12月26日更新 第11号

俳句×ショートショート 五七五の小説工房

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ようこそ。ここは「五七五の小説工房」です。
この工房では、皆さんからお寄せいただく俳句をもとに、俳人の堀本裕樹さんとショートショート作家の田丸雅智さんが、言葉の職人として、とっておきのショートショートを生み出します。

前回は、第4回俳句募集の選句結果を発表しました。お題は「秋の夜」、「檸檬(れもん)」と自由題でした。

今回は、堀本裕樹さんによって特選と秀逸に選ばれた俳句のなかから二句を題材にして、田丸雅智さんがショートショートを生み出します。
はたしてどの句が、どのような小説に変わるのでしょうか。それでは田丸雅智さん、お願い致します。

題材の句
面会のあとかたもなき秋の夜ぞ たかおはるか

お見舞い保険

田丸雅智


 一過性の病で入院して数日。私は隣のベッドで入院する老人のことが次第に気になってきた。
 二人部屋の病室は、カーテンでしっかり仕切られている。なので、多少の生活音は聞こえてくれど、互いに何かを干渉し合ったりすることはなかった。あくまで偶然、病室に居合わせた他人同士。それぞれが暗黙のうちに相手が居ないように振舞って、個室に入っているかのごとくに病院生活を送っていた。
 が、そんな中、私はどうしても老人の存在を意識せずにはいられなかった。というのが、お見舞いに来る人のことだ。老人のところには、入れ代わり立ち代わり、朝から夕方までたくさんの人がやって来ていたのだった。
 カーテン越しに聞こえる声は、幼い子供からお年寄りと思しき人まで、あらゆる世代にわたっていた。口調も、砕けたものから畏まったものまでいろいろあった。
 私は退屈な入院生活の中、老人の正体に思いを馳せることで暇を潰して楽しんだ。
 彼は由緒ある一族のキーパーソンのような人なのだろうか。顔の広い、どこかの業界の著名人なのだろうか。あるいは大組織の偉い人か……。
「おじいちゃん、今日ね、庭の紅葉が赤くなってたから摘んできたの」
 病室にこだまするのは、微笑ましい子供の声だ。鮮やかな真紅の葉が瞼に浮かぶ。
 かと思っていたら、しばらくすると別の声が聞こえてくる。
「社のブランド戦略について、ご助言を頂戴したく……」
 その男たちは、老人に向かって声を潜めて何かを相談している様子だった。
「おいおい、まだシケこむ歳じゃないだろう。あのころのお前はどこいったんだ」
 旧友らしき人の声も聞こえてきた。
 が、肝心の老人の反応からはいまいち詳細が見えてこず、彼の像を定めることは容易ではなかった。
 そして、最初はあくまで興味本位で耳をそばだてていただけだったが、私の中で好奇心はだんだん姿を変えていき、やがて老人のことを羨ましく思う気持ちに変化した。
 自分には駆けつけてくれる恋人もいなければ、見舞いに来てくれる友達もいない。あいにく両親は早くに他界してしまっているし、会社の同僚は初日に忙しなく顔を見せてからは事務的なメールをよこすだけだ。
 誰でもいい、自分のところにも人が来てくれたらなぁ……。そう考えて、寂しさが募る。
 この日も老人へのお見舞いはいつも通り夕方まで絶え間なくつづき、やがて面会時間が終了した。
 早めの病院食を食べ終えると、あとは消灯まですることはない。病室の賑やかな空気は嘘のように消え去って、無機質な蛍光灯が、人恋しい、秋の長い夜のはじまりを告げている。
 私は、温かい飲み物でも買いに行くかと自販機のある共用スペースに足を運んだ。
 と、自販機近くのテーブルに先客がいることに気がついた。隣のベッドのあの老人が、椅子に座ってぼんやりと宙を眺めていたのだった。
 コーヒーを買って、私は少し離れた椅子に腰かけた。
 そのときだ。老人から声を掛けられたのは。
「お隣の方ですよね?」
 挨拶くらいはしたほうがいいかとちょうど迷っていた私は、すかさず老人に会釈をした。
「どうも……」
「いや、いつもうるさくして、すみません」
 老人はつづける。
「人が多くて、ご迷惑ばかりおかけして」
「いえ……」
 私は言った。
「賑やかで良いなと思っていたんです。本当にたくさんの方々に囲まれて、羨ましい限りです。私のところには誰も来ちゃくれませんから」
 自虐を込めて、私は笑う。
