や対応策が無に帰する。それでもしばらくの間は行政側も粘りを見せたが、若者以外の人々の参戦により、それもあえなく撃沈する。
 噂が広がり、恋に飢えているあらゆる年代の人々が猫ドミノに注目したのだ。
 仕事に忙殺されて出会いの少ないビジネスパーソン。
 様々な事情で伴侶と離別し、人恋しくなった年輩の男女。
 老若男女、たくさんの人々が恋を求めた。何しろ、自らが積極的になれない性分でも、猫ドミノさえ目撃すれば恋は向こうからやってきてくれるのだ。駅前や学校、公共施設……我先に目撃せんと、多くの男女が各所の駐輪場にへばりついた。
 恋なんて邪魔なだけで興味はない。
 昔は憧れたものだが諦めた。
 いやいや、自分は二次元世界のほうがいい。
 普段はそう嘯いていても、ひそかに現場に出くわすことを期待している者もたくさんいた。みな本音では恋したいのだ。
 だからこそ、夏が終わり恋猫が世間から消えたとき、恋にありつけなかった多くの者は落胆した。来年も同じことが起こるという保証はない。今年だけの一過性のものでないと、誰が言えよう。

 しかし、そんな心配は無用に終わった。猫ドミノは、その年の珍事で終わらなかったのである。
 翌年も、その翌年も、春が来れば猫たちは恋をして、そこここの自転車を倒して回った。その様子を目にしたいと、恋に飢えた人々は、すでに結ばれたカップルたちで賑わう町なかをうろついた。
 人々が失いかけていた生殖本能。猫によってそれが刺激されたと言えるわけで、駐輪問題はあるものの、行政側は猫様様といったところだった。事実、猫ドミノがブームになってから、出生率も上昇の兆しを見せていた。関連省庁の人間たちは各々のデスクに猫を祀り、それを崇めた。
 ただ、頭の痛い問題もあった。一時期は行政が一掃に成功していた不法駐輪が、再び横行しはじめたのだ。猫に倒してもらおうと、有志が結集。安自転車をかき集めて勝手に並べ、倒れてくれるのをひたすら待つようになったのである。
 恋が叶うには、一度に倒れる自転車の数が多ければ多いほど良いらしい。
 そんなことがまた囁かれ、意図的につくられる自転車の列はどんどん長くなる。
 有志は、猫ドミノの確認された初年から年々拡大しつづけた。恋にありつくために、みなが団結したのである。いまや町はカップルか、猫ドミノを待つ人か、自転車を並べる人かのいずれかであるほどまでになった。
 有志は恋に焦がれて、自転車並べに精を出した。
 いかに猫が倒しやすい列をつくれるか。
 いかに長く並べられるか。
 彼らは自転車を置くにふさわしい場所を検証したり、倒れやすい自転車の重さを実験してみたりした。
 やがて、あるメーカーのカーボン製ママチャリが適切らしいと判明すると、彼らはそれを大量に買い、トラックで町へ運び出してみなで並べた。貯まったノウハウは広められ、晴れて恋の成就した先輩たちからアドバイスを求める努力も惜しまなかった。
 ときには連日連夜、徹夜で自転車を並べつづけることもあった。
「みなさん一致団結して、自転車並べのギネス記録を破りましょう!」
 その日のグループリーダーが声高々に宣言し、集った人々から鬨の声があがる。安全のため持参した軍手をはめて、次々と搬入されるママチャリを歩行者道路に並べはじめる。
「途中で倒さないよう、慎重に!」
 ふとしたミスでひとつを倒すと、全部が倒れていってしまう。
「ところどころで衝立を挿むのを忘れないでください!」
 その衝立は、自転車ドミノが完成した暁に取り払う。そしてみなで恋猫が現れ、倒してくれるのをひたすら待つのだ。運よく猫ドミノに遭遇できるときもあるし、ついに報われず、並べた自転車を慰め程度に自分たちの手で倒して撤収するときもある。
 無論、いくら注意しようとも、途中で悲惨な目に遭うこともザラだ。
「ああっ!」
 声があがり、せっかく並べた自転車がパタパタきれいに倒れていく。徹夜作業の疲れもあって、苛立ちはピークに達している。
「ちょっと! あんた、何やってんの!」
「いやいや! ぶつかったのは、そっちでしょう!」
 責任の所在をめぐって、どっちが倒した倒さないのと騒ぎが起こる。
 近ごろはこの騒ぎが頻発して、これが駐輪問題に加えて行政を悩ます二大要因になっている。騒音をどうにかしろと、近隣住民からの苦情は絶えない。
 町に響く男女の騒ぎ声を聞きながら、ぽつりとこぼす人もいる。
「これじゃあ、どっちが猫だか分からない」
 ただ、興味深い話も聞く。
 最近では猫ドミノを目撃することよりも、こうしたケンカではじまる恋のほうが多いらしい。

終わり

第7回目の俳句募集にたくさんのご応募を頂き、ありがとうございました。

なお、誠に勝手ながら、俳句の募集はしばらくお休みさせて頂きます。

次回の更新で、選句結果が発表されます。どうか、お見逃しなく!