「ですが、夜になると寂しいものですね。あんなにも賑やかだった病室が、夢から覚めたみたいに静かになって」
 私は思った。余計な推測ながら、老人の場合、その寂しさは自分などよりも大きいのではないか、と。夜になると日中の反動で、いっそう空虚な気持ちに苛まれるのではないだろうか……。
 しかし老人は、意外な言葉を口にした。
「まったく寂しくないと言えば嘘になりますが、私にとっては、じつはそれほどでもないんですよ」
「……どういうことですか?」
「昼も夜も、同じ孤独には変わりありませんからね」
「孤独……?」
 私は、どう解釈すればいいのか戸惑いつつ尋ねた。
「あの、孤独、といいますと……?」
 日中をあれだけの人に囲まれて過ごしている老人は、少なくともその間だけは孤独と無縁ではないかと思ったのだ。
 老人は言った。
「私には、もうずいぶん前から身寄りがいないんですよ。あまり社交的な性格ではありませんので、知人もほとんどいなくって」
 私は、ますます理解に苦しんだ。それならば、次々とやってきている人たちのことはどう説明する気なのだろう……。
 こちらの困惑を見抜いたらしい老人は、先手を打つように口を開いた。
「訪問してくる人たちはいったい誰なのかと、疑問に思われていることでしょうね」
 その言葉に、私は遠慮しながらも頷いた。
 すると老人は、こんなことを口にした。
「あの人たちは、全員、知らない人なんですよ」
「知らない……?」
「ええ、お見舞い保険で派遣されてきている人たちですから」
「お見舞い? 保険?」
 私はオウム返しで尋ねるばかりだ。
「世の中には、いろいろな保険があるものです。入院保険、生命保険、ガン保険……そのひとつに、お見舞い保険というものがありましてね。掛け捨ての保険なんですが、それに加入しておけば、こうやって入院をしたときに人がやってきてくれるわけです」
「知らない人が、ですか……?」
「知らない人が、です」
「えっと、その、そんなことに、いったい何の意味が……」
 私は、つい尋ねていた。わざわざお金を掛けてまで見ず知らずの人に来てほしいという、その心境が分からなかった。金持ちの道楽みたいなものだろうかとさえ勘繰った。
「これは一種のボケ防止なんです」
 老人は語った。
「人は話し相手を失うと、脳の老化が加速すると言われていましてね。たとえば、長年連れ添った伴侶に先立たれてひとりになると、会話をする機会がぐんと減る。すると、急に忘れっぽくなったりするものなんです。誰かと話すというのは、それほど大切なことなんですよ。
 その点、元々ひとり身の人については最初から会話が発生する機会も少ないので、状況はさらに悪くなります。それでも、普通の生活を送っている分には、まだ少しは誰かと話すこともあるでしょうから救いは残されているんですが、問題は入院という孤独の極みに陥ったときです。見知った人は誰もおらず、会話なんて、いまみたいな状況を除けばほとんどゼロ。そうなると、脳は老化していくばかりです。
 そこで役に立つのが、お見舞い保険でしてね。入院すると絶えず誰かがお見舞いに来てくれるので、孤独な人にも会話が生まれてボケ防止になるという仕組みです。他愛もないやり取りをするだけですが、脳にはとてもいいんです。
 もっとも、孤独な身であることに変わりはありませんから、そうまでして正常な頭脳を保とうとは思わない人もいるでしょう。そのあたりは他の保険にも通ずることですが、考え方が合わない方にはこの保険もきっと理解できないものでしょうね。
 が、実際に体験している身からすると、オススメですよ。たとえ知らない人しか来なくとも、誰も来ないよりは遥かにマシだと断言できます」
「なるほど……」
 私は言葉に詰まり、一笑に付すことができなかった。
 自分の場合、たしかにいまは少々会話がなかろうと、若さでごまかしのきく年齢かもしれない。けれどこれから先、歳を重ねていったとき、もしも孤独のまま再び入院することになったなら。看護師さんがいるとはいっても、ずっと相手をしてもらうのは難しい……。
 私は急速に老けていく自分の姿を想像して、怖くなった。
「もしご興味があるのなら、早めに入っておくに越したことはありませんよ。歳をとってからだと、掛け金が高くなりますからね。もちろん入院してから加入することもできませんので、お早めに」
 そう言うと、老人は微笑みながら立ち上がった。そして、返事もできずにいる私の前をゆっくり歩いて病室のほうへと戻っていった。

 翌日も、朝から老人のもとには多くの人がやってきていた。
「おじいちゃん、見て。今日はドングリを拾ってきたよ」
「おお、そうかそうか」
 少年は孫という設定なのだろうか、応じる老人の声が病室に響く。
「叔父さん、うちの会社のことでご相談が……」
「どうしたね」
 人は替われど、老人のベッドは賑やかだ。
 笑い声があがるたび、私の中では焦燥感が膨らんでいった。老人に対し、自分のところはいかに空気が澱んでいるか。話し相手がいないことの寂しさを、身をもって痛感する。
 これは将来に備えて、真剣にお見舞い保険というのを検討したほうが良さそうだ……。
 そう思い、私は廊下に出ていき看護師さんの姿を探した。見知ったひとりを見つけると呼び止めて、老人から聞いた話をそのまま伝えた。
「……ですので、その、お見舞い保険というのをいまから検討しておきたいんですが、もしパンフレットなどがあればいただけませんか?」
 すると看護師さんは困ったような顔をした。
「なるほど、またですか……」
 その言い方が引っ掛かり、私は尋ねる。
「どうかしましたか?」
「いえ、それが……」
 看護師さんは声をひそめる。
「じつは、あの方は記憶に障害をお持ちで……お見舞い保険などという架空のものを自分の中でつくりあげて、ときどき人に説明して回っているんですよ」
「えっ!? それじゃあ」
「ええ、残念ながら、そんなものはありません」
 そして看護師さんは、ここだけの話ですが、とつづけた。
「あの方はもともと大企業の地位ある人物だったらしいんですが、あるとき記憶に異常があることが発覚して、検査のために入院することになったんです。そのお見舞い保険というのは入院中、記憶がどんどん歪んでいくなかで、急に主張されはじめたもので……心の防衛反応が働いた結果ではないかというのが医師の見解です。記憶障害で周りの人を認知できなくなった事実を、自分なりに正当化するための手段だったのではないか、と」
「……ということは、面会にいらしている方々は、他人などではないんですか?」
 もちろんです、と、看護師さんは神妙な面持ちで頷いた。
「本当のご家族やご親戚、知人の方々です。頭が下がる思いですよ……みなさん、毎日お越しになっては懸命に話しかけていらっしゃるんです。あの方の記憶を、少しでも呼び戻すことができればと」

終わり
題材の句
ラジオより紙繰る音や秋の夜 朋代

ペーパーノイズ

田丸雅智


 ラジオをつけると、いつも聴いているのとは違う周波数になっていた。掃除したときにでもずれたかな。そんなことを思いながら、おれは目当ての番組の周波数に合わせようとダイヤルを回した。
 二十三時を迎えつつある深夜のことだ。
 ダイヤルをぐるぐる回していると、あるところで女性のクリアな声が入ってきた。こんな周波数にラジオ局なんかあったっけ。そんな疑問が、耳をラジオに傾けさせた。
「さあ、今夜もはじまりましたペーパーノイズ。この番組は毎回みなさんから寄せられたお悩みを、前に進めてあげるための番組です」
 その奇妙な言い回しに、おれの疑問はさらに深まった。悩みを前に進める……お悩み相談のような番組だろうかと思いながらつづきを聴いた。
「さて、今夜もたくさんのメッセージをいただいています」
 オープニングトークが終わったあと、女性は言った。
「まずはラジオネーム、まりっぺさんから。
 ――いつもラジオ、聴いてます。わたしの悩みはズバリ、宿題が全然はかどらないこと! リサさん、わたしを前に進めてください。お願いします――
 なるほど、宿題ねー、その気持ち分かるなー。ていうか宿題って、なんで目の前にした途端にほかのことがしたくなるんだろう。掃除をしたくなったり、漫画を読みたくなったり。別に掃除してても宿題したくなったりなんてしないのにねー。
 ではでは、そんなまりっぺさんに、ペーパーノイズを贈りましょう」
 しばしの間、音が途切れる。秋の夜の静けさと相まって、耳の感覚が研ぎ澄まされる。
 と、ラジオから、ぺらっ、ぺらっ、ぺらっ、と紙をめくるような音が聞こえてきた。
 また少し静かになって、やがてリサさんと呼ばれたパーソナリティーが口を開いた。
「はい、まりっぺさんのお悩みを三ページ分、進めておきました。あとは集中力が乗ってきて、宿題は一気に片づくはずです」
 おれは何が行われたのか、まったく訳が分からなかった。聞こえてきたのは紙をめくる微かな音……まさか、それだけで悩みが解決したとでもいうのだろうか。
「つづいてはラジオネーム、しいちゃんママさん。
 ――明日の息子のお弁当のレシピが決まりません。助けてくださいっ――
 いやー、料理のメニューって、ほんと悩みますよねー。自分が食べるだけだったら何でもいいのに、人のごはんをつくるとなると頭をフル回転させて考えなきゃいけないし。しかも毎日のお弁当なら、なおさらだよね。お疲れさまです。
 それでは、しいちゃんママさんにもペーパーノイズを」
 静寂のあと、ラジオからは、ぺらっ、ぺらっ、と紙の音が聞こえてくる。
「さ、これでオーケー。明日の朝も早いでしょうから、今日は安心して眠ってくださいね。レシピはちゃんと閃きますから。
 さて、次はラジオネーム、物書きメスシリンダーさんのお悩みです。
 ――原稿の締切が過ぎてしまいましたが、筆がまったく進みません。途方に暮れてビールを飲みながらラジオを聴いています。ここはひとつ、リサさんのお力で――
 物書きメスシリンダーさん……この方からは、たしか前も同じようなメッセージをいただいてませんでしたかね? ですよね? 懲りないですねー。前回はなんだか、まだがんばってる感じがしたから多めにめくったんだけど、そうだなー、今回はお情けで一ページ分だけ。ほんと、今回だけですよー。ちゃんと自力で原稿やりましょうね」
 ぺらっ。紙が一枚めくられる。
 その後も悩みが読みあげられて、そのたびに紙がめくられる音がした。枚数は人によってさまざまで、大きな悩みを抱える人ほどたくさんめくられているようだった。
「……さて、今日も世の中は悩みで溢れているようですが、残念ながらお時間が来てしまったようです。今週のペーパーノイズ、このあたりでお別れしたいと思います。来週もまたメッセージをお待ちしてます。それじゃあ、ばいばいっ」
 ハッとして時計を見ると、いつの間にか二十四時になっていた。自分はこのCMもない変わった番組に、一時間も聴き入ってしまったのか……。
 目当ての番組は聴き逃してしまったけれど、いまやそんなことは問題ではなかった。この番組はいったい何だ……おれはすぐさま検索してみた。
『ラジオ ペーパーノイズ』
 そう打ちこむと、掲示板や質問サイトに書かれたたくさんのコメントが飛びこんできた。
 ――番組が悩みを解決してくれました。リサさんに感謝!
 ――ずっと投稿しつづけて、ようやく当選! ほんとに悩みが前に進むなんて……効果抜群で驚きました!
 ――あの紙の音がたまりません。まだメッセージを読まれたことはありませんが、悩みが解決するなんてすごい……。
 効果の真偽を尋ねるコメントこそあれ、否定的な書き込みはまったく見られなかった。
 いろんなページを覗く中で、こんな投稿も目に入った。
 ――ペーパーノイズという番組をたまたま聴きました。あれって、どういうことなのでしょう?
 スクロールすると、誰かの回答が書かれてある。
 ――もともとペーパーノイズというのはラジオから聞こえてくる、台本などの紙をめくる音のことです。そのペーパーノイズには、次のページをめくるように人の悩みを次の段階に進めてくれる力がある。この番組では、そんなふうに謳っているようですね。お悩みメッセージのあとで、番組パーソナリティーのリサさんが、悩みの内容に応じて紙をめくるのが恒例です。実際に悩みが解決したかはご本人にしか分かりませんが、解決したという人が多いようです。こちらをご参照ください――
 そのあとに、リンクがいくつか張ってあった。見てみると、どれもに番組への感謝の言葉が綴られていた。
 おれは俄然、興味を惹かれた。単に相談を聞いてくれるのではなく、本当に悩みを解決してしまうラジオ番組。そんなものが存在するなんて……。
 おれは周波数をずらさないように気をつけて、翌週もまたラジオに耳を傾けた。
「今夜もはじまりました、ペーパーノイズ」
 番組は二十三時にはじまって、少しのあいだ、最近の出来事などのオープニングトークが繰り広げられる。
「それでは、今夜最初のメッセージ。ラジオネーム、まいたけさん。
 ――彼とこのまま一緒にいていいのか悩んでいます。ダラダラと五年くらい付き合っていますが、プロポーズしてくれる様子もなくて、そろそろハッキリさせたほうがいいのかなって……でも、その話をしようとすると彼はすぐに話題を変えます。リサさん、わたしの恋愛を次のステージに進めてください――
 煮え切らない彼だねー。まあ、最近はそういう子が多いのかな。他にも似たお悩みをいただいてます。なかなかキツイですよね。まいたけさんに、ペーパーノイズをプレゼント」
 ぺらっ、ぺらっ、ぺらっ、ぺらっ。
「さて次は……ラジオネーム、ミンミンマイクさんからのメッセージ。
 ――リサさん、勉強って意味あると思いますか? 早く大人になって勉強から解放されたいです。ペーパーノイズの力で、ぼくを大人にしてください――
 この方は中学生か高校生くらいなのかな? 勉強は嫌ですよねー。でも、大人になったら勉強がなくなるなんて思ったら大間違い。そりゃ数学とか国語とかの科目はないけどね、勉強ってのは人生に付き物なの……とか、あんまり言っても説教くさくなるだけかな。
 ということで、ペーパーノイズはお預けです。すっ飛ばそうとしたりしないで、ちゃんと順を追って焦らず大人になっていきなさいね」
 紙の音は聞こえてこず、次のメッセージが読みあげられる……。
 そんな調子で、おれは毎週その番組を聴くのが習慣になった。
 人の悩みが紙の音だけで解決されているらしいというのは、何度聴いても信じがたいことだった。が、ネットの情報を追っている限り、効果はしっかりあるようだ。
 おれはいろいろ想像した。あのペーパーノイズは、いったいどんな紙から出されているものなのだろう。普通のペラ紙を、ただめくっているだけなのだろうか。それともリサさんは時の番人みたいな人で、時間を司る何か特別な本のようなものをめくってでもいるのだろうか……。
「ラジオネーム、ダテメガネ男爵さん。
 ――新婚です。妻のつくる料理の味が好みに合わず、箸が進みません。ぼくの箸を進めさせてください――
 うーん、これは悩ましい問題だねー。別に箸を進めさせるのは簡単だけど、それが根本的な解決になるのかなー。なんか違う気がするなー。ダテメガネ男爵さんは、奥さんにちゃんと気持ちを伝えることが大事なんじゃないかと思います。てことで、奥さんに伝える勇気を後押しさせてもらおうかな」
 ぺらっ。
 仕事の商談がまとまらないというメッセージが読みあげられて、ぺらっ、ぺらっ、と紙が数枚めくられる。
「はい、これでバッチリ。にんにく太郎さん、お仕事がんばってくださいねー」
 おれは机に向かいながら、ラジオを聴く。
「しいちゃんママさんからのメッセージ。
 ――リサさん、いつもありがとうございます。ところでいま、息子が逆上がりできないと泣きべそをかいています。たくさん練習しているみたいなので、何とかサポートしてあげたいです。リサさん、力を貸してください――
 いいですね、貸しましょうとも」
 ぺらっ、ぺらっ。
「息子さんには逆上がり二回転をお贈りしましたー」
 リサさんは滞りなく、どんどん悩みを捌いていく。
 番組にはどれだけの悩みが送られてきていて、どういう基準でメッセージが選ばれているのだろう。そんなことを思いながら、おれはラジオを聴きつづける。
 と、不意に流れてきた言葉に、おれは動きが止まってしまった。
「……次はラジオネーム、青色五七五さん」
 空耳ではないと分かると、緊張感が駆け抜ける。身を固くして、つづきを待つ。
「――リサさん、はじめまして。重たいメッセージですみません。母親とのことでお願いがあります。母親は、ぼくが宿題をしていると、よく夜食をつくって持ってきてくれました。ですが、その日はなんだかむしゃくしゃしてて……八つ当たりのように悪態をついてしまったんです。翌朝も気まずくて無視して登校したんですが、学校に電話がかかってきて……母親が倒れたことを知らされました」
 リサさんが読みあげてくれているのは、たしかに自分が送ったメッセージだった。
「母親はそのまま他界しました。心筋梗塞だったようです。あれから一か月経ちましたが、ずっと後悔しています。あのとき、母親にあんなことを言わなければよかった……リサさん、ぼくの気持ちを次に進めてくれないでしょうか――
 そっかー、そっかー、なるほどねー」
 しばらくの間、リサさんは、そっかー、と何度も呟いた。
 おれはじっと、ラジオの声に耳を澄ませる。
「わたしは気持ちを察することしかできないけど……うーん、なかなかつらい話だね。でも、それも今日まで。とっておきのペーパーノイズを贈りましょう」
 ぺらっ、ぺらっ。
 勉強部屋に、紙のめくられる音が響き渡る。
「えっと、一か月前の話だよね」
 ぺらっ、ぺらっ、ぺらぺらぺらぺらぺらぺらぺらぺら……。
 何枚も、何十枚も紙はどんどんめくられていく。こんなことは番組を聴きはじめて以来、初めてのことだった。
 それだけ前に進めないと解決しない、根深い問題なのだろうか――。
 複雑な思いになりつつも、おれは紙の音を聴くうちに何かに引っ張られるような不思議な感覚を味わっていた。
 やがて音が止んで、リサさんが言った。
「今回はちょっとレアケースだけど、リクエスト通りにはしませんでした。悩みを前には進めていません」
 その代わり、と、リサさんはつづける。
「一か月分、ページを元に戻しました。要は少しの間だけ、過去のほうにね」
 困惑しているおれひとりにだけ語るように、声は響く。
「このまま前に進めてうやむやにしちゃうより、ちゃんと一回、戻ったほうがいいと思って。戻ることで進むこともあるからねー。青色五七五さん。お母さんにちゃんと、別れの挨拶をしてきなさいね。今度は後悔しないように。いってらっしゃい」
 ラジオの音が急に遠のく。
 おれは何が何だか分からない。
 次の瞬間、部屋のドアがこんこん鳴って、身体がびくっと反応する。
「……夜食、持ってきたけど食べる?」
 あの日と同じ、母親の声が聞こえてくる。

終わり

第5回目の俳句募集にたくさんのご応募を頂き、ありがとうございました。

引き続き、第6回目の俳句募集が始まりました。応募締切は2月26日(日)です。

あなたの詠んだ一句が、言葉の職人お二人の手によって、素晴らしい物語に生まれ変わるかも知れません。

「俳句募集」のページから投稿できますので、ぜひご参加ください。ご応募をお待ちしております。